100 / 119
奪われるまでの距離
20
しおりを挟む月曜日の朝、純から沙耶さんが出社したとメールがあった。ただそれだけの報告メール。純なりに気を遣ったのだろう。純に感謝しつつ、出社できたのは沙耶さんが元気になった証拠だと、少し安堵していた。
しかし、湊先輩はその事実を知らないようだった。いつにも増して機嫌が悪く、篭谷先輩以外の社員は戦々恐々として近づこうともしない。
それは俺も同じだ。沙耶さんが出社したことを伝えたら、先輩がどんな態度を取るのか想像もつかない。恐怖心で、結局夕方になっても伝えることが出来なかった。
「山口くん、ちょっと頼まれてくれないかな」
そろそろ帰る準備をしようと思っていた頃、篭谷先輩が俺のデスクの上に書類を置いた。
「山口くんまでそんな嫌そうな顔するなよ。誰かさんが一日中不機嫌だから、進むものも進まないんだ」
「嫌そうな顔はしてないですが」
「じゃあ、こころよく引き受けてくれるかい?」
「明日の早朝では間に合いませんか? 今日はちょっと先約があって」
「先約? デートかなんか?」
篭谷先輩は急に興味深げに俺の顔を覗く。
「デートじゃないんですけど、連絡先を知らない相手との待ち合わせなので、遅れるわけにはいかなくて」
「今時、電話番号も知らない相手と待ち合わせかい?」
「結構、警戒心が強いみたいで」
頭をかいて、苦笑いしてしまう。
さりげなく電話してもいいか?と聞いたのに、連絡先の交換に関してははぐらかされてしまったのだ。
もちろん、純を介して連絡を取るのは容易だが、そんな子供の使いみたいなやり取りはもう望んでいない。
「デートじゃないけど、好きな女に会うんだ?」
篭谷先輩は詮索しながらも、少しばかり怪訝そうだ。そんな理由で残業を拒むなとでも言いたいのだろう。
「どう受け取ってもらってもかまいませんが、今日だけはすみません。どうしても大事な用があるので」
湊先輩はもう帰ってしまった。沙耶さん一人では、先輩の暮らすマンションへは行かせられない。
沙耶さんも一人では行かないと思うが、もし湊先輩と二人きりで会うことになれば、そのまま彼女とはこれきりになってしまうのではという不安がよぎる。
「今日はどいつもこいつもダメな日だな」
珍しく篭谷先輩は毒づいたが、目は笑っている。
「すみません」
「まあ、俺も今は中立だ。山口くんの行動をとがめる理由もない」
「どういう?」
「わからないならそれでいいさ」
篭谷先輩は運んできた書類をまた持ち上げると、「一人でやるか」とつぶやいてデスクへと戻っていった。
篭谷先輩が仕事に取り掛かる頃、オフィスを出た。
沙耶さんとは近くの喫茶店で待ち合わせしている。湊先輩が残業するならそこで待つつもりだったようだ。
ついこの間まで婚約者だった相手に会うだけなのに、沙耶さんは待ち伏せしか出来ない。心中は複雑だろう。
その反面、今更と言ってはなんだが、そうまでして湊先輩に会わなければならない理由とはなんだろうとも思うのだ。
喫茶店が見えてくると、入り口付近に立つ沙耶さんに気づいた。
湊先輩に会う緊張からなのか、少しばかり表情はかたいが、俺に気づくと笑顔を見せ、側へとやってきた。
「朔くん、来てくれてありがとう」
春らしいワンピースを着た沙耶さんは、まるで湊先輩に会うことを意識しておしゃれしたみたいに、会社帰りとは思えない姿をしている。
「いえ。約束より遅くなってすみません」
そう頭を下げながら、やはり俺の胸のうちは穏やかではない。沙耶さんの心はまだ先輩のもので、俺は都合よく利用されているだけだ。それとわかってるのに、もしかしたら彼女の側にずっといられる存在になれるんじゃないかなんてまだ期待しているのだ。
「ううん、私が無理言ったんだからいいの。湊くんに会うのは早い方がいいから、今日が良かったの」
「そうですか。でもちょうど良かったかもしれません。湊先輩は残業もしないで帰りましたから。今頃マンションにいるんじゃないかな」
少し機嫌が悪いかもしれないと言おうかと思ったがやめておいた。湊先輩は沙耶さんには優しいかもしれない。
「もう帰ったんだね……」
「一緒に行きましょう。大丈夫ですよ。俺が外に出てきてもらえるようにお願いしますから」
沙耶さんが不安そうだからそう言うと、彼女は申し訳なさそうにしつつ、安堵の表情も見せる。
「湊先輩にはレストランまで来てもらいましょうか? その方がゆっくり話せますよね」
「うん、ありがとう。朔くんも一緒にいてね。聞かれて困る話じゃないから」
「わかりました。じゃあ、行きましょう」
湊先輩に直接会ってまで話したいことなのに、同席してもかまわないのか?と聞きたかったが、言葉を飲んだ。
沙耶さんは俺を信頼してくれているのだ。その信頼には応えたい。だが、それでは友人以上にはなれないだろう。
歩き出す俺の後ろをついてくる沙耶さんに合わせて歩調をゆるめる。
不安な分、沙耶さんは俺に寄り添い、いつもより距離が近い。
こうして恋人として肩を並べられる日は来るだろうか。きっと待っていても来ないだろうことぐらいはわかる。だからもし可能なら、それを望んでもいいだろうか。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】
Lynx🐈⬛
恋愛
ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。
それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。
14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。
皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。
この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。
※Hシーンは終盤しかありません。
※この話は4部作で予定しています。
【私が欲しいのはこの皇子】
【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】
【放浪の花嫁】
本編は99話迄です。
番外編1話アリ。
※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる