29 / 30
番外編
前日談 とある王太子の話3
しおりを挟む
代り映えのしない日々を過ごしていたある日、俺はセシリア嬢に庭園に連れ出された。そしてそこで、社交界に流れている俺とセシリア嬢が必要以上に親しいという噂を耳にした。
当の本人であるセシリア嬢にまで届いたのなら、当然クラリスの耳にもその噂は入っているだろう。
思い出すのは、いつものようにセシリア嬢にどう世話を焼いたか話した俺に、微笑んで立派だと言うクラリスの姿。
嫉妬させたくてセシリア嬢とのことを話していたわけではない。ただ、優しい人だと思っていたほしかっただけだ。
だが結局俺は、笑わせることも怒らせることも――彼女の心に揺さぶり一つかけることのできない存在なのだと思い知らされた。
「いっそのこと、俺とお前が親しいという噂を本当にしてみるか」
一瞬で、どうでもよくなった。
その程度の存在にすぎない俺が何をしようと――ついてきてほしいと頼んでも、王太子の座にしがみついて彼女の笑顔を見たいと思っていても、意味がない。
むしろ、俺との婚約がなくなったほうが彼女にとっては喜ばしいに違いない。
リンデルフィル公はクレイグの祖父と交流がある。そちらの縁で推せば、クラリスは今のまま、クレイグの――優秀な王太子の婚約者になり、王太子妃になれる。
だから俺はセシリア嬢と協力関係を結んだ。
なにしろセシリア嬢は子爵家の庶子だ。まともに教育すらされていない彼女を王太子妃にと俺が言い出せば、反対する者も出てくる。
それを口実に家臣に降ると言えば、そこまで不自然ではない。
多少無理を通す必要はあるが、それで誰もが望む形に収まるのならするだけの価値はある。
それから俺はクラリスとの交流を減らし、代わりにセシリア嬢との交流を増やしていった。
「ハロルド様! 今日も会えて嬉しいです」
社交の場で顔を合わせるたび、セシリア嬢はにこやかな笑顔で俺を迎えた。
親しさを演出するために、これまで教えた貴族らしい振る舞いを忘れろと言ったのが功を成したのだろう。
それにセシリア嬢は母親のもとに戻りたいと思っている。もうすぐ戻れるのだという喜びが、彼女の笑顔には溢れていた。
「……協力する報酬に何か欲しいものはあるか?」
そう訊ねてしまったのは、セシリア嬢の笑顔に罪悪感を抱いたからだ。
彼女を親元に戻すのには時間がかかる。クラリスとの婚約を一方的に破棄し、悪評を広め、家臣に降ってからとなるとすぐに帰すわけにはいかない。
明確な期限をわざと設けなかったことに対する罪悪感と、セシリア嬢の心の安らぎになるものがあればと思っての提案に、セシリア嬢は薔薇のブローチを望んだ。
自ら装飾品を与える相手がクラリスではない別の女性になるとは、昔は思いもしていなかった。
リンデルフィル家は財政状況があまりよくない。さすがに王太子から贈られたものに手をつけたりはしないだろう。だが、もしも贈ったものが売り払われて、それを俺が見つけてしまったら――拭えない考えに、どうしてもクラリスに装飾品を贈ることができなかった。
結婚したら、名実共にリンデルフィル家から離れたら、その時にたくさん贈ればいい。ずっと、そう考えていた。
「何か一つくらい贈ってやればよかったか」
これからは彼女に何も贈れなくなる。心に残った未練が口を突いて出て――首を横に振る。
いや、何も贈らなくて正解だった。
元王太子で、しかも婚約を破棄した相手から贈られたものなど手元にあってもどうしようもない。彼女は優しいから、気軽に処分することもできないだろう。
だからこれでよかったのだと自分に言い聞かせて――俺が十七歳になったことを祝う宴の日を迎えた。
俺が成人すればクラリスと式を挙げる予定になっている。だからここが最初で最後の機会だ。
セシリア嬢と親しいという噂は十分に流れている。
後は、熱に浮かされた馬鹿な男を演じればいいだけだ。
「クラリス、お前との婚約を破棄する!」
唐突な俺の宣言に、周囲がざわめく。俺と対峙しているクラリスは呆けたように目を丸くして、何度か瞬きを繰り返した。
「え、婚約を……? 何かの、間違いよね?」
いつものような慎ましい笑みではない。微笑もうとして引きつった笑みに、胸の奥がざわついた。
だが隣に立つセシリア嬢と、会場の隅に見つけたクレイグの姿に息を吸う。
「間違いではない。俺はお前との婚約を破棄し、代わりに彼女――セシリア・ウォーレンとの婚約を望む」
目立つように、誰も聞き逃さないように声を張り上げた。
クラリスからの瞳から零れる大粒の涙は、俺との婚約がなくなったこを悲しんでか、あるいは王太子妃になれないことを危ぶんでか――考えるまでもない。
「俺の婚約者だったことを誇りに生きるんだな」
クラリスが頑張ってきたことは無駄にはならない。王太子妃として、これからも生きていける。
だができれば王太子だった俺のことを――ここまでしてようやく揺さぶることのできたちっぽけな存在を、心のどこか片隅でもいいから覚えていてほしい。
ただ、それだけだった。
当の本人であるセシリア嬢にまで届いたのなら、当然クラリスの耳にもその噂は入っているだろう。
思い出すのは、いつものようにセシリア嬢にどう世話を焼いたか話した俺に、微笑んで立派だと言うクラリスの姿。
嫉妬させたくてセシリア嬢とのことを話していたわけではない。ただ、優しい人だと思っていたほしかっただけだ。
だが結局俺は、笑わせることも怒らせることも――彼女の心に揺さぶり一つかけることのできない存在なのだと思い知らされた。
「いっそのこと、俺とお前が親しいという噂を本当にしてみるか」
一瞬で、どうでもよくなった。
その程度の存在にすぎない俺が何をしようと――ついてきてほしいと頼んでも、王太子の座にしがみついて彼女の笑顔を見たいと思っていても、意味がない。
むしろ、俺との婚約がなくなったほうが彼女にとっては喜ばしいに違いない。
リンデルフィル公はクレイグの祖父と交流がある。そちらの縁で推せば、クラリスは今のまま、クレイグの――優秀な王太子の婚約者になり、王太子妃になれる。
だから俺はセシリア嬢と協力関係を結んだ。
なにしろセシリア嬢は子爵家の庶子だ。まともに教育すらされていない彼女を王太子妃にと俺が言い出せば、反対する者も出てくる。
それを口実に家臣に降ると言えば、そこまで不自然ではない。
多少無理を通す必要はあるが、それで誰もが望む形に収まるのならするだけの価値はある。
