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好きじゃなきゃしない
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『今週の土曜、伊達先輩と三人で飲みに行こうって話になったから、18時にレストランの前で待ち合わせ』
加奈江からメールが届いたのは、木曜日の夜だった。
メールには、ターミナル駅構内にあるレストランのホームページのリンクも貼られていた。お店も彼女が先輩と決めてくれたみたいだった。
スケジュール帳に『18時 ディナー』とだけ書き込んだ。それだけで、私生活に潤いが生まれたみたいになるからおかしかった。
土曜日になると、緊張して落ち着かなかった。
朝早くから何度も服装チェックをして、ワンピースに似合う髪型をいくつか試した。
伊達先輩の彼女は話に聞くだけで見たことがなく、どんなタイプの女性が好みなのかわからなかった。
なんとなく、地味な私とは正反対の、明るくてはつらつとした女性のようにイメージしていた。たぶん、先輩は私なんか好きにならない、そう思ってたから。
結局、巻き髪をお気に入りのハーフアップにして、鏡の中に映るいつもの私と目を合わせ、苦笑してしまった。
誰かのためにおしゃれして一喜一憂するのは、思いの外、大変で、私ってつくづく恋に向かない性格なのだと思う。
気づくと、出かけないといけない時間になっていて、ハンドバッグにハンカチと財布を詰め込んで、腕時計をつけながら玄関へ向かい、あわただしくアパートを飛び出した。
息を切らしながら駅に到着すると、乗る予定だった電車がちょうど来たところで、息を整えながらなんとか乗ることができた。
待ち合わせ場所に着いたのは、予定通り、約束の時間の10分前だった。
着いたよ、って加奈江にメールを入れようとして、スマホをかばんから取り出す。
いつの間にか、加奈江からメールが届いていた。その画面に浮かぶ文字を目にした瞬間に、背筋がヒヤッとした。
『ごめんー。急に行けなくなっちゃった。……っていうのは嘘で、最初から遠慮するつもりだったの。ふたりで楽しんできて』
そんな……。急に言われても困る。
『そんなこと言わないで、来てよ』
「佳澄ちゃん?」
入力した文字を送信する前に、背中に声をかけられた。振り返ると、懐かしい人が立っていた。
素敵に歳を重ねたんだとわかる柔和な雰囲気は変わってなくて、すぐに彼とわかる。伊達先輩だった。
「お久しぶり……です」
緊張で、のどが詰まる。ソワソワしながら頭をさげたら、彼は笑顔になって「やっぱり」と言った。
「ずいぶん雰囲気変わってるから、驚いたよ」
「先輩は変わりませんね」
「先輩って……。いいよ、伊達で」
30過ぎたのに先輩は恥ずかしい、と伊達さんは苦笑いして、辺りを見回す。
「加奈江ちゃんは?」
「あっ、加奈江は急に来れなくなったみたいで。伊達さんにもメール来てませんか?」
そう尋ねると、彼は紺のジャケットからスマホを取り出して、「気づかなかったよ、本当だ」と申し訳なさそうにつぶやいた。
「すみません。こちらがお誘いしたのに」
「いいよ。どうする? ふたりでいい?」
「あっ、……はい。せっかくなので」
少し迷って、うなずいた。わざわざ来てくれたのに帰るなんて、それこそ申し訳ない気がした。
「じゃあ、入ろうか。佳澄ちゃん、ここ、来たことある?」
「はじめてです。伊達さんは?」
「何度か。美味しいからおすすめだよ」
「楽しみです。加奈江も、来れたらよかったのに」
というか、変な気を利かせて来ないなんて。恨みがましい気分。
店内に入ると、すぐに席に案内された。
全席個室で、夜景が一望できる席に向かい合って座ると、ふたりだけの特別な空間に迷い込んだような気分になる。
テーブルの上のキャンドルのゆらめきが、伊達さんをより魅力的に見せる。
また会えるなんて思ってなかった。
大学時代の淡い恋心が舞い降りてくるような、ふしぎな感覚を覚えていると、伊達さんが口を開く。
「忙しそうだね、加奈江ちゃん。仕方ないかな。結婚すると、自分の予定だけじゃないからさ、だいたい会いづらくなるよね」
伊達さんは人がいい。加奈江の嘘を信じてるのだ。
「伊達さんも、ご結婚されてると思ってました」
「それを言うなら、佳澄ちゃんも。料理上手で家庭的な子だから、結婚が早そうだって、よくみんなと話してたな」
「え……、そんな話してたんですか……」
初耳だ。どちらかというと私は話題にもならない地味な女の子だったはず。
