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美しい声
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「声、出して……」
私を抱きながら、彼はそう願う。
真一文字に唇を結ぶ私は、彼から与えられる快感に耐え続ける。
悔しい……、悔しい。
愛してるなんて思うのが、悔しい。
彼の背中に爪を立て、しがみつき、肩へ歯を立てる。
「ゆ、い……っ」
痛みをこらえて、愛する人は懲りずに言う。
「声、聞かせてくれよ……」
出すものか。
そう思うのに、こらえきれずに甘い息が漏れる。
いやなのに。いやでどうしようもないのに、涙があふれてくる。
悔し涙を流す私に、彼はささやく。
「愛してるよ」
「……」
もう何回、その言葉を聞いただろう。
私はそっとまぶたを閉じて、両手で自身の体を抱きしめた。
愛する人のぬくもりが残すのは、悲しいばかりのむなしさだけだった。
***
「やっぱ慎重にはなるよねー」
「え、なんのこと?」
「やだ、結衣。聞いてなかったの?」
「……ごめんっ」
今日は高校時代からの友人の川口亜紀とランチをしてる。
フォークをはさんだまま両手をあわせて謝る私を見て、亜紀はあきれながらも首を傾げる。
「どしたの? 元気ないけど」
最後に亜紀と会ったのは、ちょうど一ヶ月前のことだった。ほんの一ヶ月前まではなんの悩みもなくて、亜紀と楽しいランチをしてたのになって思う。
「ちょっと、ね」
心配かけたくなくて明るく振る舞いたかったけど、今日はどうしても無理だった。昨夜の出来事を考えると、やっぱり落ち込んでしまう。
「亜紀、さっきの話だけど」
あんまり悩みについては触れて欲しくなくて、無理して笑顔を作って、話を戻す。亜紀も察してくれたみたい。何も聞かずに話を続けてくれる。
「28にもなると、恋人選びも慎重になるよねって話」
「どうして?」
「なんでって……、28で付き合い始めたら、結婚相手になるかもしれないじゃない? ちょっとそういうの考えちゃうよね」
「……そういうものかなあ」
「そういうものだってー。あんなイケメンの彼氏がいる結衣には関係ない話かもしれないけどね」
結局、話はそこへ行ってしまうんだとため息が出る。あんまり彼の話はしたくない。
「やっぱりなんかあったんでしょ」
「……うん」
「佑樹さんのこと?」
佑樹というのは、私の四歳年上の彼。
私と杉田佑樹は、二年前に出会った。かっこいい彼から交際を申し込まれ、迷う必要なんてなくてすぐにお付き合いを始めた。
すごく優しくて包容力のある佑樹は、恋人がいなかった期間なんてないんじゃないかって思うぐらい素敵な人。佑樹に出会えたのは運命だとさえ思った。
私たちはもう28歳。亜紀の言う通り、結婚を意識してもおかしくない年頃。佑樹とこのまま順調に行けば、そういうこともあったかもしれないけど、今はもう無理だと思う。
「話せないようなこと?」
心配げに眉を寄せる亜紀の不安は伝わってくる。
これまで、佑樹との交際で悩むことなんてなかった。彼の話をすると、のろけばっかりってからかわれるぐらいに。
深刻な顔をする私を見るのははじめてに等しい亜紀は、必要以上に心配なのだろう。
彼女は私がどれほど佑樹が好きか、よく知ってる。私の生活は佑樹一色で、彼のために残業しないように頑張ってきたし、料理教室やヨガ教室に通ったりして自分磨きをしてきたつもり。でも、それが全部無駄だったと気づかされた今は、落ち込むしかない。
「また今度話すね」
昨日までの私は、佑樹と会うことはもうないって思ってた。彼を忘れる覚悟はしてた。それなのに、どうして会ってしまったんだろう。
私は昨日、佑樹のアパートへ行った。佑樹が仕事で遅くなるってメールをくれたから、チャンスだと思った。
佑樹がいないうちに、アパートへ運び込んだ私の荷物を持ち出して、彼の前から黙って姿を消そうって思ってた。それなのに、旅行かばんに荷物を詰めていると、佑樹が帰ってきた。
思ったよりはやく帰れたって嬉しそうにそう言って、いつもと変わらない笑顔を佑樹は見せた。
私はあわてて押し入れに旅行かばんを押し込み、何もなかったように振る舞った。そして、佑樹に抱かれた。
もう会わないって覚悟したのに、抱かれたら、佑樹のことが好きだって思ってしまった。
こんな中途半端な気持ち、亜紀にどう説明したらいいのかわからない。
最低だ、私は。
私を愛してもいない男に抱かれて愛してるなんて思う私は、ひどくみじめで最低だ。
「気晴らしに本屋に行こっか」
レストランを出ると、すぐに亜紀はそう言って、私を誘った。
「本屋?」
ちょっとだけ、いやな予感がした。
本屋で気晴らしできる気分ではなかったけど、亜紀に黙ってついていった。
本屋へ入るなり、目的がはっきりしているかのような足取りで、亜紀はエスカレーターに乗った。
有名な書籍の列を素通りして、二階の奥の方に設けられた詩集コーナーで、彼女は立ち止まった。
やっぱり……という気持ちもあったが、彼女の好意は素直に受け入れようと思い、口をつぐんだ。
亜紀はお目当ての本を持ち上げて振り返り、誇らしげに言う。
