太陽と傀儡のマドンナ

水城ひさぎ

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悲しみのキャストドール

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***


「退部届なんて……」

 片手で顔を覆う。俺はまた那波を傷つけたのだ。

 彼女に触れて、何を暴こうとしていたのか。誰にだって知られたくないこと、触れられたくないことの一つや二つあるだろう。
 それを、無責任に触れようとした。いや、触れてしまった。

 退部届をつかんで、俺も部室を後にした。

 那波の姿は見当たらない。
 体育館へ向かっただろうか。追いかけて何を言えばいいだろう。ごめん、なんてありふれた言葉で許されることはないだろう。
 それでも、何か言わなければもう那波と話す機会さえ来ない気がして、俺はすぐさま体育館へと向かった。

 体育館へつながる廊下に差し掛かるところで足を止めた。壁際に置かれたゴミ箱に、無造作に丸めた退部届を投げ込む。

「木梨、どうした? もう授業始まってるぞ」

 後ろから声がした。安藤先生の声とすぐ気付く。振り返った時には、先生はすぐ横に来ていて、ゴミ箱の中をちらりと覗き込んでいた。

「那波とけんかでもしたか」

 那波とけんかなんてあるはずない。それをわかっていて、冗談めいた口調で言うのだろう。
 先生はゴミ箱から退部届を拾い上げる。

「忙しいな、木梨も。入部して、まだ三日目だろ?」
「三日目だからです、きっと」

 那波と距離が縮まったような気がして、彼女の心に無造作に踏み込んでしまった。そのしっぺ返しをくらったのだ。

「で、那波はなんで退部しろって?」

 くしゃくしゃになった退部届を丁寧に伸ばしながら安藤先生は問う。
 まだ未記入の用紙に安堵したのか、ホッと息を吐く。彼も心理学研究部の存続を願う一人だ。

「安藤先生は、部がなくなったら飛流さんの居場所がなくなるから、それで部員探しに躍起だったんですか?」

 那波はいつも一人だった。ただ彼女の冷たい雰囲気にみんなが馴染んでいけないだけだと思っていた。しかし、実際は違う。

 バケモノと言われた彼女に関わりたくない。それが率直な思いではないか。
 だから先生は、クラス以外の居場所を那波に与えてやりたかったのだろう。
 それはつまり、安藤先生は那波の身に起きた騒動を知っているということだ。

「木梨が退部したいって言うなら、無理には引き止めないさ。ただ俺はきっかけが必要だと思った。それがたまたま部活だっただけで。部活以外のことでもなんでもいい。那波が他の生徒に関わっていく場所が必要じゃないかと思っただけだ」
「飛流さんにそのつもりはないみたいです」
「まあ、そうだな、那波は人付き合いが苦手だからな。たとえ側にいてほしいって思っていても、そう言いはしないさ。だから那波の周りには、芽依のような、自分から関わろうとする人間しかいない。まあ、芽依は姉妹だし、特別だけどな。でも最近は違っただろう? 研究部に出入りする生徒もいるって話だ。少しは部の存在が那波のためになってる。俺が木梨を利用したって抗議したいつもりなら、素直に謝ろう。でもいいのか? 木梨は違ったのか? 那波に突き離されたら、それで終わりでいいやつなのか? おまえは」
「認めるんですね。俺が転校生で、飛流さんに起きたこと何も知らないから、だから部に誘ったって」

 廃部にしないためなら誰でもよかった。俺じゃなくたって。

 胸に手を当てる。痛い。胸が痛む。
 那波のいれた紅茶を飲んで、那波とたわいのない話をする。
 そこに楽しみを見出していた俺の存在は、彼女にとって俺以外の誰かでも構わなかったという現実が俺を苦しめるのだ。

「これじゃあ……、捨て駒だ」

 安藤先生は眉をひそめるが、四つ折りにした退部届を俺の手に握らせる。

「そう思うならそれでいい。だけどな、木梨。それはいい意味での捨て駒なんじゃないか? この三日間で、那波に与えた影響は大きいはずだ。退部するしないは自由だが、退部したくない気持ちが少しでもあるなら、自分でこの退部届を突き返してこい。そのぐらいしないと、那波には伝わらんだろう」
「俺は……、知りたいです」

 握りしめた退部届を額に押し付けて、俺は深い息を吐き出す。

「飛流さんのこと、もっと知りたいんです」

 肩に優しいぬくもりを感じる。安藤先生の手だ。
 顔をあげると、先生はひどく優しい眼差しでうなずいた。

「知りたきゃ、飛び込むしかないだろう。虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。那波のことは前の学園長も心配されていた。俺から話してやれることはほとんどないが、少しは事情を知ってる。一人で抱えきれないとなったら、俺が話を聞いてやるよ」
「そんなこと言ったら、本気にしますよ」
「おいおい、俺が煽ったなんて言うなよ」

 快活に笑って、強く俺の肩を叩き、にやりとする。もういつもの豪放磊落な先生だ。

「初恋の相手が那波とはな、少しは気の毒に思う」

 急に何を言い出すのかと目が点になると同時に頬が赤らむ。これでは認めたようなものだ。

「な、……初恋! そ、そんなんじゃ……」
「部室で悪さするなよ?」
「なっ、あ……す、するわけないじゃないですかー!」

 俺の否定もむなしく、「青春だなぁ」と古臭いことを言いながら、安藤先生は職員室へと戻っていった。
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