砂色のステラ

水城ひさぎ

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旅路編

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 扉が閉まる音で、レオナは目を覚ました。周囲はまだ仄暗く、手を伸ばすとシーツにはまだセリオスのぬくもりが残っていた。椅子に置かれていた剣や鎧がない。セリオスは出かける用意をして出ていったのだろう。

 ベッドを降りると足の裏がひんやりとした。冬が終わったとはいえ、まだ朝夕は冷える。まだ薄暗い窓の外をのぞくと、宿の前で話をするセリオスとルドアースの姿があった。

 レオナはすぐさまナイトドレスを脱ぐと、チュニックの上に鎖かたびらをかぶり、ローブをまとった。軽くすいた髪をリボンで結び、フードをかぶると、荷物をまとめて部屋を出る。

 廊下には誰もおらず、シンと静まり返っていた。すると、裏口の方から誰かと話すベリウスらしき声がした。

 レオナが宿の外へ出ると、ルドアースがいち早くこちらに気づき、頭をさげた。彼はベリウスとは違って無口だが、レオナに敬意を払ってくれている。

 フォルフェス騎士団員は何人いるのだろう。いずれ、ほかの団員に会うこともあるだろうか。ほかの人たちも、ルドアースやベリウスのように受け入れてくれるといいが、不安は尽きない。

「レオナ、ちょうど呼びに行くところだった。準備が整い次第、出発する」

 ついで、振り返ったセリオスがイリスの手綱を引いてこちらへやってくる。

「もう行くのですか?」

 朝食もまだなのに。時間が惜しいのだろうが、体力がもたないのではないかと心配になる。

「暗くなる前に休む場所を見つけなければならないからな。しばらくは宿に泊まれないだろうが、慣れてくれ」

 リーヴァに着くまでは野宿になるのだろう。途方もない距離を移動するのだ。セシェ島に行くよりも、やはり、無謀な旅になるのだろう。

「団長ーっ、焼きたてパンを用意してもらいましたよ。さあ、熱いうちに」

 満面の笑みのベリウスが、宿の裏から駆けてくる。まだ朝食の準備中だったが、無理を言って焼いてもらったのだと、彼は誇らしげに両手に抱えた丸いパンを突き出してくる。

「レオナに食べさせてやれ」

 セリオスが命じると、ベリウスはレオナにパンを差し出す。

「どうぞ、レオナ様。昨夜もあまり食べれませんでしたよね。少しでも食べてください」
「あ、ありがとう」

 レオナはひとつ受け取ると、辺りを見回す。しかし、座る場所が見つからず、仕方なしにそのまま口に含んだ。立って食べるなんて行儀が悪いと思ったけれど、こういうことも慣れていかなければいけないのだろう。

「もう一つ、どうぞ」

 食べ終えると、ベリウスがそう言う。

「あ……、一つでお腹いっぱいです。みなさんでいただいてください」
「少食すぎますよ。お腹が空いたら、いつでも声かけてください」

 ベリウスはあきれたが、パンの包みをセリオスとルドアースそれぞれに渡すと、残りを馬の背に積んだ。

「さあ、行くか」

 セリオスがアレスの背にまたがるのを合図に、ルドアースとベリウスも馬に乗り、レオナの後ろに回り込む。レオナもあわててイリスにまたがると、セリオスの隣へ移動する。

「洞窟の場所はわかるのですか?」
「森の入り口にあるらしい。宿の主が言うには、夏は草木に覆われているが、今の季節なら見つけやすいだろうということだ」
「洞窟は確かにあるのですね」

