太陽と傀儡のマドンナ

水城ひさぎ

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すれ違う祈り

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***


 今日も影見神社の周囲には、あの日を思い起こさせるような穏やかな風が吹いている。

「気温も湿度も、風向きもかなりいいわ。次の土曜日も、今日と同じような気候らしいの」

 ノートに書き込んだメモを確認しながら、風向計を持つ凪に声をかける。

「じゃあ試してみるならその日だね」
「ええ、ようやく。木梨くんのおかげで思ったより作業がはかどったわ。明日のテストは大丈夫かしら」

 今日は期末テスト期間中の水曜日だ。午前でテストを終え、そのまま凪には神社まで来てもらった。

「すぐに帰って勉強するよ。今度の土曜日ならテストも終わってるし、樋野先輩も都合が合うといいね」
「そうね、輝には私が連絡するわ。あ、そうだわ。木梨くん、きっと母がチーズケーキを用意しているはずだから、持って帰るかしら? 食べていってもらいたいけれど、長く引き止めても迷惑よね」
「あのチーズケーキ、美都夜が大好きなんだ。持って帰るよ、ありがとう」
「美都夜さんというのは妹さん?」
「今度紹介するよ。飛流さんと正反対のガサツな妹だけどさ、いろんなことに理解があるから、きっと飛流さんと仲良くなれると思う」
「……ええ、その日が来たら」

 チクリと胸が痛むが、私はなるべく平静に振る舞う。

 清々しい笑顔の凪は優しすぎる。
 少しでも弱音を吐いたりしたら、彼は私を救おうと最善を尽くしてくれるだろう。

 彼に嘘をつくようなことはしたくないと思いながら、私の言葉が誤解を招いていることを自覚すると、胸が苦しくなる。

「行きましょう、木梨くん」

 逃げ出したくなる足を叱咤するようにゆっくり歩き出すと、凪が当たり前のように隣に並びながら尋ねてくる。

「飛流さん、今度の土曜日は昼過ぎに来てもいいかな? また手伝うよ」
「……あの、いいの、木梨くん。あの日の再現だから、木梨くんを巻き込むわけにはいかないわ」
「でも心配だよ」
「大丈夫よ、輝もいてくれるんだもの。何も心配はいらないわ」
「……そっか」
「ありがとう、木梨くん。本当に、今までありがとう」

 頭を深くさげると、凪はちょっと笑う。

「なんか大げさだよ。おかしいな、飛流さんは」
「私が心の底からお礼を言いたい相手は木梨くんだけよ。まだ……、一ヶ月よ。あなたと出会って大して経ってないのに、全然そんな気がしないの」
「前世でも友だちだったかもしれない、なんておかしいか」
「いいえ、そうだったらいいわね。来世もまた出会えるような気がするわ」
「運命的だ」
「……」
「飛流さんにそう言われた時、俺は嬉しかったんだ。飛流さんを好きになったことも運命だったら嬉しいと思う」
「……また、好きになる?」
「何度も好きになれると思う」

 まっすぐに私を見つめてくれる凪を心配させたくなくて、震える唇を隠すように顔をそらした。
 涙が流れないというのは、都合のいいこともあるのだと思う。

「信じてるわ、木梨くん。それしか言えなくて、ごめんなさい」




 チーズケーキの入った紙袋をさげて、玄関前の石畳を歩いていく凪の後ろ姿を見送った。

 彼の背中が見えなくなるまで見つめ続けた。
 飛流那波として凪に会う日はあと何日あるだろう。もしかしたらもう会える日はないかもしれない。もしそうだとしても、最後にくれた彼の言葉が私の支えになる。

