仮初めの甘い誘惑

水城ひさぎ

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遺産の使い道

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 表門の前へ車を移動させると、佐那子は大きな紙袋をさげて門を出てきた。

 すぐに駆け寄り、荷物を受け取る。紙袋には父の着替えなどが入っている。ずいぶん、献身的に世話をしてくれているようだ。

「秋花姉さんにやってもらえばいいと思うが」
「秋花さんは毎日お仕事で忙しいので。それに、お子さんの幼稚園の送り迎えがありますし」
「まあ、俺もできることはするよ」

 仕事が始まれば、そうも言ってられないが、赤の他人の佐那子に任せることでもないと思う。いや、こういうことも含めてお願いしているから、遺産相続の対象者になっているのかもしれない。

 だとしたら、父から佐那子を引き離すことも同時に考えないといけないか。まあ、俺が彼女を落とせないわけがないと思ってはいるが。

 実際、彼女はすでにずいぶんと俺に気を許し始めている。展覧会に行こうとデートにも誘った。にべもなく断られるかと思ったが、やんわりと予定があると断ってきただけで、脈はあった。
 
 たった一日でこれほど距離を縮められるとは思ってなかったが、思ってるよりも単純な女なのだろう。彼女を手中に収められる日も遠くないはずだ。

「佐那子さんはまだ若いんだから、父さんの世話ばかりもよくないだろう。家のことだって、やりすぎに見える。もっと外に目を向けてもいいんじゃないか?」

 父から離れてほかの男に目を向けろ、と暗にほのめかしてみると、佐那子はけげんそうに眉をひそめる。

「好きで充寿さんのお側にいるんです。何も負担じゃありませんから」

 なにっ、好きで?

 目をむく俺に一礼し、佐那子は車のそばに移動する。あわてて助手席のドアを開けてやり、すまし顔で乗り込む彼女を凝視する。

 もしかして、佐那子は父とデキてるのか?

 まさか。……いや、違うなんて否定できない。父はまだ60代だし、佐那子のような美しい女と二人きりで過ごすうちに、良からぬ思いが芽生えてもふしぎじゃない。

 そうだとしたら、これはまずい。万が一、父と結婚なんてことになったら、財産分与の額は今以上に多くなるじゃないか。

 それを狙ってるのか、佐那子は。なんてしたたかな女だろう。

 いやいやいや、落ち着け。まだそうと決まったわけじゃない。

「父さん、検査の結果次第で退院できるのか?」

 心を落ち着かせて運転席に乗り込み、俺を拒絶する横顔に話しかける。

「わからないです。充寿さんはせっかくだから、もう少し入院してようかなって冗談めいたことをおっしゃってましたけど」

 こういう佐那子には救われる。すねて返事をしない女ではわずらわしい。

「なんだ、まだ入院してたいのか」

 佐那子とはやく暮らしたいわけじゃないらしい。普通、関係があるなら、一日でもはやく屋敷に帰りたがるだろう。やっぱり俺の勘違いか。

「いい機会だから、会社の方は叶冬さんに任せて、会長職に退こうかと考えてるみたいです」
「そんな話まで佐那子さんにするのか」

 聞き捨てならない話に驚いて、問い詰めるように言ってしまった。

 佐那子は余計な話だったと気づいて、あわててごまかす。

「充寿さんはいつも冗談ばかりおっしゃるので、きっとそういう軽口のひとつで……」
「つまらない冗談だな。冗談に聞こえない冗談はやめておけって言ってやれよ」
「私が言えるわけありません」

 佐那子はちょっとムッとした。

「あ、悪い。別に佐那子さんを責めたわけじゃないんだよ。……俺はどうも口が悪いらしい。気を害したなら謝る」

 この通りと頭を下げて詫びる。ちらりと、上目遣いで彼女を盗み見ると、困り顔でこちらを見ていた。素直に反応する彼女は扱いやすい。

「許してくれるか?」

 甘い声音で頼りなげに佐那子を見つめ、手を伸ばす。ひざの上の彼女の手を取り、そっと包み込む。細くてしなやかな指はほんのりと温かかった。

 驚く彼女はほんの少し戸惑うように目を泳がせると、ほおを赤らめた。そんな様子に思わずひるむ。

 なんだ、このうぶな反応は。

 手を重ねたぐらいで動揺するなんて、彼女は本当に恋人のひとりもいたことないのか……。

「あ……、すまない。つい……」

 なぜか罪悪感を覚えて手を離し、こぶしを握る。彼女の小さな手の感触がなかなか消えてくれなくて、俺まで動揺してしまう。

「いえ……」

 今度は赤らんだほおを隠すようにそっぽを向く。

 何か声をかけなければ、と思ったが、うまい言葉が見つからない。

 どうしたことだ、これは。なんで俺がうろたえなきゃいけない。

 しばらく悩んだが、どうにもこうにも言葉が出ず、観念してエンジンをかけた。
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