太陽と傀儡のマドンナ

水城ひさぎ

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悲しみのキャストドール

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「会いたいって……、言っても?」

 か細い凪の声は風に吹かれて消えてしまいそうなほど小さなものだったのに、私の耳にはっきりと届いた。
 だけどどうすることも出来ない。イエスもノーも、私には言えない。

 私に会いたいと思ってくれる人が現れるなんて、誰も想像しなかったことだから、その答えは用意されていないのだ。

 無言で歩き出す私を凪は追いかけてきた。

「飛流さんもさ、将来やりたい仕事とか見つかったら、学園長に相談するといいよ。何もしないで家にいるだけなんて、きっと退屈だよ」

 凪なりに気を遣っているのだろうけど、彼は何も知らないからそう言うのだとも思う。

「そうでもないわよ。どちらかというと、ずっとそうやって過ごしてきたんだもの。退屈だなんてことはないわ」
「……芽依から聞いたよ。小学校も中学校も行ってないんだって? 学園長は飛流さんの体調とか、すごく心配してるのかな」
「芽依は木梨くんにそんな話までしたの? よほどあなたのことが好きなのね」
「好き、とかじゃないよ。ただ飛流さんのこと、心配してるだけだよ」
「心配なんていらないわ。体が弱いわけでもないの。高校に来たことがきっと間違いだったんだわ」
「間違いとか、言うなよ」

 凪は悲しげに眉を下げる。なぜこんなにも親身に、私の心に同調しようとするのだろう。

 彼の優しさは誰にでも向けられるものなのに、私はその優しさに触れるとなぜだか泣きたくなるのだ。悲しくないのに涙が出るなんて、おかしい。

「だってそうは思わない? 私のせいで、一人の女子生徒が退学したの。彼女の人生を変えてしまったのよ」

 あれはちょうど一年前のことだった。
 友人とおしゃべりしながら歩いてきた女子生徒が、教室に入ろうとした私に気付かずぶつかってきた。

「あ、ごめんっ」

 そう言って、彼女はよろめいた私を助けようと手を伸ばした。

 あの行動は彼女の優しさによるものだったのではないか。その優しい彼女は私の手に触れた瞬間、悪魔の心を持ってしまったのだ。

 あの時、目を見開いた彼女は私の手を離した。そのままよろめいて床に倒れ込んだ私に向かって、恐怖に怯えた目をして悲鳴をあげた。

 廊下にいた女子の何人かが彼女に身を寄せて、私を取り囲んだ。そして彼女は私を指差し叫んだ。

「バ……、バケモノッ!」

 冷たいのっ!
 飛流さん、冷たいのっ!
 死んでるみたいに冷たいのっ!

 周囲に訴えかける彼女を私はぼんやり見ていた。

 体が冷たいことが、誰かに恐怖を与えるなんて知らなかった。芽依も祖父母も私に触れても何も言わなかった。いつも優しく私を抱きしめてくれていた。

 この時、なぜ父と母が私を高校に行かせると言い出した祖父に大反対したのか理解した。

 教室にいた芽依が騒ぎに気付いてやってきて、いつもの笑顔で私を抱き起こした。

「那波は極度の冷え症なの。ごめんね、びっくりさせて。低体温も低体温でしょ? ほんと、びっくりしたよね?」

 誰があの言葉を信じただろう。だけどそれを否定する者はおらず、見え透いた嘘でも、学園長の孫である私たちの権力の前では、違うと声を上げることが彼らには許されていなかった。

 次の日、彼女は学校に来なかった。その次の日も、その次の日も……。気づけば、退学したとみんなが噂していて、誰も私に近づかなくなっていた。

「それは飛流さんのせいじゃないよ。彼女はいくらだって退学しないで生活していくことも出来たはずだよ。飛流さんは逃げないでこうして毎日学校に来てる。彼女にもそれは出来たはずなんだから」

