砂色のステラ

水城ひさぎ

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楽園編

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「こちらになります。ゆっくりご確認ください」

 レイヴンを石碑に案内したロエルは後ろへ身を引き、静かにまぶたを伏せた。途端に彼の気配は消え、柔らかな風が辺りを取り囲む。

 ここにいるのはレイヴンと自分だけのような錯覚に陥り、レオナは振り返る。セリオスとベリウスは、フィリスとともに離れた場所からこちらの様子を見守っていた。

 レイヴンをひとりにしてあげなければならなかったことに今さら気づいて、レオナは恥じ入る。しかし、それすら見透かしたように、レイヴンは厳しい顔つきをやわらげた。

「レオナさんがいるところには、常に温かな空気が取り巻いていますね。もうあなたとはお別れかと思うとさみしいものです」
「お別れ……ですか?」
「残念ながら」
「私はセリオス様から離れるつもりは……ありません」

 自分はここには残らない。はっきり伝えたかったが、ロエルに聞かれるのではないかと小声になってしまう。そんなレオナを見て、レイヴンは薄く笑ったあと、石碑に近づく。その横顔がふたたび厳しいものになったと気づいて、レオナも黙って見守る。

 花崗岩で作られた灰色の石碑は、よく手入れされて光っていた。レイヴンは自身の顔が映り込むほどに石碑に顔を近づけると、刻まれた名前を端から順番にひとつひとつ丁寧に確認していった。

 そこに彼の父の名前があるかもしれない。そう思うと、見つかってほしいようなほしくないような苦しい気持ちになったが、レオナは辛抱強く待った。

 石碑の中程まで来ると、レイヴンは足を止め、屈んだまま指を伸ばす。その指先はわずかに震えていた。そして、彼は小さな息をつき、肩を落とした。

 ヒュー・カーライルの名が、あったのだろうか。どくりと音を立てる胸に手をあてると、レイヴンはゆっくり振り返り、泣き笑いのような表情を浮かべた。

「見つかったのですか……?」
「はい。……すみません。覚悟していたつもりですが」

 レイヴンは震える声を押し殺すように、片手で口もとを覆う。ぎゅっと閉じたまぶたの隙間から一筋の涙がこぼれ落ちる。

「謝らないでください」
「しかし……」

 レイヴンは首を強く振ったあと、涙をぬぐい、気丈に振る舞う様子を見せる。

「レオナさんとお会いできなければ、父の行方を突き止めることはできなかったでしょう。ありがとうございました」
「お礼なんて。レイヴンがいてくれたから、ここまで来られたのです。私の方こそ、感謝を」
「……本当に、あなたという人はご自身の尊さに気づかない方だ」

 レイヴンはあきれたようにくすりと笑い、ロエルへ視線を移す。

「ヒュー・カーライルの名を見つけました。父の遺品があるならば、持って帰りたいと思います」
「わかりました。神殿までご案内します」

 ロエルは一瞬、いたましげに顔を歪めたが、すぐに淡々と頭をさげ、坂道をくだり始めた。

 レオナはレイヴンに寄り添うように後ろに付き従った。かける言葉は見つからなかった。せめて、何か慰みになるものが見つかるといいと願いながら、神殿へと入った。

 ロエルが神殿奥の扉を開けると、レオナはレイヴンとともに、湿気のある薄暗い部屋へ進んだ。

 室内は小さな窓から入る光のみに照らされていた。ロエルがヒュッと手を振ると、壁際に並ぶ燭台に、またたく間に灯りがついていく。

 明るくなった室内を見回す。三列置かれた長い台の上に、透明な水晶が等間隔に並んでいる。水晶の前には銅板が置かれていて、そこに刻まれる文字は、人の名前のようだった。レオナは何気に水晶の中をのぞいた。水晶がもたらす柔らかな光の中に、布製の人形が浮かんでいる。

 それは、貴族の娘たちの間で流行した人形だった。魔法にばかり興味を持つレオナを不安がって、同じ年頃の子どもたちがこぞって持っていた人形を、養母が買い与えたものによく似ている。

