太陽と傀儡のマドンナ

水城ひさぎ

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悲しみのキャストドール

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 困る。那波が純粋極まりない澄んだ目で俺を見つめるから。

 ついさっきまで、那波とはもう普通に話せないんじゃないかなんて苦しかった胸は、おかしいぐらいどきどきしている。それもまた苦しみと言えば苦しみか。

 唐突ではあるが、那波に特別な感情を抱いてると、認めなければいけないだろうか。

「運命的って……」

 苦笑いでごまかす。那波は誤解を招くようなことを時々言う。それだけ純粋なのだろうが、不純な気持ちを持ってしまった男には少々毒だ。

「こんなことってあるのかしらって本当に不思議」
「普通のことだよ。飛流さんってどんな風に育ったんだよ。今のままじゃ、先が思いやられるよ」
「そうね。本当にそう。私の中にもあるかしら。木梨くんが見せてくれる楽しさみたいなもの」
「あるよ。だからさ、飛流さんも笑ったらいいんだよ。そうしたら、変な噂も誤解もなくなる」
「笑顔にはそんな力もあるのね。でもどうやって笑ったらいいのかわからないの」
「結構さ、笑顔を作る練習とかしてるもんだよ、みんな。飛流さんもしてみたらいいよ」

 那波が笑ったら、きっと可愛いだろう。
 俺をみちしるべだなんて言って慕ってくる彼女が笑顔を知ったら、他の男にも目が向いてしまうかもしれない。
 しかしそれはそれで、きっと俺は嬉しいと思うのだろう。彼女がこのまま笑わないよりは、よっぽど幸せだ。

「もうはがそうか、この貼り紙」

 掲示板に貼られたままの、心理学研究部部員募集の貼り紙に目を移す。
 俺は正式な部員になったのだ。もう必要ないだろうと、それに手をかける。
 那波は抵抗しなかった。部員は二人で十分だ。その思いはどうやら一致しているようだ。

「今日も部活行くから」

 貼り紙も退部届も丸める。

「捨てるよ?」

 そう言って、近くにあったゴミ箱へ投げ捨てた。那波は何も言わなかった。それは俺に部員でいていいという意思表示だったのだろう。



 那波はテーブルの上に、どこから持ってきたのか卓上ミラーを置いて覗き込んでいる。
 首を傾げたり、頬を指で押し上げたりしているが、どうにも納得できないのか、また首を傾げる。さっきからその繰り返しだ。

 那波はどうやら俺のアドバイス通り、笑顔の練習を始めたようだ。
 俺はその様子を紅茶を飲みながら見ているわけだが、あまりに可愛らしい行動に知らず笑みがこぼれる。

「飛流さんって、趣味とかないの?」

 どうやら笑顔の練習は諦めたらしい。紅茶を口にする那波に尋ねる。

「趣味?」
「趣味をやってる時って、楽しい気分になるだろう?」
「そうね。楽しいかどうかはわからないけど、昔からこっそりバレエの練習はしてるわ」
「へえ、バレエ? 踊るやつ?」

 意外だ。運動とは無縁に見えたから。

「ええ。小さな頃からやっているの。そのぐらいかしら」
「バレエやってる時のこと思い出したら、うまく笑えるんじゃないかな。つらいだけじゃ続かないだろうから、やっぱり楽しいって気持ちがあるはずだよ」
「難しいわ。バレエはずっと強制で、きっと楽しいなんて思ったことなかったはずだから。今でも続けてるのは、祖母が上手ねって褒めてくれたからよ」
「嬉しかったんだ? 飛流さんの言うところの、喜びだね」

 基本的な人の感情は実にシンプルらしい。
 怒り、悲しみ、不安、喜びの四つ。
 那波は喜びの感情が自分の中にあることを気付いた時から、きっと様々に絡み合う感情に気づいたのだ。

 なぜ彼女が喜びの感情を表に出さないのか。その理由はわからないが、育った環境にあるのだろうとは思う。
 不躾になんでも尋ねると、彼女の気を害してしまうかもしれないから、なかなか尋ねる勇気はない。

