太陽と傀儡のマドンナ

水城ひさぎ

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悲しみのキャストドール

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***


 心理学研究部の部室に向かっていると、渡り廊下で学生カバンを手にした那波とすれ違った。

「あ、……飛流さん」

 声をかけると、数歩進んだ彼女はゆっくり振り返り、首を傾げた。
 俺とすれ違ったことにも気づかなかったらしい。どうやら俺は相当記憶に残りにくいようだ。

「何か用? 木梨くん」

 用……か。用がなくても那波と話がしたいという気持ちは、彼女には理解できないだろう。

「飛流さん、帰るの?」
「ええ。木梨くんは? 今日も文化祭の準備かしら? 昨日は芽依と一緒に遅くまで頑張っていたそうね」

 まるで嫉妬?
 そう思いたくなるぐらい素っ気なく言うが、そこにはどんな感情も込められていないのだろう。

「あ、昨日はケーキ美味しかったよ、ありがとう。飛流さんは食べれた?」
「少しだけ。またいつでも来ていいのよ。芽依が喜んでたわ」
「あー……、用事がある時だけにしておくよ。それより飛流さん、今日部活は?」
「部活は休みよ。言わなかったかしら?」
「聞いてないよ」

 さらりと言うが、部活を楽しみにしている俺にとっては衝撃的な話だ。ここへ来るまでに野球部員とすれ違ったが、一部の部活はあるのだろうか。

「そうだったの、ごめんなさい。今日から文化祭まで部活は休みなのよ。申請すれば部活は出来るんだけど、そこまでする必要はないと思ったの」
「飛流さんはこれから文化祭まで早く帰るんだ?」
「文化祭の手伝いなんてないもの。学校に残る理由はないわ」
「じゃあ、俺も帰るよ」
「いいの?」
「任されてる仕事はないから大丈夫だよ」

 そう言うと那波が歩き始めるから、俺は追いかけて並んで歩いた。

 那波と二人で帰るのは初めてだ。すれ違う生徒が好奇心むき出しに振り返るけど気にならない。誤解されたって噂されたってかまわないと思う。

 下駄箱で靴を履き替え、校舎を出た。グラウンドでは野球部の他にもいくつかの運動部が練習している。サッカー部も例外ではないが、輝の姿はないようだ。

 那波はサッカー部の方に目を向けることなく、ひたすらまっすぐ前を見て歩き続ける。輝のことはもう忘れたのだろうか。そんな小さなことが気になったりする。

「芽依から聞いたけど、飛流さんって学年一の成績なんだって?」
「順位は気にしたことないわ」
「へえー、一度そんなセリフ言ってみたいよ。芽依はいつも二位だから、なかなか褒めてもらえないって言ってたよ。俺からしたら、芽依もすごいけどさ」
「木梨くんは一位になりたいの?」

 思わぬ質問に、うーん、と考え込む。

「なりたいかって聞かれると、そこまでなりたいわけじゃないかな。でもさ、やっぱりすごいよ」
「芽依が言ってたわ。勉強を頑張るのは入りたい大学があるからだって。入りたい大学がなければ、頑張る必要はないのかしらとも思うの」
「それはどうかな。飛流さんは入りたい大学ないの?」
「ないわ。学校に行かせてもらえるのは高校だけよ。卒業したら家のお手伝いするように言われてるの」

 那波は思いがけないことばかり言う。

「家の手伝い?」
「だから勉強なんて頑張る必要はないって父からは言われるわ。高校に行くように言ったのは祖父だし、父は私に家から出て欲しくないのよ」
「じゃあ、進学も就職もしないで……、結婚とかするのかな?」

 那波はお嬢様だ。何もおかしいことはない。良縁があるなら、結婚することもあるだろう。

「結婚?……できるのかしら。だって結婚は好きな人とするのでしょう? 祖母がそう言っていたわ。私にはきっと無理よ」
「そんなことないよ。結婚したいぐらい好きな人、いつか出来るよ」
「木梨くんはいつもそうやって優しいこと言ってくれるのね。でもいいの。高望みなんてしないわ。私はあの家で過ごせるだけでいいの」
「それじゃあ、卒業したら飛流さんとは会えなくなるのかな」
「そうね。木梨くんだけじゃないわ。芽依や両親以外の人と会うことはないわ。それが父の望みだもの」

 心なしか那波が寂しげに見える。追いかけなければ、手ですくった水が指の隙間からこぼれ落ちるように、彼女をそこに留めておくことはできない気がして。

「会いたいって……、言っても?」

 校門を出ていく那波の背中に問いかける。確かにその言葉は届いたのに、彼女は振り返りもせず、一度止めた足をまた前へと踏み出した。
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