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第二話 名前
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案内された部屋は六畳一間の和室だった。
畳は色艶良く、擦れたような部分も無い。押し入れには布団一式。
後は、部屋の隅に桐の箪笥が置かれていた。
「この部屋を自由に使っていいよ」
「久我様、あの箪笥は?」
「あれは母からの貰い物なんだよ」
「貰い物?」
「昔の話になるが、一時期付き合っていた女性がいてね。それは破談になったのだが、早とちりした母がその女性の為にと、こっちに色々着物を送ってきてね。加奈さんが良ければ使って構わない」
「あの、拝見させていただいても?」
こくり、と久我様は頷く。
了承を得て、箪笥の中を覗かせてもらう。中からは、手つかずの着物がギッシリ入っていた。それだけではなく、そのどれもが自分の着ているものと違い、高級なものだと一目でわかる。
驚きのあまり、急いで箪笥を閉じた。
「く、久我様! これはとても使えません!」
「そうか。やはり少し古いものだから着物としては使えないのか」
「そういう意味ではございません! 私には不相応な品物です! こんな高級で上等な物を使わせていただくなど、恐れ多くて……」
「じゃあ、こういうのはどうだろう? 女中として働くのであれば、その着物を着て仕事をする事」
「こ、困ります! そのような言いつけ、守れるわけが……」
「客人が来た時、今の恰好でお茶をお出しするおつもりですか?」
それは私の胸に鋭い痛みを伴った。
今の格好は浮浪者とまではいかなくとも、一般の方から見れば十分小汚い恰好だ。
この格好を久我様の客人が見れば、久我様に恥をかかせてしまう。
返す言葉が無かった。
私はその場で膝を折り、手を地面につけて久我様に頭を下げた。
「久我様の着物、謹んでお受けします」
「ありがとう。それじゃあ、申し訳ないけど家事の方をお任せして良いかな?」
「はい。粉骨砕身で頑張らせていただきます!」
久我様は上機嫌でその場から去っていく。
とりあえず、箪笥の中から着物を選ぶ。そのどれもがあまりに見事なもので、見ているだけで心が弾む。何着か試着をした後、落ち着いた色の着物を選ぶ。
(こんな見事な着物を頂いたのだから、それに相応しい働きを見せないと!)
大きく息を吐き、心を落ち着かせる。
拾って頂いたご恩に報いる為にも、精一杯頑張ろう。
「……頑張れ、私!」
ぐっ、と掌を握り、喝を入れる。
けれど、そんな思いとは裏腹に私の初日の仕事ぶりは酷いものだった。
廊下の掃除に雑巾がけをすれば、バケツの水をかやす。
部屋の掃除をすれば、花瓶を落としてしまう。
ならば、と夕餉の支度をすれば砂糖と塩を間違えて料理に入れてしまった。
全てが空回り。
失敗した夕餉を、久我様は笑顔で食べられていたが、あれは私に心配を掛けないようにするためだろう。
自室に籠って今日の反省を悔やんでいると。
「加奈さん、ちょっといいかな?」
障子越しに久我様が声を掛けて来られる。
大丈夫です、と私が返事をすると、久我様は障子を開き、私の部屋に入ってきた。
「久我様、何かご入り用ですか?」
「いや、そうじゃない。ちょっと今日の事で話があってね」
直ぐに悟った。これは、解雇の話だと。
女中としてやってきたというのに、手間を減らすどころか増やした私に、久我様はお怒りなのだろう。
他の家の時も、こういう事になると決まって解雇の話だった。
久我様の方に向き、頭を畳みにつける。
「久我様、申し訳ありません!」
「加奈さん?」
「久我様のお怒りはごもっともです。私は、久我様のお役に立つどころか、不要な手間を増やしただけ。ですが、もう少し、もう少しだけ居させてはいただけないでしょうか! きっと久我様のお役に立てるように精進します! ですから――」
「あ、いや……話と言うのは君を解雇するというものじゃないんだ」
「え? 違うのですか?」
「初日で全てを望むのは間違いだろう。とはいえ、失敗続きだったのは確かだったけどね」
「面目ありません……」
「話と言うのは、君を雇う期間を決めていなかったと思ってね。どうだろう? 君さえ良ければずっと一緒に居てくれてもいいのだが」
「え! よろしいのですか?」
久我様の提案は私にとって願ったり叶ったり。渡りに船のような条件。
職と寝床を確保できるのは嬉しい限りだった。
「ああ。但し、一つ条件がある」
「何でしょうか?」
「私の事は久我ではなく、政宗と呼んで欲しい。それが条件だ」
「えぇー! そ、それは無理です! 久我様を下の名前でお呼びになるなど!」
「私の勝手な我儘だ。どうも久我と呼ばれるとしっくりこなくてな」
「わ、分かりました。政宗……様」
「様、も除けて構わないよ」
「申し訳ありませんが、それだけは流石に。一応主従関係がありますので」
「仕方ない。けど、何時でも呼び捨てで構わないから」
久我様はそう言うと部屋から出ていかれる。