 それでも俺は、那波の笑顔を見たい気持ちにとらわれていて、どうにかしたいと思ってしまうのだ。

 那波は無表情で、俺をじっと見つめ、どきりとすることを言う。

「………木梨くんって優しく微笑むのね」
「そうかな」
「真似……、してみようかしら」

 思いがけない那波の発言に、俺はうなずく。

「真似か。それもいいかもしれない。習うより慣れろだ。楽しくなくても、みんなが笑ってる時は一緒に笑ってみたらいいんだ。案外みんなそうだしね。作り笑いだって必要だよ。つまり、社交性を身に付けるって意味ではね」
「みんな嘘の笑顔を?」
「時と場合によるけどね。深く気にすることないよ。本当に心が許せる相手には、自然と笑顔になれる」
「心が許せる相手なんて祖父母だけよ。でも祖父はいつも笑わなくても大丈夫だよって」

 祖父母の話をすると、那波は悲しそうだ。
 本当に慕っていたのだろう。祖父母を失い、孤独になってしまったことが、より彼女を孤立させているのかもしれない。

「それは無理しなくていいって意味だったんじゃないかな。飛流さんのこと、よくわかってくれてたんだ」
「祖父母だけなの。私のこと受け入れてくれたの。だからもう、心が許せる相手なんていないわ」
「飛流さんには芽依がいるよ」
「芽依……、芽依は特別。あの子と私は、そういう関係じゃないの」

 悲しそうに目を伏せる那波を見ていると、彼女の中には、悲しみと不安の感情が存在していると思う。

「飛流さん、大丈夫だよ。また現れるよ、心が許せる相手。人は失ってばかりじゃないよ。新しい出会いだってあるんだから」
「なんだか木梨くんに言われると、本当にそんな出会いがある気がするわ」

 那波は嬉しそうだ。けして笑ったりはしないけど、声のトーンがあがる。

「飛流さんって素直だね」
「それで口説いてるつもりか?」

 後ろから声がした。
 那波の視線が動くのに合わせて振り返ると、部室のドアに寄りかかり、薄笑いを浮かべている男が俺を見ていた。

 初めてみる生徒だ。奇抜な風貌をしている。学校のどこかで見かけていたら忘れないような。

 那波はすぐさま立ち上がるが、男は「そのままで」と手で制すと、ずかずかと部室に入ってきて、ギンガムチェックのテーブルクロスに手をついた。

「確か部員募集してたよな。さっき見たら貼り紙なくてさ。まだ募集してる?」

 男が唐突にそう尋ねるのに対し、那波は何を思ったのか、自分の左目に手を当てた。

「あなた、左眼、ケガしてるの?」

 那波が疑問に思ったのは不思議ではなかった。しかしそれを、初対面の相手にいきなり尋ねるには勇気がいるような風貌を男はしている。さらりと尋ねるのだから、那波は怖いもの知らずだ。

「ケガではないな」

 男は前髪をかきあげ、薄く笑みを浮かべたまま右目を細める。その右目の色はグレイだ。日本人離れした瞳だ。ハーフだろうか。
 瞳に合わせたのか、髪も変わった色をしている。赤みがかった灰色。染めているのだろう。だとしたら、思い切り校則違反だ。

「そう。眼帯なんてしているから、そう思ったの」

 那波はそう言うと、「紅茶いれるわ」とティーカップを用意する。
 眼帯以外、興味を惹かなかったのだろうか。どう見ても現役高校生らしくない格好をしていて、他にもツッコミどころは満載だが。

「あいにくレモンティーしかないの。あ、木梨くん、お客様がいらした時は椅子の用意を」
「あ、ごめん。……どうぞ」

 那波に指摘されて、壁際に寄せてある椅子を一つ運ぶと、男に座るように勧めた。
 部員である以上、部長である那波の指示は絶対で、俺たちの立場の差はやけに明確だ。

「へえー、噂は本当なんだな」

 男は椅子をわざわざ那波の隣に移動させると、彼女からレモンティーの入ったカップを受け取った。

「噂?」

 那波は首を傾げる。噂されるような部活なんだと危惧するというより、噂されることが多すぎて、どの噂なのかわからないといったところだろうか。

「ここへ来れば紅茶が飲めるって噂だよ。どんなに楽しい部活なのかと、前から興味があった」
「楽しいかどうかは知らないわ。それで今日は入部希望で来たのかしら?」
「えっと、飛流那波だっけ?」
「そうよ。あなたは?」
「ああ、俺は樋野ひのひかる。三年だ」

 三年?

