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第4章 少年期後編
第91話 最凶の矛
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俺の前に両手を広げてシュヴァインに立ち塞がったのは一人のエルフの少女。
プラチナブロンドの髪と衣服は雨に濡れ、荒い深呼吸のまま真っ直ぐにシュヴァインを見つめるリアナの姿があった。
何故、リアナがここに……?
いや、それよりも……。
「リアナ、危ないから下がってろ。
コイツは……俺が——」
俺は片膝をついて立ち上がろうと力を込める。
「ダメだよ、シン。
シンは見てられないくらい大怪我してるんだよ。
そんなシンに、この人は剣を向けてる。
……私は……今、下がる訳に、いかないよ」
リアナは俺の言葉を遮りそう言いながらも、その声も手足も震えていた。
それでも、強い眼差しでシュヴァインからは目を逸らさない。
そんな俺とリアナを、シュヴァインはしばし眺めてその目を細める。
そして小さく息を吐いて、スッと大剣を下ろしたのだった。
「……君は、何故この人間を守る?」
シュヴァインは問いかける。
「私の大切な人だから。
絶対に、失いたくない人だから」
リアナは即答する。
その声は、もう震えてはいなかった。
「失いたくない……人、か……」
シュヴァインは目を瞑り、乾いた笑みをこぼす。
再び開いた瞳はどこか遠くを見つめ、何かを思い出しているようでもあった。
そしてシュヴァインは俺達に背を向け、大剣をその手から消し去った。
肌の色も、褐色から透き通るような白い肌へと変わっていく。
「僕は……人間を許したりはしない。
それはこれからもきっと変わらない。
変わりたいとも、思わない」
背を向けたまま、シュヴァインはそう断言する。
しかし、彼は続けて口を開く。
「……だが、お前はエルフの為にその命をかけられる、と言ったな?
それは……本心か?」
シュヴァインは背を向けたまま俺に問いかける。
俺はその問いかけに、強く頷いて答える。
「あぁ、本心だ。
その中には、てめぇも含んでるからな、シュヴァイン。
お前も……エルフなんだからよ」
俺がそう答えると、シュヴァインは「生意気な……」と吐き捨てるように言って顔だけ振り返る。
「その娘に心から感謝する事だ。
言っておくが、お前を信用した訳ではない。
気高きエルフの少女に敬意を表して、手を引くだけだ。
その娘の揺るがない信頼を……その想いを……裏切ってくれるなよ、人間」
そう言い残し、俺達を一瞥すると再び前を向いて歩き出す。
「裏切らねぇよ。
だから、お前も、少しはその考えを改めてくれよ。
俺が……必ず証明してやるから。
人間も捨てたもんじゃねぇって、絶対に……」
俺のその宣言に、シュヴァインは答えなかった。
けれど、それを否定する事も、拒絶する事も、しなかった。
離れていくシュヴァインの背を俺とリアナはジッと見つめていたその時、その背中を血染めのエストックが突き抜けた。
それを見た俺は目を見開き、リアナは小さく悲鳴をあげて口を覆う。
「なぁおい、クソエルフ。
てめぇはあのクソデケェ樹をぶち壊すってぇのがアリスからの指示じゃなかったか?
