せめて契約に愛を

水城ひさぎ

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キスまでの距離

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 20歳になってから毎年、私の誕生日には、両親と共にレストランで食事をする。

 忙しい父親でも、この日だけは出来る限りの努力をして時間を作ってくれる。今日も少しばかり遅くなったけれど、父親はプレゼントを持ってレストランに現れた。

「前に欲しがってたネックレスだよ。今年が最後かもしれないと知っていたら、もっと豪勢なパーティーをするんだったよ」

 長細い箱を開けて、ネックレスを手に取る私に、父は少し気になることを言った。

「今年が最後? どうして?」
「まあ、食事をしながら話そう」

 テーブルに並ぶ食事を前に、父は私と母を促す。しかし、すぐに胸ポケットに手を当てると、スマホを取り出して、個室を出ていった。

「電話? お父さん、忙しいね」
「本当に。でも、沙耶のお誕生日会が今年で最後になるかもだなんて、会社で何かあったのかしら。心配だわ」

 優しくてやや心配症の母は、不安そうに父が出ていった扉を見つめる。
 すぐに戻ってきた父が笑顔を見せると、安堵したように微笑み返した。

 父と母は自慢したいぐらい仲良しで、娘の私が言うのもおかしいけれど、美男美女の素敵な夫婦だ。
 結婚するなら父みたいな優しくて、穏やかな人がいいと思う。だけど、なかなか父のような人には出会えないのが現実。

 たとえ出会いがあったとしても、この辺りで有名な上條総合病院の親戚だと知られるだけで、無欲で優しい青年は尻込みしてしまう。
 いつの頃からか、私は普通の恋愛結婚は出来ないのだろうと感じていた。なんとなく情熱的な恋愛に身を置くことに欲を出せなくなっているのも、そのせいだろう。

「湊くんからだったよ。今日は大事な話があって、来たかったそうだよ。急な用事で来れなくなったと残念そうだった。なかなか律儀で良い青年だね」

 父の電話の相手を母が尋ねることはない。父もまた、不必要であれば何も言わない人。なのに、わざわざ湊くんからの電話だったと言うのだから、何かあるのだろうと、鈍感な私も察した。

「湊くん、どんな話があったの?」

 私たち家族に関係することだから話題に出したのだろうと思い尋ねると、父は小さくうなずいた。

「沙耶はこの間のパーティーで湊くんに会ったと言っていたね。彼のこと、どう思った?」
「どう? どうって……、少し話しただけだし」
「簡単にでいいんだよ」

 簡単と言われても困ってしまう。好きか嫌いかで言えと言うならば、どちらでもないと答えるしか、今は出来ない。

「湊くんは好印象だったみたいだよ」
「え……?」
「沙耶とまた話がしたいと言っていたよ。沙耶さえ良ければ、結婚前提のお付き合いもしたいと湊くんは考えてると、間接的にだけどね、お父さんは聞いたよ。結城さんならお父さんは申し分ないと思っているし、沙耶がその気なら前向きに考えてもいいんじゃないかな? ただ、あちらもいろいろと都合や事情もあるだろうから、迷うなら最初からご遠慮した方がいいだろうね。沙耶の意見はどうだい?」

 父はそう言うと、戸惑う私の返事を辛抱強く待った。

 ちらりと視線を向けた先にいる母は、やはり不安そうにしていた。穏やかな父の表情とは真逆で、母は湊くんと私の関係が父の会社に及ぼす影響を懸念しているのだろうとわかる。

 結城家の権力とか、そんなものは私にはわからない。だけど、湊くんと結婚前提のお付き合いをするということは、世間一般的なサラリーマンの家庭で育つ男性と交際することとは違うことぐらいは理解してる。

 すぐに湊くんの申し出を断るほど、彼を嫌ってはいない。だからといって、喜んで彼の気持ちを受け入れるほど、大切に思うわけでもない。

「もし、もしね」

 私は父と目を合わせたが、私の言葉で父がどう思うのだろうと考えたらいたたまれなくて、すぐにそのまま目を伏せた。

「もしお断りしたら、お父さんが困ったりしない?」

 勇気を出して尋ねたのだが、父は気にするなというように、そっと笑った。

「湊くんは沙耶の気持ちを優先すると言っていたよ。もしこの話に縁がなかったとしても、結城さんがお父さんに何かを要求することはないよ」
「湊くんがそんな風に?」

 驚いて顔をあげると、父は苦笑いのような笑みを浮かべていた。

「礼儀正しくて、根は真面目なようだね、湊くんは。今時の若者だなーと見た時には思ったが」
「見た目は真面目そうじゃないの?」
「おや、パーティーで会って話したんじゃ……。ああそうか、メガネを円華ちゃんがずっと預かっていたと言っていたか」
「そうなの。実は湊くんの顔も知らなくて」
「それでは悩むのもわかるね。では、こうしたらどうだろう。一度正式に会って、話をしてから返事をするということで」
「お見合いみたい」

 そう言うと、父はちょっと笑みを浮かべる。

「沙耶もおかしなことを言うね」
「おかしい?」
「沙耶はそのぐらいがいいんだよ。きっと湊くんは沙耶の雰囲気に癒されるんじゃないかな?」
「そうかな? でも私、湊くんとまた話がしてみたいってちょっと思ってたから、また会えたら嬉しいな」
「それが沙耶の本心なんだね。湊くんにはそのまま伝えておくよ。彼も喜ぶだろう」

 父がそう言うと、黙って話を聞いていた母が口を開いた。

「まあ、そうと決まったら、ドレスを新調しなくちゃね、沙耶。早速明日、選びに行きましょうね」
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