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別離までの距離
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私はすぐにその写真を持ち上げ、じっと見つめた。
着物姿の女性と、スーツに身を包んだ青年の二人が写る写真。古い写真だ。何十年という時の流れを感じさせる。しかし、私の目にその女性の姿は鮮明に飛び込んでくる。
「湊くんのお母さん」
「変わらないだろう? 母さんはいくつになっても少女みたいなところがある。沙耶ちゃんに似ているね」
「私に似てるなんて……」
そんなのおこがましいと思いながら首を振りつつも、湊くんのお母さんの隣に立つ男性に目を移す。
「なんだか……」
見覚えがあるような顔だ。食い入るように眺めながら、ふと思う。
「私のお父さんに似てる。でも、なんだかちょっと違う感じも……」
「沙耶ちゃんは勘がいいね」
秀人さんは満足げにうなずいて、写真の中の男性に指を落とす。
「この男性は上條雅哉さんだよ。沙耶ちゃんは知らないかな」
「上條雅哉さん?」
「沙耶ちゃんのお父さんのお兄さんにあたる方だよ」
「伯父さん? 円華のお父さんは雅哉なんて名前じゃなかった気がするけど……」
「そう。上條さんは三人兄弟なんだよ。雅哉さんは次男。沙耶ちゃんが生まれる前に亡くなったんだ。話も聞いたことない?」
「全然……」
私は息を飲む。お父さんにお兄さんがいて、しかももう亡くなっているなんて初耳だ。
「病気だとわかった時にはもう遅かったらしい。円華の父親が病院を大きくしようと躍起になったのは、雅哉さんの存在が大きかったからかもしれない」
「でも、その雅哉さんがお母さんとどうして一緒に? それにこの着物……」
湊くんのお母さんが着ている着物は、プロポーズされた時にもらったもので、大切な思い出の品だと、私にくださったものだ。
「雅哉さんが母さんにプレゼントしたんだ、この着物は」
「え……。でも、お父さんがプロポーズした時にプレゼントしたんじゃ……」
「違うよ。プロポーズしたのは雅哉さんさ。母さんは昔、雅哉さんの恋人だったんだ」
秀人さんは私から写真を取り上げると、それに視線を落とす。
「この写真、うちのリビングに飾られてるんだ」
それは湊くんも言っていたことだと、私はうなずく。
「父さんはこの写真を見ると機嫌が悪くてね。子供の頃に写真立てを開けてみたことがあるんだ。そうしたら、半分に破られたこの写真が出てきた」
「破られた?」
「ああ。その後、写真立てを開けたことに気づいた父さんにひどく叱られてね。あまりいい思い出はないよ、この写真には」
「その写真は?」
結城家のリビングには、半分に破られた写真が飾ってある。だが、秀人さんの持つ写真は、綺麗な一枚の写真。
「写真館さ。知り合いの写真館からね、保管されていたものをもらったんだ。母さんの写真じゃないかって見せられた時に、俺は父さんが上條を憎んでる理由がようやくわかった気がしたよ」
「憎んでるの? でも、お母さんはお父さんと結婚して幸せだって……」
「母さんはそう言うだけさ。内心は上條さんのことを忘れてない。だから、上條家の娘と俺たちを結婚させたがるんだ」
「秀人さんが円華と結婚しようとしたのも?」
そんな理由があったなんて、と息を飲む。
「そうさ。俺はそう言われて育ってきた。円華と結婚するんだって信じて疑わなかった。結果的に円華のおかげで俺は苦しまなくて済んだのかもな。恋人になってから引き裂かれるのはつらいだろうね、沙耶ちゃん」
「だったらなんで……」
「なんで沙耶ちゃんを苦しめるようなことをしたかって? 結城にとって上條はその程度のものだからさ。沙耶ちゃんの人生がどうなろうが、父さんにとっては興味のないことなんだ」
「そんな……そんなこと……」
ひどい……と首を振る私に、秀人さんはため息を吐く。
「父さんは母さんを大事に思うだけなんだ。母さんが上條家との婚姻関係を望んだから、父さんは努力するふりをしてる。円華がダメになった今、望みは沙耶ちゃんと湊だけだ。それもダメになったら、母さんは諦めるよ。それを父さんは待ってるんだ」
そんなことってあるんだろうか。
湊くんとお母さんの気持ちに寄り添うふりをしながら、その実、お父さんは破談になることを望んでるなんて。
そうやって別れさせることで、周囲に好印象を与えたまま思惑を成立させ、立場を守っていくなんて。
「ダメにならなかったら……」
「ダメにするだけだろ? 湊には別の女と結婚してもらう。猶予は一年だよ」
「一年……」
それは長いようで短く感じる。
「俺は来年、真由香と結婚する。その時、湊の婚約を発表するつもりだ。もしまだ沙耶ちゃんと続いていたとしても、父さんは別の女との婚約を発表する」
「湊くんが認めなかったら?」
「湊に選択肢はないよ。湊と沙耶ちゃんが恋人になったという事実。そして、うまく行かなくて別れたという事実。それだけあれば母さんを諦めさせることができる。父さんはそれを望むだけ。湊と君は父さんにとってコマでしかないんだ」
人を人と思わない結城。そんな噂話を聞いたのは、いつだったか……。
「私はともかく、湊くんは……」
「自分の息子にだろうが冷徹になれるから、父さんは結城の当主なんだよ、沙耶ちゃん」
「そんなにすごい方ですか……?」
「沙耶ちゃんの家族を崩壊させるぐらい、なんてことはないよ」
「それでも私は湊くんを諦めたくないです」
真っ直ぐな目を向けようが、秀人さんの目には滑稽にしか映らないのだろう。
「勝手にしたらいいよ。湊にふられるのが先か、父さんに引き裂かれるのが先か。俺にとってはどちらも同じに等しいんだから」
「私は湊くんを信じます」
「その思いが湊に届くといいね。沙耶ちゃんが思うより、湊は優しくないけどね」
憐憫の浮かぶ目を私に向けた秀人さんは、「タクシーを呼ぼう」と言って、電話を手に取った。
話は終わったのだ。もう帰れということだろう。
湊くんの元へ帰りたい……。
そう思うのに、力が抜けた足は言うことを聞かず、なかなか立ち上がることが出来なかった。
着物姿の女性と、スーツに身を包んだ青年の二人が写る写真。古い写真だ。何十年という時の流れを感じさせる。しかし、私の目にその女性の姿は鮮明に飛び込んでくる。
「湊くんのお母さん」
「変わらないだろう? 母さんはいくつになっても少女みたいなところがある。沙耶ちゃんに似ているね」
「私に似てるなんて……」
そんなのおこがましいと思いながら首を振りつつも、湊くんのお母さんの隣に立つ男性に目を移す。
「なんだか……」
見覚えがあるような顔だ。食い入るように眺めながら、ふと思う。
「私のお父さんに似てる。でも、なんだかちょっと違う感じも……」
「沙耶ちゃんは勘がいいね」
秀人さんは満足げにうなずいて、写真の中の男性に指を落とす。
「この男性は上條雅哉さんだよ。沙耶ちゃんは知らないかな」
「上條雅哉さん?」
「沙耶ちゃんのお父さんのお兄さんにあたる方だよ」
「伯父さん? 円華のお父さんは雅哉なんて名前じゃなかった気がするけど……」
「そう。上條さんは三人兄弟なんだよ。雅哉さんは次男。沙耶ちゃんが生まれる前に亡くなったんだ。話も聞いたことない?」
「全然……」
私は息を飲む。お父さんにお兄さんがいて、しかももう亡くなっているなんて初耳だ。
「病気だとわかった時にはもう遅かったらしい。円華の父親が病院を大きくしようと躍起になったのは、雅哉さんの存在が大きかったからかもしれない」
「でも、その雅哉さんがお母さんとどうして一緒に? それにこの着物……」
湊くんのお母さんが着ている着物は、プロポーズされた時にもらったもので、大切な思い出の品だと、私にくださったものだ。
「雅哉さんが母さんにプレゼントしたんだ、この着物は」
「え……。でも、お父さんがプロポーズした時にプレゼントしたんじゃ……」
「違うよ。プロポーズしたのは雅哉さんさ。母さんは昔、雅哉さんの恋人だったんだ」
秀人さんは私から写真を取り上げると、それに視線を落とす。
