せめて契約に愛を

水城ひさぎ

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キスまでの距離

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「良かったの? 沙耶ー」

 乱れた息を整えて、ようやく足を止めた私に純ちゃんは言う。

 学生以来の猛ダッシュ。100メートル以上は走っただろう。私も息が上がって、すぐには返事が出来ず、首を縦に振って応えた。

「あんなカッコいい人いないよー」

 胸を押さえて、「だって……」と、私は息を吐く。

「だって、先輩の元カレだよ?」
「この際、関係ないよ。まあ、結婚前提とか、いきなりすぎる気はしたけど」
「だよね。先輩から私のこと聞いて、からかっただけかも」
「でも、もったいないと思う」
「いいの。それよりそこの喫茶店に入ろ」

 先輩の元カレの話はもういいのと話を切って、近くにある喫茶店を見つけると、純ちゃんと店内へ向かう。
 中へ入ると、思ったより混雑していたが、空席はすぐに見つけることができた。

 純ちゃんがすぐにカウンターで販売されるホットコーヒーを二つ買ってきてくれて、向かいあって座る。
 そして、結城秀人さんの婚約パーティーでの出来事へと、すぐに話題を変えた。

「パーティーでね、幼なじみっていうのかな……、幼稚園が一緒だった男の子に会ったの」
「カッコいいの?」

 純ちゃんの関心事は、イケメンかどうかだけみたいでおかしい。

「顔はわからなかったけど」
「なんで?」
「ほら、コンタクトなくした後だったから」
「そう言えば、今日はコンタクトだね。新しいの買ったんだ?」
「うん。今度は予備も買ったし、メガネも新しくしたの。……って、そうじゃなくてね」

 すぐに脱線してしまうから、話を戻す。

「その彼がね、今日会いに来てくれるって言ってたの」
「今日?」
「うん、私の誕生日だから」
「へえ、沙耶に気があるんだ? その彼」

 ちょっと首をかしげる。

「そうなのかなぁ。いろいろ家の事情があるみたいで、お母さんのために私と結婚してもかまわないみたいな言い方してたの」
「お母さんのため……? なにそれ、マザコン? やだやだ、そんな男ー」
「やっぱりそう思う?」
「思う思う。やめておきなよ。だったら、さっきの人の方がいいって」
「でもね」
「でもなの?」

 純ちゃんは神妙な表情をする。

「うん……。純ちゃんに聞いてもらいたかったのは、私がね……」
「うん、私が?」
「私が……、なんとなく彼が来るのを待ち遠しく思ってたりして。はやく今日にならないかなってずっと考えてたりして……。彼のことが好きだとか、そんな風には思ってないんだけど、また会えたら嬉しいなって思ってるんだって気づいて。こういう気持ちはじめてだから……」
「で、それはやっぱり、彼のことを好きになりかけてるんじゃないの? って、私に言わせたいんだ?」

 純ちゃんは、なーんだ、とコーヒーカップを持ち上げる手を止めて、にやりと笑った。

「そ、そうじゃないよ!」

 バッと一気に真っ赤になったほおを両手で隠して、首を振る。

「そうだよ、きっと」

 余裕ぶってにやにやする純ちゃんは意地悪だ。

「そうじゃなくてね。湊くんはいじめっ子だったし、大人になった顔もわからないし、好きになれる理由なんてないけど……、初対面の男性と不思議と自然に話せたのって初めてだったから」
「楽しかったんでしょ? そのミナトくんって彼との会話が」
「そうなのかな……」

 湊くんに会えたとしても、きっと彼はまた私をからかうのだろう。
 それに湊くんは、結城家のために私との結婚を考えているだけだ。私が上條でなければ、私なんかに興味も示さなかっただろう。

「だったら、さっきの彼の告白は受け入れられないよねー。ミナトくん、いつ会いに来るって?」
「え、知らない……」

 純ちゃんに問われて、ふと気づく。

「知らないの?」
「うん……。今日来るってだけ……」
「電話番号とかも知らないの? 今日って、もうあと何時間かしかないし、これからご両親と食事なんでしょ? いつ会いに来るっていうの?」

 純ちゃんに言われるまで、そんなことも考えてなかった。

「なんとなく会いに来てくれるんだって思ってただけだから……」
「あきれた」
「でも、本当に来てくれるかはわからないし」
「まあねー、約束も守れないような男なら、最初からやめた方がいいしね。でも、相手の顔もわからないんじゃ、会いに来てもわかんないね」
「あ、本当だね」
「もう沙耶って、ほんとそういうとこのんびりだよねー」

 純ちゃんと顔を見合わせて、くすくす笑う。

 本当にそうだ。湊くんの顔も知らないし、もちろん連絡が取り合えるわけじゃない。今から行く、ぐらいの連絡があれば心の準備も出来るけれど。

「あ、でもさ、沙耶……」
「ん? なに?」

 少し冷めてしまったコーヒーを一口飲んだ時、純ちゃんがふと何かを思いついた表情をする。

「さっきの彼が、そのミナトくんってことはないの?」
「……え?」
「え?」
「……えぇ」
「沙耶……」
「ま、まさかー」

 また純ちゃんと顔を見合わせて、一瞬沈黙する。

「まさかだよねー」
「だよね、まさかだね」
「あ、お母さんから電話だ。ごめん、ちょっと電話に出るね」

 純ちゃんがオッケーと指で円を作るのを見ながら、スマホを耳に当てる。

「あ、もしもし、お母さん?」
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