1 / 4
1
しおりを挟む
***
レトロな木造駅舎にある公衆電話で、私は電話をしていた。
「はい、……はい。そうだね。お昼ごはんは用意してもらえると嬉しいです。じゃあ、12時までには行くね」
受話器を置いて、息をつく。受話器を握っていた手のひらにじっとりと汗が浮かんでいる。
ひどく緊張している。母とは何回話しても慣れない。彼女と過ごしてきた思春期の頃の記憶が染みつく身体は、無意識に反応してしまうようだ。
母は厳しくて怖い人。
母の前では失敗できない。服装やお化粧、髪型にも気をつけなきゃいけないと気を配っていたら、スマホを忘れてしまった。いけない。結局、失敗ばっかりで、母をあきれさせてしまった。
しばらくジッと受話器を見つめていた。しかし、駅舎の入り口からひょこっと顔を出した祐介に気づいて、笑顔を取り戻す。
「祐ちゃん、ごめんねー」
手を合わせてあやまると、祐介は「全然」とにこやかにほほえむ。
祐介は私の夫。大学卒業と同時に結婚して、もう5年になる。
彼は2歳年上だが、憎らしいぐらいに老け込まない。小さなことをうじうじといつまでも悩む私と違って、なんとかなるさと快活に生きてるからかもしれない。
そんな祐介に、私は惹かれた。彼が私に惹かれた理由は今でもわからないけど。
「恵子さん、何か言ってた?」
そう聞きながら、祐介は私の手を握って歩き出す。汗のにじむ手のひらに気づいたのか、彼はいつもよりちょっとだけ握る手に力を入れた。
「正月でもないのに来るなんて珍しいね。何かあるのって」
「恵子さんって察しがいいよね。ま、正月にしか帰らない俺たちが悪いか」
「結婚するとき、年に一度は顔見せてって言ったの、ほんとは驚いたの」
「恵子さんだって、みーちゃんのこと好きなんだよ。やっぱりふつうのお母さんだよね」
祐介は私の母を恵子さんと呼ぶ。そして私のことはみーちゃんって呼ぶ。私が美里って名前だから。
「いま、何時だっけ?」
そう言いながら、祐介は腕時計を確認する。
「まだ10時かぁ」
「恵子さんにはお昼に行くって言ったの」
少しでも滞在時間を短くしたかったから。その思いはきっと祐介も気づいてる。
「あと2時間あるね。喫茶店でも入って時間つぶそうか」
「ごめんね。いつも気を遣わせちゃってるね」
「みーちゃんは恵子さんのことになるとすぐにあやまるね」
「うん……、ごめんね」
ほら、またあやまった。って祐介は楽しそうに笑う。
「まあ、俺もちょっと気合い入れたいし、ちょうどいいよ」
「気合いなんて」
「だってもう5年だぜ。正直ちょっとあきらめてたからさ」
「祐ちゃん、ずっと欲しがってたもんね」
右手でそっとお腹をなでる。まだふくらんでもいないお腹だけど、ここには確かに私と祐ちゃんの赤ちゃんがいる。
「恵子さん、びっくりするかなぁ」
「あらそう、って素っ気なく言いそう」
「あ、なんかわかるなー、それ」
母はほとんど笑わない。他人に感情を見せるのをひどく嫌う人だから。
数回しか彼女に会ったことのない祐介にも、その性格はすっかり見透かされてるみたい。
「緊張するね」
母に会うだけでも緊張するのに、赤ちゃんができたなんて話をするのだ。あなたに子育てができるの、なんて言われやしないか、内心はビクビクしてる。親の愛情を知らない私なんかに、って。
「喜んでくれるよ、絶対」
「そうだといいな。恵子さんには感謝してるの。素直に感謝の言葉は言ったことないけど」
怖い人だけど、感謝してる。
恵子さんがいなかったら、私は祐ちゃんと結婚してなかった。祐ちゃんに出会えてもなかっただろう。
「言ってみるといいよ」
「いまさらだよ……」
祐介は困り顔を見せて、ちょっと笑う。
でも、絶対言えよ、なんて無理強いはしない。私と恵子さんの関係に深入りもしない。いつだって祐ちゃんは明るく振る舞ってくれている。
「祐ちゃんにも感謝してる」
「それこそいまさらだよ。みーちゃんと結婚できてよかったって今でも思ってる」
どちらからともなく身体を寄せ合って、喫茶店に行こうって言ってたことも忘れて、私たちはただ歩いた。
気づけば、丘に来ていた。
私が小学生の頃によく来ていた公園のある丘。眼下には海が広がる。
ここは小さな田舎町。
今でも私が生まれた頃と変わらない景色を保つこの町では、どんな小さなうわさもすぐに広まった。
いつかこの町を出ていきたいと思っていた。だから大学はわざわざ県外を選んだ。恵子さんは反対もせず、私を送り出してくれたけど、私から四年間連絡することはなかった。
『元気でいますか。身体に気をつけて過ごしてください』
そう書かれた手紙と、保存食の入ったダンボール箱が毎月送られてきたけど、それでも私は連絡しなかった。
今思えば、ひどい娘だったと思う。
アルバイト先で知り合った祐ちゃんと付き合うようになって、大学卒業と同時に結婚を決めて。
祐ちゃんが恵子さんに会いたいって言ってくれなければ、今でも音信不通だったかもしれない。
四年ぶりに会う恵子さんはあいかわらず厳しい表情をしていたけど、ちょっと疲れているようにも見えた。
レトロな木造駅舎にある公衆電話で、私は電話をしていた。
