砂色のステラ

水城ひさぎ

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旅路編

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 イリスの大きな瞳が、大丈夫だよ、というように語りかけてくる。よく躾けられているイリスは賢いのだろう。まるで自身に乗ることが許されている人物を理解しているかのように、レオナへ向かって首を下げる。

 セリオスに手を借りてあぶみに足をかけ、恐る恐る鞍にまたがる。アレスに乗ったセリオスが石畳の上を軽快に走り出すと、それにならうようにイリスは前進した。

 レオナは鞍越しに揺れを感じながら、ぎこちなく手綱をぎゅっと握りしめる。

「レオナ、腰を固めるな。前をしっかり見ろ」

 隣へ並ぶように戻ってくるセリオスの言葉に、レオナははっとする。ゆっくりと視線を上げると、いつもとは違う高さの景色が目に飛び込んでくる。揺れる王都の街並みがどこか新鮮で、怖さの中に喜びが混ざるのを感じる。

 それはまるで、自由を手にしたような感覚。イリスがいれば、どこまでもいける。不思議と、そんな感覚が全身を貫いていく。

「なかなかうまいじゃないか。すぐにうまく乗りこなせるようになるだろう」

 セリオスが爽やかに笑う。監獄を出てからの彼は水を得た魚のようで、レオナの心も自然と軽くなる。

「は、はいっ。楽しいです」

 初めて乗馬をしたのは数年前だったが、貴族の娘のたしなみの一つとして教え込まれただけだった。長旅に備えて乗りこなすなんて無理だと思っていたけれど、今ならできるんじゃないかと勇気が湧いてくる。

 アレスに乗るセリオスを、王都の人々は何人も振り返った。その目に浮かぶのは、国王暗殺未遂を犯した罪人を蔑むようなものではなく、たぐいまれなる美しさと華やかさを備える彼を賛美するようなもの。彼が王都の民に好かれているとわかる敬愛のまなざしだ。

 その民にレオナを妻として認めさせるのに、自分には足りないものがある。だから、セリオスも妻の存在を隠している。レオナは浮かれた気持ちをおさえて、風に飛ばされそうになるフードを深くかぶり直した。

 できることなら、フォルフェスの紋章すら隠してしまいたかった。セリオスの妻であることにも、フォルフェスの一員であることにも足りない自分がひどくみじめに思えた。

「一気に駆け抜けてきたから疲れただろう」

 王都のはずれにある宿に到着すると、セリオスはイリスから降りようとするレオナを軽々と抱き上げてそう言った。

 正直、足がガクガクしていて、地面におろされるとよろめいた。彼はおかしそうに目を細め、ふたたび、レオナを抱き上げると、宿から出てくるベリウスのもとへ向かう。

「レオナを休ませてやりたい」
「部屋の準備は整っています。食事も部屋まで運ばせましょう」

 そう言うと、ベリウスは一番奥の部屋へセリオスを案内する。彼に抱かれたままで気恥ずかしかったが、ベリウスは気にする様子もない。レオナを甘やかす主の言動にはなれているのだろう。

 きっと、これまでもセリオスはこうして女性に優しくしてきたのだろう。レオナは特別ではない。彼らにはあたりまえの光景なのだ。

「なかなか小綺麗な宿で安心した。今夜はゆっくり眠れるだろう」

 じゅうぶんに広いとは言えない部屋の中には、ベッドとランプが置かれているだけだった。

 ベッドにおろされたレオナは辺りをきょろきょろと見回す。床は傷だらけだが綺麗に磨かれていて、シーツに鼻をつけると太陽の匂いがした。その清潔感にあんどしながら、脇にある窓から外をのぞくと、大きな山が見えた。あれは、モンリス山だろう。

 王都の西には城壁がいらないとまで言われる、鋭く高いモンリス山がある。あの山を越えて王都に攻め入ることは、どんなに無謀な輩でもしないとまで言われている死の山だ。

「明日はオルパソ渓谷を越えて、モンリス山の先にある町、コンヒスへ向かう」

 レオナが山を眺めているのに気づいて、セリオスが後ろから話しかけてくる。

「あの山を越えるのですか?」

 レオナは驚いて声をあげた。すると、セリオスは隣へ腰かけてきて、安心させるように肩を抱いてくる。

「グレイシル領まではここから20日かかるだろう。バルターより先にルカに会うためには、オルパソ渓谷を越える必要がある」
「モンリス山を越えるのは、絶望の海を渡るよりも難しいと言われているのですよ」
「だからこそ、行くんだ。バルターは絶対に通らない道だからな」
「ほかの道から追いつけないのですか?」
「それは無理だ」

 セリオスはすぐに否定すると、胸もとから地図を取り出し、レオナのひざの上へ広げた。

「大陸の南にグレイシル領がある。馬車で王都へ向かう最短の道は、こうだ」

 グレイシル領を指し示していた長い指が地図の上を這う。そして、王都とグレイシルを結ぶ線上にある都市の上で指が止まる。そこは、王都の次に華やかな大都市と言われているリーヴァだ。

「王都から10日、グレイシル領からも10日かかる場所にリーヴァがある」
「リーヴァで、ストークス伯爵の到着を待つのですか?」
「そうだ。そのために、俺たちはモンリス山を越え、コンヒスからリーヴァに向かう必要がある。早ければ、7日……いや、6日で行けるだろう」

 セリオスの指は地図の上を動くが、レオナはもう見ていられなかった。彼の計画は無謀としか言えない。コンヒスまで行けば、比較的安全にリーヴァへたどり着けるだろう。しかし、死の山と言われるモンリス山を無傷で越えられるはずがなかった。

「私には……無理です」
「イリスがいるから大丈夫だ」
「ケガをしたらどうするのですか」
「だからこそ、おまえを連れていく」

 レオナはぎゅっと胸もとを握りしめた。

「だからなのですか?」

 セリオスはレオナの魔力を疑っていない。死に至るような痛手を負ったとしても、蘇生魔法で助かるとでも思っているのだろう。それは過信であり、傲慢だ。

「ともに行くのは、おまえを守るためであり、俺たちを守るためだ。決して、おまえの能力に頼り切ってるわけじゃない」
「……セリオス様はお忘れですか?」

 何を言い出すのかと眉をひそめるセリオスから、レオナは目をそらす。

「私はダムハート国王陛下の蘇生を拒み、バルター王子を裏切ったのです。なぜ、セリオス様の願いを叶えると信じておられるのですか?」
「レオナ」

 セリオスはレオナの肩をつかみ、無理やり目を合わせてきた。レオナは泣きそうだった。魔力がない。そのことに、これほど絶望した日はない。セリオスが唯一求めるものさえ、レオナにはないのだ。
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