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楽園編
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「ずっと後ろをつけてきていたのも、そなただな?」
バルターが言うと、レイヴンが無言で身構える。
「殿下は気づいていたのですか?」
「ふん。不自然に揺れる草の音に気づかぬ方がおかしい。もしかしたら、兄上ではないかと疑ってはいたが」
レオナの問いに、バルターは面倒くさそうに答えた。
「一つ目の湖で休んでくれていたおかげで追いつきました。レオナさんは返してもらいます」
レイヴンの手のひらの中に、赤い炎がちりちりと浮かぶのが見える。いけないっ。王子であるバルターに攻撃をしかけたら、大変なことになるだろう。レオナはあわててふたりの間に飛び出し、両手を広げた。
「バルター殿下、おやめください。レイヴンは楽園を目指す旅人です。殿下に敵対してはおりませんっ」
「ほう。そうは見えぬが?」
「嘘は言いません」
きっぱりと言い切ると、バルターはじろじろとレイヴンを眺めた。レイヴンもまた、緊迫感に包まれたまま、手のひらの炎をたやそうとしない。レオナがごくりと唾を飲み込むと、バルターがふっと肩の力を抜いた。
「兄上に似たその青い瞳。ヘドが出るほどに正義心に溢れている。ノクシスの民は一途で生真面目と言うが、そなたも例外ではなさそうだ」
バルターも、罪のない異国の民と争うことの重大さを理解しているのだろう。レイヴンをにらみつけたまま、しぶしぶ柄から手を離す。
「門のある湖は近いのだな? 今から出発する。そんな男がそばにいては、おちおち寝てもいられない」
「待ってください」
レイヴンが声をあげる。
「まだ何かあるのか」
「レオナさんに着替えを。風邪をひいてしまいます」
バルターはわずかに目を細めたが、すぐに「くだらない」と吐き捨て、闇に向かって指をさす。
「荷物があるなら持ってこい。準備が出来次第、出発だ」
バルターは湖近くに落ちたままのマントを拾いあげ、馬のもとへ移動する。
「レオナさん、すぐにイリスを連れて戻ります。ここにいてください」
闇の中へ消えていくレイヴンの背中を見送る。このまま戻らなくてもいい。バルターの機嫌を損ねれば、レイヴンの命はいくつあっても足りないだろう。できることなら逃げてほしい。そう願うけれど、彼はすぐにトランクを片手に、イリスを引いて戻ってきた。
「イリス、レイヴンを守ってくれてありがとう」
そっとなでると、イリスはうっとりとまばたきをした。セリオスの妻に仕える馬として育てられてきたイリスの忠誠心が、まだ自身にあるようでうれしくなる。
「さあ、レオナさん、着替えてください。とにかくあわてていたので、よく考えもせずにすべての荷物を持ってきましたが、役立ちそうでよかったです」
ナイトドレスでは外に出られないと言ったから、レイヴンは服装が気になっていたのだろう。彼の差し出すローブを受け取り、レオナは辺りを見回す。
「ああ、私は背中を向けていますから」
レイヴンはわずかに気恥ずかしげに言うと、くるりと背を向ける。不機嫌そうにこちらを見るバルターの視界に入らないよう、レオナは大木のかげに入ると、チュニックの上に鎖かたびらを着て、ローブを羽織った。
フォルフェス騎士団の紋章を背負うのは荷が重い。しかし、セリオスに次に会う日まで、フォルフェスの名に傷をつけないようにと身が引き締まる。
レオナは少し考えて、着ていたナイトドレスを木の枝に引っかけた。セリオスが追いかけてきてくれるなら、目印になるかもしれないと思ったのだ。
次に、レオナはトランクを開いた。レイヴンのくれた魔石のネックレスを首にかけ、ベリウスが旅の無事を祈ってプレゼントしてくれた白いリボンで髪をまとめる。まだほんの少し瓶に残っている香水を手首に振りかけ、ステラ史が入ったままのトランクを閉めた。
「遅い。はやく行くぞっ」