「学生時代の話だよ。たわいもない話。それにしても驚いたな。ずいぶん変わったよね。最初は全然わからなかったよ」
想像と違って、華やかになった私を見て、人違いかもと、半信半疑のまま声をかけたのだという。
伊達さんは私を優しく見守るように見つめてくる。学生時代も、そうやって何度か見つめられたけれど、そのまなざしの変化に戸惑う。
何って、うまく言えない。でも、あきらかに、昔とは違う意味を含んだまなざしを向けられてる気がする。
やせてから、同僚の男性が好意的に接してくれることが増えた。人は見た目じゃないと思うけど、そうじゃないってことも知ってる。
伊達さんも、きっと同じ。
彼からの好意的なまなざしには慣れてなくて、気恥ずかしい気分になる。
「サク美に就職してから、ダイエットしたんです。そういう知識もノウハウも完璧な企業で、体を整えるのがすごく楽しくなって」
環さんは私に自信をもたせようと、ダイエットに付き合ってくれた。メイク術も惜しげもなく教えてくれて、私は別人のようにきれいになった。
それは、男性を振り向かせるためではなく、私のためだった。環さんは男性と対等に生きるための最低限のみだしなみと言っていたんだっけ。
「へえ、そう。サク美ってさ、佳澄ちゃんは料理好きだから、レシピ開発なんて合いそうだよねって、おすすめした会社だよね」
「覚えてくれてたんですか? 開発には行けなかったんですけど、楽しく働いてます。伊達さんが相談に乗ってくれたおかげです」
「いや、俺は何も。ダイエットなんてしなくても昔からかわいかったけど、今もすごくいいよ」
「あ……、ありがとうございます」
ちょっとひるむ。
男性と対等に、って思いながら、容姿を褒められると恥ずかしくて、素直にうれしく思う。
環さんは仕事で女を見せたらダメだと口うるさく言っていて、私はそれを忠実に守ってきた。
それに慣れてしまっていたからか、今は仕事じゃないのに、いい塩梅というのがわからない。
蓮には積極的になれたのに……。
やっぱりあんな大胆なことをしでかしたのは、御園さんにそそのかされたのと、お酒の勢いと、蓮が私を女性として意識した目で見ていなかったからだとわかる。
「そういう、照れた表情は変わらないね。佳澄ちゃん見てると、ほっとするよ。癒されるっていうかさ」
なんだか、変な気分。私は懐かしい先輩と話してるつもりなのに、伊達さんは後輩というより、一人の女性として私を見てくれてる気がする。
うぬぼれなんだろうか。勘違い。でも、さっきからずっと、まばたきも惜しむように、伊達さんは私から目を離さない。
そう。勘違いしたくなるまなざしで、わざと彼は私を見つめてる。私が学生時代、伊達さんを好きだったこと、彼は知ってるから。
そうと気づいて、話をそらす。
「……えっと、写真続けてるんですね」
「加奈江ちゃんから聞いた? たまにね。まとまった休みがあるときは、よく写真撮りがてら旅行に行くよ。佳澄ちゃんは?」
ようやく私たちは、ワイングラスを持ち上げて、再会を記念して乾杯する。
やや甘口のスパークリングワインは、私の緊張をほぐしてくれる。
今日は先輩との再会を楽しめばいい。伊達さんの特別に見えるまなざしは、私の中に残っていた淡い恋心が見せる幻影なのだと思う。
意識してしまっているのは、私。彼じゃない。
彼は自分がモテるのを知っていて、気のある素振りを見せる女の子に好印象を抱かせる表情を身につけてるだけ。
「私は全然。仕事が忙しくて、お菓子づくりもあんまりしてないし、……そう思うと、趣味らしい趣味もないです」
「休みの日は何してるの?」
「だいたい家にいます……。つまらないですよね。ごめんなさい」
話せば話すほど情けなくなって頭をさげると、伊達さんは困り顔で笑った。
「なんであやまるの? 疲れてるときは俺も一日ダラダラしてるよ。ああそうだ。佳澄ちゃんさえ良ければ、また会おうか。ひまつぶしぐらいにはなると思うよ」
「ひまつぶしって……。伊達さんも忙しいのに」
「俺はいいんだよ。佳澄ちゃんにまた会いたいなって思ったから誘ってるんだから」
「え……」
伊達さんの言葉があまりにもストレートで、動揺してしまう。
どういうつもりで、誘ってくれたのだろう。
「いやなら、断っていいんだよ」
「断るだなんて」
「じゃあ、また誘っていい?」
「……はい。たぶん……、はい」
ほんの少しのアルコールで酔ったはずはないのに、正常な判断ができないみたいに混乱してしまってる。
