砂色のステラ

水城ひさぎ

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楽園編

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 月が雲に隠れると、レイヴンは指先に小さな炎を灯し、夜の森を慎重に進んだ。コツコツと固い地面にひずめの音が響くのは、踏み固められた道を正しく進んでいる証だろう。レオナは緊張をゆるめて、レイヴンに尋ねる。

「なぜ、レイヴンはこうまでして楽園へ行きたいのですか?」

 レイヴンは楽園にしかない星魔石がほしいと言っていた。しかし、本当にそれだけだろうか。星魔石は、ステラサンクタにとっては蘇生魔法が使える大事な魔石だが、レイヴンにとっては万能石であるというだけの魔石。ほかの魔石でも代用できるはずの魔石を、危険をおかしてまで求める価値があるのだろうか。

 かつて、楽園を目指した者たちは救済を求めて旅に出たという。もしかしたらレイヴンもまた、救われたい何かを抱えているのだろうか。そんなふうに考えて、レオナは尋ねたのだった。

「私が5歳のときの話をしましょう」

 レイヴンは静かにそう口を開く。

「レイヴンにも幼い日があったと思うとふしぎな感じがします」
「あどけない子どもだったなんて信じられませんか?」

 レイヴンがくすりと笑うから、レオナはあわてる。

「違います。落ち着いた少年だったのだろうと思っています」
「そうでもないですよ。普通の子どもでした。大工の父と優しい母に、よく笑う弟の四人で、のんびりとした生活を送っていました」
「そうなのですね。てっきり、ご両親は魔法使いなのだと思っていました」

 レイヴンは苦笑すると、まぶたを伏せて小さく首を振る。

「私が5歳のときに、弟は流行り病で死にました」

 レオナは驚いて、レイヴンをとっさに見上げた。彼はどこかうつろな目で、遠くを見つめていた。幼き日の記憶を見ているようだった。

「以前、話しましたでしょうか。父の生まれ故郷はエルアルムなのです。エルアルムにある楽園には、それは素晴らしい魔法を使う者たちが住んでいるのだと、私は父から聞いて育ちました」
「ステラサンクタのことですね?」
「そうです。ですから父は、ステラサンクタであれば、弟を生き返らせることができるのではないか、そう考え、母の反対を押し切り、ひとりエルアルムに旅立ちました」
「レイヴンが5歳ということは、15年前……ですか?」

 レオナはその数字が持つ意味に気づき、ぞくりと身体を震わせた。レイヴンもまた、厳しい表情でうなずく。

「15年前、父は楽園で起きた戦争に巻き込まれて死にました。いえ、死んだかどうかすらわからないのです。父が旅立ったひと月後、楽園が侵略されたという悪い知らせはノクシスにも届きました。あれから15年、父は一度たりとも帰ってきていません」
「だから、楽園へ行きたいのですか?」
「はい」

 レイヴンは力強くうなずくと、懐かしい思い出を語るように静かに吐き出す。

「弟の葬儀のあと、私はノクシスの神殿に向かいました。そこでは魔法使いの育成が行われていると聞いたからです。自身が蘇生魔法を使えていれば、弟を助けられたし、父が楽園へいくこともなかった。幼い私は本気でそう考えていたのです。しかし、魔法師である先生の誰一人として、蘇生魔法を使える者はいませんでした」
「蘇生魔法が使えるのはステラサンクタだけだと、知らなかったのですか?」
「恥ずかしながら。回復魔法を極めていけば、いつか教えてもらえると信じていたのです」

 レイヴンは幼き日の自身を恥じるように小さく笑った。

「レイヴンはそのまま魔法使いの道に進んだのですね?」
「いえ、そのときはまだ5歳でしたから、魔法師たちになだめられて帰りました。本気で魔法使いになる道を選んだのは、9歳のときです」
「お母さまは反対されなかったの?」
「優しい人でしたが、あのときは反対しましたね。父の消息がわからなくなったあと、父の両親である祖父母をノクシスに呼び、それなりに幸せに暮らしていましたから。母は私に、父と同じ大工になってほしかったのでしょうが、私は14歳のときに魔法師の先生と旅に出ることにしました」
「では今は、お母さまたちはノクシスでレイヴンの帰りを待っているのではないですか?」
「いえ。母も祖父母ももう亡くなりました」

 レオナは驚いて薄く口を開く。しかし、なんと声をかけたらいいかわからず、戸惑っていると、レイヴンはゆっくりと首を振る。

「母が亡くなり、ようやく私は楽園へ向かう決意ができたんです。父の亡骸をノクシスへ持ち帰ることが、旅の本当の目的です。それは、私にしかできない家族への最後の弔いだからです」
「……そうだったのですか。星魔石がほしかったわけではなかったのですね」

 レイヴンの深刻な物語を知らず、彼の優しい嘘を信じてしまっていた。

「星魔石がほしいと言えば、誰もがそうだろうと信じる神秘の魔石です。理由付けにちょうどいいのはありました。もちろん、軽はずみな好奇心程度には興味はありますけどね。父の話はあまり気持ちのいいものではありませんから、楽園へついてから話そうと思っていました」

 レイヴンの父親は確かに楽園を訪れていた。その確証がないうちは黙っていようと思っていたのだろう。

「本当にそうなのか?」

 唐突に、後ろからバルターの剣呑な声が飛んでくる。レイヴンはイリスを止めると、にらむように彼を振り返る。

「バルター殿下、聞いていたのですか?」

 レオナがとがめると、バルターはあきれた。

「そんな大きな声で話しておいて、聞くなというのは無理がある。レオナ妃殿下よ、そいつにだまされるな。今の話、どうにもうさんくさい」
「だます……? レイヴンはそのような人ではありません」
「この男の家族の話など、嘘だろうが証明できない。興味がないと言いながら、楽園へ行く本当の目的は星魔石ではないのか? 魔石を手に入れ、そなたを連れ去る。それが真の目的ではないと、なぜ言える?」
「私を連れ去る?」
「蘇生魔法を実際に使いたがる魔法使いにろくな者はいない。己の能力の限界を知り、ステラサンクタをさらおうとでも目論んだのであろう。そなたの力を何に使おうとしているのか、わかったものではないわっ」

 それはむしろ、バルターだろう。レイヴンもそうだと決めつけるのは、彼自身がレオナを利用しようとしたからではないか。

「私はレイヴンを信じています。これまで何度も私を助けてくれたのですから」
「ステラサンクタは情に流される、どこまでも愚かな生き物だな」

 レオナは、怒りで顔を強張らせるレイヴンの袖をそっと引っ張る。

「行きましょう。私が必ず、レイヴンを楽園へ連れていきます」
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