「七緒静華の新刊、今日発売なんだよ。知ってた?」
「声、出して……」
私を抱きながら、彼はそう願う。
真一文字に唇を結ぶ私は、彼から与えられる快感に耐え続ける。
悔しい……、悔しい。
愛してるなんて思うのが、悔しい。
彼の背中に爪を立て、しがみつき、肩へ歯を立てる。
「ゆ、い……っ」
痛みをこらえて、愛する人は懲りずに言う。
「声、聞かせてくれよ……」
出すものか。
そう思うのに、こらえきれずに甘い息が漏れる。
いやなのに。いやでどうしようもないのに、涙があふれてくる。
悔し涙を流す私に、彼はささやく。
「愛してるよ」
「……」
もう何回、その言葉を聞いただろう。
私はそっとまぶたを閉じて、両手で自身の体を抱きしめた。
愛する人のぬくもりが残すのは、悲しいばかりのむなしさだけだった。
***
「やっぱ慎重にはなるよねー」
「え、なんのこと?」
「やだ、結衣。聞いてなかったの?」
「……ごめんっ」
今日は高校時代からの友人の川口亜紀とランチをしてる。
フォークをはさんだまま両手をあわせて謝る私を見て、亜紀はあきれながらも首を傾げる。
「どしたの? 元気ないけど」
最後に亜紀と会ったのは、ちょうど一ヶ月前のことだった。ほんの一ヶ月前まではなんの悩みもなくて、亜紀と楽しいランチをしてたのになって思う。
「ちょっと、ね」
心配かけたくなくて明るく振る舞いたかったけど、今日はどうしても無理だった。昨夜の出来事を考えると、やっぱり落ち込んでしまう。
「亜紀、さっきの話だけど」
あんまり悩みについては触れて欲しくなくて、無理して笑顔を作って、話を戻す。亜紀も察してくれたみたい。何も聞かずに話を続けてくれる。
「28にもなると、恋人選びも慎重になるよねって話」
「どうして?」
「なんでって……、28で付き合い始めたら、結婚相手になるかもしれないじゃない? ちょっとそういうの考えちゃうよね」
「……そういうものかなあ」
「そういうものだってー。あんなイケメンの彼氏がいる結衣には関係ない話かもしれないけどね」
結局、話はそこへ行ってしまうんだとため息が出る。あんまり彼の話はしたくない。
「やっぱりなんかあったんでしょ」
「……うん」
「佑樹さんのこと?」
佑樹というのは、私の四歳年上の彼。
私と杉田佑樹は、二年前に出会った。かっこいい彼から交際を申し込まれ、迷う必要なんてなくてすぐにお付き合いを始めた。
すごく優しくて包容力のある佑樹は、恋人がいなかった期間なんてないんじゃないかって思うぐらい素敵な人。佑樹に出会えたのは運命だとさえ思った。
私たちはもう28歳。亜紀の言う通り、結婚を意識してもおかしくない年頃。佑樹とこのまま順調に行けば、そういうこともあったかもしれないけど、今はもう無理だと思う。
「話せないようなこと?」
心配げに眉を寄せる亜紀の不安は伝わってくる。
これまで、佑樹との交際で悩むことなんてなかった。彼の話をすると、のろけばっかりってからかわれるぐらいに。
深刻な顔をする私を見るのははじめてに等しい亜紀は、必要以上に心配なのだろう。
彼女は私がどれほど佑樹が好きか、よく知ってる。私の生活は佑樹一色で、彼のために残業しないように頑張ってきたし、料理教室やヨガ教室に通ったりして自分磨きをしてきたつもり。でも、それが全部無駄だったと気づかされた今は、落ち込むしかない。
「また今度話すね」
昨日までの私は、佑樹と会うことはもうないって思ってた。彼を忘れる覚悟はしてた。それなのに、どうして会ってしまったんだろう。
私は昨日、佑樹のアパートへ行った。佑樹が仕事で遅くなるってメールをくれたから、チャンスだと思った。
佑樹がいないうちに、アパートへ運び込んだ私の荷物を持ち出して、彼の前から黙って姿を消そうって思ってた。それなのに、旅行かばんに荷物を詰めていると、佑樹が帰ってきた。
思ったよりはやく帰れたって嬉しそうにそう言って、いつもと変わらない笑顔を佑樹は見せた。
私はあわてて押し入れに旅行かばんを押し込み、何もなかったように振る舞った。そして、佑樹に抱かれた。
もう会わないって覚悟したのに、抱かれたら、佑樹のことが好きだって思ってしまった。
こんな中途半端な気持ち、亜紀にどう説明したらいいのかわからない。
最低だ、私は。
私を愛してもいない男に抱かれて愛してるなんて思う私は、ひどくみじめで最低だ。
「気晴らしに本屋に行こっか」
レストランを出ると、すぐに亜紀はそう言って、私を誘った。
「本屋?」
ちょっとだけ、いやな予感がした。
本屋で気晴らしできる気分ではなかったけど、亜紀に黙ってついていった。
本屋へ入るなり、目的がはっきりしているかのような足取りで、亜紀はエスカレーターに乗った。
有名な書籍の列を素通りして、二階の奥の方に設けられた詩集コーナーで、彼女は立ち止まった。
やっぱり……という気持ちもあったが、彼女の好意は素直に受け入れようと思い、口をつぐんだ。
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「七緒静華の新刊、今日発売なんだよ。知ってた?」
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