たぶんって……、とおかしそうに笑った伊達さんは、「連絡先、交換しようか」と、気を取り直すように言って、スマホを取り出した。
『今週の土曜、伊達先輩と三人で飲みに行こうって話になったから、18時にレストランの前で待ち合わせ』
加奈江からメールが届いたのは、木曜日の夜だった。
メールには、ターミナル駅構内にあるレストランのホームページのリンクも貼られていた。お店も彼女が先輩と決めてくれたみたいだった。
スケジュール帳に『18時 ディナー』とだけ書き込んだ。それだけで、私生活に潤いが生まれたみたいになるからおかしかった。
土曜日になると、緊張して落ち着かなかった。
朝早くから何度も服装チェックをして、ワンピースに似合う髪型をいくつか試した。
伊達先輩の彼女は話に聞くだけで見たことがなく、どんなタイプの女性が好みなのかわからなかった。
なんとなく、地味な私とは正反対の、明るくてはつらつとした女性のようにイメージしていた。たぶん、先輩は私なんか好きにならない、そう思ってたから。
結局、巻き髪をお気に入りのハーフアップにして、鏡の中に映るいつもの私と目を合わせ、苦笑してしまった。
誰かのためにおしゃれして一喜一憂するのは、思いの外、大変で、私ってつくづく恋に向かない性格なのだと思う。
気づくと、出かけないといけない時間になっていて、ハンドバッグにハンカチと財布を詰め込んで、腕時計をつけながら玄関へ向かい、あわただしくアパートを飛び出した。
息を切らしながら駅に到着すると、乗る予定だった電車がちょうど来たところで、息を整えながらなんとか乗ることができた。
待ち合わせ場所に着いたのは、予定通り、約束の時間の10分前だった。
着いたよ、って加奈江にメールを入れようとして、スマホをかばんから取り出す。
いつの間にか、加奈江からメールが届いていた。その画面に浮かぶ文字を目にした瞬間に、背筋がヒヤッとした。
『ごめんー。急に行けなくなっちゃった。……っていうのは嘘で、最初から遠慮するつもりだったの。ふたりで楽しんできて』
そんな……。急に言われても困る。
『そんなこと言わないで、来てよ』
「佳澄ちゃん?」
入力した文字を送信する前に、背中に声をかけられた。振り返ると、懐かしい人が立っていた。
素敵に歳を重ねたんだとわかる柔和な雰囲気は変わってなくて、すぐに彼とわかる。伊達先輩だった。
「お久しぶり……です」
緊張で、のどが詰まる。ソワソワしながら頭をさげたら、彼は笑顔になって「やっぱり」と言った。
「ずいぶん雰囲気変わってるから、驚いたよ」
「先輩は変わりませんね」
「先輩って……。いいよ、伊達で」
30過ぎたのに先輩は恥ずかしい、と伊達さんは苦笑いして、辺りを見回す。
「加奈江ちゃんは?」
「あっ、加奈江は急に来れなくなったみたいで。伊達さんにもメール来てませんか?」
そう尋ねると、彼は紺のジャケットからスマホを取り出して、「気づかなかったよ、本当だ」と申し訳なさそうにつぶやいた。
「すみません。こちらがお誘いしたのに」
「いいよ。どうする? ふたりでいい?」
「あっ、……はい。せっかくなので」
少し迷って、うなずいた。わざわざ来てくれたのに帰るなんて、それこそ申し訳ない気がした。
「じゃあ、入ろうか。佳澄ちゃん、ここ、来たことある?」
「はじめてです。伊達さんは?」
「何度か。美味しいからおすすめだよ」
「楽しみです。加奈江も、来れたらよかったのに」
というか、変な気を利かせて来ないなんて。恨みがましい気分。
店内に入ると、すぐに席に案内された。
全席個室で、夜景が一望できる席に向かい合って座ると、ふたりだけの特別な空間に迷い込んだような気分になる。
テーブルの上のキャンドルのゆらめきが、伊達さんをより魅力的に見せる。
また会えるなんて思ってなかった。
大学時代の淡い恋心が舞い降りてくるような、ふしぎな感覚を覚えていると、伊達さんが口を開く。
「忙しそうだね、加奈江ちゃん。仕方ないかな。結婚すると、自分の予定だけじゃないからさ、だいたい会いづらくなるよね」
伊達さんは人がいい。加奈江の嘘を信じてるのだ。
「伊達さんも、ご結婚されてると思ってました」
「それを言うなら、佳澄ちゃんも。料理上手で家庭的な子だから、結婚が早そうだって、よくみんなと話してたな」
「え……、そんな話してたんですか……」
初耳だ。どちらかというと私は話題にもならない地味な女の子だったはず。
「学生時代の話だよ。たわいもない話。それにしても驚いたな。ずいぶん変わったよね。最初は全然わからなかったよ」
想像と違って、華やかになった私を見て、人違いかもと、半信半疑のまま声をかけたのだという。
