太陽と傀儡のマドンナ

水城ひさぎ

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彼女は氷のように冷たい

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「紅茶のことはよく知らないけど、美味しい紅茶だね。わざわざ家まで取りに帰るんだから、飛流さんはよほど紅茶好きなんだ?」
「そうね。なぜだかうちでは紅茶なの。飲み慣れてると言ったらいいのかしら」

 那波は紅茶のおかわりを俺に差し出す。

「ありがとう」と礼を言って受け取り、俺はふと浮かんだ疑問を口にする。

「でもさ、家近いの?」

 深い意味のない質問だったが、那波は不思議そうに俺を見つめる。彼女の無表情にわずかでも感情が表れると嬉しくなるのはなぜだろう。

「木梨くん、本当に知らないのね、何も」
「知らないって?」

 それには答えず、那波は立ち上がると窓際に立つ。窓辺に差し込む優しい光が彼女の髪をきらきらと輝かせる。

 本当に綺麗だ。
 それ以外に言葉が浮かばない。

 見惚れていると、那波は急に振り返り、窓の外を見て、と俺を促す。言われるままに彼女の隣へ移動する。

 細長い窓だ。まるで寄り添うように立てば、親密な関係であるかのように二人の距離は近い。しかし、触れるか触れないかの距離が縮まることはないまま、彼女は窓の外を指差す。

「ここから裏山が見えるの」

 那波は俺より少し背が低い。俺は彼女の頭上から覗くように外を見た。
 学校の裏に何があるかなんてまだ確認する余裕はなかったが、こうしてマジマジとその光景を眺めると、感嘆の息が漏れる。

 この学園は広大な敷地の中にあるのだ。広いグラウンドの先に裏山が見える。裏山とは言うが、先が見えない山だ。その山のふもとに、高い塀が設けられた洋館がある。
 グラウンドからは塀しか見えなくて知らなかったが、ここからは洋館の様子がわずかにだが確認できる。

「おしゃれな家だな。まるでヨーロッパの城みたいだ」
「それは言い過ぎ。でも広すぎて、小さな頃はよく迷子になったわ」
「え……迷子?」

 それはあの家に遊びに行ったことがあるということだろうか。
 那波の品の良い美しい様を見ていると、洋館にゆかりのある人間でも不思議はない気がする。

「あの家は私の暮らす家よ。抜け道を知っているから、それほど時間もかからずに帰れるの」
「飛流さんってお嬢様なんだ」

 そう言いながらも、お嬢様以外の何者でもない彼女の容姿に納得している。

「あの家は母の実家なの。祖父母が亡くなってから、便利だからと引っ越したの」
「おじいさんもおばあさんも亡くなってるんだ……」
「もう過ぎたことよ。祖父母は唯一の私の理解者だったから悲しかったけど、それも最初のうちだけね」
「そういうものかな」
「もちろん、時々祖父母を思い出すとさみしくなるわ。本当に祖父母は私に優しくしてくれたから……」
「おじいちゃん子だったんだ? あ、おばあちゃん子とも言うのかな」

 那波はふと悲しげに眉を寄せる。ずっと無表情で、笑顔なんて見せないのに、こんな時ばかりは感情豊かに悲しみを見せるのだ。

「両親に好かれていなかっただけよ」
「そんなことあるかな……」

 親が我が子を愛さないなんてことあるのだろうか。でもそれを口にしたら、那波は俺に「のうてんき」というのかもしれないなんて思った。

「今だってそう。私のことは好きじゃないの。だからいきなり部の規定を変更したのも、この心理学研究部をなくしたかったからだと思うの」
「え?……ちょっとよくわからないけど」

 いきなりご両親の話と部の話がつながるから混乱する。

「本当に何も知らない」と那波は息をつくと、窓に手を触れて、校舎の端にある建物を覗き込むように視線を向けた。そこは職員室の隣にある学園長室だ。

 意味もなく胸騒ぎがする。しかし意外なことではないような気もして、那波の言葉はすんなり腑に落ちる。

「この学園の創始者は母の祖父で、現学園長は私の父よ」
「飛流さん、学園長の娘なんだ」

 俺はきっと今更のことに驚いているのだろう。
 だから那波も言う。無表情だが、内心あきれているんじゃないかと思う。

「みんな知ってることよ。木梨くんが知らないのが意外なぐらい」
「当たり前すぎて、みんな口に出さないのかな。転校を決めた時にこの学園のパンフレット見て、創始者は江井見えいみ一族なんだなとは思ったから、学園長も江井見なんだろうって勝手に思い込んでたんだ。江井見って、この土地に古くから住んでる御随身だった一族だろ?」
「何も知らないわりに、そういうことは知ってるのね。変わってるわ」
「もともと父親がこの辺の出身だからさ、なんとなく聞いたことがあるだけだよ」

 かつてこの地の出身者で、上皇に仕えた随身である江井見一族がいたという昔話は、親戚が集まった時に曽祖父が誇らしげに語っていたことだ。それを父も俺に話して聞かせた程度のこと。

 学園名の由来も、創始者である江井見の名によるものだろう。漠然と、学園のパンフレットを見て感じたことを俺は今、思い出したに過ぎない。

「なんとなく飛流さんが学園の中で特別な感じがするのはそういうことだったんだな」

 飛流姉妹が他の生徒より浮いた存在だったのは、容姿が美しいからだけではなかったのだ。

「生徒の中には、私を怒らせたら学園にはいられないなんて思ってる子もいるみたい。だから余計に心理学研究部に入りたいなんていうもの好きはいなかったのかもしれないわ」
「もの好き……って、入部希望を表明した人間を目の前に言うことじゃないよ」