結界こそ無くなってるが、傷一つ見当たらねぇのはどういう了見だ?」
森の奥から、荒々しい口調の声が響いてくる。
そちらを見やると、暗い森からゆっくり歩いてくる褐色肌の一人の男が姿を見せた。
雨に濡れた短い白髪を片手でかきあげ、冷徹な顔付きでシュヴァインと俺達を一瞥する。
その手には……あの幻想結界で見た白銀のエストックを握りしめて。
シュヴァインはよろきながらそちらを見やり、顔を歪める。
「……誰かが来る事も想定していたが……。
まさか、あなたがこんな辺境の地に来るとはね……。
ギルディア——ッ」
胸のど真ん中に風穴をあけられたシュヴァインは血を吐き出しながら忌々しげにそう言った。
「ハッ、俺様がわざわさここに来たのもあのジノ・オルディールとやり合えると思ったからだよ、クソエルフ」
褐色の男はつまらなそうに答えて近づいて来る。
「ところがあの野郎はこっちじゃなくアリス達の方に行きやがってよ。
当てが外れて俺様は苛々してんだよ。
オマケにテメェは見境なく結界に引き摺り込みやがってッ。
この俺様を煩わせるとかいい度胸だよ、えぇ?おい、クソエルフッ!」
目にも留まらぬ投擲が放たれ、白銀のエストックがシュヴァインの右肩を貫いた。
そのまま吹っ飛び地面を転がるシュヴァイン。
その直後、まるで瞬間移動したかのように褐色の男はシュヴァインの真上に現れ、その顔を踏みつける。
シュヴァインの頭部が叩き付けられ、地面が砕ける。
更に片手で白銀のエストックを構築すると、それをシュヴァインの胸部に深々と突き刺した。
ゆっくりと落ちる手足は、それから動かなくなる。
それはほんの一瞬の出来事。
しかし、あまりに圧倒的で、かつ情け容赦のない蹂躙を見て俺は戦慄する。
「リアナッ!下がってろ!!」
俺はリアナの肩を掴み、俺の背後に寄せてから前に進みでる。
しかし、そんな俺の手をリアナが掴む。
その顔を恐怖に歪めて、首をブンブンと横に振っている。
言葉こそ出さないが、戦ってはダメだと訴えてくる。
だが、俺は顔を引き締め、覚悟を決める。
「リアナ……アネッサを連れて今すぐ逃げろ。
俺が時間を稼ぐ」
「かっこえぇなぁ、おチビさん。
でもなぁ……どうやって時間を稼ぐつもりなん?」
その声はすぐ間近で囁くように発せられた。
そちらを見れば、真紅の布地に鮮やかな金色の装飾がなされた着物を羽織った獣人女性が立っていた。
妖艶に輝く金色の髪を風になびかせ、俺の真横に立って腰を曲げてこちらに顔を寄せてくる。
その頭からは狐のような耳を生やし、着物の裾の分け目から九つの太い尻尾がのぞいている。
邪悪で悪戯っぽい笑みを浮かべて大きな銀扇を俺に向ける。
コイツは——ッ!
どっから出て来た!?
「“狐火・焔”」
小さくそう告げる着物の女性。
その直後、その銀扇から狐の形をした青白い炎が放たれ、俺の左腕を一瞬で燃やし尽くす。
左腕の肘から先が消失し、遅れてやってくる激痛に俺は叫び声を上げる。
あまりに一瞬の出来事で、熱いと思う暇もない。
「腕が無くなってしもうたねぇ。
ほんに、痛そうやわぁ。
堪忍してな、うちは手加減が苦手なんよ」
堪忍な、ともう一度言いながら、銀扇を口に当てて笑うその女性。
その女性が冷たい眼差しで隣のリアナにその目を向ける。
リアナは恐怖のあまり腰を抜かし、ガタガタと震えている。
しかし、その着物の女はスッと視線を逸らして別の方向を向く。
その先には——。
「……シン様に……何をした……」
静かに、しかし冷徹な怒りを込めて声を絞り出したのはアネッサであった。
ゆらりと身体を揺らしながら立ち上がり、あらん限りの殺意を込めて、着物の女を睨み付ける。
「フェンリルはんやないの。
お久しゅう。
人の皮を被っても、相も変わらず荒々しい姿やねぇ」
そう言ってアネッサを見てフフ、と笑う着物の女性。
「貴様ァッ!
シン様に、何をしたァッ!!」
地を疾走するアネッサ。
瞬時に間合いを詰めて構築した鉤爪を容赦なく振り抜いた。
しかし、アネッサが切り裂いたのは人の形をした一枚の紙切れだけ。
それも直ぐに青白い炎と共に消え散っていく。
「フェンリルはんとは相性最悪やからね。
うちはやり合わんよ。
ほな、後は任せるわ、ウガルルムはん」
いつの間にか褐色の男の横に移動した着物の女はクスクス笑いながらそう告げる。
その直後、細身のアネッサの身体がトラックに轢かれたかのように吹き飛ばされて地面を転がっていく。
それをもたらした存在は、丸太のような太い腕を振り抜いた巨体の獣人であった。
獣毛の腰巻だけを身につけ、燃え盛るオレンジ色をした髪はまさにライオンのたてがみのよう。
全身の筋肉ははち切れんばかりに張り上がり、頭部は獅子の形を成していた。
「貴様ともあろう者がなんて様だ。
そこで倒れている軟弱者如きに飼い慣らされるからそうなるのだ。
見損なったぞ、フェンリル」
大男の獣人が鼻息荒くそう告げる。
地面を転がりながらも体勢を立て直したアネッサはギラリと眼光を輝かせ、再び飛びかかる。
「アネッサ……やめろ……。
逃げろ……」
俺は激痛に顔を歪めながら、弱々しく懇願する。
その声が聞こえたのか、聞こえていなかったのか。
アネッサは構わず疾走する。
しかし、その速度をもろもせずに細い首を掴んで地面に叩きつける褐色の男。
「てめぇが俺が取り損なった狼か!
