月夢亭へようこそ

水城ひさぎ

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消えた夢の軌跡

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「陽仁さんが今から来るみたいです。よかったら一緒におやつ食べませんかー? つづみさーん」

 壊れた柵から隣の敷地に足を踏み込んで、窓が開けっ放しの和室に向かって声をかけてみるが、つづみさんの反応はなかった。

 寝てるんだろうか。
 縁側に近づいて、部屋の中をひょこっとのぞく。

「つづみさーん? ……わ、なんですか、それっ?」

 つづみさんは和室の中央であぐらをかいていた。彼の前には何枚もの習字紙がところせましと並べられている。

 ジィーっとそれらを眺めていた彼は、いきなり立ち上がると、水面に映る標的を定めた鳥のように右上の一枚を取り上げた。するとすぐに、もう一枚、さらにもう一枚と、全部で三枚の習字紙をつかみ取った。

「望ちゃん、なかなかいい一枚ができた」

 にっと笑う彼は、三枚の習字を両手でつかんで、私を振り返った。

「なっ!」

 彼のぶら下げる習字紙に視線が向いて、目が文字を追ったとたん、ほおがババっと熱くなる。

『大丈夫です』
『上手です』
『好きです』

 それぞれにはそう書いてあった。

「な、なんでそんなこと書いてるんですかっ」

 すぐに気づいた。私が彼を励ますつもりでかけた言葉の数々だということに。

「うれしい言葉は残すのがいい。言霊って、やっぱりあるだろ?」
「だ、だからってーっ」

 恥ずかしさのあまり、そう叫んだときだった。

「にぎやかしいね」

 後ろから声が聞こえてくる。驚いて振り返り、私はまた叫んでいた。

「陽仁さんっ」

 穏やかにほほえむ陽仁さんが、青い長傘を手に立っている。

「ろまん亭、まだ鍵がかかってたから、こっちかなって来てみたよ。つづみさんの作品、見せてもらってたの?」

 部屋中に広がる習字紙を、彼は楽しそうに眺める。

「望ちゃんが俺に捧げた言葉たちだ」

 ババンっと、つづみさんは陽仁さんに習字紙を見せびらかす。

「へえ、そう」

 笑顔のまま、陽仁さんはあいづちを打つ。全然興味なさそうだ。

「いい言葉は癒しになる」

 つづみさんはそう言って、文机の上にあるがびょうを手に取り、その三枚を壁に貼り付けていく。

「なに飾ってるんですかっ。やめてくださいよー」
「望ちゃん、つづみさんが好きなの?」

 あわてる私に、陽仁さんがそう言う。熱が背中に伝わってくるぐらい、彼は歩み寄ってきていた。それに気づいて、ハッと背筋が伸びる。なんだかわからない緊張が私をそうさせた。

 違う。全然違う。私が好きなのは……。

 陽仁さんの笑顔が唐突に脳裏に浮かんで、どきりとした。好きなんだろうか。穏やかで親切な彼を嫌う理由なんてどこにもない。好ましく思うのは、つづみさんに対しても同じだけれど、彼が好き? と聞いた意味は、そういうたぐいの好意ではないだろう。

 顔を上げたら、陽仁さんがまっすぐ私を見下ろしていた。思いつめた目をしているから、驚いてのどがつまった。

 どうして、そんな何かを訴えるような表情で私を見つめるのだろう。

 陽仁さんは私の返事が期待できないと悟ると、無言で傘を持つ手をスッと上げた。青い傘の持ち手には、たきざわ夕市美術館、とテープが貼ってあった。

 貸し出し用の傘を持ってきてくれたのだ。明日には雨が降ると言ってたけれど、空を見上げると、今にも雨が降り出しそうな黒い雲が広がっていた。

「ありがとう。返すのは来週になっちゃうかも」

 傘を受け取り、そう言ったときだった。「ウーッ」という低くて静かにのどを鳴らすようなうなり声が聞こえた。と同時に、弦さんの姿が視界を横切っていく。

「げ、弦さんっ!」

 なんだろう。弦さんが取り乱すなんて珍しい。

 あわてて柵から庭へ駆け出ると、「ワワンッ、ワワンッ」と弦さんはひとりの女性に向かって吠えていた。

 茶色のコートを羽織る、長い黒髪のきれいな女性だった。私より年上に見えるけれど、それほど変わらないだろう。とても洗練された雰囲気を持つ女性で、直感的に地元の人ではないような気がした。ろまん亭を訪ねてきた観光客だろうか。

 伸び切ったリードが届かないところへと後ずさりする女性は、戸惑った様子で私を見る。

「すみませんっ」

 私はリードをたぐり寄せ、うなる弦さんを抱きしめた。弦さんは震える身体を次第に落ち着かせ、私の胸にぴたりと頭を寄せた。何かにおびえてるみたいだった。

 彼女はけげんそうに私と弦さんを眺めたあと、そのまま私の後ろへ視線をずらし、ハッとするほど美しい笑顔を見せた。

「陽仁っ。よかった、会えて」
果歩かほ……」

 いつの間にか私の後ろに来ていた陽仁さんは、ため息を吐き出すような声で、そうつぶやいた。
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