 スカートのすそが焼け、土に汚れたその人形が、戦争に巻き込まれた子どもの持ち物であると意識したとき、レオナは息をのみ、後ろへさがった。

 この人形を持っていた子どもはもうこの世にいない。レオナは周囲を見渡す。ここに並ぶ水晶の中には生きた証がある。それらはすべて、彼らがもうこの世にいない証なのだ。強烈な戸惑いがレオナを襲った。

 レオナはとっさに、レイヴンの背中を見つめた。遺品を見つけたとき、彼は傷つくのではないか。覚悟を決めた背中に駆け寄るか迷っていると、ロエルが振り返る。

「外に出てお待ちください。興味本位で眺められるのはおつらいでしょう」

 レオナは無言でうなずくと、すぐに部屋を飛び出した。バクバクする胸を押さえていると、心配そうにセリオスがやってくる。

「レオナ、顔色が青いな」
「遺品は厳重に扱われているようで、私が入ってはいけませんでした」

 恥じるように答えると、セリオスは少し考え込む。

「しばらくレイヴンには時間を与えた方がいいだろう。おまえは両親の墓参りに行くか?」
「近くなのですか?」

 扉の前から離れがたい気持ちもあったが、そう尋ねると、フィリスが別の扉へと目を向ける。

「エレノアとサイラスの墓はあの扉の先にある。レオナが戻ったと知れば、ふたりも喜ぶであろう」

 戻る……という言葉に抵抗を覚えたが、レオナは無言でフィリスの背中を追う。隣を歩くセリオスは、いつも通り堂々としている。何があっても揺るがない彼は強く、レオナは自分の選択は間違ってないと心強くなる。

 フィリスは扉を両手で開け放つ。ふわりと花の香りが鼻をかすめる。扉の奥には、部屋ではなく、小さな中庭が広がっていた。丘の上の石碑と同様に、花に囲まれた墓石がいくつも等間隔に並んでいる。

「ここに眠るのはステラサンクタのみだが、サイラスは特別にエレノアと同じ墓で眠る。剣が突き立てられている墓石があるであろう。あれが、ふたりの墓だ」

 レオナはすぐにその墓を見つけることができた。セリオスがそちらへ向かって歩き出す。その後ろを、レオナはおそるおそるついていく。

 墓の前に到着すると、15年前の記憶が瞬間的によみがえってきて、レオナの身体はぶるりと震えた。

 母エレノアに抱きしめられながら、地面にうつ伏せになったレオナの目に映ったのは、剣を振りかざし、妻子を守ろうと仁王立ちする父サイラスの後ろ姿。

 逃げろっ!

 叫んだ父の声が聞こえた気がして、レオナはとっさに両手で耳をふさいだ。金属を打ち鳴らすような足音。悲鳴にまぎれる歓喜の声。男たちの獰猛な振る舞いが、幼いレオナの記憶にこびりついている。

 せめて、この子だけでも!

 命乞いした母を無惨に斬りつけた兵士の冷酷な目に震えあがる。それはもう過去のものだと言い聞かせても、心の奥に残る恐怖は消えなくて、レオナは思わず、セリオスの腕をつかんでいた。

「どうした、レオナ?」

 レオナははっとして、あわてて手を引っ込める。

「なんでもありません……」
「そうは見えないが」
「父と母を思い出していたのです」

 いぶかしむようにセリオスが眉をひそめると、フィリスが言う。

「レオナよ、怖がる必要はない。争いが起きることはもう二度とあらず、我々はユーラスの中で安寧の時を過ごす。レオナもすぐにここでの生活になれるであろう」
「教皇様……、私はここで暮らしたいわけではありません」

 レオナは意を決して、そう言った。フィリスは黙ったまま目を細める。まるで、わがままを言う我が子を見守るように。フィリスなら、レオナの思いに理解を示してくれるかもしれない。その期待を込めて、レオナは続けた。

「お母さまのように、王都で暮らしたいと望むわけでもありません。場所はどこでもかまわないのです」

 当時は気づけていなかったかもしれないが、極寒の地と言われるセシェ島の暮らしの中にも、小さな幸せはあった。

「私はただ……セリオス様とともに生きていきたいのです。命が短くなろうとも、罪を背負うことになろうとも、セリオス様と離れて暮らすことは考えられないのです」
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