「はい、……はい。そうだね。お昼ごはんは用意してもらえると嬉しいです。じゃあ、12時までには行くね」
受話器を置いて、息をつく。受話器を握っていた手のひらにじっとりと汗が浮かんでいる。
ひどく緊張している。母とは何回話しても慣れない。彼女と過ごしてきた思春期の頃の記憶が染みつく身体は、無意識に反応してしまうようだ。
母は厳しくて怖い人。
母の前では失敗できない。服装やお化粧、髪型にも気をつけなきゃいけないと気を配っていたら、スマホを忘れてしまった。いけない。結局、失敗ばっかりで、母をあきれさせてしまった。
しばらくジッと受話器を見つめていた。しかし、駅舎の入り口からひょこっと顔を出した祐介に気づいて、笑顔を取り戻す。
「祐ちゃん、ごめんねー」
手を合わせてあやまると、祐介は「全然」とにこやかにほほえむ。
祐介は私の夫。大学卒業と同時に結婚して、もう5年になる。
彼は2歳年上だが、憎らしいぐらいに老け込まない。小さなことをうじうじといつまでも悩む私と違って、なんとかなるさと快活に生きてるからかもしれない。
そんな祐介に、私は惹かれた。彼が私に惹かれた理由は今でもわからないけど。
「恵子さん、何か言ってた?」
そう聞きながら、祐介は私の手を握って歩き出す。汗のにじむ手のひらに気づいたのか、彼はいつもよりちょっとだけ握る手に力を入れた。
「正月でもないのに来るなんて珍しいね。何かあるのって」
「恵子さんって察しがいいよね。ま、正月にしか帰らない俺たちが悪いか」
「結婚するとき、年に一度は顔見せてって言ったの、ほんとは驚いたの」
「恵子さんだって、みーちゃんのこと好きなんだよ。やっぱりふつうのお母さんだよね」
祐介は私の母を恵子さんと呼ぶ。そして私のことはみーちゃんって呼ぶ。私が美里って名前だから。
「いま、何時だっけ?」
そう言いながら、祐介は腕時計を確認する。
「まだ10時かぁ」
「恵子さんにはお昼に行くって言ったの」
少しでも滞在時間を短くしたかったから。その思いはきっと祐介も気づいてる。
「あと2時間あるね。喫茶店でも入って時間つぶそうか」
「ごめんね。いつも気を遣わせちゃってるね」
「みーちゃんは恵子さんのことになるとすぐにあやまるね」
「うん……、ごめんね」
ほら、またあやまった。って祐介は楽しそうに笑う。
「まあ、俺もちょっと気合い入れたいし、ちょうどいいよ」
「気合いなんて」
「だってもう5年だぜ。正直ちょっとあきらめてたからさ」
「祐ちゃん、ずっと欲しがってたもんね」
右手でそっとお腹をなでる。まだふくらんでもいないお腹だけど、ここには確かに私と祐ちゃんの赤ちゃんがいる。
「恵子さん、びっくりするかなぁ」
「あらそう、って素っ気なく言いそう」
「あ、なんかわかるなー、それ」
母はほとんど笑わない。他人に感情を見せるのをひどく嫌う人だから。
数回しか彼女に会ったことのない祐介にも、その性格はすっかり見透かされてるみたい。
「緊張するね」
母に会うだけでも緊張するのに、赤ちゃんができたなんて話をするのだ。あなたに子育てができるの、なんて言われやしないか、内心はビクビクしてる。親の愛情を知らない私なんかに、って。
「喜んでくれるよ、絶対」
「そうだといいな。恵子さんには感謝してるの。素直に感謝の言葉は言ったことないけど」
怖い人だけど、感謝してる。
恵子さんがいなかったら、私は祐ちゃんと結婚してなかった。祐ちゃんに出会えてもなかっただろう。
「言ってみるといいよ」
「いまさらだよ……」
祐介は困り顔を見せて、ちょっと笑う。
でも、絶対言えよ、なんて無理強いはしない。私と恵子さんの関係に深入りもしない。いつだって祐ちゃんは明るく振る舞ってくれている。
「祐ちゃんにも感謝してる」
「それこそいまさらだよ。みーちゃんと結婚できてよかったって今でも思ってる」
どちらからともなく身体を寄せ合って、喫茶店に行こうって言ってたことも忘れて、私たちはただ歩いた。
気づけば、丘に来ていた。
私が小学生の頃によく来ていた公園のある丘。眼下には海が広がる。
ここは小さな田舎町。
今でも私が生まれた頃と変わらない景色を保つこの町では、どんな小さなうわさもすぐに広まった。
いつかこの町を出ていきたいと思っていた。だから大学はわざわざ県外を選んだ。恵子さんは反対もせず、私を送り出してくれたけど、私から四年間連絡することはなかった。
『元気でいますか。身体に気をつけて過ごしてください』
そう書かれた手紙と、保存食の入ったダンボール箱が毎月送られてきたけど、それでも私は連絡しなかった。
今思えば、ひどい娘だったと思う。
アルバイト先で知り合った祐ちゃんと付き合うようになって、大学卒業と同時に結婚を決めて。
祐ちゃんが恵子さんに会いたいって言ってくれなければ、今でも音信不通だったかもしれない。
四年ぶりに会う恵子さんはあいかわらず厳しい表情をしていたけど、ちょっと疲れているようにも見えた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
3
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる