―桜花―

nekuro

文字の大きさ
3 / 6

第三話  縁談

しおりを挟む
政宗様のお屋敷で働き始めて二月ふたつきが経とうとしていた。
相変わらず寒い朝が続くけれど、日に日に暖かさが増しているのを感じているともうすぐ春の到来を予感させる。
竹箒で庭掃除をしながら、桜の木を見つめる。
枝には未だにつぼみすら見当たらない。もうそろそろ出てもおかしくない時期ではあるのに。


(おかしな桜の木)


いや、おかしいの自分だ。
最近、政宗様の事を考えると胸が締め付けられる。
屋敷でそのお顔を見ると、全身が茹でられたように熱くなり、直ぐにその場から離れてしまう。
寝ても覚めても、何時も政宗様の事を頻繁に考えるようになった。


(やっぱり、これって……)


けれど、その気持ちは仕舞っておかなければならない。
政宗様のご実家は位の高い武士の家柄と聞く。そんな方と何かの間違いがあれば、非難されるのは政宗様。
こうして側に居るだけで私は本望だ。
そんな時、入口の門から編み笠を被ったお侍様がやってくる。私と目が合うと、笠を外して会釈をしてくる。
無精ひげを生やした、強面の侍だった。


「御免! ここは久我政宗殿のお屋敷で間違いないか?」
「は、はい……何か御用でしょうか?」
それがしは『佐久間』様に雇われている家来の『柴田』と申す。政宗殿のお目通りを願いたい」
「佐久間……!」


佐久間と聞けば、該当するのは一人しかいない。
この辺りで幅広い商いを行う大金持ちの商人『佐久間新右衛門』だ。


「わかりました。政宗様にお聞きしてきます」


庭掃除を止め、屋敷の方へと向かい政宗様にお伺いを立てる。
柴田と名乗る武士を通すことを政宗様は了承。今はお二人で家にある客間で何かの話をされる。
お飲み物を、と思い、二人分のお茶を用意して配膳の盆に乗せて運ぶ。
客間の前に来ると、二人の話し声が聞こえてくる。
一旦盆を床に置き、客間に続く障子に手を掛けた時。


「縁談……ですか」


中から政宗様のお声が聞こえてきた。


「左様。わが当主様には一人娘の綾音様がおられる。その綾音様が貴殿と祝言をあげたいと申されておる」
「失礼ですが、私はその綾音様とは面識がない。見ての通り、こんな小さな屋敷の主人だ。どなたかと間違えておられるのではないか?」
「数日前、酒に酔った浪人に絡まれていた女子おなごを助けはしなかったか?」
「それなら覚えがあります。まさか、あの女性が?」
「そう、綾音様その人。助けてもらったそなたを滅法気に入ったようで、良ければ祝言の方……如何か?」


二人の会話に聞き入ってしまう。
祝言? 政宗様が、他の女性と一緒になってしまう?


「お話はわかりました。ですが、ただ一度の助けでそこまで話が飛躍するのはどうかと」
「これも何かの縁。政宗殿が綾音様を助けたのは、きっと神のお導き。聞けば、政宗殿のご実家は格式高い武家とお聞きしました。ならば、綾音様との祝言は何の問題もない」


柴田様の言葉に政宗様は沈黙してしまう。
自分がそこで二人の話に夢中になっていたことに気づき、慌てて障子を開ける。


「し、失礼します。お茶をお持ちしました」
「ん? おお、これはかたじけない。ではいただこう……」


持ってきたお茶を手に取り、柴田という侍はぐいっ、と飲む。すると、突然咳込みお茶を吐き出す。


「ごほっ! ごほっ! なんだこの茶は! 不味くて飲めん! 茶の分量を間違えておるぞ!」
「も、申し訳ありません! すぐに新しいのを」
「よい! こんなものを飲まされて、次の茶など期待もできん。さっさと下げてくれ!」
「は、はい……」


吐き出したお茶を片付けながら、政宗様を見る。
このようなお茶をお出しするわけにはいかない。
政宗様にお出しせず、そのまま下げようとすると。




「その茶は置いてゆけ。私の為に入れてくれたお茶であろう」
「で、ですが……」
「構わぬ。丁度喉が渇いていた頃だった、礼を言う」


その一言は、私の目に熱いものを呼び出させる。
そっと差し出し、私は二人のお邪魔にならぬよう部屋から出て障子を閉めた。
暫く政宗様に向けて頭を下げた後、お茶を片付けに立ち去ろうとすると。


「一つ確認しておきたい。先程の女性は政宗殿の奥方か?」


そんな声が聞こえた。


「いや、あれは私が雇った女中であります」
「そうであったか。佐久間様の所にも働く女中は五人ほどおられるが、あんな出来の悪い女中は一人としておらぬ。もし、綾音様と祝言をあげられ、夫婦になればあんな女中に悩まされることもありませぬぞ」


ガハハ、と不快な笑いが耳に入ってきた。
分かってはいたけれど、言葉にされると心が悲鳴を上げたくなり、思わず口元を手で押さえて声を殺した。


「……柴田、と申されましたか。この一件、少し時間を頂けませんか。事が事なだけに考える時間を頂きたい」
「考える事などありませぬぞ。このような素晴らしい縁談を断る理由などないではござらぬか」
「考える時間を、頂きたい」
「……わ、分かりました。それでは帰ってそのことをお伝えさせていただきます」


柴田というお侍が立ち上がったのが障子越しに見え、私は慌てて隠れる。
隠れたと同時に、部屋から柴田という侍が出てきて、歩き方が大股でドスドス、と大きな音を立てて帰っていく。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~

イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。 王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。 そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。 これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。 ⚠️本作はAIとの共同製作です。

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...