それから俺はクラリスとの交流を減らし、代わりにセシリア嬢との交流を増やしていった。
「ハロルド様! 今日も会えて嬉しいです」
社交の場で顔を合わせるたび、セシリア嬢はにこやかな笑顔で俺を迎えた。
親しさを演出するために、これまで教えた貴族らしい振る舞いを忘れろと言ったのが功を成したのだろう。
それにセシリア嬢は母親のもとに戻りたいと思っている。もうすぐ戻れるのだという喜びが、彼女の笑顔には溢れていた。
「……協力する報酬に何か欲しいものはあるか?」
そう訊ねてしまったのは、セシリア嬢の笑顔に罪悪感を抱いたからだ。
彼女を親元に戻すのには時間がかかる。クラリスとの婚約を一方的に破棄し、悪評を広め、家臣に降ってからとなるとすぐに帰すわけにはいかない。
明確な期限をわざと設けなかったことに対する罪悪感と、セシリア嬢の心の安らぎになるものがあればと思っての提案に、セシリア嬢は薔薇のブローチを望んだ。
自ら装飾品を与える相手がクラリスではない別の女性になるとは、昔は思いもしていなかった。
リンデルフィル家は財政状況があまりよくない。さすがに王太子から贈られたものに手をつけたりはしないだろう。だが、もしも贈ったものが売り払われて、それを俺が見つけてしまったら――拭えない考えに、どうしてもクラリスに装飾品を贈ることができなかった。
結婚したら、名実共にリンデルフィル家から離れたら、その時にたくさん贈ればいい。ずっと、そう考えていた。
「何か一つくらい贈ってやればよかったか」
これからは彼女に何も贈れなくなる。心に残った未練が口を突いて出て――首を横に振る。
いや、何も贈らなくて正解だった。
元王太子で、しかも婚約を破棄した相手から贈られたものなど手元にあってもどうしようもない。彼女は優しいから、気軽に処分することもできないだろう。
だからこれでよかったのだと自分に言い聞かせて――俺が十七歳になったことを祝う宴の日を迎えた。
俺が成人すればクラリスと式を挙げる予定になっている。だからここが最初で最後の機会だ。
セシリア嬢と親しいという噂は十分に流れている。
後は、熱に浮かされた馬鹿な男を演じればいいだけだ。
「クラリス、お前との婚約を破棄する!」
唐突な俺の宣言に、周囲がざわめく。俺と対峙しているクラリスは呆けたように目を丸くして、何度か瞬きを繰り返した。
「え、婚約を……? 何かの、間違いよね?」
いつものような慎ましい笑みではない。微笑もうとして引きつった笑みに、胸の奥がざわついた。
だが隣に立つセシリア嬢と、会場の隅に見つけたクレイグの姿に息を吸う。
「間違いではない。俺はお前との婚約を破棄し、代わりに彼女――セシリア・ウォーレンとの婚約を望む」
目立つように、誰も聞き逃さないように声を張り上げた。
クラリスからの瞳から零れる大粒の涙は、俺との婚約がなくなったこを悲しんでか、あるいは王太子妃になれないことを危ぶんでか――考えるまでもない。
「俺の婚約者だったことを誇りに生きるんだな」
クラリスが頑張ってきたことは無駄にはならない。王太子妃として、これからも生きていける。
だができれば王太子だった俺のことを――ここまでしてようやく揺さぶることのできたちっぽけな存在を、心のどこか片隅でもいいから覚えていてほしい。
ただ、それだけだった。
14
あなたにおすすめの小説
幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。
灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。
曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。
婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。
前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめる事にしました 〜once again〜
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【アゼリア亡き後、残された人々のその後の物語】
白血病で僅か20歳でこの世を去った前作のヒロイン、アゼリア。彼女を大切に思っていた人々のその後の物語
※他サイトでも投稿中
没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。
亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。
しかし皆は知らないのだ
ティファが、ロードサファルの王女だとは。
そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……
公爵家の秘密の愛娘
ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝🌹グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。
過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。
そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。
「パパ……私はあなたの娘です」
そう名乗り出るアンジェラ。
◇
アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。
この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。
初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。
母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞
✴️設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞
✴️稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇♀️
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。