それを確認して、自身の両頬を手で押さえる。
熱い。
先程から心臓が早鐘を打って静まる様子が無い。
畳は色艶良く、擦れたような部分も無い。押し入れには布団一式。
後は、部屋の隅に桐の箪笥が置かれていた。
「この部屋を自由に使っていいよ」
「久我様、あの箪笥は?」
「あれは母からの貰い物なんだよ」
「貰い物?」
「昔の話になるが、一時期付き合っていた女性がいてね。それは破談になったのだが、早とちりした母がその女性の為にと、こっちに色々着物を送ってきてね。加奈さんが良ければ使って構わない」
「あの、拝見させていただいても?」
こくり、と久我様は頷く。
了承を得て、箪笥の中を覗かせてもらう。中からは、手つかずの着物がギッシリ入っていた。それだけではなく、そのどれもが自分の着ているものと違い、高級なものだと一目でわかる。
驚きのあまり、急いで箪笥を閉じた。
「く、久我様! これはとても使えません!」
「そうか。やはり少し古いものだから着物としては使えないのか」
「そういう意味ではございません! 私には不相応な品物です! こんな高級で上等な物を使わせていただくなど、恐れ多くて……」
「じゃあ、こういうのはどうだろう? 女中として働くのであれば、その着物を着て仕事をする事」
「こ、困ります! そのような言いつけ、守れるわけが……」
「客人が来た時、今の恰好でお茶をお出しするおつもりですか?」
それは私の胸に鋭い痛みを伴った。
今の格好は浮浪者とまではいかなくとも、一般の方から見れば十分小汚い恰好だ。
この格好を久我様の客人が見れば、久我様に恥をかかせてしまう。
返す言葉が無かった。
私はその場で膝を折り、手を地面につけて久我様に頭を下げた。
「久我様の着物、謹んでお受けします」
「ありがとう。それじゃあ、申し訳ないけど家事の方をお任せして良いかな?」
「はい。粉骨砕身で頑張らせていただきます!」
久我様は上機嫌でその場から去っていく。
とりあえず、箪笥の中から着物を選ぶ。そのどれもがあまりに見事なもので、見ているだけで心が弾む。何着か試着をした後、落ち着いた色の着物を選ぶ。
(こんな見事な着物を頂いたのだから、それに相応しい働きを見せないと!)
大きく息を吐き、心を落ち着かせる。
拾って頂いたご恩に報いる為にも、精一杯頑張ろう。
「……頑張れ、私!」
ぐっ、と掌を握り、喝を入れる。
けれど、そんな思いとは裏腹に私の初日の仕事ぶりは酷いものだった。
廊下の掃除に雑巾がけをすれば、バケツの水をかやす。
部屋の掃除をすれば、花瓶を落としてしまう。
ならば、と夕餉の支度をすれば砂糖と塩を間違えて料理に入れてしまった。
全てが空回り。
失敗した夕餉を、久我様は笑顔で食べられていたが、あれは私に心配を掛けないようにするためだろう。
自室に籠って今日の反省を悔やんでいると。
「加奈さん、ちょっといいかな?」
障子越しに久我様が声を掛けて来られる。
大丈夫です、と私が返事をすると、久我様は障子を開き、私の部屋に入ってきた。
「久我様、何かご入り用ですか?」
「いや、そうじゃない。ちょっと今日の事で話があってね」
直ぐに悟った。これは、解雇の話だと。
女中としてやってきたというのに、手間を減らすどころか増やした私に、久我様はお怒りなのだろう。
他の家の時も、こういう事になると決まって解雇の話だった。
久我様の方に向き、頭を畳みにつける。
「久我様、申し訳ありません!」
「加奈さん?」
「久我様のお怒りはごもっともです。私は、久我様のお役に立つどころか、不要な手間を増やしただけ。ですが、もう少し、もう少しだけ居させてはいただけないでしょうか! きっと久我様のお役に立てるように精進します! ですから――」
「あ、いや……話と言うのは君を解雇するというものじゃないんだ」
「え? 違うのですか?」
「初日で全てを望むのは間違いだろう。とはいえ、失敗続きだったのは確かだったけどね」
「面目ありません……」
「話と言うのは、君を雇う期間を決めていなかったと思ってね。どうだろう? 君さえ良ければずっと一緒に居てくれてもいいのだが」
「え! よろしいのですか?」
久我様の提案は私にとって願ったり叶ったり。渡りに船のような条件。
職と寝床を確保できるのは嬉しい限りだった。
「ああ。但し、一つ条件がある」
「何でしょうか?」
「私の事は久我ではなく、政宗と呼んで欲しい。それが条件だ」
「えぇー! そ、それは無理です! 久我様を下の名前でお呼びになるなど!」
「私の勝手な我儘だ。どうも久我と呼ばれるとしっくりこなくてな」
「わ、分かりました。政宗……様」
「様、も除けて構わないよ」
「申し訳ありませんが、それだけは流石に。一応主従関係がありますので」
「仕方ない。けど、何時でも呼び捨てで構わないから」
久我様はそう言うと部屋から出ていかれる。
それを確認して、自身の両頬を手で押さえる。
熱い。
先程から心臓が早鐘を打って静まる様子が無い。
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