仮初めの甘い誘惑

水城ひさぎ

文字の大きさ
5 / 29
遺産の使い道

3

しおりを挟む



 なんなのだろう、この人は。一方的に出ていけと怒ったくせに、急に謝ってきたかと思ったら、今度は楽しく食事がしたいだなんて。

 何かを企んでるのは間違いないのだろうけど、つかみどころのない人だ。

「筑前煮か。久しぶりだな。和食はやっぱり落ち着くよ」

 夏凪さんは、うまい、と上機嫌にれんこんをほおばる。

 そんな屈託のない横顔を見ていると、いい人なのかしら? と気を許しそうになってしまう。

 だめだめ。この人のお腹の中は、きっと真っ黒なんだから。

「料理、上手だな」

 不意にこちらに視線を移し、彼はそう言う。ばっちり目が合って、どきりとしてしまう。

 第一印象が最悪だったから苦手意識ができてしまったけれど、整った顔立ちの彼に見つめられると、落ち着かない気分になる。

「わ、若い頃からしてますので」

 すぐに目をそらす。次はどんな嫌味を言われるかわかったものじゃない。

「はたちからうちで暮らしてるって言ってたよな。毎日こんな料理を出してもらえたら、父さんも喜ぶはずだな」
「ご希望があれば、なんでも作りますからおっしゃってください」
「なんでもか。いや、こうして毎日一緒に食べられるなら、佐那子さんの作りたいもので大丈夫だ」

 わざとらしく私の顔をのぞき込むようにして、ニッと笑う。

 私の顔なんて見たくないって言ったくせに。本当に調子のいい人だ。

「充寿さんはお仕事が遅くなる日は外食されるので、一緒にお食事するのは週末ぐらいなんです。夏凪さんは毎日こちらで召し上がるんですか?」

 できれば、遠慮してほしい。そんな願いを込めて尋ねた。

「父さんは、そうか、週末だけか。俺はしばらく毎日頼むよ。出社するのは来月からになるんだ」
「来月? まだ2週間ほどありますね」

 がっかりする。しばらくはこの気まずい食卓が続きそうだ。

「来月からは週末だけお願いするよ。それほど残業はしないつもりだけどね」
「残業があまりないお仕事なんですね」
「したいやつはするさ。俺は優秀だからね、残業なんて必要ない」
「あー、そうですか」

 自信満々な夏凪さんにあきれる私を一向に気にする様子もなく、彼は続けた。

「ただ、出張が多い仕事でね。仕事が始まれば、あまり家にいないかもしれない。食事を作ってもらいたいときは都度連絡を入れるよ」

 ということは、来月からはほとんど顔を合わせずに済みそうだ。

 いったい、どんな仕事をしてる人なのだろう。さっきは聞きそびれてしまったけれど、尋ねても大丈夫だろうか。

「どんな仕事をしてるんだ? って顔してるな」

 彼は察してか、そう言う。というより、聞いて欲しかったのかもしれない。お互いをよく知るところから始めたいと言っていたし。

「聞いてもいいですか?」
「もちろん」

 してやったりと、満足そうに彼はうなずく。なんだかちょっとめんどくさい人だ。

「夏凪さんって、何のお仕事をされてる方なんですか?」

 改めて尋ねる。

「佐那子さんは知ってるかな? トップアートオークションで働いてるよ」

 トップアートオークション……?
 本当に?

 アートの世界に関わっている人間で、その名を知らないものはいない。

 トップアートオークションとは、通称トップと呼ばれるオークション会社だ。彼らに注文すれば、どんなに入手困難なアートでも見つけ出してくれるという、世界有数のオークション企業。そして、彼らが発掘し提供するアートは超一流品ばかりで、その信頼と実績は世界トップクラスと言われている。

 トップの本社はニューヨークにある。彼はアメリカから帰国したと言っていた。ということは、ニューヨーク本社に勤務していたのだ。本社で勤務する日本人は5本の指におさまるほどと聞いたことがある。

 いくら夏凪さんが、世界的に有名な日本画家、深山みやま四季の息子だとしても、相当な知識と卓越した才能の持ち主でなければ、トップへの就職など不可能だろう。

「うそ……っ」

 思わず、両手で口を覆って驚くと、彼は意外だったのか、眉をぴくりとあげた。

「佐那子さんは知ってるのか。普通の人はあまりトップを知らないと思ってたよ」

 普通の人……とは、また無意識に人を傷つける。

 夏凪さんは私が絵を描いてることすら知らない。トップの人間に知ってもらうには、まだまだ経験と実績が足りないのだと思い知らされる。深山四季は23歳の時に発表した作品で一躍有名になったというのに。

「私も、絵画には興味があるんです。もちろん、深山四季さんの絵画は存じてます」

 私も画家なんです。

 そう言ったら、夏凪さんは私の絵画を見てくれるかもしれない。

 そう思ったけれど、彼は私に気を許してないから、まだ話せない。トップの人間ににらまれたら、画家としての生命を絶たれる可能性もあるのだ。

「母さんの。それはそうか、この家にいて、深山四季を知らないはずはないな。絵画に興味があるなら、近いうちにふたりでギャラリーへ行こうか」
「……あ、はい。かまいませんけど……」

 おずおずと答えつつ、首をかしげてしまう。

 なんで一緒に出かける話になってるのだろう。

「日本に帰ってきたら、真っ先に行きたい展覧会があったんだが、明日はどう?」

 彼は早速、誘ってくる。

「あ、明日は充寿さんの検査があるって言ってたので、朝から病院に行かないといけないんです」
「それじゃあ、あさっては?」
「あさっては仕事で行かなきゃいけないところがあって……」

 都合が悪いのは事実だけど、なんだかんだと理由をつけてお誘いを断ってるみたいで気まずい。

 それでも、夏凪さんはいっさい嫌な顔を見せないで、むしろ、余裕のある笑みを見せる。

「仕事があるなら仕方ないな。また誘うよ」

 気が短そうで長い人なのか……、本当につかみどころがない。

「はい、お願いします」
「とりあえず、明日は病院だな。一緒に行くよ。父さんに会うのは久しぶりだしね」

 彼は上機嫌に言うと、私の作った料理をぺろりと平らげた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

兄様達の愛が止まりません!

恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。 そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。 屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。 やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。 無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。 叔父の家には二人の兄がいた。 そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

処理中です...