菩提樹の猫

無一物

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5章 団長の親友と愛人契約せよ

15 次の手

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「——そういうことだったのですか」

 お茶を飲みながら、伯爵は昨日の状況を説明した。
 伯爵のお付きの騎士であるラデクもお茶の席に加わったので、堅苦しい空気は消え、レネとハヴェルはやっと肩の力を抜いて、香しいお茶を楽しむ余裕ができた。
 お仕着せの使用人の服を着ながらも、元貴族のロランドが優雅にお茶を飲む様子を見て、さすがだとレネは思う。

「そうなんだよ。レオポルトの父親と私は親友でね、見かけたら見張っといてくれと頼まれてたんだよ。それであの如何いかがわしい夜会だろ。本当に君たちには迷惑をかけて申し訳ない」

 まるで自分の子供が悪さをしたかのように、アルベルトは頭を悩ませているようだ。

「いえいえ、とんでもないです。私たちの方こそ」

 ハヴェルは助けてもらったのは自分たちの方なのに、伯爵から逆に謝られてしまいますます恐縮する。

「怪しい薬を飲ませられていたみたいだけど、体調の方は大丈夫かい?」

「ええ、お気遣いありがとうございます。もう平気です」

「——レネ君、ハヴェルさんに単刀直入に訊いていいかい?」

 伯爵にそう言われると身構える。
 息子のアンドレイとは通じ合えたが、その父親は住む世界が違っていた。
 今まで会ったことのない人種だ。

「……なにをでしょうか?」

 レネは恐る恐る訊き返す。
 物腰こそ柔らかいのだが、肚の中でなにを考えているのかまったく読めない。

「——二人は本当に愛人関係なの?」

「ぶっ……失礼」

 突然、ロランドが身体を後ろに捻って、三つ編みを揺らしながら必死に声を殺して笑っている。

「くっくっくっ……やっぱりそうなのかい」

 つられて質問したアルベルト本人も笑いだした。
 苦笑いしながらハヴェルが口を開く。

「実は……私、リーパの団長と昔からの友人でして、テプレ・ヤロに行くことを相談したら、こいつを連れて行くように勧められたんです」

 頭を掻きながら、ハヴェルが参った様子で白状した。
 レネも養父の私室に呼び出された時のことを思い出す。
 事の始まりはバルナバーシュの思いつきからだった。

「駄目だよ君、こんな美しい青年をここに連れてきたら。団長さんも人が悪い」

 そう、あの男は人が悪いのだ。
 レネはつられて頷きそうになるのを必死に堪える。
 リンブルク伯爵から、独断でなんでも決めてしまう独裁者に説教してほしいと、心から願った。

「私もすぐに後悔しました。もう一人候補に挙げられていた熊のような男にすればよかったと……しかし、熊男を連れ歩いていたという噂が広がったら……とレネを選んでしまったんです」

 アルベルトとロランドは遂に腹を抱えて笑い始めた。

「ハヴェルさん、本当の通は私のような愛人を同伴させるのですよ」

 屈強な形《なり》をしたラデクまでもが悪乗りしてくるので、もう皆の笑いは止まらない。

(なんか、アンドレイのお父さんって思ってた人と違う……)

 もっと支配者然とした怖い人物を想像していたのに、飄々として掴みどころのない男だ。
 しかし、真剣に心配されるより、こうやって笑い話にしてくれた方が、レネも幾分か心が楽になる。
 馬鹿話が盛り上がったおかげか、いつの間にかハヴェルとアルベルトはすっかり打ち解けていた。

 そこへ、ザメク・ヴ・レッセの制服を着た男がハヴェルの所へと伝書を届けにやって来た。

「ちょっと失礼」

 席を外して伝書を読むハヴェルの顔が心なしか青ざめている。

(なんだろう?)

 ハヴェルの表情を見て、レネの心のがざわつく。

「どうやらレオポルト様が次の手を打ってこられたようです」

 席に戻ると、ハヴェルがアルベルトに伝書の内容を伝える。

「また馬鹿息子が、なにをやらかしたんだい?」

 アルベルトはレオポルトの名を聞くと苦虫を噛みつぶしたような顔をした。


「昨日一緒にいたマチェイの連れのダミアーンが、レオポルト様の指輪を盗んだとして身柄を拘束されているようです」

「は……?」

 あまりにも突拍子もない内容に、レネは開いた口がふさがらない。
 ダミアーンがそんなことするわけない。
 そもそもレオポルトと離れた席に座っていたのに、いつ指輪を盗んだのだ。
 呆れた様子でアルベルトが溜息をつく。

「だいたいレオポルトのやり口は想像できるよ。昨夜、その連れの服のポケットにでもこっそり指輪を入れたんだろう。それで、レオポルトはなんと?」

「——レネを交渉役に寄越せと……」

 言い辛そうにハヴェルは口を開く。

「君、レオポルトにまで気に入られてしまったみたいだね。まるで伯爵令息ホイホイだ」

(なんだそれ?)

