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彼女は氷のように冷たい
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木梨凪は、私より先に心理学研究部の部室前に来ていた。
部室はもともと美術の第二準備室があった場所にある。
私が私立英美学園に入学した当初、第一第二とあった準備室のうち、第一準備室しか使われていなかった。そのため、掃除道具入れ同然となっていた第二準備室を空けてもらったのだ。
机や椅子は、芽依と安藤先生の三人で運んだ。
芽依はバスケ、安藤先生は水泳と、それぞれの部活を抱えていたし、心理学研究部に入部する生徒がいるとは思っていなかったから看板もない。
部員が増えるなんて想像もしていなかった私の前で、凪は「ちょっと早かったかな」と恥じ入るように後ろ頭を撫でた。
凪はありふれた容姿の青年だ。特に学園で目立っていることもない。廊下ですれ違っても目にも止まらないような普通の青年。その実、彼が転校してきたことなど知らなかった。
平凡という言葉の似合う彼が、これまでどう過ごしてきたのか興味がある。ありふれた日常を送ったことのない私にとって、彼の存在はある種、珍品だ。
「職員室に寄ってきたから少し遅くなったの。木梨くんの保護者の方から承諾書を頂くまでは仮入部ですって。安藤先生から聞いたかしら?」
「ああ、朝一番で聞いたよ。承諾書は明日出すから、仮入部も今日までかな」
入部届を書いたのは昨日のことだ。
「せっかちなの?」
「せっかち……。いや、そうでもないよ」
凪はすぐに苦笑いする。
私はそんなにおかしなことを言っているだろうか。そうは思うが、心情をはかれるほど人の心を理解していない。
「どっちかっていうと、気長な方だよ」
部室のドアを開く私に続いて、凪は部室へ入ってくる。
「紅茶飲む? お菓子は禁止。秩序が乱れるからですって」
「部室にポット持ち込んで、部費で紅茶買ってる時点で何か違う気がするけど」
「そういうもの? 来客をもてなす時は紅茶と決まってると思ってたわ」
「そう言いながら、一人で飲んでるんじゃないか」
責めるようでもなく、凪は楽しそうに肩を揺らしながら言う。
「最初は来客用に用意したのよ。ただ来客がないだけ。古くなっていくばかりだから、自分で飲むようになっただけよ」
「飛流さんでもへりくつ言うんだ?」
「そういうつもりはないけれど、そう聞こえたならそうなのよね。木梨くんと話していると勉強になるわ」
「勉強って……、飛流さんは本当に世間知らずのお嬢様なんだ」
「そうね。認めるわ」
「素直なのはいいことだと思うよ」
私を肯定する言葉を彼が口にすると、なんだか変な気持ちになる。
どう言い表したらいいかわからないから、変な、と思ってしまうけれど、それは少なくとも嫌な気持ちではなくて。
「木梨くんが転校生で良かったわ」
そう言って、私はいつものように紅茶の用意を始めた。
今日はインスタントのレモンティーだ。粉をお湯に溶かすだけの簡単な紅茶。いつも部費で芽依が購入してくれている。安くて美味しいからという理由で、一年前から同じものを愛飲している。
「さっきから気になってるんだけどさ」
紅茶を注いだティーカップをお盆に乗せて振り返ると、凪は立ったまま部室の中央にあるテーブルに視線を向けていた。
「昨日はなかったよな、このテーブル」
「ええ、木梨くんが帰った後に芽依が来て用意してくれたの。あの子、こういうことには動きが早いの」
テーブルといっても、会議室の机を二つ並べ、その上に淡いレッドとブルーの優しい色合いのギンガムチェックのテーブルクロスをかけているだけ。
部室は少し狭くなってしまったが、何人かで集まってお茶会をするには十分なスペースだ。
「昨日のうちに買い物? もう一人の飛流さんは本当にアクティブなんだ」
凪は感心した様子。
「安藤先生から木梨くんの入部の話を聞いたみたい。廃部になるんじゃないかって、芽依はずっと気にしてたから。来週にはお疲れ様会があるとかで、バスケ部のみんなと買い物に行く予定だったみたいなの。紅茶も切らしてたし、ついでに買ってきてくれたのよ」
「お疲れ様会?」
「そう。三年生が部活を引退するんですって。プレゼント用意したり、忙しそうよ」
「もう一人の飛流さんって面倒見がいいんだ? リーダー向きだね」
「バスケ部でも副リーダーだって言ってたわ。あの子の周りにはいつも人が集まるの。それを父も母も喜んでる」
そう言うと、凪はなぜだか眉を寄せて困惑する。楽しい話をしていたつもりだけど、凪には違ったのだろうか。
「俺はそれだけが人徳じゃないって思うよ。いろんな人がいていいと思う」
少しの沈黙の後、凪は力強く言う。
私を気遣った?
