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お気に入りの画家
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20分ほど車を走らせたところに、児童養護施設『しらかわの家』はあった。
住宅街の中にある三階建ての建物で、裏手には公園がある。周囲にも四季折々に咲く花が植えられており、緑に囲まれたぬくもりを感じられる施設だった。
駐車場に停車する見慣れた赤い車を横目に、画材の入ったダンボール箱を抱えて事務所に顔を出す。
事務所には、長い髪を後ろで一つに束ねた女の人がひとりいるだけだった。彼女はレシートを確認しながら、パソコンに向かって何かを入力する仕草をしている。
「秋花さん、おはようございます。事務長さんは今、休憩中ですか?」
声をかけると、秋花さんはパッと華やいだ笑顔をこちらに向ける。
「あらっ、佐那子ちゃん、おはようございます。多目的ルームの鍵を取りに来たのね? もうじき戻ると思うから、待っててくれる?」
「はい、待たせてもらいます」
彼女は1年ほど前からここで事務の仕事をしている。ワークショップが始まる時間には業務を終えて帰宅するから、顔を合わせるのはこのときぐらいだ。
「コーヒー飲む? 今日ね、ちょうど京都のお土産をいただいたところなのよ。ひと口サイズのチーズケーキなんだけど、食べていって」
ひとりごとのように言いながら、秋花さんは待合室のソファーへ腰かける私に、ホットコーヒーとチーズケーキを出してくれる。
早速、コーヒーカップを口元に運ぶ。インスタントのコーヒーだけど、秋花さんとこうして過ごす時間は、カフェに来たようで楽しい気分になる。
『佐那子ちゃんは私の妹みたいなものだからね』
兄弟のいない私にとって、そう言ってくれる彼女の存在は救いだった。本当の姉妹になれたらいいのに。そう思う日は幾度となくあった。
叶冬さんだってそう。時には兄のように優しく、時には父のように頼もしい存在で、神林家で起きる数々の悩みを解決してくれるのは、いつも叶冬さんだった。
叶冬さんのような父が欲しい。秋花さんのような姉が欲しい。きっと……、トップで働く夏凪さんにも作品を認めてもらいたいって思ってる。
神林家の人々にあこがれる私はあまりにも分不相応で、その願いを口にすることはないだろうけれど、結婚して神林家を出ていく未来はどうしても想像できなかった。
「あれから、どう? 夏凪。仲良くやれてる?」
ふたたび、パソコンの前に戻った秋花さんは、作業を続けながら尋ねてくる。
「最初はびっくりしましたけど、今は全然。むしろ、優しいぐらいです」
コーヒーカップをおろしてそう答えると、彼女はびっくりした顔をこちらに向けてきた。
「優しい? あんなに怒ってたのに?」
「まだちょっと、不信感を持ってるのかなって思うときはあるんですけど、言い過ぎたときはすぐに謝ってくれますし、来週は一緒に展覧会へ行こうってお誘いしてくれたんです」
そう言ったら、なんだかちょっと胸が躍った。まるで、お出かけを楽しみにしてるみたい。
「本当に? それ、本当に夏凪の話?」
信じられない、と秋花さんは目を見開く。
「はい、本当なんです。だから、私の方が戸惑ってしまって」
「それは戸惑うわよ。当然よ。絶対、何かあるわね。あのひねくれ者がなんにもないのに優しくなるわけないわ」
秋花さんは断言する。
浮き立っていた気持ちが沈むのがわかる。何か魂胆があると、秋花さんでも思うのだ。
やっぱりまだ、気を許したらいけないのかもしれない。せっかく展覧会へ出かけるのだから、作品の相談をしてみてもいいかなって思っていたけれど。
「あっ、でも、心配しないでください。私たち、問題なく暮らせてますから。施設にも見学に来てくださいってお願いしておきましたし」
「夏凪、来るって?」
「気が向いたら、って言ってました」
「一生向かない時の常套句ね」
