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美しい声
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昼休憩になると、すぐに喫煙ルームへ向かった。
アパートではタバコを吸わないようにしている。結衣がタバコの臭いに敏感だからだ。
結衣は吸ってもかまわないと言ってくれるが、せめて結衣の前だけでもと、我慢しているのだ。
そのまま禁煙しようかと思うが、仕事中はなかなかそうもうまくいかない。どうしても吸いたくなってしまう。そしてもう一人、そういう男が姿を見せる。
「よぉ」
「おぅ」
同僚の及川雅也と短いあいさつをかわし、深く息を吐き出す。
細く長い白いけむりを吐き出せば、少しは疲れを忘れる。
「今日はやけに疲れてるな」
「そう見えるか?」
「まあな」
しばらく無言でタバコを吸う。
雅也にあのことを話そうか。それを思い悩む時間が沈黙の時間だ。
「結衣ちゃんと喧嘩でもしたか?」
俺の沈黙に違和感を覚えたのであろう雅也は、無遠慮に結衣の話題を切り出す。
会社では彼女がいないということになっている。彼女に会わせろ、という同僚の言葉を避けたいからだ。それは、結衣をいたずらに男の目に触れさせたくないと思う俺のエゴ。
俺より先に結衣に出会っていた雅也は特別で、社内で唯一、俺に彼女がいることを知ってる男だ。
「何があったか知らないけどさ、元気出せよ」
雅也はそう言って、俺の左肩を叩いた。
「いて……っ」
思わず顔をしかめる。
「わりぃ、けがしてたか?」
大げさに痛がる俺に驚いた雅也は、心配そうにする。
「い、いや」
肩にそっと手をあて、苦笑いする。
この痛みの理由は、話せない。結衣にかまれたなんて、彼女の名誉のためにも話せない。
「一緒に暮らすと、何かと面倒なこともあるだろう」
雅也はすっかり結衣と喧嘩していると思ってるようだ。
結衣と喧嘩したことはほとんどないが、喧嘩するより深刻な問題になってる気はする。
「一緒に暮らしてるわけじゃないさ」
「半同棲状態だろ。似たようなもんだ」
うらやましそうな顔をして、雅也はタバコを灰皿に押し付ける。
「ほとんど毎日来るんだろ」
「……まあな」
今まではそうだった。今までは、だ。
残業がない時や、友人との飲み会とか付き合いがない時は、必ず結衣は夕食をつくって俺の帰りを待ってくれていた。
「違うのか?」
歯切れの悪い俺を見て、雅也は不審そうにする。
「ここ一ヶ月はあまり来ないんだ」
深いため息を吐けば、雅也は眉をひそめる。
「なんかあったか?」
それは何度も考えた。しかし、どれだけ悩んでも心当たりはない。
いくら会社では彼女がいないことになっているとはいえ、甘い誘いに乗ったことは一度もない。結衣を不安にさせることをしたつもりはない。
「急に来なくなったのか?」
「……まぁ」
それを言われてハッとする。一つだけ、あることが思い浮かんだ。
あの出来事がきっかけだったとは思えないが、少なくともあの時には結衣はおかしかった。
「一ヶ月前、結衣は実家に帰ったんだ」
「お盆だったからか?」
「ああ。一週間、会わなかった。結衣の実家はちょっと遠いから会えなかったし、電話をかけるのも遠慮したんだ」
それがいけなかったのだろうか。さみしかったならそう言ってくれればよかった。
いや、違うか。さみしかったのは俺だ。メールぐらいしてくれたっていいのにとうらめしく思った。
親戚まわりで忙しいからと、素っ気ないメールが来たきり、結衣は一切の連絡を絶った。
大人げないから不満は言わなかったが、結衣と一週間ぶりに会った俺は、彼女を無理やり抱いた。
あれがいけなかったのだろうか。だけどもう、あの時には結衣はおかしかったのだ。
「ちゃんと話し合えよ。本気なんだろ、結衣ちゃんに」
