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夏の果
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***
明日嘉くんの姿は図書館のいつもの場所になかった。
彼がいつ来てもすぐにわかるように入り口近くの椅子に座り、腕時計を確認する。一時間ほど待っているのに彼が来る気配はない。
明日から夏休みなのに___
かばんから取り出した小説を開き、ピンクのリボンのついたしおりを手に取る。
しおりを見ると、明日嘉くんの笑顔が浮かぶ。また彼の笑顔を見たいと思う。だけど、悲しみに暮れたまま立ち去った彼にはあの日から会えていない。
「可愛いしおりだね」
突然背後から声をかけられた。後ろから私の手元を覗くのは、同じゼミに参加している吹雪さんだ。
「あ……、こんにちは」
「隣、いいかな?」
うなずくと、吹雪さんは私の隣に座る。彼はいくつかの参考書をひざの上に乗せる。図書館へは勉強しに来たようだ。
「明日から夏休みだね。結局合宿には参加しないって氷澤先生から聞いたよ。明日嘉もだよね、きっと」
「たぶん……明日嘉くんも行かないと思います。何も言ってなかったから」
「そうなんだ。明日嘉はなんでも暁月さんに話すのかと思ってた」
「なんでもなんてことはないです。もうゼミにも来ないのかなって心配で。だから今日ここに来てみたけど、明日嘉くんいなくて……」
途方に暮れる私を見て、吹雪さんは少し眉をひそめた。
「何かあった? 明日嘉と」
「私、傷つけたんです……」
目を閉じると、涙を浮かべた彼の顔が浮かぶ。あんなつらい顔をさせてしまったのは私のせいだ。
「どういうこと?」
吹雪さんは優しく尋ねてくる。
「わからないの。……私、明日嘉くんを応援したつもりだったのに……」
「そう……」
しおりに顔を伏せる。涙をこらえたら肩が震える。今は後悔しか浮かばない。
「暁月さん、明日嘉には応援が負担になることもあるのかもしれないけど、そうやって話ができる関係になれたのは、俺からしたらやっぱりすごいことだと思うよ」
「吹雪さん……」
顔を上げたら、優しく微笑む吹雪さんと目が合う。
「明日嘉って、昔から何考えてるかわからないところあったし、またひょこっと現れるよ。あ、そのしおり、四つ葉のクローバーが入ってるんだね。暁月さんによく似合うよ」
私を元気付けようとしてか、吹雪さんは話をそらす。
「あ、ありがとうございます。クローバーが好きで……」
「ちょっと見せて。……これ、本物の四つ葉のクローバーが入ってるんだね。珍しいね。それとも最近は普通なのかな。こうやって生花を加工するのは」
「このしおりが売ってるお店には、他にもいろいろありましたよ。もしかしたらクローバー専門店だからかもしれないけど」
「専門店なんてあるんだ?」
「大学の近くですよ。大通りに新しいお店がたくさんオープンしてて……」
「あ、俺はあそこには行かないから、ごめん、よく知らないんだ」
吹雪さんはわずかに困り顔をする。
「私もです。最初は友達と行って……、まだ二回しか行ったことなくて」
「意外だなー。女の子ってああいう場所、毎日でも行きたいのかなって思ってた。二回目はデートで行ったの?」
「え、……どうして」
「あ、いや、深読み? 最初は友達と、なんて言うから、二回目は違ったのかなと思って」
「二回目は一人で……」
「ああ、そうなんだ。でも、そうだよね。明日嘉もあそこには行かないだろうから、彼とデートでってことはないか」
「……え?」
「ごめん。これも勝手な想像。明日嘉と暁月さんはお似合いだから」
「そうじゃなくて。明日嘉くん、あそこには行かないって……」
「ああ、たぶんだよ。全部想像だけどさ、明日嘉にはつらい場所だと思うから」
「………つらい場所って……」
もしかして……と、嫌な予感にかられる私の思いを悟ってか、吹雪さんはすんなりとうなずいた。
「まあ隠すことでもないし。うん、明日嘉が事故に遭った場所」
「だから……」
