菩提樹の猫

無一物

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1章 伯爵令息を護衛せよ

13 夜になって

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 夜になり、アンドレイは目を覚ました。

「どうだ具合は?」

「のど……乾いた」

 アンドレイの声は掠れていたが、意識ははっきりしているようだ。

「起きられるか?」

「うん」

 デニスは枕を二つ重ねると、アンドレイの上体を起こし背中と背もたれの間に挟んだ。
 水差しからコップに水を注ぐと、アンドレイに渡す。

「よかった、熱も下がってるね」

 アンドレイの額に手をやって熱を測り、レネは安堵した。

「レネ、ありがとう。僕たちを馬に乗せて先にジェゼロへ行かせてくれたんでしょ?」

「そんなことはどうでもいいんだよ。アンドレイが無事で良かった」

 ずっと意識が朦朧としていたアンドレイが、そこまで状況を把握していて礼を言ってくるなんて思わなかったので、レネは驚いた。

「知り合いの所には行かなくていいの?」

 アンドレイが、いま気付いたとばかりにレネに尋ねる。

「ああそれは、後で詳しく説明するけど、オレもポリスタブまで一緒に行くよ」

 みるみるうちに、アンドレイの顔が明るくなる。

(あれ、もしかして喜んでる?)

 怪しまれるのではないかとばかり思っていたのに、意外な反応だ。

「もうお別れだと思って、寂しかったんだ……」

 満面の笑みを浮かべると、半身だけレネに抱きつく。
 こんな短期間の間にレネへと心を開いてくれたことが嬉しくて、レネも思わず笑顔になる。

「またよろしくね」

「こちらこそ」

 旅先で熱が出て心細いのだろうと、レネはアンドレイの背に手をまわし抱きしめた。
 そんな二人の抱擁を脇で見ていたデニスが口を挟む。

「なにか食べられるなら、口に入れた方がいいぞ」

「じゃあ、甘いのが食べたい」

 まるでいいところを邪魔をされたかのように悔しそうな顔で、アンドレイがデニスを睨んだ。

「厨房からなにかもらってくるよ」

 レネは立ち上がって部屋を出ていく。
 書置きのことを詳しく聞きたかったが、カレルとロランドは出かけていない。同じ町にいるヨーゼフの動向を探りに行っているのかもしれない。元傭兵が相手となるとなにかと厄介だ。
 日が沈むとボジ・ルゼ湖からの霧が町全体を包み込み、秋の冷たい空気がスッとレネの身体を引き締めた。

(——明日から大変だな……)


◆◆◆◆◆


 ボジ・ルゼ湖の船着き場の一角にある古い船小屋で、五、六人の男たちが集まって酒を飲んでいた。

「で、どんな様子だった?」

 黒髪の目付きの鋭い男——ヨーゼフが、小太りの口ひげを生やした男をギロリと睨む。

「はい、ガキとお付きの騎士の他に、もう一人一緒にいました」

 ヨーゼフに報告している小太りの男は、昨夜レネたちと雨宿りをした、あのボフミルだった。

「どういうことだ? 話では二人と聞いてたが?」

 依頼してきたヴルビツキー男爵からもらっていた情報と違う。
 強い酒をチロチロと舐めながら、ヨーゼフは男に尋ねた。
「まだ二十前後のおっそろしく上玉の男でして、一人旅をしているところを、危なっかしくて見ていられなかったんでしょう。一緒に連れて行動しています」

 ボフミルの報告にヨーゼフは眉を寄せる。

「男に上玉があるか。お前の目玉は腐ってるのか?」

 あまりの言われようにボフミルは目を白黒させるが、嘘はついてないので言い返す。

「いや、お頭も実際に見たらわかります。あれは、売ったら相当な高値で売れますよ」

 善良な商人の振りをしているが、ボフミルはこの国では禁じられている人身売買に関わる仕事をしている。だからレネが目に入った瞬間、どのくらいの高値で売れるかずっと値踏みしていたのだ。

 猫みたいにツンとした黄緑色の美しい瞳と、しなやかな白い身体が脳裏から離れなかった。 あの時、あまりにも不躾に見ていたので、デニスが気付いて警戒していたのを覚えている。