「……ああ」
結衣を手放したくない。ほかの男の目に触れさせたくないぐらい愛してる。だから、愛してると何回も伝えている。
それなのに、結衣はさみしそうに涙を流す。その意味はまったくわからない。聞いても答えない……そう、結衣はあまり話さなくなった。
「声を聞かせてくれないんだ……」
「声?」
「ああ、何を聞いてもうなずいたり首を振ったり。前はもっと話をしてくれたんだけどな」
俺はその日にあった出来事を楽しそうに話す結衣が好きだった。それが、一ヶ月前から話さなくなった。
「大丈夫なのか?」
雅也もさすがにおかしいと思ったのだろう。険しい顔で俺の顔をのぞきこむ。
だが、俺はなすすべがなくて、「わからない」と、首をすくめるしかできない。
一ヶ月前、実家から帰ってきた結衣に久しぶりに会った。彼女の顔を見たら、いとしさが込み上げてきて、すぐにベッドに押し倒した。
あの時の俺は、結衣も同じ気持ちだと信じていた。
しかし、結衣は抵抗した。結衣が抵抗することは初めてで、ショックのあまり、わきあがる衝動を抑えることが出来なかった。
結衣の服をはぎ取るように脱がせ、戸惑う彼女の黒い瞳に俺がどう映るのかと考えるのが嫌で、無我夢中に抱いた。
会えなかったさみしさ、会えなかった苦しみを、彼女を抱くことで解消しようとした。
ハッと我にかえった時、結衣は悲しい目をして静かに涙を落としていた。
俺をさげすんだり、俺を怖がったわけじゃない。ただただ消えてしまいそうなほど儚く、悲しげだった。
あの時から結衣は変わってしまっていた。
話しかけても話さなくなった。抱いていても声を聞かせてくれなくなった。
前は、愛してると言ったら、愛してると言ってくれたのに。
そして昨日、結衣は俺の肩をかんだ。俺の行為に耐えるように。そんなに抱かれたくないのか、そんなに声を出したくないのかといらだたしくもあった。
無理やり結衣を抱いた日から、彼女は美しく澄んだ、かわいらしい声を聞かせてくれなくなった。
昼休憩になると、すぐに喫煙ルームへ向かった。
アパートではタバコを吸わないようにしている。結衣がタバコの臭いに敏感だからだ。
結衣は吸ってもかまわないと言ってくれるが、せめて結衣の前だけでもと、我慢しているのだ。
そのまま禁煙しようかと思うが、仕事中はなかなかそうもうまくいかない。どうしても吸いたくなってしまう。そしてもう一人、そういう男が姿を見せる。
「よぉ」
「おぅ」
同僚の及川雅也と短いあいさつをかわし、深く息を吐き出す。
細く長い白いけむりを吐き出せば、少しは疲れを忘れる。
「今日はやけに疲れてるな」
「そう見えるか?」
「まあな」
しばらく無言でタバコを吸う。
雅也にあのことを話そうか。それを思い悩む時間が沈黙の時間だ。
「結衣ちゃんと喧嘩でもしたか?」
俺の沈黙に違和感を覚えたのであろう雅也は、無遠慮に結衣の話題を切り出す。
会社では彼女がいないということになっている。彼女に会わせろ、という同僚の言葉を避けたいからだ。それは、結衣をいたずらに男の目に触れさせたくないと思う俺のエゴ。
俺より先に結衣に出会っていた雅也は特別で、社内で唯一、俺に彼女がいることを知ってる男だ。
「何があったか知らないけどさ、元気出せよ」
雅也はそう言って、俺の左肩を叩いた。
「いて……っ」
思わず顔をしかめる。
「わりぃ、けがしてたか?」
大げさに痛がる俺に驚いた雅也は、心配そうにする。
「い、いや」
肩にそっと手をあて、苦笑いする。
この痛みの理由は、話せない。結衣にかまれたなんて、彼女の名誉のためにも話せない。
「一緒に暮らすと、何かと面倒なこともあるだろう」
雅也はすっかり結衣と喧嘩していると思ってるようだ。
結衣と喧嘩したことはほとんどないが、喧嘩するより深刻な問題になってる気はする。
「一緒に暮らしてるわけじゃないさ」