 またいつか会えるだろう。また出会ったら、必ずまた彼を好きになるだろう。

「那波、凪は帰ったの?」

 玄関のドアを閉め、自室に戻ろうと振り返ると、二階に続く階段の途中に立つ芽依が軽やかな足取りで降りてきた。

「ええ、今」
「最近凪と仲良しね。付き合ってるんじゃないかって学校で噂よ?」
「そんなことないの」
「本当? もしそうなら、私たちはこのままでいいと思ったりもしたんだけど」
「このままでいいなんてことはないわ。私の気持ちは変わらないの」
「でも勝負の後、凪に全部話したんでしょ? 私たちのこと。それでも側にいてくれるんだったら那波の思いも伝わるんじゃない?」
「そのことだけど、芽依、私ね、木梨くんに告白されたの。好きだと言われたわ。今でも不思議よ。興味本位でそんなことを言っているようには見えなかったから」
「那波、本当? 良かったじゃないっ」

 私の手を両手でつかむ芽依は、にこにこと微笑む。
 私もこんな風に喜びを表して、凪の胸に飛び込むことができたら、きっと幸せだったのだろう。

 でも、私には無理だ。凪の告白が嬉しくないわけはないのに、嬉しいと思うことはできなかったのだ。

「凪にはなんて返事したの? もちろんオッケーしたんだよね?」

 芽依から手を離し、目線を落とす。彼女の手のぬくもりに触れるのをつらいと思ってしまう。

「してないわ。木梨くんに告白されて気づいたの。彼は私を抱きしめたいというから、こんな冷たい体、触られたくないって」
「那波……、でもそれは凪もわかってるんだから」
「何をわかってるの? 木梨くんは私の手に触れると、いつも顔を強張らせるの。嫌々よ。仕方ないから私に触れるの。本当は木梨くんだって、芽依のような体を抱きしめたいはずよ」

 冷静に言う私の目を、笑みを消した芽依が見つめる。
 芽依が私の心の痛みがわかっているような様子は傷つく。何もかも足りないのは私だけなんじゃないかと悲しくなる。

「じゃあどうするの?」
「私、今度の土曜日、試してみようと思ってるの」
「試すって何を?」
「飛流芽依に戻るの。私にある芽依の一部と、輝の持つ怒りを、芽依に戻すわ。試すなら今しかないの。夏が過ぎたら、また一年先になってしまうから」
「だから最近神社へ出かけてるの? パパもママも心配してるわ」
「うまく行くかどうかの確信はないの。それでも試してみたいって思ってる。だから芽依も協力して」

 芽依はしばらく沈黙した。彼女がどんなことでもすると言ったのは、嘘ではないだろう。だが、躊躇する彼女の返事が快く返ってこないことに不安を覚える。

「それは凪、知ってるの?」
「いいえ、知らないわ。彼には輝の目を治すためと伝えてあるの。土曜日には来ないように言ってあるわ」
「でも那波、あの時のことは偶発的に起きたことじゃない。そんなにうまくいく? 凪に愛されてるなら、無理に試す必要はないんじゃない?」
「私は……、芽依のような恥じない体で、木梨くんに愛されたいの」
「那波が恥じることは何もないのよ。私が賛成したのは、那波がこれから先も一人だと苦しいと思って。凪が側にいてくれるなら、さみしくないでしょ?」

 私はため息を落として首を振る。芽依には私の心がわからないのだ。

「さみしいわよ、芽依。好きな人を怯えさせながら過ごす日々は悲しいわ……」
「那波……、何を言っても試すのね?」
「私たちは元通りになるべきよ。この体は嘉木野ナミさんに返してあげるの。お父さんの側にいたいわよね、ナミさんもきっと。だから私は悲しいのよ。きっとずっと悲しいの……」

 悲しみのキャストドールは、きっと両親の元にいたいと願っているだろう。

 私が無理に嘉木野氏からナミを引き離した結果こうなってしまったことは天罰かもしれない。
 あの時、ナミの人形を諦めて、譲り受けることがなければ、こんなことにはならなかったはずだ。

「それが那波の強い思いなのね」
「ええ、だから芽依、最後ぐらい私の好きなようにさせてほしいの」
「最後だなんて言わないで、那波。まるで消えてしまうみたいなこと……。私たちはいつでも心の中で話せるよね?」
「そう願ってるわ、芽依」

 芽依はもう一度、私の手を強く握った。

 あの日に帰りたい。そうしたら、私は凪の愛を素直に受け入れることができる日が来たのかもしれないのだから。
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