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寝室までの距離
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しおりを挟む喫茶店からマンションまでは大した距離ではなかった。
湊くんには知野先輩と会うなんて言えなくて、純ちゃんと食事すると嘘をついてしまった。
マンションの前まで帰ってきたけれど、メールをしてからそれほど時間は経ってない。嘘をついたことがバレてしまうのも怖くて、何度も行ったり来たりした。
そうしているうちに、「あれ……、沙耶さん?」と、背中に声がかけられた。
「朔くんっ」
「どうしたんですか? 落し物ですか?」
「あ、違うの。食事に行こうかどうしようか考えてて……」
「食事?」
スーツを着た朔くんは会社帰りだろう。私に近づいてくると、ちょっと眉をひそめる。
私は咄嗟に目元に手を置いていた。涙のあとに気づかれたかもしれない。
しかし、朔くんはすぐに笑顔になって、マンションの近くのホテルを指差した。
「湊先輩はまだ帰ってないんですか? それなら一緒に食事でも行きませんか? あ、もちろん迷惑でなければ」
何かしらの理由で泣いたのだろう私を気遣ってくれているのだ。朔くんは私を食事に誘ってくれる。
「あのホテルの一階にあるレストラン、結構美味しいですよ」
朔くんは駅近くのホテルを指差して、そう言う。
「よく行くの?」
「たまにです。外食はよくしますけど」
「湊くんに食事して帰るって言っちゃって、どうしようかなって思ってたの。朔くんに迷惑かからないなら、少しだけ」
「迷惑とか考えなくて大丈夫ですよ。湊先輩がいろいろ言っても、正直あんまり気にしてないんです」
そう言って、朔くんは苦笑いする。
私に会うなと、湊くんから言われているのだろう。
「じゃあ、行きましょうか。温かいものでも食べたら、元気が出ますよ」
朔くんはホテルへ向かって歩き出す。私は慌ててその背中を追いかけた。
「朔くんはいつもマンションの前を通って帰るの?」
朔くんに追いついて尋ねると、彼は笑顔でうなずく。
「マンションの裏にコンビニがあるの知ってますか? その近くのアパートを借りてるんです」
「コンビニは行ったことないけど、近いんだね。じゃあ、時々会えるね」
「沙耶さんは知らないかもしれないけど、うちの会社の前をよく純と歩いてるの見かけるんですよ、俺」
「純ちゃんと?」
純ちゃんと一緒にいる時はよくあって、いつ見かけてるんだろうと、首をかしげる。
「ランチに行く時かな、たぶん」
「純ちゃんとランチで出かける時は、よくパスタ食べに行くの」
「じゃあ、きっとそうだ。会社の近くにカフェがあるから」
「そうなんだー。私が知らなかっただけで、朔くんは私を知ってたんだね。だったら湊くんも私のこと、前から知ってたのかな?」
「……さあ、それはどうだろう」
湊くんの名前を聞いた途端、朔くんは言葉を濁した。まるで湊くんの話題には触れたくないみたい。湊くんが一方的にではなく、お互いに二人は相容れないのだろうか。
「ここです。さあ、入りましょう」
朔くんはホテルの前で立ち止まると、開く自動ドアの中へと私を案内する。
「私、初めて入るよ」
「沙耶さんの口に合うといいですけど」
店員に案内されたのは、奥の席だった。向かい合って腰を下ろし、朔くんの開いたメニューを覗く。
ホテルのレストランのわりにはリーズナブルな値段で、メニューも見慣れた料理が多い。
「オムライスなんて意外に美味しいんですよ」
「本当? じゃあそれにする」
即答すると、朔くんはちょっと笑う。
「変?」
「いえ、決断が早いなと思って」
「朔くんのおすすめなら大丈夫な気がしたの。純ちゃんと私、好きな味付けとか似てるから」
「そうですか。じゃあ、俺も同じものにします」
朔くんはすぐに注文してくれて、それほど待つことなく料理は運ばれてきた。
とろとろのたまごにデミグラスソースのかかったオムライス。一口食べて、「おいしいっ」と言うと、朔くんは優しく微笑んで、「良かった」と小さくつぶやいた。
勧めたオムライスが高評価だったことに安堵したというより、私の元気そうな様子にホッとしたのかもしれない。
「朔くんとは知り合ったばっかりなのに、もうずっと前からのお友達みたいに話しやすいね」
「それは純の兄だからじゃないかな。少しは純の兄弟で良かったと思うよ」
「少しは?」
「純は昔から俺をバカにしてるから」
朔くんは苦笑いする。
「そうなの? こんなに優しいお兄さんがいたら嬉しいよ、私は」
「あんまり可愛い妹がいたら、心配で仕方ないね」
「そうだね。純ちゃん可愛いし、モテるよね」
そう私が言うと、朔くんは目を細めて、くすりと笑う。どうして笑ったのだろうと首を傾げると、彼は「いえ、なんでもないですよ」と微笑む。
「朔くんとお話すると元気が出るの。純ちゃんといてもそう。双子だから、雰囲気が似てるのかな」
「純と似てるなんて言われたことないけど、波長が合うのかもしれませんね。俺も沙耶さんとは自然に話せます」
「人見知りするの?」
「すごく」
「私と一緒だね。今日は朔くんに会えて良かった。今度偶然会えたら、純ちゃんも呼んで三人でお食事したいね」
「偶然になら、いいですね」
朔くんはまた、苦笑いする。やはり湊くんに私と会うなと言われているのだろう。朔くんにも迷惑かけてはいけないと、腕時計を確認するふりをする。
「私、食べたら行くね。あんまり遅くなると湊くんが心配するから」
「そうしましょう」
と静かに返事をした朔くんは、ようやくスプーンを取り上げて、オムライスを口へ運んだ。
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