仮初めの甘い誘惑

水城ひさぎ

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お気に入りの画家

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「夏凪さん、お荷物が届きましたけど、どちらへ運んでいただきますか?」

 書斎をノックして尋ねると、程なくして開いたドアから夏凪さんがひょっこりと顔を出す。

「ああ、騒がしいと思ったら、荷物が届いたんだ。書斎へ運ぶように伝えてくれるか? すぐに行く」
「わかりました」

 ふたたび、書斎へ戻る夏凪さんに頭をさげたあと、すぐにエントランスホールへつながる階段を駆け足で降りた。

 入り口で待っている引越し業者の青年に、荷物を二階へ運ぶようお願いし、玄関扉を大きく開く。

「荷物はたくさんありますか?」
「大きめのものが3つと、小さめのものが5つですね」

 爽やかな笑顔の青年はそう言うと、慣れた様子でもう一人の若者に段取りの指示を始める。

 意外と荷物は少ないらしい。長い海外生活で得たものは手放してきたのだろうか。その中でも、厳選されて残されたものにはどんなものがあるのだろう。

 最初に運ばれてきたのは、高さはあるが、奥行きの狭いダンボールだった。私の身長よりも少し小さいサイズだけれど、苦労して運ぶ青年たちを見ていると、かなりの重量があるようにも見える。

「絵画、かしら……?」

 だとすると、50号ぐらいあるだろうか。つぶやいた私の隣に、夏凪さんがひょいと姿を現す。

「そう、絵画だ。ニューヨークのギャラリーで見かけて買ったんだ。驚くほど値打ちでね、価値のわからないものもいるもんだと思ったよ」

 嘆かわしいとばかりに、彼は肩で息をつく。

「やっぱり、夏凪さんも絵画を買ったりするんですね」
「いや、正直、美術品を買うのはまれだよ。ひとめぼれっていうのかな、どうしても欲しくなった。そこに理屈はいらないだろう」
「そんなにも心惹かれる作品なんですね」
「彼女は今に有名になるよ」

 彼女? 女性の画家らしい。

 それにしても、夏凪さんをとりこにした作品って、どんな絵画なのだろう。誰かの心を打つ作品が創造できるなんて羨ましい。私もいつか、夏凪さんに認めてもらえる画家になりたいと思う。

「お気に入りの絵画、私も見てみたいです」

 思わずそう言うと、夏凪さんは何かひらめいたかのように手を打つ。

「あー、そうだ。とある展覧会に彼女の作品が出展されてることを知ってね。来週あたり、一緒に行かないか?」
「日本人の作家さんなんですか?」
「そうだよ。まだ名前ぐらいしか知らないけどね。これからいろいろと情報収集するつもりだ」
「そのために展覧会に行くんですね。わかりました。ご同行させてください」

 日本に帰国したら、真っ先に行きたい展覧会があると言っていたのは、その女性作家が参加する展覧会だったのだろう。よほどのお気に入りのようだ。

「お部屋は、二階の右側でよかったですよね?」

 正面にある階段を見上げながら、業者の青年が声をかけてくる。

「二つ目の部屋に頼むよ。ドアは開けてあるからすぐにわかるはずだ」

 夏凪さんはそう言いながら、案内するために階段を上がっていこうとする。

「あ、夏凪さん、そろそろ出かけたいんですけど、よろしいですか?」

 彼を呼び止めてそう言う。

「どこかへ行くのか?」
「はい、施設に。夕方には戻ります」
「仕事か。わかった。俺は父さんの見舞いに行ってくる」
「洗濯済みの衣類などは紙袋に入れてリビングにありますので、よろしくお願いします。それじゃあ、お先に失礼します」

 満足そうにうなずく夏凪さんにおじぎをすると、駐車場へと急いだ。

 今日はワークショップを開く日だった。開催日は毎週木曜日と決めている。学校の下校時間が早い曜日だからだ。

 時間は1時間ほどで、水彩画を書くことが多いが、基本的には子どもたちに合わせている。

 テーマがある方がやりやすいと言えば、私の方からいろいろと提案するし、自由にやりたいんだっていうときには、材料だけ用意して好きなように作品づくりを楽しんでもらったりもする。

 図鑑を眺めたり、絵本を読んだりするだけのときもあるけど、どんな時間の過ごし方をしても、私にとってはかけがえのない楽しい時間だった。

 母が小学生のときに亡くなり、仕事ばかりでほとんど家にいなかった父のもとで育った私は、今になって考えてみても、きっとさみしかったのだと思う。

 両親とこうして過ごしたかったという憧れを、施設の子どもたちとともに実現しているのかもしれない。

 それでいいのか。間違ってないか。私の心はいつも揺らぐけれど、子どもたちに会うとさみしさはまぎれる。だから、大丈夫だと自分を勇気づけている。

 子どもたちにとっても、私と過ごす時間でさみしさがまぎれたらいいと願ってやまない。
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