 聞き耳を立てていた俺は、輝に思わず目を向けた。しかし、彼は那波ばかり見ていて俺が驚いたことにも気づかない。
 そして、彼女が俺の気持ちを代弁した。

「三年生は来週で部活は引退よ?」
「引退したら、こっちの部に入りたいって思ってたんだ。そしたら、部員募集の貼り紙がなくなってたからさ、もしや廃部かと気になって来てみたんだ」
「木梨くんが入ってくれたから、募集はやめたの。でも部員数は二人と決まってるわけじゃないから歓迎するわ。もちろん、私に関わってもかまわないと思うなら」
「あんたの噂は聞いてるよ。別に気にしてない。むしろ、だからこそ興味がある。ああそうだ。悩み相談してるとも聞いたな。俺の悩みも聞いてもらえるのか?」

 悩みがあるのか、と俺は思う。確かに私生活が荒れていそうな様相だが。偏見か?
 それに、悩み相談を那波にしてもらえると、学内では広まっているみたいだ。

「聞くだけよ。何も出来ないわ」
「本当か? 噂じゃ、不思議な力で悩みを解決してくれると聞いたが?」

 那波は少しばかり沈黙した。その無表情からは心中を察することは出来ないが、あまりにも突飛な話だ、いぶかしんでいるかもしれない。

「力なんて、ないわ。何かの勘違いよ」
「誤解じゃなくて、勘違いか。江井見一族には神秘な力がある。それは昔から言われてきたことだろう?」

 江井見一族?
 那波の母方の親族のことだ。なぜその名が出るのだろう。

「ずいぶんと大雑把な話だわ。私が勘違いだと言ったのはそこよ。御随身だった先祖を、神の守り手である随身が化身となり、江井見一族として不思議な力をふるい、この地を繁栄に導いた……、なんて神話のように語られたのは、ただの勘違い」
「だが、あんたの家の裏山には、それを裏付けるような守り神が祀られた神社がある」
「神社なんて言えるほどのものではないわ」

 神社があるとは初耳だ。だが、あるのだ。那波はそれを認めた。

 悩み相談というには、話が飛躍しすぎていて、俺は理解に苦しむ。神だのなんだのと、信仰心が薄い俺には遠い世界の話のようだ。

「だが、神はそこにいる」

 輝は確信しているかのように力強く言う。

「神はなんでも叶えてくれるわけじゃないわ。たとえ叶えてくれたとしても、全てを解決するわけじゃない。私はあなたの悩みを聞くことは出来ても、解決することは出来ないのよ」

 那波は一気に吐き出すと、息をつく。
 悲しげな目に輝も良心がとがめたのだろうか、「じゃあ、百歩譲ろう」と組んでいた足をほどき、彼女の前に顔を突き出した。

「俺の悩みはこれだ。これでは就職も出来ないだろう。あんたなら、なんといってなぐさめてくれる?」

 輝の左側だけ長い前髪の奥。そこにちらりと見える黒の眼帯。那波の前で、そっと彼は眼帯を持ち上げる。

 俺からは眼帯の下は見えない。しかし、間近で那波はそこをじっと見ていた。見せつけられていたと言ってもいい。彼女はぴくりとも表情を変えず、彼と見つめ合っていた。

「怖がらない女は初めてだ」

 輝は眼帯を元に戻す。那波は何かを思案しているように彼を見つめたまま。

「あんたの顔、綺麗だな」

 輝はどきりとするほど、柔らかな声音で囁く。那波が彼の顔を間近で見ていたように、輝もまた彼女を間近で見つめていたのだ。

 俺の胸はざわつくが、那波の心に彼の言葉が響いたかはわからない。

「ごめんなさい。言葉が見つからないわ」

 ようやく那波は言う。彼女は眼帯の下に何を見たのだろう。しかし輝には十分な答えだったようだ。

「あんたが気に入った。来週、また来よう」

 輝はそう言って、まんざらでもない様子で部室を出ていった。
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