砂色のステラ

水城ひさぎ

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旅路編

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「ごめんなさい。ガルドさんの姿が見えて、つい……」
「いえ、怒っているわけではないです。団長の機嫌は少々悪いんですけどね」

 ベリウスは苦笑いする。セリオスは勝手にいなくなったことを怒っているのだろう。

「……あの、ベリウス卿、お尋ねしたいことがあるのですが」
「なんです?」
「なぜ、レオナ様と?」

 おずおずと聞くと、ベリウスは一瞬、戸惑ったような表情を見せた。レオナが呼び方を気にしないとでも思っていたのだろうか。

「あー、それはですね。奥様とお呼びするのは、公にはいろいろと不都合があるらしく、旅の間はレオナ様とお呼びすることになったんですよ」
「それは、セリオス様が決めたのですか?」

 レオナがおそるおそる問いかけると、ベリウスは困ったような顔を見せたが、すぐにいつもの明るい調子で言う。

「ご心配には及びませんよっ。団長なりにお考えがあるのでしょう。ただ、何があろうとも、フォルフェス騎士団がレオナ様を団長の奥様として認めていることに変わりはありませんから」

 その言葉には勇気づけられ、救われたような気がした。けれど、心の底では、不安が消えてない自分がいることに気づいていた。

 セリオスとの結婚は国民に知らされていない。ダリウスによれば、枢密院が反対しているからだ。しかし、セリオスまでもが公になるのを不都合に感じているなら、枢密院を敵に回してまで繋ぎ止めるほど、彼にとってレオナは価値のある存在ではないのかもしれない。ならば、離縁もありえるだろう。それも秘密裏に。何事もなかったようにセリオスが王宮で平然と暮らしていけるように。

 今なら、旅へついていかない選択は残されている。しかし、王宮にいるベネット公爵のもとへ行っても、セリオスから離れてはいけないと諭されるだろう。ひとりでクレストル領にいる養母のもとへ帰ったら、素直に受け入れてもらえるだろうか……。そんな不安が胸をよぎる。公爵である父が受けた屈辱を、母が仕方ないことだと受け止めているとは思えない。

 レオナは痛む胸を押さえた。養父母のもとへ行っても、セリオスのそばにいても……、どこにいても、自分を受け入れてくれる場所などないと思えた。ダリウスの言うように、バルターの提案を拒んだとき、レオナは安寧も栄華も、そして自分の居場所さえも手放してしまったのだ。そう思わずにはいられなかった。




 セリオスはイリスのそばに立ち、いらだったように腕を組んでいた。ずいぶん探したのだろうか。待たせたことに怒っているように見える。レオナはベリウスとともに、あわてて駆け寄る。

 じっとこちらを見下ろすセリオスの黒髪が、潮風に吹かれて光を浴び、藍色のように輝いてみえる。このような髪色を持つ男はエルアルム王国の中でも珍しいだろう。異国から正妃として迎え入れられたというセリオスの母、アリティア王妃譲りなのだろうか。

 こんなときでも、その特別な美しさに見とれてしまう。この人と結婚したい娘はいくらでもいるだろう。いつか、離れていってしまうのではないかと怖くなる。ダムハート国王が第二王妃を迎えたときのように。

「団長、レオナ様をお連れしました」

 ベリウスが敬礼すると、セリオスは無言でうなずき、レオナの手首をつかんだ。

「こっちへ来い。おまえに渡したいものがある」
「渡したいものって何ですか?」
「見ればわかる」

 セリオスはまっすぐ馬車へ向かっていく。その馬車は、フォルフェス騎士団の紋章が刻まれた豪華なものだった。ルドアースがタイミングよく開けたドアに押し込まれるようにして入る。馬車の中はほんのり薄暗かった。

「なぜ、布が……?」

 広めの車内の周囲すべてが厚手の布で覆われている。太陽の日差しがほのかに透けているが、外の様子はまったくわからない。

「そのドレスで長旅は無理だ。王宮の神官にかたびらを作らせた。すでに防御魔法をかけ、羽毛のように軽くし、鋼の強さを持たせている。レオナの身を守るものだ。完璧ではないが、街で買うものよりは数倍も安心できる」

 レオナは開いたトランクに目を移す。蓋に引っ掛けるようにして、鎖かたびらとローブが置かれている。

「私のために、わざわざ……?」
「俺の妻なのだから、足りないぐらいだ」
「やはり、このようなものを着ないと危ないのでしょうか……?」

 今は回復魔法が使えない。もし、ケガをしたらどうしよう。この嘘もたちまちにバレてしまうだろう。

「あ、あの……」

 言わなきゃ。話してしまえばいい。そうしたら、セリオスの足手まといにはならない。けれど、失望されるだろう。そうと知っていたら、結婚しようとも思わなかったと言われるかもしれない。

 レオナはごくりとつばを飲み込んだ。やはり、言えるはずがなかった。セリオスのそばにいたいという感情は捨てられない。

 セリオスはうつむくレオナの顔をのぞき込む。

「不安か?」
「私を連れていけば、後悔すると思います……」
「本音を言えば、俺だって連れていきたくない。好んで危ない目に遭わせたいわけじゃないが、俺のそばにいるのが一番安全だから連れていく」
「……本当に行くのですか?」
「すでにバルターは、ストークス家を迎えに行くと周囲に漏らして王都を出ている。なぜそこまでするのかと、いぶかしむ貴族もいるようだ。根回しを怠っているところを見ると、バルターは相当焦っているのだろうな」

 セリオスはうっすらと口もとに笑みを浮かべる。貴族たちのバルターへの信頼が損なわれていくのを喜ぶかのようだ。

 エルアルムの宮殿は、異国から羨まれるほどの華やかさに満ちた世界だと思っていた。しかし、その実態は、権力争いが絶えず、人々が互いに足を引っ張り合う世界のようだ。そんな世界に足を踏み入れてしまったのだと、レオナは痛感する。公爵の屋敷で穏やかに暮らしていたあの日々が、今は懐かしい。

「さあ、着替えよう」

 セリオスはレオナの首の後ろに腕を回すと、背中のひもをするりとほどく。あたりまえのようにするその仕草に、レオナは戸惑う。簡単なドレスなら、セリオスの手を借りなくても着られるようになったことを彼は忘れたのだろうか。

「ひとりで着れます……」
「着替えるまで待つのだから、俺が着せようが同じだ」
「でも……」
「おまえの身体は目を閉じていても隅々まで思い出せる。今さら、恥じることはない」
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