「でも、ジェゼロまでと言ってたので、ここで別れるでしょう……」

 ボフミルは心の底から残念そうな顔をする。

「けっ、自分の商売のことだけ考えやがって。お付きの騎士は強いんだろ? 賊が全部やられたって聞いたが」

 ヨーゼフは訊いていないことをベラベラ喋るボフミルの報告に苛立っていた。

「ええ。鍛え上げた良い身体をしてましたよ。身体じゅうに大小の傷があったので相当実戦を積んでいるようです」

「代々騎士の家系の出らしいから、相当腕が立つと見ていいだろう。しかしこの前の襲撃を一人で片付けるのは無理があるだろう? 十数人はいたはずだ」

 解せぬ顔をして、ヨーゼフは顎に手をやる。

「それが、酒場に集まる旅人から情報を集めたのですが、どうやら途中で助太刀が入ったようです」

「やはりそうか。助太刀が偶然入っただけだといいんだが……おい、見張りの方はどうなってる?」

 ヨーゼフは、スキンヘッドの男に目配せする。
 アンドレイたちがジェゼロに入ってからも見張りをつけているが、入った宿屋が隙のない作りになっていて、客以外の部外者が近づけず、ヨーゼフたちは手をこまねいていた。

「昼ごろに宿をウロウロしている赤毛の男が、灰色の髪の……たぶん男を宿に連れて来てました。その後、もう一人の優男と連れ立ってどっか出かけたようです」

 灰色の髪と聞いて、ボフミルが目を見開いた。

「その灰色の髪の男が旅の同行者です」
「残念だな。フードを被ってたから見えなかった。顔を拝んで見たかったぜ」

 スキンヘッドの男はニヤリと笑う。

「知り合いの家に行くと言っていたのにまだ一緒に行動してるのか……」

 ボフミルはボソボソと独り言のようにつぶやく。

「もう、そいつの話はいいだろ。それよりも、赤毛の男たちは何者なんだ?」

「それが、よくわからんのです。なんとなく俺たちと同じ匂いがします。灰色の髪の男とも一緒に行動しているので、リンブルクのガキともまったく無関係ではないのでしょう。もしかしたら助太刀に入ったのもその男たちかもしれません」

 もし男たちが伯爵側の雇った護衛だとしたら厄介だ。

「そうだとしたら、めんどくせえな……お前が昨日、毒でも仕込めばこんなに悩む必要はなかったのにな」

 ヨーゼフはジロリとボフミルを睨む。

「あいつら、人が出した食い物にはまったく手を付けようとしないんですよ。だからその線は難しいと思いますよ」

 毒ではないが、ボフミルは眠り薬入りのスープを飲ませようと意気込んでいたのに、頑なに断られた。

「ガキをどうにか一人引き離して始末するのが一番簡単かもな」

 当初は自分たちの手を汚さず、地元の賊を金で使ってさっさと仕事を終わらせるつもりだったが、ことごとく失敗に終わっている。
 連中は、あと三日もすればポリスタブに着いてしまう。船へ乗る前に仕事を終わらせないと、自分たちのような人間が厳しい検問を越えて乗船するのは難しい。
 ヨーゼフは焦りを覚えていた。

「ボフミル、お前は奴らにくっついていけ。そして息子を騎士から引き離せ」

「私も怪しまれてると思いますが、一度接触してみます。お頭たちはどうしますか?」

「俺たちもつかず離れず移動する」

 移動の手段として、農家の男に金を出して、幌馬車をポリスタブまで出させるように手配した。中に隠れれば、ここにいる全員が目立たずに移動できる。

「わかりました。次はどこで会いますか?」

「ホスポダで落ち合おう」

 ホスポダはジェゼロとポリスタブの中間地点にある村だ。ジェゼロから一日歩いてちょうどたどり着く距離にあった。

「では明日またホスポダ村で」

 その様子を小屋の外から聞き耳をたてる者たちがいるとも知らずに、男たちは夜更けまでそこで酒を飲んでいた。
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