秋花さんがしぶい顔をするから、そっと笑ってしまう。実のところ、私もそんな気がしていたのだ。
住宅街の中にある三階建ての建物で、裏手には公園がある。周囲にも四季折々に咲く花が植えられており、緑に囲まれたぬくもりを感じられる施設だった。
駐車場に停車する見慣れた赤い車を横目に、画材の入ったダンボール箱を抱えて事務所に顔を出す。
事務所には、長い髪を後ろで一つに束ねた女の人がひとりいるだけだった。彼女はレシートを確認しながら、パソコンに向かって何かを入力する仕草をしている。
「秋花さん、おはようございます。事務長さんは今、休憩中ですか?」
声をかけると、秋花さんはパッと華やいだ笑顔をこちらに向ける。
「あらっ、佐那子ちゃん、おはようございます。多目的ルームの鍵を取りに来たのね? もうじき戻ると思うから、待っててくれる?」
「はい、待たせてもらいます」
彼女は1年ほど前からここで事務の仕事をしている。ワークショップが始まる時間には業務を終えて帰宅するから、顔を合わせるのはこのときぐらいだ。
「コーヒー飲む? 今日ね、ちょうど京都のお土産をいただいたところなのよ。ひと口サイズのチーズケーキなんだけど、食べていって」
ひとりごとのように言いながら、秋花さんは待合室のソファーへ腰かける私に、ホットコーヒーとチーズケーキを出してくれる。
早速、コーヒーカップを口元に運ぶ。インスタントのコーヒーだけど、秋花さんとこうして過ごす時間は、カフェに来たようで楽しい気分になる。
『佐那子ちゃんは私の妹みたいなものだからね』
兄弟のいない私にとって、そう言ってくれる彼女の存在は救いだった。本当の姉妹になれたらいいのに。そう思う日は幾度となくあった。
叶冬さんだってそう。時には兄のように優しく、時には父のように頼もしい存在で、神林家で起きる数々の悩みを解決してくれるのは、いつも叶冬さんだった。
叶冬さんのような父が欲しい。秋花さんのような姉が欲しい。きっと……、トップで働く夏凪さんにも作品を認めてもらいたいって思ってる。
神林家の人々にあこがれる私はあまりにも分不相応で、その願いを口にすることはないだろうけれど、結婚して神林家を出ていく未来はどうしても想像できなかった。
「あれから、どう? 夏凪。仲良くやれてる?」
ふたたび、パソコンの前に戻った秋花さんは、作業を続けながら尋ねてくる。
「最初はびっくりしましたけど、今は全然。むしろ、優しいぐらいです」
コーヒーカップをおろしてそう答えると、彼女はびっくりした顔をこちらに向けてきた。
「優しい? あんなに怒ってたのに?」
「まだちょっと、不信感を持ってるのかなって思うときはあるんですけど、言い過ぎたときはすぐに謝ってくれますし、来週は一緒に展覧会へ行こうってお誘いしてくれたんです」
そう言ったら、なんだかちょっと胸が躍った。まるで、お出かけを楽しみにしてるみたい。
「本当に? それ、本当に夏凪の話?」
信じられない、と秋花さんは目を見開く。
「はい、本当なんです。だから、私の方が戸惑ってしまって」
「それは戸惑うわよ。当然よ。絶対、何かあるわね。あのひねくれ者がなんにもないのに優しくなるわけないわ」
秋花さんは断言する。
浮き立っていた気持ちが沈むのがわかる。何か魂胆があると、秋花さんでも思うのだ。
やっぱりまだ、気を許したらいけないのかもしれない。せっかく展覧会へ出かけるのだから、作品の相談をしてみてもいいかなって思っていたけれど。
「あっ、でも、心配しないでください。私たち、問題なく暮らせてますから。施設にも見学に来てくださいってお願いしておきましたし」
「夏凪、来るって?」
「気が向いたら、って言ってました」
「一生向かない時の常套句ね」
秋花さんがしぶい顔をするから、そっと笑ってしまう。実のところ、私もそんな気がしていたのだ。
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