伊達さんは私を優しく見守るように見つめてくる。学生時代も、そうやって何度か見つめられたけれど、そのまなざしの変化に戸惑う。
何って、うまく言えない。でも、あきらかに、昔とは違う意味を含んだまなざしを向けられてる気がする。
やせてから、同僚の男性が好意的に接してくれることが増えた。人は見た目じゃないと思うけど、そうじゃないってことも知ってる。
伊達さんも、きっと同じ。
彼からの好意的なまなざしには慣れてなくて、気恥ずかしい気分になる。
「サク美に就職してから、ダイエットしたんです。そういう知識もノウハウも完璧な企業で、体を整えるのがすごく楽しくなって」
環さんは私に自信をもたせようと、ダイエットに付き合ってくれた。メイク術も惜しげもなく教えてくれて、私は別人のようにきれいになった。
それは、男性を振り向かせるためではなく、私のためだった。環さんは男性と対等に生きるための最低限のみだしなみと言っていたんだっけ。
「へえ、そう。サク美ってさ、佳澄ちゃんは料理好きだから、レシピ開発なんて合いそうだよねって、おすすめした会社だよね」
「覚えてくれてたんですか? 開発には行けなかったんですけど、楽しく働いてます。伊達さんが相談に乗ってくれたおかげです」
「いや、俺は何も。ダイエットなんてしなくても昔からかわいかったけど、今もすごくいいよ」
「あ……、ありがとうございます」
ちょっとひるむ。
男性と対等に、って思いながら、容姿を褒められると恥ずかしくて、素直にうれしく思う。
環さんは仕事で女を見せたらダメだと口うるさく言っていて、私はそれを忠実に守ってきた。
それに慣れてしまっていたからか、今は仕事じゃないのに、いい塩梅というのがわからない。
蓮には積極的になれたのに……。
やっぱりあんな大胆なことをしでかしたのは、御園さんにそそのかされたのと、お酒の勢いと、蓮が私を女性として意識した目で見ていなかったからだとわかる。
「そういう、照れた表情は変わらないね。佳澄ちゃん見てると、ほっとするよ。癒されるっていうかさ」
なんだか、変な気分。私は懐かしい先輩と話してるつもりなのに、伊達さんは後輩というより、一人の女性として私を見てくれてる気がする。
うぬぼれなんだろうか。勘違い。でも、さっきからずっと、まばたきも惜しむように、伊達さんは私から目を離さない。
そう。勘違いしたくなるまなざしで、わざと彼は私を見つめてる。私が学生時代、伊達さんを好きだったこと、彼は知ってるから。
そうと気づいて、話をそらす。
「……えっと、写真続けてるんですね」
「加奈江ちゃんから聞いた? たまにね。まとまった休みがあるときは、よく写真撮りがてら旅行に行くよ。佳澄ちゃんは?」
ようやく私たちは、ワイングラスを持ち上げて、再会を記念して乾杯する。
やや甘口のスパークリングワインは、私の緊張をほぐしてくれる。
今日は先輩との再会を楽しめばいい。伊達さんの特別に見えるまなざしは、私の中に残っていた淡い恋心が見せる幻影なのだと思う。
意識してしまっているのは、私。彼じゃない。
彼は自分がモテるのを知っていて、気のある素振りを見せる女の子に好印象を抱かせる表情を身につけてるだけ。
「私は全然。仕事が忙しくて、お菓子づくりもあんまりしてないし、……そう思うと、趣味らしい趣味もないです」
「休みの日は何してるの?」
「だいたい家にいます……。つまらないですよね。ごめんなさい」
話せば話すほど情けなくなって頭をさげると、伊達さんは困り顔で笑った。
「なんであやまるの? 疲れてるときは俺も一日ダラダラしてるよ。ああそうだ。佳澄ちゃんさえ良ければ、また会おうか。ひまつぶしぐらいにはなると思うよ」
「ひまつぶしって……。伊達さんも忙しいのに」
「俺はいいんだよ。佳澄ちゃんにまた会いたいなって思ったから誘ってるんだから」
「え……」
伊達さんの言葉があまりにもストレートで、動揺してしまう。
どういうつもりで、誘ってくれたのだろう。
「いやなら、断っていいんだよ」
「断るだなんて」
「じゃあ、また誘っていい?」
「……はい。たぶん……、はい」
ほんの少しのアルコールで酔ったはずはないのに、正常な判断ができないみたいに混乱してしまってる。
たぶんって……、とおかしそうに笑った伊達さんは、「連絡先、交換しようか」と、気を取り直すように言って、スマホを取り出した。
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