「この写真、うちのリビングに飾られてるんだ」
それは湊くんも言っていたことだと、私はうなずく。
「父さんはこの写真を見ると機嫌が悪くてね。子供の頃に写真立てを開けてみたことがあるんだ。そうしたら、半分に破られたこの写真が出てきた」
「破られた?」
「ああ。その後、写真立てを開けたことに気づいた父さんにひどく叱られてね。あまりいい思い出はないよ、この写真には」
「その写真は?」
結城家のリビングには、半分に破られた写真が飾ってある。だが、秀人さんの持つ写真は、綺麗な一枚の写真。
「写真館さ。知り合いの写真館からね、保管されていたものをもらったんだ。母さんの写真じゃないかって見せられた時に、俺は父さんが上條を憎んでる理由がようやくわかった気がしたよ」
「憎んでるの? でも、お母さんはお父さんと結婚して幸せだって……」
「母さんはそう言うだけさ。内心は上條さんのことを忘れてない。だから、上條家の娘と俺たちを結婚させたがるんだ」
「秀人さんが円華と結婚しようとしたのも?」
そんな理由があったなんて、と息を飲む。
「そうさ。俺はそう言われて育ってきた。円華と結婚するんだって信じて疑わなかった。結果的に円華のおかげで俺は苦しまなくて済んだのかもな。恋人になってから引き裂かれるのはつらいだろうね、沙耶ちゃん」
「だったらなんで……」
「なんで沙耶ちゃんを苦しめるようなことをしたかって? 結城にとって上條はその程度のものだからさ。沙耶ちゃんの人生がどうなろうが、父さんにとっては興味のないことなんだ」
「そんな……そんなこと……」
ひどい……と首を振る私に、秀人さんはため息を吐く。
「父さんは母さんを大事に思うだけなんだ。母さんが上條家との婚姻関係を望んだから、父さんは努力するふりをしてる。円華がダメになった今、望みは沙耶ちゃんと湊だけだ。それもダメになったら、母さんは諦めるよ。それを父さんは待ってるんだ」
そんなことってあるんだろうか。
湊くんとお母さんの気持ちに寄り添うふりをしながら、その実、お父さんは破談になることを望んでるなんて。
そうやって別れさせることで、周囲に好印象を与えたまま思惑を成立させ、立場を守っていくなんて。
「ダメにならなかったら……」
「ダメにするだけだろ? 湊には別の女と結婚してもらう。猶予は一年だよ」
「一年……」
それは長いようで短く感じる。
「俺は来年、真由香と結婚する。その時、湊の婚約を発表するつもりだ。もしまだ沙耶ちゃんと続いていたとしても、父さんは別の女との婚約を発表する」
「湊くんが認めなかったら?」
「湊に選択肢はないよ。湊と沙耶ちゃんが恋人になったという事実。そして、うまく行かなくて別れたという事実。それだけあれば母さんを諦めさせることができる。父さんはそれを望むだけ。湊と君は父さんにとってコマでしかないんだ」
人を人と思わない結城。そんな噂話を聞いたのは、いつだったか……。
「私はともかく、湊くんは……」
「自分の息子にだろうが冷徹になれるから、父さんは結城の当主なんだよ、沙耶ちゃん」
「そんなにすごい方ですか……?」
「沙耶ちゃんの家族を崩壊させるぐらい、なんてことはないよ」
「それでも私は湊くんを諦めたくないです」
真っ直ぐな目を向けようが、秀人さんの目には滑稽にしか映らないのだろう。
「勝手にしたらいいよ。湊にふられるのが先か、父さんに引き裂かれるのが先か。俺にとってはどちらも同じに等しいんだから」
「私は湊くんを信じます」
「その思いが湊に届くといいね。沙耶ちゃんが思うより、湊は優しくないけどね」
憐憫の浮かぶ目を私に向けた秀人さんは、「タクシーを呼ぼう」と言って、電話を手に取った。
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そう思うのに、力が抜けた足は言うことを聞かず、なかなか立ち上がることが出来なかった。
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