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元カノ
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「今から会えない?」
結衣の声だけど、結衣じゃない。会いたいのはこの声だけど、君じゃない。
俺は叫び出したくなる衝動を抑え、「ああ」と言った。
「今、どの辺に住んでるの? 大学の近く?」
「遠くはない」
「じゃあ、あの喫茶店で待ってる」
「……わかった」
ため息とともに、了承の返事をする。
一度は静香に会っておかないといけないだろうとは感じていた。もう二度と、連絡をしないでくれ。ただそれを伝えたかった。
静香の指定した喫茶店は、出身大学の近くにあった。大学時代、よく利用していた店だ。静香と俺が出会ったのも、その喫茶店でだった。
俺が喫茶店につくと、静香は先に来ていた。
大きめのサングラスをはずして、彼女は俺に手を振った。顔を隠さなければならないほどの有名人ではないだろうと思ったが、口には出さなかった。
静香のファンに失礼だと思ったからだ。
彼女は少しは名の通った作家、七緒静華だ。
「ひさしぶり」
「簡単に言うのね。10年ぶりよ」
静香は俺のあまりの素っ気なさに苦笑いした。
10年も経つと、傷つけた相手のことさえ良い思い出にしてしまえるのだろうか。
今さら、何の用だ?
その言葉は飲み込み、あえて余裕のある笑みを見せる。静香のことなど、何とも思ってないと知らしめるためだった。
「本、出したんだって?」
「そうなの。最近、また一部で人気沸騰してるみたい。ネットのおかげね」
「あれ? 見たよ、七緒静華の動画」
「あれは弟が勝手に流したの。私だってあの時のことを思い出すのはつらいのよ。本気で死ぬんだって思ってたから」
「そうだったね」
静香は当時、重い病を患っていた。俺たちは一緒に病を乗り越えようと誓いあった。治らないとばかり思っていたから、手術が成功した時には泣いて喜んだのだ。
静香と結婚したい。あの時の俺の気持ちは真剣だった。
だけど、静香は違っていた。詩集もそこそこ売れていたし、静香は美人だから業界からそれなりの誘惑もあったみたいだ。まだ若かったから、静香は結婚なんて考えられなかったのだろう。
「君が俺を振った言葉、今でも覚えてる?」
思い出したら、ちょっと笑ってしまう。静香もかすかに笑った。
「重い……だったかしら?」
「そう。それですぐに君は他の男と付き合いだして、海外移住。今さら、俺に用はないと思うけど?」
静香は眉を寄せた。
「怒ってるの?」
そんな質問はいらないだろう。怒っていないと思うのが、そもそもおかしい。
「あの人とはすぐに別れたの」
「そう」
「あなたと別れたこと、後悔したわ」
「すぐに戻ってこなかったじゃないか」
すぐに戻ってきたらやり直していたのか?
静香はそんな責める目をする。
「あなたにも恋人がすぐに出来たじゃない」
「……確かにそうだ」
静香を忘れるためだったと言ったら、彼女はどう思うだろう。
「今は?」
「え?」
「さっきの、ユイって名前、彼女?」
俺に迷いが生じる。あいにく俺は今、結衣とうまくいっていない。
「そうだと言ったら?」
そんなあいまいな言い方をした俺はどうかしていた。
「会ってみたいわ」
「どうして?」
「興味があるの。ただそれだけよ」
結衣と静香は絶対に会わせられない。声が似ているという事実はどうしても隠しておきたかった。
結衣は変に思い悩むところがある。妙な勘違いをして不安になるといけない。誤解が生まれるかもしれない可能性は潰しておきたかった。
静香の結衣に対する興味を逸らしたい。そう思った俺は、言ってはいけないことを口にした。
「結衣は彼女じゃないよ」
その時、静香の後ろに座っていた髪の長い女性が振り返った。
女性は驚いた顔で俺を見つめてくる。すぐにそれが誰かはわからなかった。女性の方もすぐに前を向いてしまった。
「そうなの? じゃあ、他に彼女がいるの?」
「……いないよ」
彼女は結衣だけだ。
「フリーなんだ」
心なしか、静香はうれしそうに口元をゆるめた。
やっぱり結衣を彼女だと言えばよかっただろうか。後悔する俺が前言を撤回する前に、静香は言った。
「私たち、やり直さない?」
「……それは」
俺が口を開くと、また静香の後ろに座る女性が振り返った。目が合って、俺はようやく彼女が誰だか思い出していた。
「佑樹?」
俺の視線に気づいて、静香も振り返る。女性は立ち上がり、すぐに喫茶店を出ていった。
「誰? 知り合い?」
「……ごめん。ちょっと急用」
俺は財布から千円を取り出してテーブルにおくと、喫茶店を飛び出した。
辺りを見回したが、もう女性の姿はない。
困ったことになった。結衣にこのことを彼女は話すだろうか。いや、話すだろう。話すに違いない。
結衣は元気がないから、その理由も彼女になら話しているかもしれないからだ。
なぜすぐに気づかなかったんだ。彼女が結衣の親友の川口亜紀だということに。
「佑樹」
すぐに追いかけるように喫茶店から出てきた静香の声を聞いて、我に返る。
「いきなりどうしたのよ」
事態を把握できない様子で静香は眉をひそめる。
俺はただ、静香にもう現れるなと言いに来ただけだった。結衣に無駄な心配をかけたくなかったから。それなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
「今から会えない?」
結衣の声だけど、結衣じゃない。会いたいのはこの声だけど、君じゃない。
俺は叫び出したくなる衝動を抑え、「ああ」と言った。
「今、どの辺に住んでるの? 大学の近く?」
「遠くはない」
「じゃあ、あの喫茶店で待ってる」
「……わかった」
ため息とともに、了承の返事をする。
一度は静香に会っておかないといけないだろうとは感じていた。もう二度と、連絡をしないでくれ。ただそれを伝えたかった。
静香の指定した喫茶店は、出身大学の近くにあった。大学時代、よく利用していた店だ。静香と俺が出会ったのも、その喫茶店でだった。
俺が喫茶店につくと、静香は先に来ていた。
大きめのサングラスをはずして、彼女は俺に手を振った。顔を隠さなければならないほどの有名人ではないだろうと思ったが、口には出さなかった。
静香のファンに失礼だと思ったからだ。
彼女は少しは名の通った作家、七緒静華だ。
「ひさしぶり」
「簡単に言うのね。10年ぶりよ」
静香は俺のあまりの素っ気なさに苦笑いした。
10年も経つと、傷つけた相手のことさえ良い思い出にしてしまえるのだろうか。
今さら、何の用だ?
