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別離までの距離
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「朔、今日も残業か? 週末は残業できないから必死か?」
同僚がオフィスを出ていく中、帰り支度をする気配のない朔の背後に近づき、デスクに腕を立てると、彼は驚いて顔をあげた。
「湊先輩……」
「週末は沙耶と食事だっけ?」
にやりとすれば、朔は頬を強張らせて目をそらす。
「あんまり楽しみにしてると、落胆が大きくなるだけだってことに気づけよ」
「俺は別に……」
「沙耶に会うなと言っただろう? それは君のためでもあったんだけどね」
朔は無言になり、パソコンの画面に目を移す。とても仕事のことを考えているとは思えない、苦渋に満ちた横顔を見せる。
「沙耶が君にチョコを渡したんだって? 彼女の手作りケーキはうまかっただろう?」
「ケーキ……」
朔は意外そうに俺を見上げる。
「君の妹はおせっかいだね。何も知らないで君の心を乱すようなことをする」
「……なんで」
「俺に隠し事は出来ないってことだよ。あのケーキは君のために焼いたわけじゃないんだ。たまたま君の手に渡っただけだ。沙耶が渡したのは既製品のチョコだろ? しかも君の妹と二人で買ったものだそうじゃないか。君が期待してる気持ちなんて、これっぽっちも彼女は持ってないよ」
「そんなこと言われなくたって」
朔は嫌悪感をあらわにして、鞄をデスクの上に乗せる。
「帰るのか?」
「仕事する気になれないですから」
「逃げてるように見えるよ。逃げるより、諦めることを優先したらどうだ?」
「そんなに簡単に言わないでください」
「本気だって言うのか?」
「……いけませんか」
朔は目を伏せたまま、ひざの上にこぶしを握った。
「無駄だと言ってるんだよ」
朔の顔に顔を寄せて、俺は囁く。
「あのケーキは沙耶が俺のために焼いたんだ。君の妹にもチョコを作る予定だったんだけどね、作る時間がなくてケーキを分けてやることになったんだよ。それが君の元に届くなんて皮肉だね」
朔はゆっくり俺を見上げる。だからなんだ、と彼の目は言う。
「どうして君の妹に渡すチョコを作る時間がなくなったと思う?」
「そんなこと知りませんよ」
「君も一度は欲望を覚えたこともあるだろう? 沙耶を抱きたいと思ったことは?」
カッと朔の頬は赤らむ。怒りのためか、それとも図星か。
「彼女と戯れているとね、時間を忘れてしまうんだよ」
「……帰りますっ」
いよいよ朔の頬は紅潮した。優越感を浮かべた俺の笑みを見れば、朔の目には怒りが浮かぶ。
「そんなこと言って……、彼女を侮辱してるとは思いませんか」
「沙耶は俺の婚約者だよ。わかってないようだから忠告しただけだよ」
朔は少し沈黙し、目を伏せたが、「……じゃあ」と言を紡ぐ。
「俺も忠告させてもらいます」
立ち上がった朔は顔をあげ、両手にこぶしを握る。
「忠告? 君が?」
「俺は彼女を簡単には諦めたりしません」
「へえー」
「湊先輩はなんでも知ってるつもりかもしれませんが、そうじゃないこともあるんじゃないですか?」
「で?」
俺は余裕たっぷりに笑う。
「彼女の苦しみがわからないなら、婚約者失格だと言ってるんです」
「沙耶は幸せだよ。多少の苦しみは織り込み済みさ」
「いつか後悔しますよ」
「しないよ。君が知らないこともあるんだから」
俺と沙耶は婚約者じゃない。もう結婚しているんだ。だから、朔の入る隙なんて少しもない。
朔は何も知らないから、沙耶が少し落ち込んだぐらいで大げさにするのだと、失笑する。
「沙耶は友達として君と付き合いたいだけらしいよ。勘違いしないで欲しいそうだ」
「沙耶さんがそう言ったんですか」
「もちろん」
自信たっぷりに言うと、朔は「お先に失礼します」と頭を下げはしたが、固い表情でオフィスを飛び出していった。
入れ違うようにしてオフィスに現れた人影を見て、俺は息をつく。篭谷先輩だ。どうやら俺たちのやりとりを見ていたようで、微妙な笑みを浮かべている。
「昨日の電話、やっぱり余計なことだったかな」
「いえ、朔にはあのぐらい言ってやらないと、彼女のことを諦めないでしょうから」
「山口くんはしかし、本当に君の婚約者を心配してるようだね」
「沙耶は隙だらけの女です。守ってやらなきゃいけないなんて、朔は勘違いしてるだけなんですよ」
「あまり、会わせない方がいいんじゃないか?」
「そうしたいのは山々ですよ」
「なるほど。君の手を焼かせるなんて、なかなか魅力的な婚約者のようだね」