レオナがバルターのもとへ向かうと、彼はいらだたしげに馬にまたがる。
「本当にこの暗闇の中、行くのですか?」
「魔物が出るわけでもない。案ずるな」
レイヴンを振り返ると、彼もイリスに乗っている。
「大丈夫ですよ、レオナさん。本によれば、二つの湖の間には、五つの泉があるとされています。古のエルアルム大陸は、五つの国で成り立っていました。それぞれの国から楽園へ戻るための経由地として、ステラサンクタが利用していたのではないかと考えられているそうです。そして、この泉が五つ目ですから、ステラサンクタが通っていたと言われる道をこのまま進んでいけば、すぐに楽園へつながる湖へ着くはずです」
そんな細かなことまで書いてあったのだと、レオナは驚いた。
「レイヴンはもうすべて読んだのですか?」
「はい。レオナさんが休んでいる間に読む時間はたくさんありましたから。だいたいのことは頭に入っています」
では、レイヴンはろくに寝ていないのだろう。意地悪く言われた気はしたが、レオナは心配と同時に感心してしまった。
「なるほど。そなたから本を取り上げたとて、楽園への行き方は熟知しているということか」
バルターが口を挟む。
「こうなった以上、私は逃げも隠れもしません。必ず、レオナさんと楽園へ行きます」
「兄上よりも楽園を選ぶというか。面白い。ともに楽園へ行こうではないか」
バルターがレオナへ手を伸ばす。馬の上へ引き上げようとするのを、レイヴンがとめる。
「レオナさんは私と一緒にイリスに乗ってもらいます」
バルターは眉をひそめたが、レオナを守りたいという一心だけでそう言ったと判断したのか、身を引いた。
「では先へ行け。逃げる素振りを少しでも見せたら、そなたの命はない」
「わかっています」
レイヴンはうなずくと、両手を伸ばしてレオナをそっとイリスの上へ引き上げる。
「何かあっては、セリオス殿に顔向けができません。必ず、守りますから」
「レイヴンはもう、フォルフェスの一員みたいですね」
「そんなことは」
レイヴンは苦笑いすると、レオナをしっかりと胸の方へ引き寄せて手綱を引き、わずかに月明かりに照らされた道を走り出した。
バルターが言うと、レイヴンが無言で身構える。
「殿下は気づいていたのですか?」
「ふん。不自然に揺れる草の音に気づかぬ方がおかしい。もしかしたら、兄上ではないかと疑ってはいたが」
レオナの問いに、バルターは面倒くさそうに答えた。
「一つ目の湖で休んでくれていたおかげで追いつきました。レオナさんは返してもらいます」
レイヴンの手のひらの中に、赤い炎がちりちりと浮かぶのが見える。いけないっ。王子であるバルターに攻撃をしかけたら、大変なことになるだろう。レオナはあわててふたりの間に飛び出し、両手を広げた。
「バルター殿下、おやめください。レイヴンは楽園を目指す旅人です。殿下に敵対してはおりませんっ」
「ほう。そうは見えぬが?」
「嘘は言いません」
きっぱりと言い切ると、バルターはじろじろとレイヴンを眺めた。レイヴンもまた、緊迫感に包まれたまま、手のひらの炎をたやそうとしない。レオナがごくりと唾を飲み込むと、バルターがふっと肩の力を抜いた。
「兄上に似たその青い瞳。ヘドが出るほどに正義心に溢れている。ノクシスの民は一途で生真面目と言うが、そなたも例外ではなさそうだ」
バルターも、罪のない異国の民と争うことの重大さを理解しているのだろう。レイヴンをにらみつけたまま、しぶしぶ柄から手を離す。
「門のある湖は近いのだな? 今から出発する。そんな男がそばにいては、おちおち寝てもいられない」
「待ってください」
レイヴンが声をあげる。
「まだ何かあるのか」
「レオナさんに着替えを。風邪をひいてしまいます」
バルターはわずかに目を細めたが、すぐに「くだらない」と吐き捨て、闇に向かって指をさす。
「荷物があるなら持ってこい。準備が出来次第、出発だ」
バルターは湖近くに落ちたままのマントを拾いあげ、馬のもとへ移動する。