その言葉は飲み込み、あえて余裕のある笑みを見せる。静香のことなど、何とも思ってないと知らしめるためだった。
「本、出したんだって?」
「そうなの。最近、また一部で人気沸騰してるみたい。ネットのおかげね」
「あれ? 見たよ、七緒静華の動画」
「あれは弟が勝手に流したの。私だってあの時のことを思い出すのはつらいのよ。本気で死ぬんだって思ってたから」
「そうだったね」
静香は当時、重い病を患っていた。俺たちは一緒に病を乗り越えようと誓いあった。治らないとばかり思っていたから、手術が成功した時には泣いて喜んだのだ。
静香と結婚したい。あの時の俺の気持ちは真剣だった。
だけど、静香は違っていた。詩集もそこそこ売れていたし、静香は美人だから業界からそれなりの誘惑もあったみたいだ。まだ若かったから、静香は結婚なんて考えられなかったのだろう。
「君が俺を振った言葉、今でも覚えてる?」
思い出したら、ちょっと笑ってしまう。静香もかすかに笑った。
「重い……だったかしら?」
「そう。それですぐに君は他の男と付き合いだして、海外移住。今さら、俺に用はないと思うけど?」
静香は眉を寄せた。
「怒ってるの?」
そんな質問はいらないだろう。怒っていないと思うのが、そもそもおかしい。
「あの人とはすぐに別れたの」
「そう」
「あなたと別れたこと、後悔したわ」
「すぐに戻ってこなかったじゃないか」
すぐに戻ってきたらやり直していたのか?
静香はそんな責める目をする。
「あなたにも恋人がすぐに出来たじゃない」
「……確かにそうだ」
静香を忘れるためだったと言ったら、彼女はどう思うだろう。
「今は?」
「え?」
「さっきの、ユイって名前、彼女?」
俺に迷いが生じる。あいにく俺は今、結衣とうまくいっていない。
「そうだと言ったら?」
そんなあいまいな言い方をした俺はどうかしていた。
「会ってみたいわ」
「どうして?」
「興味があるの。ただそれだけよ」
結衣と静香は絶対に会わせられない。声が似ているという事実はどうしても隠しておきたかった。
結衣は変に思い悩むところがある。妙な勘違いをして不安になるといけない。誤解が生まれるかもしれない可能性は潰しておきたかった。
静香の結衣に対する興味を逸らしたい。そう思った俺は、言ってはいけないことを口にした。
「結衣は彼女じゃないよ」
その時、静香の後ろに座っていた髪の長い女性が振り返った。
女性は驚いた顔で俺を見つめてくる。すぐにそれが誰かはわからなかった。女性の方もすぐに前を向いてしまった。
「そうなの? じゃあ、他に彼女がいるの?」
「……いないよ」
彼女は結衣だけだ。
「フリーなんだ」
心なしか、静香はうれしそうに口元をゆるめた。
やっぱり結衣を彼女だと言えばよかっただろうか。後悔する俺が前言を撤回する前に、静香は言った。
「私たち、やり直さない?」
「……それは」
俺が口を開くと、また静香の後ろに座る女性が振り返った。目が合って、俺はようやく彼女が誰だか思い出していた。
「佑樹?」
俺の視線に気づいて、静香も振り返る。女性は立ち上がり、すぐに喫茶店を出ていった。
「誰? 知り合い?」
「……ごめん。ちょっと急用」
俺は財布から千円を取り出してテーブルにおくと、喫茶店を飛び出した。
辺りを見回したが、もう女性の姿はない。
困ったことになった。結衣にこのことを彼女は話すだろうか。いや、話すだろう。話すに違いない。
結衣は元気がないから、その理由も彼女になら話しているかもしれないからだ。
なぜすぐに気づかなかったんだ。彼女が結衣の親友の川口亜紀だということに。
「佑樹」
すぐに追いかけるように喫茶店から出てきた静香の声を聞いて、我に返る。
「いきなりどうしたのよ」
事態を把握できない様子で静香は眉をひそめる。
俺はただ、静香にもう現れるなと言いに来ただけだった。結衣に無駄な心配をかけたくなかったから。それなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
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