 苦笑いを禁じ得ない俺に対し、那波は真顔のままでいたって変わらない。
 彼女は冗談など言わないのだろう。思ったことを口にし、相手を傷つけたと知れば頭をさげる。ある意味素直なのだ。

「あ、そうだったわ」
「もう忘れてた?」
「そうじゃなくて。入部届を書いてもらわなきゃいけなかったこと思い出したの。気が変わるといけないから、一週間後に出してくれればいいわ」

 那波は机の引き出しからファイルを取り出すと、そこから入部届と書かれた用紙を抜き出して、俺に差し出す。

「気が変わるといけないなんて思うなら、今すぐ書いてと言うべきだよ。鉛筆ある?」
「今書くの? あなたって……」
「のうてんき?」
「違うわ。変な人ね、って言おうとしたの」
「どっちも傷つく。でもいいや、飛流さんと話してるのは楽しい。ここにある鉛筆借りるよ」

 ポットの横に隠れていた鉛筆立てに気づいて、キャップのついた鉛筆を一本引き抜く。
 トキントキンに先が削られた鉛筆には那波の性格がよく出ている。彼女は見た目通り、几帳面のようだ。

 椅子に腰かけ、B5サイズの用紙を半分に切った大きさの入部届を眺める。
 部活名、学籍番号、クラス、名前、性別、生年月日、自宅の電話番号を記入しなくてはならないようだ。

 学籍番号はなんだったかなと、生徒手帳を取り出そうと胸ポケットを探っていると、那波がぽつりとつぶやく。

「楽しい……?」
「なんかおかしい?」

 あまりに衝撃を受けた表情をするから、俺の方が戸惑う。そんなに誤解を生むような発言ではなかったつもりだが。

「さっきから考えていたの」
「何を?」
「こんな風に誰かと話すの、めったにないの。だからさっきから感じてるこの気持ちはなんだろうって」
「どんな?」
「もしかしたら私、木梨くんと話をしていて、楽しいって感じてるのかしら。そんなことあるのかしらって」

 それを聞いて、ちょっと笑ってしまう。

「最後の言葉は余分だよ。でもさ、楽しいって思ってくれたんだったら俺は嬉しいし……、っていうかさ、そういうこと男相手に言わない方がいいよ」
「なぜ?」
「誤解する、男は」
「誤解? なぜ? 木梨くんは誤解したの?」

 本当に、誤解の意味が那波にはわからないのだ。

「俺はしないよ。飛流さんが恋愛に興味ないってさっき知ったから」
「わからないことを言うのね、木梨くんって」
「説明が下手なだけだよ。とにかく、うかつに楽しいとか言わない方がいい。飛流さんはただでさえ誤解されやすそうだから」
「わかったわ」

 素直にうなずくから、那波はタチが悪い。
 ひねくれていそうだから学生のほとんどは那波を敬遠しているんだろう。
 もしそうではなくて、従順すぎる優しい女子だと知ったら、芽依と同じように男子は彼女を放っておかないだろう。

 そう考えたら、変な胸騒ぎがする。
 この二人で過ごす楽しいひとときを、俺はもしかしたら誰にも知られたくないと思ったのかもしれない。



 入部届を書いている間、那波は心理学の本をめくっていた。部室には一応、形ばかりと言っては失礼だが、心理学に関する書物があるようだ。

 何をしていても那波の仕草は美しい。
 ついさっきまで、那波に関わることはもうないと思っていた自分が嘘のように、彼女の本のページをめくる指一本一本まで視線を集中させてしまう。
 彼女が気になって仕方ない。端的に言うと、そういうことだ。

「書けたよ」

 声をかけると、那波はそっと目を上げる。
 長いまつげが揺れて、ガラス玉のようにとても澄んだ漆黒の瞳が俺をとらえる。

 研究部を訪れる生徒は、芽依がいるから一緒に来ているというだけでなく、この那波の瞳に魅せられているのかもしれない。そんな風にまで思ってしまうほどけがれがない。

 那波は無言で入部届を受け取ると、記入漏れがないかチェックする。そして、俺の名前を指で一直線になぞった。

「木梨なぎっていうのね、あなた」
「なぎ、って珍しいとは言われる」
「珍しいの? それはよくわからないけど、ロマンチックね」
「ロマン……ロマンチック?」

 声が裏返った。
 思わず照れてしまうようなセリフを真顔で言われたのもあるが、那波から聞ける言葉とは思っておらず、胸が飛び跳ねた。

「だってそうは思わない? ナミとナギ……なんだか情緒的よね」

 古事記にあるイザナミとイザナギがふと浮かんだが、首をかしげる。

「そ、そうかな」
「そうよ。そういうことにしておきましょう。じゃあ、この入部届、安藤先生に渡しておくわね。正式な入部は先生の方から話があるわ」

 那波は冗談など言わないだろうと思っていたが、彼女なりの冗談だったのかと思わせるほど強引に会話は終わった。

 彼女は音もなく立ち上がると、心理学の本を戸棚へ片付ける。

「もうすぐ部活が終わる時間よ。私は片付けをしてから帰るから、木梨くんは先に帰ってかまわないわ」
「あ……、でも」
「正式な部員になったら手伝ってもらうわ。それより、今度は木梨くんの話を聞かせてね。こんな風に誰かに興味が湧くのって初めてよ」
「その言葉を俺の中でどう処理したらいいかわからないな」

 都合よく解釈したい気持ちはある。いつも一人で過ごしている那波が、まるで俺が特別な存在のように言うから。
 しかし、期待は期待でしかない。那波は不思議そうだ。

「言葉通りに受け取ってくれればいいのよ。それ以外にある?」
「いや、ないよ」

 ため息が出た。那波の心に近づくのは難しそうだ。

「心理学研究部か……、なるほどという感じがするよ」

 やはり那波は意味がわからないというように、首を傾げたまま俺を見つめていた。
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