 アルベルトの口から出て来る意味不明な単語に、思わずレネは首を傾げる。

「話は簡単じゃないか。お前が行って身代わりになれば済む」

 ロランドの言う通りだ。ここに他の団員がいても、皆同じことを言うだろう。

「そうだね」

 レネは即答する。
 この事態はレネが招いたといっても過言ではない。ダミアーンは巻き込まれただけだ。
 まずダミアーンの身柄の安全を確保するのが第一だ。
 わざわざ、レネを指名して交渉に来いといっているのだ、昨日の一件からしても、ダミアーンをだしに使ってレネをおびき寄せるのが目的なのだろう。

(オレ一人で済むのなら、それが一番いいよな)

「ここで話を続けるのもなんだから、私の部屋に場所を移そうか。マチェイさんも部屋に呼ぼう」

「あのその前に、お願いがあるのですが」

 ハヴェルが場所の移動を促すアルベルトに声をかける。

「なんだい?」

 立ち上がり部屋を出て行こうとしていたアルベルトが、動きを止める。

「彼にはレネとロランドが私の護衛だということは黙っていて頂けますか?」

「またどうして? すべて話してしまった方がスムーズにことが進むのに」

「いやそれが、元々こいつを連れて来たのも複雑な事情がありまして……」

 苦い顔をしながらハヴェルはリンブルク伯爵へ、ここに来るまでの経緯を説明する。
 マチェイとはわだかまりがなくなった今、レネたちがプロの護衛だと知られると、ハヴェルにとって収まりの悪い話になるからだ。


 伯爵の部屋に場所を移動し。マチェイを部屋に呼ぶと、一同は詳しくことの詳細を尋ねた。

「なるほど、森の中の山小屋までレネ君一人で来いといっているんだね」

 やはり、アルベルトが言っていた通り、昨夜来ていたダミアーンの服から指輪が見つかったとのことだった。

「その山小屋とはどういった所なのですか?」

 レネが一番詳しいであろうアルベルトに尋ねる。

「ここ、ザメク・ヴ・レッセはね、温泉もそうだけど、冬は森で狩りを楽しめるようになっているんだよ。狩りの間、ちょっと休憩できるために建てられた山小屋が森の奥にあるんだ。もう一つ秘密の要素もあるけど私の口からは言い辛いな……」

 苦笑いしながら伯爵はレネから視線を逸らす。

(なんだ?)

「オレ、行ってきます」

 レネはすでに決意を固めていた。

「やめなさい、昨夜もあんなことをされたのに無茶はいかん。ここは駐屯する騎士団に助けを乞うのがいいのではないでしょうか?」

 マチェイがアルベルトに申し出る。

「それはできない。レオポルトが関わっている以上、事を公にするわけにはいかないんだ。それに表向きは君の連れが指輪を盗んだことになっているので、頼んでも騎士団は動かないだろう」

(お貴族様の事情があるのか)

 レネは内心呆れる。

 話し合いの結果、レネが山小屋まで一人で向かいレネの身柄を差し出す条件にダミアーンを救出し、その後、様子を見て騎士であるラデクが救出に向かうことで話はまとまった。
 マチェイがいる手前、表向きはそうなったが、レネは自力で脱出するつもりだ。


 日が暮れて、森へと向かうレネを見送りにハヴェルと伯爵は外まで来ていた。マチェイに至っては、街中に滞在させていた用心棒たちを集結させていた。
 ダミアーンやレネになにかあった時のために、ラデクと一緒に山小屋へ向かわせるつもりだという。

「この役を引き受けてくれてありがとう。君には感謝しかない」

 いつもの狸爺の顔はどこへやら、マチェイはレネに深々と頭を下げていた。

「そんなに、気にしないでください。ラデクさんも付いていますし大丈夫ですよ」

 レネは心配させないように微笑んだ。

「本当にありがとう」

「頭を上げて下さいって。ダミアーンは無事に帰ってきますから」

 それだけは確信をもって告げた。


◆◆◆◆◆


 木の葉が落ちた灰褐色の森の中、藍色ケープを羽織ったレネはまるで森の精のように儚い。

(——こいつが今から一人で、あのレオポルトやサシャがいる山小屋に向かうのか!?)

 ハヴェルはレネが戦っている所をまだ一度も見たことがない。
 レネが魔物へ捧げられる生贄みたいに見えて、ハヴェルは全力で引き留めたい衝動に駆られたが、ロランドから、部屋にいる時たんたんと言い聞かされたことを思い出す。

 バルナバーシュが、なぜレネをここに連れて行くように言ったのか、ただ外見が美しいだけだからではないと、ロランドは説明した。

『どうか団長を信じて待っていて下さい』

 そんなことを言われてしまったら、ハヴェルは親友を信じて待つしかない。

「——無理せず無事に帰って来いよ」

 藍色のケープを羽織ったレネを思いっきり強く抱きしめる。

「心配しないでよ。大丈夫だって」

 レネはいつもの調子で、なんてことないような喋り方をする。

(——だけど、お前っ……お前はこんなにっ……)

 抱きしめた親友の養い子は、商人の自分よりも華奢で、そしてなにものにも代えがたいほど美しかった。
 蛇のような笑みを浮かべたレオポルトに、むざむざと渡してしまっていいのだろうか?
 ロランドとレネも揃って『大丈夫だ』とハヴェルに言う。
 それはなにを意味するのか。
 親友は、あの無邪気で人懐っこい——そしてなによりもバルナバーシュのことを大好きだった可愛い少年を……どう変えてしまったのか。

 この時まだハヴェルは、レネの本来の姿を……まったく想像できないでいた。



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