思ったより良い女じゃねぇか。
クラウリーの馬鹿に任せずに俺様が直々に出向いときゃ良かったぜ」
その手を力を込めて首を締め付け地面に叩きつける褐色の男。
アネッサは声も上げれずに暴れまわる。
「アネッサから、手を離しやがれッ!!
このクソ野郎ッ!!」
俺は立ち上がり、魔力を放出する。
身体がバラバラになりそうな感覚に陥り、意識が吹っ飛びそうになる。
左手の痛みはもはや感じない。
代わりに全身が引き裂かれるような鋭い痛みが駆け巡る。
たが、今はそれどころではない。
目の前の連中を、どうにかしなければ……。
アネッサが、リアナが、危ないのだ。
守らなければならないッ!
例え、この命がここで尽き果てようともッ!!
「“幻想魔導術式、解放”ッ!!」
立て続けの幻魔の術式の解放。
それは、今までやった事すらない。
そもそも、使う事すら出来なかったのだ。
身体が、それを使えば持たない事を、知っているから——。
「へぇ、それが噂の“幻魔の術式”か。
見るのは初めてだ」
褐色の男は俺を見て嘲笑う。
紫雷を迸らせ駆け抜ける俺は拳を振りかぶる。
「“遅緩の魔刻”」
アネッサの首を締め上げながら、空いた片手を掲げた褐色の男が一言詠唱すると、俺の体の動きがいきなり鈍重になる。
迸る紫雷も、足も腕も、何もかもゆっくりになる。
「幻獣ってのも一度主人を定めると他には懐かねぇからな。
こんなクソガキに従いやがって……。
良い女だが、ここでぶっ殺すしかねぇか。
次に目覚めたら、今度こそモノにしてやるよ、狼」
そう言って褐色の男は掲げた片手を振り上げる。
その動きすら、やけにゆっくりに見える。
やめろ……。
やめろッ!!
身体が言うことをきかないッ!
まるで俺だけ時間の流れが遅くなったかのよう……。
アネッサを、早く、助けに——。
振り下ろされたその手刀が……。
容赦なくアネッサの胸に突き刺さり、突き抜ける。
そのまま地面に到達し、地は割れ崩壊していく。
ゴポッと多量の血がアネッサの口から溢れ落ち、鮮血が飛び散る。
その一滴一滴の動きすら、スローモションに見える。
そして……アネッサの金色に輝く瞳から、光が徐々に失われていく。
俺は叫び声すら上げられない。
身体は未だにゆっくりと動くだけ。
目の前の光景を、受け入れる事も出来ない。
こんな事が……ある訳ない……。
「さて、そんじゃあノロマなてめぇの番だ。
ついでにその力も、もらっておくぜ?」
褐色肌の男はアネッサの血に染まった腕を引き抜き、今度は俺へと近寄ってくる。
目の前にやってきたソイツを、俺は今すぐ殺したいと思いながらゆっくり視線を向ける。
それが叶わない事が、動かない身体が、腹立たしくて仕方ない。
そして、振りかぶった片手が容赦なく放たれ、鋭い手刀が俺の胸を突き抜けた。
強制的に幻魔の術式が遮断され、行き場のない魔力が身体中を暴れまわる。
目の前が明点し、膝を落とし、口から多量な血を吐き出して意識は闇に落ちていく。
消えゆく意識の中、考える事は一つだけだった。
アネッサ——。
死なせやしない……。
絶対に……。
俺は……お前を——。
「“世界の刻よ、静止せよ”」
誰かの声が、消えゆく意識の中で、微かに聞こえて、俺は意識を失った——。
プラチナブロンドの髪と衣服は雨に濡れ、荒い深呼吸のまま真っ直ぐにシュヴァインを見つめるリアナの姿があった。
何故、リアナがここに……?
