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美しい声
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あの日から、腫れものを触るように結衣を扱った。
口づけも無理強いはしなかった。かすかに触れるだけで彼女は逃れようとするから、それ以上追い求めなかった。
肌をあわせる時も、結衣の様子を確認しながらなるべく優しくした。それは俺にしてみれば淡白なもので、到底満足できるものではなかった。それでも我慢していたのに、さらなる変化はやってきた。
それが、昨日のことだ。
急な仕事が入り、結衣に遅くなりそうだとメールした。
夕食を作って待ってくれているかもしれない結衣を思い、遅くなるとわかっている時はいつもそうしていたからだ。
しかし、思ったよりはやく仕事は終わり、まっすぐアパートに帰った。
結衣が来ているかもしれない。結衣に会えたらうれしい。そう願いながらアパートの窓を見上げ、灯りがともっているのを確認すると階段をかけあがった。まるで俺は子供みたいだった。
玄関に駆け込んだ俺は、奥の部屋から出てきた結衣を見つけた。
すぐにでも抱きしめてしまいたかったけど、怖がらせるといけないから我慢した。
結衣は、「早かったね……」と力なく言った。
久しぶりの会話も素っ気なく、そのまま彼女は無言でキッチンに消えた。やはり元気がないようだった。
うきうきした気分は急速になえ、どっと疲れに襲われた俺は、脱いだスーツを持って奥の部屋に入った。
そのとき、違和感を感じた。
奥の部屋はベッドルームとして使っていた。部屋の一角には、結衣の荷物を入れる棚を用意していた。
その棚がやけに閑散としていた。何も入っていないわけではない。それが余計に俺を不安にさせた。
結衣は出ていこうとしたんじゃないか。すぐにそうと気づかれないように、本当に必要なものだけを抜き取ったんじゃないか。
そして、薄く開いた押し入れをのぞいた俺は、自分の予感があたったことに気づいた。そこには、彼女の荷物が詰め込まれた旅行バッグがあった。
すぐにでも結衣を問い詰めたかったが、ぐっとこらえた。平静を装って、彼女の手料理を食べた。
料理はいつもと変わらない味だった。俺の舌に合うように、結衣が努力してくれていることも知っている。
「なあ、結衣」
声をかけると、結衣は無言で俺を見上げた。
「今日は泊まっていくよな?」
結衣の表情は固く、俺をさらに不安にさせた。だが、彼女はこくんとうなずいた。
そうだろう。うなずくに決まってる。結衣は出ていこうとしたのだ。なんとか押し入れの荷物を持って出ていきたいはずだ。
俺が眠りに落ちるのを待って出ていくだろう。わかっていたから、俺はそうさせないように結衣を抱いた。
いつもより丁寧に、優しく、結衣を愛した。
結衣の声が聞きたかった。
結衣の声が好きだった。
はじめて会った時にそう思った。
そのぐらい、彼女の声は美しかった。
だから失いたくなくて、結衣を逃がさないように抱きしめた。
我慢比べだった。
結衣は俺が眠るのを待っていたのだろう。だが、俺は期待を裏切った。
根負けして眠った結衣を抱きしめて眠った。
そして朝になり、目を覚ました俺はすぐに押し入れをのぞき、安堵した。結衣の荷物は元通りになっていて、キッチンから朝食を準備する物音が聞こえてきたから。
けれど、結衣のすべてが元通りになったのではないということは、この俺の左肩が知っている。
口づけも無理強いはしなかった。かすかに触れるだけで彼女は逃れようとするから、それ以上追い求めなかった。
肌をあわせる時も、結衣の様子を確認しながらなるべく優しくした。それは俺にしてみれば淡白なもので、到底満足できるものではなかった。それでも我慢していたのに、さらなる変化はやってきた。
それが、昨日のことだ。
急な仕事が入り、結衣に遅くなりそうだとメールした。
夕食を作って待ってくれているかもしれない結衣を思い、遅くなるとわかっている時はいつもそうしていたからだ。
しかし、思ったよりはやく仕事は終わり、まっすぐアパートに帰った。
結衣が来ているかもしれない。結衣に会えたらうれしい。そう願いながらアパートの窓を見上げ、灯りがともっているのを確認すると階段をかけあがった。まるで俺は子供みたいだった。
玄関に駆け込んだ俺は、奥の部屋から出てきた結衣を見つけた。
すぐにでも抱きしめてしまいたかったけど、怖がらせるといけないから我慢した。
結衣は、「早かったね……」と力なく言った。
久しぶりの会話も素っ気なく、そのまま彼女は無言でキッチンに消えた。やはり元気がないようだった。
うきうきした気分は急速になえ、どっと疲れに襲われた俺は、脱いだスーツを持って奥の部屋に入った。
そのとき、違和感を感じた。
奥の部屋はベッドルームとして使っていた。部屋の一角には、結衣の荷物を入れる棚を用意していた。
その棚がやけに閑散としていた。何も入っていないわけではない。それが余計に俺を不安にさせた。
結衣は出ていこうとしたんじゃないか。すぐにそうと気づかれないように、本当に必要なものだけを抜き取ったんじゃないか。
そして、薄く開いた押し入れをのぞいた俺は、自分の予感があたったことに気づいた。そこには、彼女の荷物が詰め込まれた旅行バッグがあった。
すぐにでも結衣を問い詰めたかったが、ぐっとこらえた。平静を装って、彼女の手料理を食べた。
料理はいつもと変わらない味だった。俺の舌に合うように、結衣が努力してくれていることも知っている。
「なあ、結衣」
声をかけると、結衣は無言で俺を見上げた。
「今日は泊まっていくよな?」
結衣の表情は固く、俺をさらに不安にさせた。だが、彼女はこくんとうなずいた。
そうだろう。うなずくに決まってる。結衣は出ていこうとしたのだ。なんとか押し入れの荷物を持って出ていきたいはずだ。
俺が眠りに落ちるのを待って出ていくだろう。わかっていたから、俺はそうさせないように結衣を抱いた。
いつもより丁寧に、優しく、結衣を愛した。
結衣の声が聞きたかった。
結衣の声が好きだった。
はじめて会った時にそう思った。
そのぐらい、彼女の声は美しかった。
だから失いたくなくて、結衣を逃がさないように抱きしめた。
我慢比べだった。
結衣は俺が眠るのを待っていたのだろう。だが、俺は期待を裏切った。
根負けして眠った結衣を抱きしめて眠った。
そして朝になり、目を覚ました俺はすぐに押し入れをのぞき、安堵した。結衣の荷物は元通りになっていて、キッチンから朝食を準備する物音が聞こえてきたから。
けれど、結衣のすべてが元通りになったのではないということは、この俺の左肩が知っている。
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