そう思うけど、私の中にうずまく現象を、凪にはきっと理解できないだろうとも思えて、やはり私は彼に返す言葉を見つけられない。
「それより、もう一人の飛流さんって言い方、気になるわ。私のことは那波って呼んでくれていいのよ。先生たちはみんなそうしているわ」
「え……あ、いやっ」
凪はうろたえる。
「いやならいいわ」
「いや、いやって、そういうわけじゃなくて。いや……、でもなんか、やっぱり無理だな」
「そう、気にしないで。私が気になっただけだから。もう一人の飛流さんでも、黒髪の方の飛流さんでもなんでもいいの。さあ、座って」
「あ……、ああ」
余裕のない様子で額に手を当てたり、天井を仰いでいた凪だったが、座るように促すと、急に冷静さを取り戻したかのようにストンと椅子に腰を落とした。
私たちはしばらく無言で紅茶を飲んだ。
私はいつもそうして一人で過ごしているから気にならないが、凪は退屈だろう。ずっとティーカップとにらみ合い、時折そのカップを口元へ運んでいる。
「木梨くんは前の学校では何部だったの?興味があるわ」
「え……、あ、きゅ、弓道部だよ」
考え事をしている最中だっただろうか。突然話しかけられて驚いたのか、彼ははじけるように顔を上げた。
「弓道?」
「俺には似合わないって思った?」
「いいえ。去年まで弓道部、あったのよ。だから、残念だわと思って」
「あ、そうなんだ。知らなかったな。でもそんなにうまいわけじゃないし、弓道部にこだわりがあったわけでもないからさ」
「そうよね。こだわりがあるなら、きっと転校を考えた時に弓道部のある高校を選んだと思うわ」
「そうもあっさり言われると、もやもやするな」
凪は後ろ髪をかいて、苦く笑う。
もしかしたら弓道部のない高校を選択したことを後悔した日があるのかもしれない。
「弓道、好きだったの?」
「まあ、他の運動部よりは自分にあってた気がする。もし弓道部があれば、また選んだとは思う。その程度」
「またやりたいのね?」
「それほど積極的ではないけどね。まあ、機会があれば……、かな」
「じゃあ、うちに来るといいわ」
「え……?」
凪はひどく驚いて、口をぽかんと開けている。
「そんなに驚くことじゃないわ。弓道場がある家なんてあまりないだろうってことは私だってわかってるつもり」
「飛流さんち、弓道場あるんだ……、っていうか、いつもツッコミどころがあり過ぎて驚くんだよ」
もはや、もやもやしたものがあふれ出して止まらないのか、凪は両手で髪をかき乱す。
「あまりおかしいことを言ったつもりはないわ」
「飛流さんみたいな子が男を家に誘うのは良くないと思う」
凪はやけに生真面目に言う。
「なぜ?」
「わかってないからだよ。理解してて誘ってるなら、それはそれで戸惑うけど……」
最後の方は口ごもりながら言うから、何を言っているのかよくわからなかった。
「誘ったこと、迷惑なら断ってくれたらいいだけよ」
「迷惑ではないよ。ただ行く勇気は今のところない……」
「そう、残念ね。弓道場を使う人もいなくて、祖父がさみしがってるんじゃないかなんて思って。木梨くんが使ってくれるならと思ったんだけど」
本当に残念、と息をつく。
「おじいさんがさみしがる?」
「ええ。祖父が亡くなったのは去年なの。亡くなる数日前まで本当に元気だったから、弓道もずっと続けてて。弓道部が廃部になったのは祖父が亡くなって、講師がいなくなったからよ」
「講師だったんだ。あ、もしかして、前学園長っておじいさん? ただでさえ学園長が変わって大変な時に、代わりの講師を見つけるのも大変だよな」
凪は納得するようにうなずく。
「ええ、そう。祖父が生きていたら木梨くんも弓道が出来たのに、本当残念ね」
「運が悪いんだ、きっと俺は」
「本当にそうね。そうでなきゃ、ここにはいないわ」
「あっ、いや……、そういう意味じゃないよ。飛流さんと知り合えたのは、俺としてはラッキーで……、つまり運がいいっていうか……、嫌なことでもなんでもなくて……」