 がっかりしたように聞こえたのだろうか、セリオスは唇の端をあげて笑むと、レオナの先を進んでいく。

「これが、オルパソ渓谷……?」

 橋に差しかかり、水の流れる音に気づいたレオナは、顔を横に向けるなり驚嘆の声をあげた。眼前には、広く深い渓谷が広がっていた。

 思っていたよりも壮大な風景に圧倒される。深緑の川は美しいが、その周囲は断崖が続いていて、たとえ、渓谷を越えられても、険しい山道が続くのは容易に想像がついた。

 レオナは身震いしながら、迷わず森の中へ入っていくセリオスの背中を追いかける。

「この先は歩いていこう」

 アレスから降りたセリオスは、おびえるレオナをイリスから抱きおろすと手を引いた。

 足もとは枯れ葉で覆われていた。じめじめした地面から顔を出す岩には苔が生え、つるつると滑る。

 ルドアースが草木をかき分けて先導し、ベリウスがレオナの後ろを警戒しながら進む。年中、日の当たらない深い森の中へどんどんと迷い込んでいくような感覚に襲われる中、レオナは遠目に白い何かを見つけて足を止めた。

「人……か?」

 セリオスも気づき、レオナの腰を抱き寄せたまま、足早に先へ進む。

「本当に人ですか?」

 こんなところに人がいるなんておかしくないだろうか。レオナは幼少期に読んだ絵本を思い出した。森に住むデュラリスという魔物が、人をだまし、崖へおびき寄せて突き落とすというおそろしい物語を。デュラリスは美しい女の姿をしているのだったか……。

「おいっ、大丈夫か?」

 セリオスが白い布をひっくり返すと、金色の頭部に白い肌がこちらを向いた。物語で見たような女ではなかったが、女のように繊細で美しい男だった。

「デュラリスでは……ないのですか?」

 おそるおそるレオナが男の顔をのぞき込むと、セリオスがおかしそうに息を吐いた。そんな子どもだましの魔物を信じてるのかとバカにされたようだったが、彼はすぐに真剣なまなざしで、男の腕に触れた。

 とたん、男はうめき声をあげ、カッと目を見開いた。その目は青かった。セリオスのように青い瞳は王都では珍しい。セリオスは異国出身の母を持つ。彼もまた、異国出身の者なのだろうか。

「腕から出血してるな。レオナ、治してやれるか?」
「私がですか……?」

 レオナが戸惑うと、セリオスはうっすら口もとに笑みを浮かべる。

「こいつは魔物ではない。治したところで呪われたりはしないから安心しろ」
「け、決して、そんなふうに恐れているわけでは……」

 しかし、レオナは彼のケガを治すことができない。レオナはごくりとつばを飲み込んで、男を見下ろした。男の顔は生気を失ったように青白い。はやく治療しないといけない。でも、どうやって?

 視線を感じて目をあげると、セリオスがこちらをじっと見ていた。心の底を見透かすような瞳が怖い。

 レオナがうつむくと、セリオスが血のにじむ男のそでをまくり上げる。何かに引っかかれたような深い傷が現れ、思わず目を閉じる。

「これは、魔物にやられたのか?」
「あ、ああ、ゴブリンの大群が突然……」

 男は右腕を突き上げると、左腕に触れる。ぬるりとした感触を覚えたのか、顔をしかめた。

「ゴブリンがいるのですか……?」

 レオナは辺りを見回す。そして、男の足先が向いている方向に、岩に囲まれた縦長の穴を見つけた。

「もしかして、あそこから来たのですか……」

 あれが、洞窟の入り口なのだろうか。中から冷たい風が吹いてきているのか、ひんやりとした空気が漂う中、周囲の木々の葉が揺れている。

「レオナ、まずは傷の手当てを」

 おろおろするレオナを落ち着かせるようにセリオスが言ったとき、男が苦しげにつぶやく。

「これぐらいの傷なら自分で」

 男は右手のひらを傷口にかざした。すると、ほのかに温かな白い光が腕の周囲に広がり、みるみるうちに傷口が消えていく。

 この男は魔法使いなのだろうか……。

「あぁ……」

 男は息を吐いて、空をぼんやりと見つめた。わずかに残っていた魔力を使い切ったかのようだった。

「ベリウス、この男に何か食わせてやれ」

 ベリウスがすぐさま、馬の背からパンの包みと水の入った筒を取り出すと、セリオスは立ち上がり、レオナの見つけた穴へ向かって歩いていった。
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