「半同棲状態だろ。似たようなもんだ」
うらやましそうな顔をして、雅也はタバコを灰皿に押し付ける。
「ほとんど毎日来るんだろ」
「……まあな」
今まではそうだった。今までは、だ。
残業がない時や、友人との飲み会とか付き合いがない時は、必ず結衣は夕食をつくって俺の帰りを待ってくれていた。
「違うのか?」
歯切れの悪い俺を見て、雅也は不審そうにする。
「ここ一ヶ月はあまり来ないんだ」
深いため息を吐けば、雅也は眉をひそめる。
「なんかあったか?」
それは何度も考えた。しかし、どれだけ悩んでも心当たりはない。
いくら会社では彼女がいないことになっているとはいえ、甘い誘いに乗ったことは一度もない。結衣を不安にさせることをしたつもりはない。
「急に来なくなったのか?」
「……まぁ」
それを言われてハッとする。一つだけ、あることが思い浮かんだ。
あの出来事がきっかけだったとは思えないが、少なくともあの時には結衣はおかしかった。
「一ヶ月前、結衣は実家に帰ったんだ」
「お盆だったからか?」
「ああ。一週間、会わなかった。結衣の実家はちょっと遠いから会えなかったし、電話をかけるのも遠慮したんだ」
それがいけなかったのだろうか。さみしかったならそう言ってくれればよかった。
いや、違うか。さみしかったのは俺だ。メールぐらいしてくれたっていいのにとうらめしく思った。
親戚まわりで忙しいからと、素っ気ないメールが来たきり、結衣は一切の連絡を絶った。
大人げないから不満は言わなかったが、結衣と一週間ぶりに会った俺は、彼女を無理やり抱いた。
あれがいけなかったのだろうか。だけどもう、あの時には結衣はおかしかったのだ。
「ちゃんと話し合えよ。本気なんだろ、結衣ちゃんに」
「……ああ」
結衣を手放したくない。ほかの男の目に触れさせたくないぐらい愛してる。だから、愛してると何回も伝えている。
それなのに、結衣はさみしそうに涙を流す。その意味はまったくわからない。聞いても答えない……そう、結衣はあまり話さなくなった。
「声を聞かせてくれないんだ……」
「声?」
「ああ、何を聞いてもうなずいたり首を振ったり。前はもっと話をしてくれたんだけどな」
俺はその日にあった出来事を楽しそうに話す結衣が好きだった。それが、一ヶ月前から話さなくなった。
「大丈夫なのか?」
雅也もさすがにおかしいと思ったのだろう。険しい顔で俺の顔をのぞきこむ。
だが、俺はなすすべがなくて、「わからない」と、首をすくめるしかできない。
一ヶ月前、実家から帰ってきた結衣に久しぶりに会った。彼女の顔を見たら、いとしさが込み上げてきて、すぐにベッドに押し倒した。
あの時の俺は、結衣も同じ気持ちだと信じていた。
しかし、結衣は抵抗した。結衣が抵抗することは初めてで、ショックのあまり、わきあがる衝動を抑えることが出来なかった。
結衣の服をはぎ取るように脱がせ、戸惑う彼女の黒い瞳に俺がどう映るのかと考えるのが嫌で、無我夢中に抱いた。
会えなかったさみしさ、会えなかった苦しみを、彼女を抱くことで解消しようとした。
ハッと我にかえった時、結衣は悲しい目をして静かに涙を落としていた。
俺をさげすんだり、俺を怖がったわけじゃない。ただただ消えてしまいそうなほど儚く、悲しげだった。
あの時から結衣は変わってしまっていた。
話しかけても話さなくなった。抱いていても声を聞かせてくれなくなった。
前は、愛してると言ったら、愛してると言ってくれたのに。
そして昨日、結衣は俺の肩をかんだ。俺の行為に耐えるように。そんなに抱かれたくないのか、そんなに声を出したくないのかといらだたしくもあった。
無理やり結衣を抱いた日から、彼女は美しく澄んだ、かわいらしい声を聞かせてくれなくなった。
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