みるみるうちに凪の顔が赤くなっていく。
その様を見ているのは悪い気はしなくて、黙って彼を見つめる。
そして、視線が混じり合うと、彼はますます真っ赤になって、何も言わない私に対し、意味不明に「……ち、違うんだ!」と叫んだ。
凪の大声にびっくりしてはいない。
しかし、彼は自分の声に驚いたのだろう。ハッとして口をつぐみ、私の視線を気にするようにティーカップへと目線をさげると、一気に紅茶を飲み干した。
「熱くない?」
「ちょっと、熱かった……」
「あなたって、落ち着きのないところもあるのね。とても興味深いわ」
凪はうらめしそうに私を見た後、のどに手を当てる。
大丈夫だろうかと立ち上がり、うつむく彼の顔を覗き込もうとした時、部室のドアがそっと開いた。
「那波ー、来ちゃった。取り込み中ー? なんだか楽しそう」
どこをどう見て、楽しそうだと判断したのかは理解できない。
ドアから顔だけ覗かせた芽依が、軽やかな足取りで部室の中へと入ってくる。
「部活は?」
芽依に尋ねる。
アッシュブラウンの長い髪を後ろで一つに束ね、半袖短パンの体操服の上に薄手のジャケットを羽織っている彼女は、「大丈夫」と手を上げる。
彼女は細かいことを気にしないタイプだが、大丈夫だというなら大丈夫なのだろう。それ以上を詳しく尋ねる必要もない。
凪から離れて椅子に座りなおすと、今度は芽依が近くにあった椅子を引いて、彼の隣に密着するように座った。
「あなたね、新しい部員の木梨凪って。手を当てたりして、のどに何かあるの? あはは、おかしい。鳩が豆鉄砲を食ったような顔してるわよ」
芽依は賑やかしく一気に言うと、凪の手首をそっとつかんだ。
木梨凪は、私より先に心理学研究部の部室前に来ていた。
部室はもともと美術の第二準備室があった場所にある。
私が私立英美学園に入学した当初、第一第二とあった準備室のうち、第一準備室しか使われていなかった。そのため、掃除道具入れ同然となっていた第二準備室を空けてもらったのだ。
机や椅子は、芽依と安藤先生の三人で運んだ。
芽依はバスケ、安藤先生は水泳と、それぞれの部活を抱えていたし、心理学研究部に入部する生徒がいるとは思っていなかったから看板もない。
部員が増えるなんて想像もしていなかった私の前で、凪は「ちょっと早かったかな」と恥じ入るように後ろ頭を撫でた。
凪はありふれた容姿の青年だ。特に学園で目立っていることもない。廊下ですれ違っても目にも止まらないような普通の青年。その実、彼が転校してきたことなど知らなかった。
平凡という言葉の似合う彼が、これまでどう過ごしてきたのか興味がある。ありふれた日常を送ったことのない私にとって、彼の存在はある種、珍品だ。
「職員室に寄ってきたから少し遅くなったの。木梨くんの保護者の方から承諾書を頂くまでは仮入部ですって。安藤先生から聞いたかしら?」
「ああ、朝一番で聞いたよ。承諾書は明日出すから、仮入部も今日までかな」
入部届を書いたのは昨日のことだ。
「せっかちなの?」
「せっかち……。いや、そうでもないよ」
凪はすぐに苦笑いする。
私はそんなにおかしなことを言っているだろうか。そうは思うが、心情をはかれるほど人の心を理解していない。
「どっちかっていうと、気長な方だよ」
部室のドアを開く私に続いて、凪は部室へ入ってくる。
「紅茶飲む? お菓子は禁止。秩序が乱れるからですって」
「部室にポット持ち込んで、部費で紅茶買ってる時点で何か違う気がするけど」
「そういうもの? 来客をもてなす時は紅茶と決まってると思ってたわ」
「そう言いながら、一人で飲んでるんじゃないか」
責めるようでもなく、凪は楽しそうに肩を揺らしながら言う。
「最初は来客用に用意したのよ。ただ来客がないだけ。古くなっていくばかりだから、自分で飲むようになっただけよ」
「飛流さんでもへりくつ言うんだ?」
「そういうつもりはないけれど、そう聞こえたならそうなのよね。木梨くんと話していると勉強になるわ」
