せめて契約に愛を

水城ひさぎ

文字の大きさ
43 / 119
寝室までの距離

23

しおりを挟む



 喫茶店からマンションまでは大した距離ではなかった。

 湊くんには知野先輩と会うなんて言えなくて、純ちゃんと食事すると嘘をついてしまった。

 マンションの前まで帰ってきたけれど、メールをしてからそれほど時間は経ってない。嘘をついたことがバレてしまうのも怖くて、何度も行ったり来たりした。
 そうしているうちに、「あれ……、沙耶さん?」と、背中に声がかけられた。

「朔くんっ」
「どうしたんですか? 落し物ですか?」
「あ、違うの。食事に行こうかどうしようか考えてて……」
「食事?」

 スーツを着た朔くんは会社帰りだろう。私に近づいてくると、ちょっと眉をひそめる。
 私は咄嗟に目元に手を置いていた。涙のあとに気づかれたかもしれない。
 しかし、朔くんはすぐに笑顔になって、マンションの近くのホテルを指差した。

「湊先輩はまだ帰ってないんですか? それなら一緒に食事でも行きませんか? あ、もちろん迷惑でなければ」

 何かしらの理由で泣いたのだろう私を気遣ってくれているのだ。朔くんは私を食事に誘ってくれる。

「あのホテルの一階にあるレストラン、結構美味しいですよ」

 朔くんは駅近くのホテルを指差して、そう言う。

「よく行くの?」
「たまにです。外食はよくしますけど」
「湊くんに食事して帰るって言っちゃって、どうしようかなって思ってたの。朔くんに迷惑かからないなら、少しだけ」
「迷惑とか考えなくて大丈夫ですよ。湊先輩がいろいろ言っても、正直あんまり気にしてないんです」

 そう言って、朔くんは苦笑いする。
 私に会うなと、湊くんから言われているのだろう。

「じゃあ、行きましょうか。温かいものでも食べたら、元気が出ますよ」

 朔くんはホテルへ向かって歩き出す。私は慌ててその背中を追いかけた。

「朔くんはいつもマンションの前を通って帰るの?」

 朔くんに追いついて尋ねると、彼は笑顔でうなずく。

「マンションの裏にコンビニがあるの知ってますか? その近くのアパートを借りてるんです」
「コンビニは行ったことないけど、近いんだね。じゃあ、時々会えるね」
「沙耶さんは知らないかもしれないけど、うちの会社の前をよく純と歩いてるの見かけるんですよ、俺」
「純ちゃんと?」

 純ちゃんと一緒にいる時はよくあって、いつ見かけてるんだろうと、首をかしげる。

「ランチに行く時かな、たぶん」
「純ちゃんとランチで出かける時は、よくパスタ食べに行くの」
「じゃあ、きっとそうだ。会社の近くにカフェがあるから」
「そうなんだー。私が知らなかっただけで、朔くんは私を知ってたんだね。だったら湊くんも私のこと、前から知ってたのかな?」
「……さあ、それはどうだろう」

 湊くんの名前を聞いた途端、朔くんは言葉を濁した。まるで湊くんの話題には触れたくないみたい。湊くんが一方的にではなく、お互いに二人は相容れないのだろうか。

「ここです。さあ、入りましょう」

 朔くんはホテルの前で立ち止まると、開く自動ドアの中へと私を案内する。

「私、初めて入るよ」
「沙耶さんの口に合うといいですけど」

 店員に案内されたのは、奥の席だった。向かい合って腰を下ろし、朔くんの開いたメニューを覗く。
 ホテルのレストランのわりにはリーズナブルな値段で、メニューも見慣れた料理が多い。

「オムライスなんて意外に美味しいんですよ」
「本当? じゃあそれにする」

 即答すると、朔くんはちょっと笑う。

「変?」
「いえ、決断が早いなと思って」
「朔くんのおすすめなら大丈夫な気がしたの。純ちゃんと私、好きな味付けとか似てるから」
「そうですか。じゃあ、俺も同じものにします」

 朔くんはすぐに注文してくれて、それほど待つことなく料理は運ばれてきた。

 とろとろのたまごにデミグラスソースのかかったオムライス。一口食べて、「おいしいっ」と言うと、朔くんは優しく微笑んで、「良かった」と小さくつぶやいた。

 勧めたオムライスが高評価だったことに安堵したというより、私の元気そうな様子にホッとしたのかもしれない。

「朔くんとは知り合ったばっかりなのに、もうずっと前からのお友達みたいに話しやすいね」
「それは純の兄だからじゃないかな。少しは純の兄弟で良かったと思うよ」
「少しは?」
「純は昔から俺をバカにしてるから」

 朔くんは苦笑いする。

「そうなの? こんなに優しいお兄さんがいたら嬉しいよ、私は」
「あんまり可愛い妹がいたら、心配で仕方ないね」
「そうだね。純ちゃん可愛いし、モテるよね」

 そう私が言うと、朔くんは目を細めて、くすりと笑う。どうして笑ったのだろうと首を傾げると、彼は「いえ、なんでもないですよ」と微笑む。

「朔くんとお話すると元気が出るの。純ちゃんといてもそう。双子だから、雰囲気が似てるのかな」
「純と似てるなんて言われたことないけど、波長が合うのかもしれませんね。俺も沙耶さんとは自然に話せます」
「人見知りするの?」
「すごく」
「私と一緒だね。今日は朔くんに会えて良かった。今度偶然会えたら、純ちゃんも呼んで三人でお食事したいね」
「偶然になら、いいですね」

 朔くんはまた、苦笑いする。やはり湊くんに私と会うなと言われているのだろう。朔くんにも迷惑かけてはいけないと、腕時計を確認するふりをする。

「私、食べたら行くね。あんまり遅くなると湊くんが心配するから」
「そうしましょう」

 と静かに返事をした朔くんは、ようやくスプーンを取り上げて、オムライスを口へ運んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
 ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。  それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。  14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。 皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。 この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。 ※Hシーンは終盤しかありません。 ※この話は4部作で予定しています。 【私が欲しいのはこの皇子】 【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】 【放浪の花嫁】 本編は99話迄です。 番外編1話アリ。 ※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

処理中です...