いや、それよりも……。
「リアナ、危ないから下がってろ。
コイツは……俺が——」
俺は片膝をついて立ち上がろうと力を込める。
「ダメだよ、シン。
シンは見てられないくらい大怪我してるんだよ。
そんなシンに、この人は剣を向けてる。
……私は……今、下がる訳に、いかないよ」
リアナは俺の言葉を遮りそう言いながらも、その声も手足も震えていた。
それでも、強い眼差しでシュヴァインからは目を逸らさない。
そんな俺とリアナを、シュヴァインはしばし眺めてその目を細める。
そして小さく息を吐いて、スッと大剣を下ろしたのだった。
「……君は、何故この人間を守る?」
シュヴァインは問いかける。
「私の大切な人だから。
絶対に、失いたくない人だから」
リアナは即答する。
その声は、もう震えてはいなかった。
「失いたくない……人、か……」
シュヴァインは目を瞑り、乾いた笑みをこぼす。
再び開いた瞳はどこか遠くを見つめ、何かを思い出しているようでもあった。
そしてシュヴァインは俺達に背を向け、大剣をその手から消し去った。
肌の色も、褐色から透き通るような白い肌へと変わっていく。
「僕は……人間を許したりはしない。
それはこれからもきっと変わらない。
変わりたいとも、思わない」
背を向けたまま、シュヴァインはそう断言する。
しかし、彼は続けて口を開く。
「……だが、お前はエルフの為にその命をかけられる、と言ったな?
それは……本心か?」
シュヴァインは背を向けたまま俺に問いかける。
俺はその問いかけに、強く頷いて答える。
「あぁ、本心だ。
その中には、てめぇも含んでるからな、シュヴァイン。
お前も……エルフなんだからよ」
俺がそう答えると、シュヴァインは「生意気な……」と吐き捨てるように言って顔だけ振り返る。
「その娘に心から感謝する事だ。
言っておくが、お前を信用した訳ではない。
気高きエルフの少女に敬意を表して、手を引くだけだ。
その娘の揺るがない信頼を……その想いを……裏切ってくれるなよ、人間」
そう言い残し、俺達を一瞥すると再び前を向いて歩き出す。
「裏切らねぇよ。
だから、お前も、少しはその考えを改めてくれよ。
俺が……必ず証明してやるから。
人間も捨てたもんじゃねぇって、絶対に……」
俺のその宣言に、シュヴァインは答えなかった。
けれど、それを否定する事も、拒絶する事も、しなかった。
離れていくシュヴァインの背を俺とリアナはジッと見つめていたその時、その背中を血染めのエストックが突き抜けた。
それを見た俺は目を見開き、リアナは小さく悲鳴をあげて口を覆う。
「なぁおい、クソエルフ。
てめぇはあのクソデケェ樹をぶち壊すってぇのがアリスからの指示じゃなかったか?