「レオナさん、すぐにイリスを連れて戻ります。ここにいてください」
闇の中へ消えていくレイヴンの背中を見送る。このまま戻らなくてもいい。バルターの機嫌を損ねれば、レイヴンの命はいくつあっても足りないだろう。できることなら逃げてほしい。そう願うけれど、彼はすぐにトランクを片手に、イリスを引いて戻ってきた。
「イリス、レイヴンを守ってくれてありがとう」
そっとなでると、イリスはうっとりとまばたきをした。セリオスの妻に仕える馬として育てられてきたイリスの忠誠心が、まだ自身にあるようでうれしくなる。
「さあ、レオナさん、着替えてください。とにかくあわてていたので、よく考えもせずにすべての荷物を持ってきましたが、役立ちそうでよかったです」
ナイトドレスでは外に出られないと言ったから、レイヴンは服装が気になっていたのだろう。彼の差し出すローブを受け取り、レオナは辺りを見回す。
「ああ、私は背中を向けていますから」
レイヴンはわずかに気恥ずかしげに言うと、くるりと背を向ける。不機嫌そうにこちらを見るバルターの視界に入らないよう、レオナは大木のかげに入ると、チュニックの上に鎖かたびらを着て、ローブを羽織った。
フォルフェス騎士団の紋章を背負うのは荷が重い。しかし、セリオスに次に会う日まで、フォルフェスの名に傷をつけないようにと身が引き締まる。
レオナは少し考えて、着ていたナイトドレスを木の枝に引っかけた。セリオスが追いかけてきてくれるなら、目印になるかもしれないと思ったのだ。
次に、レオナはトランクを開いた。レイヴンのくれた魔石のネックレスを首にかけ、ベリウスが旅の無事を祈ってプレゼントしてくれた白いリボンで髪をまとめる。まだほんの少し瓶に残っている香水を手首に振りかけ、ステラ史が入ったままのトランクを閉めた。
「遅い。はやく行くぞっ」
レオナがバルターのもとへ向かうと、彼はいらだたしげに馬にまたがる。
「本当にこの暗闇の中、行くのですか?」
「魔物が出るわけでもない。案ずるな」
レイヴンを振り返ると、彼もイリスに乗っている。
「大丈夫ですよ、レオナさん。本によれば、二つの湖の間には、五つの泉があるとされています。古のエルアルム大陸は、五つの国で成り立っていました。それぞれの国から楽園へ戻るための経由地として、ステラサンクタが利用していたのではないかと考えられているそうです。そして、この泉が五つ目ですから、ステラサンクタが通っていたと言われる道をこのまま進んでいけば、すぐに楽園へつながる湖へ着くはずです」
そんな細かなことまで書いてあったのだと、レオナは驚いた。
「レイヴンはもうすべて読んだのですか?」
「はい。レオナさんが休んでいる間に読む時間はたくさんありましたから。だいたいのことは頭に入っています」
では、レイヴンはろくに寝ていないのだろう。意地悪く言われた気はしたが、レオナは心配と同時に感心してしまった。
「なるほど。そなたから本を取り上げたとて、楽園への行き方は熟知しているということか」
バルターが口を挟む。
「こうなった以上、私は逃げも隠れもしません。必ず、レオナさんと楽園へ行きます」
「兄上よりも楽園を選ぶというか。面白い。ともに楽園へ行こうではないか」
バルターがレオナへ手を伸ばす。馬の上へ引き上げようとするのを、レイヴンがとめる。
「レオナさんは私と一緒にイリスに乗ってもらいます」
バルターは眉をひそめたが、レオナを守りたいという一心だけでそう言ったと判断したのか、身を引いた。
「では先へ行け。逃げる素振りを少しでも見せたら、そなたの命はない」
「わかっています」
レイヴンはうなずくと、両手を伸ばしてレオナをそっとイリスの上へ引き上げる。
「何かあっては、セリオス殿に顔向けができません。必ず、守りますから」
「レイヴンはもう、フォルフェスの一員みたいですね」
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