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寝室までの距離
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落ち着いた明かりの灯るシャンデリアがおしゃれな喫茶店で、湊くんのメールに返信をしていた。
「大丈夫? 時間がないならまたにするけど……。でも、なんだか放っておけないわ」
その様子を見ていた向かいの彼女は、スマホを鞄にしまう私に尋ねてくる。
「もう大丈夫です。ちょっと遅くなるって連絡だけ。せっかく知野先輩にお会い出来たのに、帰るなんて言わないでください」
「私はいいのよ。山口さんにたまたま会って、沙耶ちゃんが元気ないって聞いたから、心配で来ただけなのよ」
知野深雪先輩はそう言うと、「何かあったの?」と心配そうに眉を寄せた。
知野先輩は私の尊敬する先輩で、結婚を機に退社した。しばらく会っていなかったが、彼女から連絡をもらい、急遽会うことになった。
突然どうしたのだろうと思っていたが、純ちゃんが先輩にそんなことを言ったからだったのだ。先輩に会うと純ちゃんに報告した時、彼女が申し訳なさそうな顔をしたことにも合点はいく。
知野先輩は湊くんの元カノの一人で、普通なら会いたいとも思わない立場の人。私の抱える悩みは湊くんに関することだ。相談する対象にはなり得ない。
「悩みなら聞くって言ったじゃない。連絡してくれて良かったのよ」
「悩みっていうのか……」
先輩と目が合うと、戸惑う。先輩はとても綺麗。私なんかより、湊くんに似合う女性だ。直視できなくて視線をさまよわせると、彼女は息を吐き出した。
「私と湊のこと、聞いたの?」
どきりとする。先輩の口から湊くんの名前を聞くと、胸はドクドクと音を立てた。
「そのことで悩んでるなら、悩む必要なんてないって言わなきゃと思って。沙耶ちゃんが湊と結婚したことはなんとなく私の耳には届いてたわ。私から連絡しなかったのは、後ろめたい気持ちがあるとかじゃなくて、沙耶ちゃんに余計な心配をかけたらいけないと思ったからなの」
「違うんです。そのことで悩んでるわけじゃないんです……」
必死に誤解を解こうとする先輩の態度に、気持ちが沈んでいく。湊くんと先輩のことは自分の中で納得していることでも、やはり元カノだと思えば、胸は複雑だ。
先輩を尊敬する気持ちと、湊くんが好きになった人だと思う気持ちが複雑に絡み合う。こんなに素敵な先輩となぜ湊くんは別れたのだろう。先輩でダメなら、私はもっとダメだろうと悩みは膨らむ。
「違う? じゃあ、なに?」
「私……、自信がなくて」
「自信がないって? 湊とうまくいってないの?」
「それもよくわからなくて……」
なかなか先輩が見れずに、コーヒーカップに目を落とす。
「急に結婚が決まって、よくわからないまま結婚したから」
「沙耶ちゃん……」
知野先輩は絶句する。普通の恋愛結婚だとでも思っていたのか。
「結婚がそんな風だったから、もしかしたら急に別れることもあるかもしれないって思って。そんなことになったら私、どうしたらいいのかって……」
「湊は結婚に前向きなんでしょう?」
「今はそうでも、先のことはわからなくて」
「沙耶ちゃん、それは悩むだけ無駄じゃない?」
「え、無駄……?」
思わず顔を上げると、知野先輩は困ったように眉を寄せて微笑む。
「誰だって先のことはわからないじゃない? 私は今の旦那様が一番だと思ってるわ。でも、彼の気持ちが変わらない保証はない。そのことにいちいち不安になってたら生活できないわよ」
「でも、私たちの結婚は親の都合みたいなところがあって」
「同じよ。どんな理由があったとしても、湊は沙耶ちゃんとの結婚を選んだんでしょう? だったら信じてみたらいいじゃない。それとも、湊はそんなに冷酷? 沙耶ちゃんに優しくないの?」
「湊くんは優しい……です」
首をふるふると横に振って否定する。先輩の表情は柔らかになり、私から視線をずらして遠い目をする。
「そうよね。湊は優しいわよね……」
先輩はきっと私より湊くんのことをわかっている。
そう思うと胸が苦しい。やっぱり湊くんが私と別れたいと思う日が来るかもしれない。先輩でもダメだったものを、どうして私が出来るだなんて思ったのだろう。
断ることができなかったわけじゃない。最初から結婚なんて無理だと、お父さんに相談することも出来たはずだ。
あの時はそう思えなかったのだとは思うけど、今となっては後悔が浮かぶ。
「湊は少なくとも結婚を軽く考える男じゃないわよ。沙耶ちゃんが信じてあげなくてどうするの?」
「信じるほど、私は湊くんを知らないです」
そう言ったら、涙が溢れてきた。
私は湊くんを信じてなかったのだ。だからこんなにも不安になる。湊くんはあんなに優しく接してくれてるのに。
私は鞄をつかむと、立ち上がった。
「沙耶ちゃん……」
「ごめんなさい。私……、帰りますっ」
「沙耶ちゃんっ、ちょっと……っ」
立ち上がる先輩を横切り、喫茶店を飛び出した。
知野先輩のことが私は大好きだった。優しくて、綺麗で、聡明で。先輩の言うことならなんでも信じられた。信じてこれた。
でも、湊くんのこととなると違うのだと気づく。
チリチリと胸を焦がすこの想いは嫉妬だ。
私は湊くんが好きなんだ。
だからこんな気持ちになる。誰よりも湊くんを理解している一番の存在になりたい。それは知野先輩でも、秀人さんでもなく、この私が。
誰かに言われて気づくのではなく、自分で気づきたかった。