結界こそ無くなってるが、傷一つ見当たらねぇのはどういう了見だ?」
森の奥から、荒々しい口調の声が響いてくる。
そちらを見やると、暗い森からゆっくり歩いてくる褐色肌の一人の男が姿を見せた。
雨に濡れた短い白髪を片手でかきあげ、冷徹な顔付きでシュヴァインと俺達を一瞥する。
その手には……あの幻想結界で見た白銀のエストックを握りしめて。
シュヴァインはよろきながらそちらを見やり、顔を歪める。
「……誰かが来る事も想定していたが……。
まさか、あなたがこんな辺境の地に来るとはね……。
ギルディア——ッ」
胸のど真ん中に風穴をあけられたシュヴァインは血を吐き出しながら忌々しげにそう言った。
「ハッ、俺様がわざわさここに来たのもあのジノ・オルディールとやり合えると思ったからだよ、クソエルフ」
褐色の男はつまらなそうに答えて近づいて来る。
「ところがあの野郎はこっちじゃなくアリス達の方に行きやがってよ。
当てが外れて俺様は苛々してんだよ。
オマケにテメェは見境なく結界に引き摺り込みやがってッ。
この俺様を煩わせるとかいい度胸だよ、えぇ?おい、クソエルフッ!」
目にも留まらぬ投擲が放たれ、白銀のエストックがシュヴァインの右肩を貫いた。
そのまま吹っ飛び地面を転がるシュヴァイン。
その直後、まるで瞬間移動したかのように褐色の男はシュヴァインの真上に現れ、その顔を踏みつける。
シュヴァインの頭部が叩き付けられ、地面が砕ける。
更に片手で白銀のエストックを構築すると、それをシュヴァインの胸部に深々と突き刺した。
ゆっくりと落ちる手足は、それから動かなくなる。
それはほんの一瞬の出来事。
しかし、あまりに圧倒的で、かつ情け容赦のない蹂躙を見て俺は戦慄する。
「リアナッ!下がってろ!!」
俺はリアナの肩を掴み、俺の背後に寄せてから前に進みでる。
しかし、そんな俺の手をリアナが掴む。
その顔を恐怖に歪めて、首をブンブンと横に振っている。
言葉こそ出さないが、戦ってはダメだと訴えてくる。
だが、俺は顔を引き締め、覚悟を決める。
「リアナ……アネッサを連れて今すぐ逃げろ。
俺が時間を稼ぐ」
「かっこえぇなぁ、おチビさん。
でもなぁ……どうやって時間を稼ぐつもりなん?」
その声はすぐ間近で囁くように発せられた。
そちらを見れば、真紅の布地に鮮やかな金色の装飾がなされた着物を羽織った獣人女性が立っていた。
妖艶に輝く金色の髪を風になびかせ、俺の真横に立って腰を曲げてこちらに顔を寄せてくる。
その頭からは狐のような耳を生やし、着物の裾の分け目から九つの太い尻尾がのぞいている。
邪悪で悪戯っぽい笑みを浮かべて大きな銀扇を俺に向ける。
コイツは——ッ!
どっから出て来た!?
「“狐火・焔”」
小さくそう告げる着物の女性。
その直後、その銀扇から狐の形をした青白い炎が放たれ、俺の左腕を一瞬で燃やし尽くす。
左腕の肘から先が消失し、遅れてやってくる激痛に俺は叫び声を上げる。
あまりに一瞬の出来事で、熱いと思う暇もない。
「腕が無くなってしもうたねぇ。
ほんに、痛そうやわぁ。
堪忍してな、うちは手加減が苦手なんよ」
堪忍な、ともう一度言いながら、銀扇を口に当てて笑うその女性。
その女性が冷たい眼差しで隣のリアナにその目を向ける。
リアナは恐怖のあまり腰を抜かし、ガタガタと震えている。
しかし、その着物の女はスッと視線を逸らして別の方向を向く。
その先には——。
「……シン様に……何をした……」
静かに、しかし冷徹な怒りを込めて声を絞り出したのはアネッサであった。
ゆらりと身体を揺らしながら立ち上がり、あらん限りの殺意を込めて、着物の女を睨み付ける。
「フェンリルはんやないの。
お久しゅう。
人の皮を被っても、相も変わらず荒々しい姿やねぇ」
そう言ってアネッサを見てフフ、と笑う着物の女性。
「貴様ァッ!
シン様に、何をしたァッ!!」
地を疾走するアネッサ。
瞬時に間合いを詰めて構築した鉤爪を容赦なく振り抜いた。
しかし、アネッサが切り裂いたのは人の形をした一枚の紙切れだけ。
それも直ぐに青白い炎と共に消え散っていく。
「フェンリルはんとは相性最悪やからね。
うちはやり合わんよ。
ほな、後は任せるわ、ウガルルムはん」
いつの間にか褐色の男の横に移動した着物の女はクスクス笑いながらそう告げる。
その直後、細身のアネッサの身体がトラックに轢かれたかのように吹き飛ばされて地面を転がっていく。
それをもたらした存在は、丸太のような太い腕を振り抜いた巨体の獣人であった。
獣毛の腰巻だけを身につけ、燃え盛るオレンジ色をした髪はまさにライオンのたてがみのよう。
全身の筋肉ははち切れんばかりに張り上がり、頭部は獅子の形を成していた。
「貴様ともあろう者がなんて様だ。
そこで倒れている軟弱者如きに飼い慣らされるからそうなるのだ。
見損なったぞ、フェンリル」
大男の獣人が鼻息荒くそう告げる。
地面を転がりながらも体勢を立て直したアネッサはギラリと眼光を輝かせ、再び飛びかかる。
「アネッサ……やめろ……。
逃げろ……」
俺は激痛に顔を歪めながら、弱々しく懇願する。
その声が聞こえたのか、聞こえていなかったのか。
アネッサは構わず疾走する。
しかし、その速度をもろもせずに細い首を掴んで地面に叩きつける褐色の男。
「てめぇが俺が取り損なった狼か!
