菩提樹の猫

無一物

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11章 小島から脱出せよ

17 異変

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◆◆◆◆◆


「レネの具合は?」
 
 レーリオはカムチヴォスに宛てた手紙を書く手を止め、部屋に入ってきたジルドへ声をかける。

「癒し手のおっさんが世話してたけどまだ目を覚まさないみたいだぜ。お付きの騎士も殺されたってのに、あんたがずっと虐めるもんだからまいっちゃってんだよ」

 レーリオに言わせると、あんなものを虐めるなという方が無理だ。
 弱い者を虐めたって物足りないと感じている者にとって、生意気な所のあるレネは最高の玩具だ。
 それも絶世の美青年ときた。

 しかし、まだ熱が下がらないとなれば、容体が安定するまで待った方がいい。
 意識が朦朧としていた方が薬は効きやすいと言っていたが、先はまだ長い。
 一度ゆっくり休ませて、体力を回復させた方がいいだろう。


「次にレナートに会えるのはいつになるんだか……」

 レナートにはまだ尋ねたいことがたくさんあった。
 神との契約の儀とはいったいなにをするのか、結局訊かずじまいのままだ。

 今書いている手紙を読んだら、カムチヴォスはすぐにここに飛んで来るに違いない。
 レネの中に『契約者』本人の人格が眠っていたのだ。
 喜ばないはずがない。
 神との契約を再び結ぶことができたら、スタロヴェーキ王国を建国した時のように、レナートに頑張ってもらえばいい。



 突然外に爆発音が鳴り響く。

「なんだっ!? なにがあった?」

 その後に笛の鳴る音が聴こえる。
 異常があった時に知らせる合図として騎士団たちが首から提げているものだ。

 

(——まさか……)

 斬られたはずのバルトロメイの死体が見つかっていない。
 もしかしたら生きていて、どこかに潜んでいたのだろうか?
 あの傷では生きていたとしても動き回ることはできないはずだ。
 だがこの島に侵入して来る者など他に考えられない。

「レーリオ! 見張り小屋付近の雑木林で爆発があって煙が出ているようです。火災が発生していたらこっちの建物まで引火するかもしれません」

 バタバタと複数の足音がしたかと思うと、トーニが部屋の中へ駈け込んで来た。
 盗賊の習性として普段は滅多に足音を立てることがない男を、焦らせるほどの緊急事態が起こっているといっていい。
 後ろには、ぶつぶつ文句を垂れながら、スケッチブックと幾つもの紙を抱えたエンツォがいる。

「あんたは地下からトーニたちと先に船でこの島を出ろ。俺が上に行ってレネを連れて来る」
 
 ジルドは雑木林から上がる煙を見て、島を出た方が安全だと判断したようだ。
 外の船着き場からではなく地下の洞窟から先に逃げろと言っている。
 逃走を防ぐためにレネは三階の部屋に閉じ込めているが、レーリオたちが今いるのは二階なので、レネを連れて来るには一度上に行かなければならない。

 ジルド一人にレネを任せていいのか?

 ジルドは『復活の灯火』に名を連ねて入るが、代々モンテフェルトロ家に仕える騎士の家系ということもあり、レーリオ個人に付随しているところが大きい。
 だからレーリオの安全を最優先に考えるが、それよりも今はレネを優先しないといけない。

「いや俺が行く」

 レーリオの方がジルドよりも身体が大きいぶん力も強い。
 レネは歩くこともままならないだろうから、抱くか担ぐかして移動しなければならない。
 騎士もいるが、騎士は敵が来た時の肉の盾なので、自分たちでなんとかする必要があった。

「駄目だ。あの男だったらちゃんと息の根を止めないと後々厄介だ」

 金色の目が猛獣のようにギラリと光る。
 普段は人当たりの好いふりをしているが、この男は肚の中にとんでもない獣を飼っていた。

 ジルドがいうあの男とはたぶんバルトロメイのことだ。
 バルトロメイはナタナエルの生まれ変わりだ。
 三騎士の中でもレナトスが一番近くに置いていた男。

 今生でもバルトロメイはレネに剣を捧げている。
 ナタナエルとの符合を感じとったカムチヴォスからも、バルトロメイ抹殺を命じられていた。

——同じ悲劇を繰り返してはいけない。


「……わかった。ジルド、必ずレネを連れて来てくれ」

 金髪頭を抱き寄せ、こめかみに口付けをする。

「もちろんそのつもりだ」

 ジルドの身体中に闘志が漲っているのを感じる。
 形骸化した騎士団で飼い殺しにされるよりも、レーリオと危険な橋を渡ることを選んだジルド。
 いつも汚れ役ばかりを押してつけている気がしたが、その顔は今まで見たどの表情よりも活き活きとしていた。


「さあ、早く行きましょう!」

 ジルドの背中が消えると、トーニがすぐにここから避難するよう急かす。

 レーリオはエンツォが大切そうに胸に抱えているものをチラリと見る。
 もし逃げられるようなことがあったとしても、レネを脅す材料はいくらでもあった。
 命懸けで戦いへと向かう仲間を見送ったばかりなのに、気付けばこうしてその仲間が失敗した時の次の手を考えている。
 レーリオは廊下を走りながら、そんな鬱々とした気持ちを振り切るように唾を吐き捨てた。

 

◆◆◆◆◆


 ドーンとなにか大きな音がした。
 ここはすぐに海が見えるほどここは小さな島だ。
 いったいなにがあったんだろう?

 夢うつつの中、レネは無意識の内に頭の中で状況を判断していた。


——レネ……、レネ……。

 誰かが呼ぶ声が聴こえる。
 まだ身体が怠いが、重い瞼を開けると、見慣れた顔がレネを見下ろしていた。

「……フィリプ……あれ? オレ……どうやって……」

 あれ以来まともに言葉を交わしていなかったが、いつの間にかフィリプと一緒にいた部屋へと帰ってきている。

「お前は熱を出してこの部屋に運ばれ、昨日の夜からずっと眠っていた。——それよりも、さっき外で爆発音がした。なにか異常があったみたいだ。見張りの騎士も下に様子を見に行ったまま帰って来ない」

「……え?」

 どうやら夢うつつの中で聴いていた音は現実のものだったようだ。
 こんななにもない所であんな音が鳴るとは考えられない。
 騎士たちの動きから見ても、異常事態が起きているのだろう。

「誰もいない今のうちに、逃げるぞ」

 フィリプの言葉に、熱で弛緩していた身体に一気に力がみなぎる。


——今が逃げるチャンスだ。

 ベッドからすぐに起き上がると、まだまだ足元がふらつくがフィリプが肩を支えてくれたので、なんとか歩くことができた。

 この機を逃がしたら、契約の時が来るまで、ずっとあんなことをされ続けるのかと思うと絶望しかない。
 肌身離さず持っていた剣は取られたままだが、今はそんなこと言っている場合ではなかった。

 扉を開けて部屋を出る。
 周囲を見回すが、誰もいない。
 
(あれ?)

 ふと違和感が湧いたが、一瞬の内だった。
 急に後ろから足音が聴こえたかと思うと、フィリプの腕をなにかが掠っていく。
 誰かがナイフを投げたのだ。

(——追手!?)


「こっそり逃げようっても、そうは行かせねえぞ!!」

 


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