湊くんが私とのことを真面目に考えてくれているからこそ、今の生活があるのだということを。
落ち着いた明かりの灯るシャンデリアがおしゃれな喫茶店で、湊くんのメールに返信をしていた。
「大丈夫? 時間がないならまたにするけど……。でも、なんだか放っておけないわ」
その様子を見ていた向かいの彼女は、スマホを鞄にしまう私に尋ねてくる。
「もう大丈夫です。ちょっと遅くなるって連絡だけ。せっかく知野先輩にお会い出来たのに、帰るなんて言わないでください」
「私はいいのよ。山口さんにたまたま会って、沙耶ちゃんが元気ないって聞いたから、心配で来ただけなのよ」
知野深雪先輩はそう言うと、「何かあったの?」と心配そうに眉を寄せた。
知野先輩は私の尊敬する先輩で、結婚を機に退社した。しばらく会っていなかったが、彼女から連絡をもらい、急遽会うことになった。
突然どうしたのだろうと思っていたが、純ちゃんが先輩にそんなことを言ったからだったのだ。先輩に会うと純ちゃんに報告した時、彼女が申し訳なさそうな顔をしたことにも合点はいく。
知野先輩は湊くんの元カノの一人で、普通なら会いたいとも思わない立場の人。私の抱える悩みは湊くんに関することだ。相談する対象にはなり得ない。
「悩みなら聞くって言ったじゃない。連絡してくれて良かったのよ」
「悩みっていうのか……」
先輩と目が合うと、戸惑う。先輩はとても綺麗。私なんかより、湊くんに似合う女性だ。直視できなくて視線をさまよわせると、彼女は息を吐き出した。
「私と湊のこと、聞いたの?」
どきりとする。先輩の口から湊くんの名前を聞くと、胸はドクドクと音を立てた。
「そのことで悩んでるなら、悩む必要なんてないって言わなきゃと思って。沙耶ちゃんが湊と結婚したことはなんとなく私の耳には届いてたわ。私から連絡しなかったのは、後ろめたい気持ちがあるとかじゃなくて、沙耶ちゃんに余計な心配をかけたらいけないと思ったからなの」
「違うんです。そのことで悩んでるわけじゃないんです……」
必死に誤解を解こうとする先輩の態度に、気持ちが沈んでいく。湊くんと先輩のことは自分の中で納得していることでも、やはり元カノだと思えば、胸は複雑だ。
先輩を尊敬する気持ちと、湊くんが好きになった人だと思う気持ちが複雑に絡み合う。こんなに素敵な先輩となぜ湊くんは別れたのだろう。先輩でダメなら、私はもっとダメだろうと悩みは膨らむ。
「違う? じゃあ、なに?」
「私……、自信がなくて」
「自信がないって? 湊とうまくいってないの?」
「それもよくわからなくて……」
なかなか先輩が見れずに、コーヒーカップに目を落とす。
「急に結婚が決まって、よくわからないまま結婚したから」
「沙耶ちゃん……」
知野先輩は絶句する。普通の恋愛結婚だとでも思っていたのか。
「結婚がそんな風だったから、もしかしたら急に別れることもあるかもしれないって思って。そんなことになったら私、どうしたらいいのかって……」
「湊は結婚に前向きなんでしょう?」
「今はそうでも、先のことはわからなくて」
「沙耶ちゃん、それは悩むだけ無駄じゃない?」
「え、無駄……?」
思わず顔を上げると、知野先輩は困ったように眉を寄せて微笑む。
「誰だって先のことはわからないじゃない? 私は今の旦那様が一番だと思ってるわ。でも、彼の気持ちが変わらない保証はない。そのことにいちいち不安になってたら生活できないわよ」
「でも、私たちの結婚は親の都合みたいなところがあって」
「同じよ。どんな理由があったとしても、湊は沙耶ちゃんとの結婚を選んだんでしょう? だったら信じてみたらいいじゃない。それとも、湊はそんなに冷酷? 沙耶ちゃんに優しくないの?」
「湊くんは優しい……です」
首をふるふると横に振って否定する。先輩の表情は柔らかになり、私から視線をずらして遠い目をする。
「そうよね。湊は優しいわよね……」
先輩はきっと私より湊くんのことをわかっている。
そう思うと胸が苦しい。やっぱり湊くんが私と別れたいと思う日が来るかもしれない。先輩でもダメだったものを、どうして私が出来るだなんて思ったのだろう。
断ることができなかったわけじゃない。最初から結婚なんて無理だと、お父さんに相談することも出来たはずだ。
あの時はそう思えなかったのだとは思うけど、今となっては後悔が浮かぶ。
「湊は少なくとも結婚を軽く考える男じゃないわよ。沙耶ちゃんが信じてあげなくてどうするの?」
「信じるほど、私は湊くんを知らないです」
そう言ったら、涙が溢れてきた。
私は湊くんを信じてなかったのだ。だからこんなにも不安になる。湊くんはあんなに優しく接してくれてるのに。
私は鞄をつかむと、立ち上がった。
「沙耶ちゃん……」
「ごめんなさい。私……、帰りますっ」
「沙耶ちゃんっ、ちょっと……っ」
立ち上がる先輩を横切り、喫茶店を飛び出した。
知野先輩のことが私は大好きだった。優しくて、綺麗で、聡明で。先輩の言うことならなんでも信じられた。信じてこれた。
でも、湊くんのこととなると違うのだと気づく。
チリチリと胸を焦がすこの想いは嫉妬だ。
私は湊くんが好きなんだ。
だからこんな気持ちになる。誰よりも湊くんを理解している一番の存在になりたい。それは知野先輩でも、秀人さんでもなく、この私が。
誰かに言われて気づくのではなく、自分で気づきたかった。
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