思ったより良い女じゃねぇか。
クラウリーの馬鹿に任せずに俺様が直々に出向いときゃ良かったぜ」
その手を力を込めて首を締め付け地面に叩きつける褐色の男。
アネッサは声も上げれずに暴れまわる。
「アネッサから、手を離しやがれッ!!
このクソ野郎ッ!!」
俺は立ち上がり、魔力を放出する。
身体がバラバラになりそうな感覚に陥り、意識が吹っ飛びそうになる。
左手の痛みはもはや感じない。
代わりに全身が引き裂かれるような鋭い痛みが駆け巡る。
たが、今はそれどころではない。
目の前の連中を、どうにかしなければ……。
アネッサが、リアナが、危ないのだ。
守らなければならないッ!
例え、この命がここで尽き果てようともッ!!
「“幻想魔導術式、解放”ッ!!」
立て続けの幻魔の術式の解放。
それは、今までやった事すらない。
そもそも、使う事すら出来なかったのだ。
身体が、それを使えば持たない事を、知っているから——。
「へぇ、それが噂の“幻魔の術式”か。
見るのは初めてだ」
褐色の男は俺を見て嘲笑う。
紫雷を迸らせ駆け抜ける俺は拳を振りかぶる。
「“遅緩の魔刻”」
アネッサの首を締め上げながら、空いた片手を掲げた褐色の男が一言詠唱すると、俺の体の動きがいきなり鈍重になる。
迸る紫雷も、足も腕も、何もかもゆっくりになる。
「幻獣ってのも一度主人を定めると他には懐かねぇからな。
こんなクソガキに従いやがって……。
良い女だが、ここでぶっ殺すしかねぇか。
次に目覚めたら、今度こそモノにしてやるよ、狼」
そう言って褐色の男は掲げた片手を振り上げる。
その動きすら、やけにゆっくりに見える。
やめろ……。
やめろッ!!
身体が言うことをきかないッ!
まるで俺だけ時間の流れが遅くなったかのよう……。
アネッサを、早く、助けに——。
振り下ろされたその手刀が……。
容赦なくアネッサの胸に突き刺さり、突き抜ける。
そのまま地面に到達し、地は割れ崩壊していく。
ゴポッと多量の血がアネッサの口から溢れ落ち、鮮血が飛び散る。
その一滴一滴の動きすら、スローモションに見える。
そして……アネッサの金色に輝く瞳から、光が徐々に失われていく。
俺は叫び声すら上げられない。
身体は未だにゆっくりと動くだけ。
目の前の光景を、受け入れる事も出来ない。
こんな事が……ある訳ない……。
「さて、そんじゃあノロマなてめぇの番だ。
ついでにその力も、もらっておくぜ?」
褐色肌の男はアネッサの血に染まった腕を引き抜き、今度は俺へと近寄ってくる。
目の前にやってきたソイツを、俺は今すぐ殺したいと思いながらゆっくり視線を向ける。
それが叶わない事が、動かない身体が、腹立たしくて仕方ない。
そして、振りかぶった片手が容赦なく放たれ、鋭い手刀が俺の胸を突き抜けた。
強制的に幻魔の術式が遮断され、行き場のない魔力が身体中を暴れまわる。
目の前が明点し、膝を落とし、口から多量な血を吐き出して意識は闇に落ちていく。
消えゆく意識の中、考える事は一つだけだった。
アネッサ——。
死なせやしない……。
絶対に……。
俺は……お前を——。
「“世界の刻よ、静止せよ”」
誰かの声が、消えゆく意識の中で、微かに聞こえて、俺は意識を失った——。
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バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
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