 凪は必死だ。私より傷ついたような顔をしてる。本当に変わった人。

「祖父が学校に通ってたらいつかいいことあるよって言ってくれたからやめなかっただけよ」
「いいことはあった……?」

 凪は祈りをこめて言う。だからというわけではないけれど、私は指を頬に当てて、ちょっと口角をあげる。

「そうね……、あまり考えたことはなかったけど、こうして話せる木梨くんに出会えたことは、いいことなんじゃないかしら。こんな話、誰かに話すことがあるなんて思ってなかったから」

 微笑んだように見えただろうか。

 凪は苦しげに微笑んで、目にうっすら涙を浮かべて、前髪をくしゃりとかき混ぜた。

「飛流さんはすごく素直で、頑張り屋だよ。まるで生まれたばかりの赤ちゃんみたいに、いいことも悪いことも吸収するんだ。俺はそういうとこにすごく……」

 凪は言葉を詰まらせる。

「木梨くん、なに?」

 そういうとこになんだというのだろう。私に対して否定的な言葉しか思い浮かばないけど、凪は思いもつかないようなことを言うのではないかと期待に胸が膨らむ。
 しかし、彼はため息を吐きだし、首を横に振る。

「あ、……いや、なんでもないよ。なんでもないんだ」

 失望してしまう。だけど、気にはならない。たとえ彼が私に否定的な意見を持っていたとしても、それは導きであって、私をおとしめるものではないと思うから。

 凪が困ったように口をつぐむから、私は話題を変えた。

「木梨くんは高校卒業したらどうするの?」
「え、あ、俺? 俺は……、大学には行くつもりだけど、その先のことまではまだ考えてないかな」
「そう。芽依と同じ大学に行けるといいわね」
「無理だよ。成績に差がありすぎるから。でも、卒業しても連絡とか出来たらいいとは思う」

 凪の言葉は、いつも優しい。

「そうね。芽依は木梨くんがお気に入りだから、きっと喜ぶわ。私ね、あの子には幸せになってもらいたいの。木梨くんみたいに優しい友だちが側にいてくれたら、きっと心強いと思うの」
「飛流さんは芽依の幸せしか考えないんだ?」
「それ以外にある?」
「……あるよ。人間は誰だって、一番に自分の幸せを考える生き物なんだから」
「私には関係のない話よ。じゃあ、木梨くん、私はここで。また明日」

 分かれ道にたどり着く。いつもは長く感じるこの道も、今日ばかりはあっという間で。

 凪はまだ何か言いたそうだったが、「また明日、飛流さん」と笑顔で片手を上げる。

「信号、変わるわ」

 横断歩道を指差すと、凪も振り返って信号を確認する。そのうちに私は歩き出す。凪とまだ話していたいと思う気持ちを断ち切るにはそれで十分だ。

 しかし、私は足を止めた。

「お兄ちゃんっ」

 そう叫ぶ可愛らしい女の子の声がして、思わず反応してしまう。いつもだったら聞き流してしまうようなことだけど、思わぬ好奇心が私を揺り動かした。

 振り返ると、セーラー服を着た女の子が横断歩道を渡ろうとする凪を呼び止めているところだった。

 黒いおさげ髪が愛らしい女の子だ。目元が凪によく似ている。一目で妹とわかる。
 少女は胸元の赤いリボンを大きく揺らして、凪に駆け寄る。そして、最初から気になっていたとばかりに私の方を見る。

 凪もこちらを見て、少女に何かを言う。
 同級生だよとか、部の部長だよとか、そんなことだろう。だが、少女はひどく驚いた表情で私を見つめる。
 そういう視線になれていた私は気にとめることもなく、ゆっくりと頭を下げた。

 ハッとして少女もぺこんと頭を下げる。素直そうな可愛らしい子だ。

「お兄ちゃん……、あの人っ」
「指差したら失礼だよ。飛流さん、悪気はないんだ、ごめん」

 少女をたしなめる凪に首を振り、私はまた二人に背を向けて歩き出す。

 凪には妹がいるのだ。全然知らなかった。そう思ったら、胸はちくりと痛む。

 凪のこと……、もっと知りたい。

 そんな気持ちに気付いたら、なぜだか妙な敗北感に襲われて、まるで二人から逃げ出すように帰宅の途を急いだ。
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