「勉強って……、飛流さんは本当に世間知らずのお嬢様なんだ」
「そうね。認めるわ」
「素直なのはいいことだと思うよ」
私を肯定する言葉を彼が口にすると、なんだか変な気持ちになる。
どう言い表したらいいかわからないから、変な、と思ってしまうけれど、それは少なくとも嫌な気持ちではなくて。
「木梨くんが転校生で良かったわ」
そう言って、私はいつものように紅茶の用意を始めた。
今日はインスタントのレモンティーだ。粉をお湯に溶かすだけの簡単な紅茶。いつも部費で芽依が購入してくれている。安くて美味しいからという理由で、一年前から同じものを愛飲している。
「さっきから気になってるんだけどさ」
紅茶を注いだティーカップをお盆に乗せて振り返ると、凪は立ったまま部室の中央にあるテーブルに視線を向けていた。
「昨日はなかったよな、このテーブル」
「ええ、木梨くんが帰った後に芽依が来て用意してくれたの。あの子、こういうことには動きが早いの」
テーブルといっても、会議室の机を二つ並べ、その上に淡いレッドとブルーの優しい色合いのギンガムチェックのテーブルクロスをかけているだけ。
部室は少し狭くなってしまったが、何人かで集まってお茶会をするには十分なスペースだ。
「昨日のうちに買い物? もう一人の飛流さんは本当にアクティブなんだ」
凪は感心した様子。
「安藤先生から木梨くんの入部の話を聞いたみたい。廃部になるんじゃないかって、芽依はずっと気にしてたから。来週にはお疲れ様会があるとかで、バスケ部のみんなと買い物に行く予定だったみたいなの。紅茶も切らしてたし、ついでに買ってきてくれたのよ」
「お疲れ様会?」
「そう。三年生が部活を引退するんですって。プレゼント用意したり、忙しそうよ」
「もう一人の飛流さんって面倒見がいいんだ? リーダー向きだね」
「バスケ部でも副リーダーだって言ってたわ。あの子の周りにはいつも人が集まるの。それを父も母も喜んでる」
そう言うと、凪はなぜだか眉を寄せて困惑する。楽しい話をしていたつもりだけど、凪には違ったのだろうか。
「俺はそれだけが人徳じゃないって思うよ。いろんな人がいていいと思う」
少しの沈黙の後、凪は力強く言う。
私を気遣った?
そう思うけど、私の中にうずまく現象を、凪にはきっと理解できないだろうとも思えて、やはり私は彼に返す言葉を見つけられない。
「それより、もう一人の飛流さんって言い方、気になるわ。私のことは那波って呼んでくれていいのよ。先生たちはみんなそうしているわ」
「え……あ、いやっ」
凪はうろたえる。
「いやならいいわ」
「いや、いやって、そういうわけじゃなくて。いや……、でもなんか、やっぱり無理だな」
「そう、気にしないで。私が気になっただけだから。もう一人の飛流さんでも、黒髪の方の飛流さんでもなんでもいいの。さあ、座って」
「あ……、ああ」
余裕のない様子で額に手を当てたり、天井を仰いでいた凪だったが、座るように促すと、急に冷静さを取り戻したかのようにストンと椅子に腰を落とした。
私たちはしばらく無言で紅茶を飲んだ。
私はいつもそうして一人で過ごしているから気にならないが、凪は退屈だろう。ずっとティーカップとにらみ合い、時折そのカップを口元へ運んでいる。
「木梨くんは前の学校では何部だったの?興味があるわ」
「え……、あ、きゅ、弓道部だよ」
考え事をしている最中だっただろうか。突然話しかけられて驚いたのか、彼ははじけるように顔を上げた。
「弓道?」
「俺には似合わないって思った?」
「いいえ。去年まで弓道部、あったのよ。だから、残念だわと思って」
「あ、そうなんだ。知らなかったな。でもそんなにうまいわけじゃないし、弓道部にこだわりがあったわけでもないからさ」
「そうよね。こだわりがあるなら、きっと転校を考えた時に弓道部のある高校を選んだと思うわ」
「そうもあっさり言われると、もやもやするな」
凪は後ろ髪をかいて、苦く笑う。