篭谷先輩は俺の肩に手を置き、苦々しく笑う俺に笑いかけた。
「朔、今日も残業か? 週末は残業できないから必死か?」
同僚がオフィスを出ていく中、帰り支度をする気配のない朔の背後に近づき、デスクに腕を立てると、彼は驚いて顔をあげた。
「湊先輩……」
「週末は沙耶と食事だっけ?」
にやりとすれば、朔は頬を強張らせて目をそらす。
「あんまり楽しみにしてると、落胆が大きくなるだけだってことに気づけよ」
「俺は別に……」
「沙耶に会うなと言っただろう? それは君のためでもあったんだけどね」
朔は無言になり、パソコンの画面に目を移す。とても仕事のことを考えているとは思えない、苦渋に満ちた横顔を見せる。
「沙耶が君にチョコを渡したんだって? 彼女の手作りケーキはうまかっただろう?」
「ケーキ……」
朔は意外そうに俺を見上げる。
「君の妹はおせっかいだね。何も知らないで君の心を乱すようなことをする」
「……なんで」
「俺に隠し事は出来ないってことだよ。あのケーキは君のために焼いたわけじゃないんだ。たまたま君の手に渡っただけだ。沙耶が渡したのは既製品のチョコだろ? しかも君の妹と二人で買ったものだそうじゃないか。君が期待してる気持ちなんて、これっぽっちも彼女は持ってないよ」
「そんなこと言われなくたって」
朔は嫌悪感をあらわにして、鞄をデスクの上に乗せる。
「帰るのか?」
「仕事する気になれないですから」
「逃げてるように見えるよ。逃げるより、諦めることを優先したらどうだ?」
「そんなに簡単に言わないでください」
「本気だって言うのか?」
「……いけませんか」
朔は目を伏せたまま、ひざの上にこぶしを握った。
「無駄だと言ってるんだよ」
朔の顔に顔を寄せて、俺は囁く。
「あのケーキは沙耶が俺のために焼いたんだ。君の妹にもチョコを作る予定だったんだけどね、作る時間がなくてケーキを分けてやることになったんだよ。それが君の元に届くなんて皮肉だね」
朔はゆっくり俺を見上げる。だからなんだ、と彼の目は言う。
「どうして君の妹に渡すチョコを作る時間がなくなったと思う?」
「そんなこと知りませんよ」
「君も一度は欲望を覚えたこともあるだろう? 沙耶を抱きたいと思ったことは?」
カッと朔の頬は赤らむ。怒りのためか、それとも図星か。
「彼女と戯れているとね、時間を忘れてしまうんだよ」
「……帰りますっ」
いよいよ朔の頬は紅潮した。優越感を浮かべた俺の笑みを見れば、朔の目には怒りが浮かぶ。
「そんなこと言って……、彼女を侮辱してるとは思いませんか」
「沙耶は俺の婚約者だよ。わかってないようだから忠告しただけだよ」
朔は少し沈黙し、目を伏せたが、「……じゃあ」と言を紡ぐ。
「俺も忠告させてもらいます」
立ち上がった朔は顔をあげ、両手にこぶしを握る。
「忠告? 君が?」
「俺は彼女を簡単には諦めたりしません」
「へえー」
「湊先輩はなんでも知ってるつもりかもしれませんが、そうじゃないこともあるんじゃないですか?」
「で?」
俺は余裕たっぷりに笑う。
「彼女の苦しみがわからないなら、婚約者失格だと言ってるんです」
「沙耶は幸せだよ。多少の苦しみは織り込み済みさ」
「いつか後悔しますよ」
「しないよ。君が知らないこともあるんだから」
俺と沙耶は婚約者じゃない。もう結婚しているんだ。だから、朔の入る隙なんて少しもない。
朔は何も知らないから、沙耶が少し落ち込んだぐらいで大げさにするのだと、失笑する。
「沙耶は友達として君と付き合いたいだけらしいよ。勘違いしないで欲しいそうだ」
「沙耶さんがそう言ったんですか」
「もちろん」
自信たっぷりに言うと、朔は「お先に失礼します」と頭を下げはしたが、固い表情でオフィスを飛び出していった。
入れ違うようにしてオフィスに現れた人影を見て、俺は息をつく。篭谷先輩だ。どうやら俺たちのやりとりを見ていたようで、微妙な笑みを浮かべている。
「昨日の電話、やっぱり余計なことだったかな」
「いえ、朔にはあのぐらい言ってやらないと、彼女のことを諦めないでしょうから」
「山口くんはしかし、本当に君の婚約者を心配してるようだね」
「沙耶は隙だらけの女です。守ってやらなきゃいけないなんて、朔は勘違いしてるだけなんですよ」
「あまり、会わせない方がいいんじゃないか?」
「そうしたいのは山々ですよ」
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篭谷先輩は俺の肩に手を置き、苦々しく笑う俺に笑いかけた。
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