もしかしたら弓道部のない高校を選択したことを後悔した日があるのかもしれない。
「弓道、好きだったの?」
「まあ、他の運動部よりは自分にあってた気がする。もし弓道部があれば、また選んだとは思う。その程度」
「またやりたいのね?」
「それほど積極的ではないけどね。まあ、機会があれば……、かな」
「じゃあ、うちに来るといいわ」
「え……?」
凪はひどく驚いて、口をぽかんと開けている。
「そんなに驚くことじゃないわ。弓道場がある家なんてあまりないだろうってことは私だってわかってるつもり」
「飛流さんち、弓道場あるんだ……、っていうか、いつもツッコミどころがあり過ぎて驚くんだよ」
もはや、もやもやしたものがあふれ出して止まらないのか、凪は両手で髪をかき乱す。
「あまりおかしいことを言ったつもりはないわ」
「飛流さんみたいな子が男を家に誘うのは良くないと思う」
凪はやけに生真面目に言う。
「なぜ?」
「わかってないからだよ。理解してて誘ってるなら、それはそれで戸惑うけど……」
最後の方は口ごもりながら言うから、何を言っているのかよくわからなかった。
「誘ったこと、迷惑なら断ってくれたらいいだけよ」
「迷惑ではないよ。ただ行く勇気は今のところない……」
「そう、残念ね。弓道場を使う人もいなくて、祖父がさみしがってるんじゃないかなんて思って。木梨くんが使ってくれるならと思ったんだけど」
本当に残念、と息をつく。
「おじいさんがさみしがる?」
「ええ。祖父が亡くなったのは去年なの。亡くなる数日前まで本当に元気だったから、弓道もずっと続けてて。弓道部が廃部になったのは祖父が亡くなって、講師がいなくなったからよ」
「講師だったんだ。あ、もしかして、前学園長っておじいさん? ただでさえ学園長が変わって大変な時に、代わりの講師を見つけるのも大変だよな」
凪は納得するようにうなずく。
「ええ、そう。祖父が生きていたら木梨くんも弓道が出来たのに、本当残念ね」
「運が悪いんだ、きっと俺は」
「本当にそうね。そうでなきゃ、ここにはいないわ」
「あっ、いや……、そういう意味じゃないよ。飛流さんと知り合えたのは、俺としてはラッキーで……、つまり運がいいっていうか……、嫌なことでもなんでもなくて……」
みるみるうちに凪の顔が赤くなっていく。
その様を見ているのは悪い気はしなくて、黙って彼を見つめる。
そして、視線が混じり合うと、彼はますます真っ赤になって、何も言わない私に対し、意味不明に「……ち、違うんだ!」と叫んだ。
凪の大声にびっくりしてはいない。
しかし、彼は自分の声に驚いたのだろう。ハッとして口をつぐみ、私の視線を気にするようにティーカップへと目線をさげると、一気に紅茶を飲み干した。
「熱くない?」
「ちょっと、熱かった……」
「あなたって、落ち着きのないところもあるのね。とても興味深いわ」
凪はうらめしそうに私を見た後、のどに手を当てる。
大丈夫だろうかと立ち上がり、うつむく彼の顔を覗き込もうとした時、部室のドアがそっと開いた。
「那波ー、来ちゃった。取り込み中ー? なんだか楽しそう」
どこをどう見て、楽しそうだと判断したのかは理解できない。
ドアから顔だけ覗かせた芽依が、軽やかな足取りで部室の中へと入ってくる。
「部活は?」
芽依に尋ねる。
アッシュブラウンの長い髪を後ろで一つに束ね、半袖短パンの体操服の上に薄手のジャケットを羽織っている彼女は、「大丈夫」と手を上げる。
彼女は細かいことを気にしないタイプだが、大丈夫だというなら大丈夫なのだろう。それ以上を詳しく尋ねる必要もない。
凪から離れて椅子に座りなおすと、今度は芽依が近くにあった椅子を引いて、彼の隣に密着するように座った。
「あなたね、新しい部員の木梨凪って。手を当てたりして、のどに何かあるの? あはは、おかしい。鳩が豆鉄砲を食ったような顔してるわよ」
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