だから明日嘉くんは大通りを見つめて、つらそうにしたのだ。あの日のことを思い出すのはつらかっただろうに、私は何も知らないまま、彼を傷つけていた。
「明日嘉くん……、苦しそうで……」
あの場所で、事故の話なんかしたからだ。
胸が苦しい。でもそれ以上に明日嘉くんは苦しかったはずだ。私は取り返しのつかないことをした。
「え……?」
「明日嘉くん、来てたんです……あそこに。どんな思いで……」
手が震える。
明日嘉くんは苦しいことを苦しいと、素直に言う人ではなかったのに、それを言わせてしまったのは、私がひどく傷つけたからだ。
寂しいと言ってくれたのに。それなのに私が言った言葉は、彼から離れたい、そんな思いが言わせた言葉でしかなかった。
「暁月さん……、大丈夫だよ、暁月さん。明日嘉が来たなら、それは乗り越えたいって思ったからだろうから」
吹雪さんは私の肩にそっと手を置き、悲しみや苦しみが複雑に絡む眼差しで私を見つめる。吹雪さんもどうしてこんなつらい顔をするのだろう。
「俺なんてまだダメだ。どうしても受け入れられない」
「吹雪さん……」
「明日嘉は強いよな。いつも俺の一歩も二歩も先に行くんだ。あいつはずっと誰よりも先を歩くすごいやつだよ」
吹雪さんは晴れがましく清々しい表情を一瞬見せる。それは明日嘉くんを誇りに思う証。しかしすぐにその表情は影をひそめ、深い闇に落ちていく。
「……そんな明日嘉を傷つけたのは、俺の親父なんだ」
「え……」
何を言われたのかわからず混乱する私から目を逸らした彼は頼りなげな息をつく。
「親父を擁護するつもりはないけど、体調不良が続いててさ、無理して仕事して。あの日も取引先に向かう途中だったんだ。親父は事故を起こして意識不明のまま……去年死んだよ。結局親父は明日嘉に謝罪することも出来なかった」
「そんな……」
「だから明日嘉、俺の顔なんて見たくなくてゼミにも来なかったんだと思う。あの場所へ行く気になったって聞いて、ちょっとホッとしてる。俺がそんなこと言う資格なんてないのかもしれないけどさ」
吹雪さんは自嘲気味にちょっと笑うと、「大丈夫だよ」と私を優しく見つめる。
「明日嘉……わかってると思う。あいつ、誰よりも人を傷つけたくないやつだから。その性格は今でも変わってないって信じてるから、暁月さんのことも怒ったりしてないと思うよ」
そう言って、吹雪さんは私を励ましてくれた。
明日嘉くんの姿は図書館のいつもの場所になかった。
彼がいつ来てもすぐにわかるように入り口近くの椅子に座り、腕時計を確認する。一時間ほど待っているのに彼が来る気配はない。
明日から夏休みなのに___
かばんから取り出した小説を開き、ピンクのリボンのついたしおりを手に取る。
しおりを見ると、明日嘉くんの笑顔が浮かぶ。また彼の笑顔を見たいと思う。だけど、悲しみに暮れたまま立ち去った彼にはあの日から会えていない。
「可愛いしおりだね」
突然背後から声をかけられた。後ろから私の手元を覗くのは、同じゼミに参加している吹雪さんだ。
「あ……、こんにちは」
「隣、いいかな?」
うなずくと、吹雪さんは私の隣に座る。彼はいくつかの参考書をひざの上に乗せる。図書館へは勉強しに来たようだ。
「明日から夏休みだね。結局合宿には参加しないって氷澤先生から聞いたよ。明日嘉もだよね、きっと」
「たぶん……明日嘉くんも行かないと思います。何も言ってなかったから」
「そうなんだ。明日嘉はなんでも暁月さんに話すのかと思ってた」
「なんでもなんてことはないです。もうゼミにも来ないのかなって心配で。だから今日ここに来てみたけど、明日嘉くんいなくて……」
途方に暮れる私を見て、吹雪さんは少し眉をひそめた。
「何かあった? 明日嘉と」
「私、傷つけたんです……」
目を閉じると、涙を浮かべた彼の顔が浮かぶ。あんなつらい顔をさせてしまったのは私のせいだ。
「どういうこと?」
吹雪さんは優しく尋ねてくる。
「わからないの。……私、明日嘉くんを応援したつもりだったのに……」
「そう……」
しおりに顔を伏せる。涙をこらえたら肩が震える。今は後悔しか浮かばない。
「暁月さん、明日嘉には応援が負担になることもあるのかもしれないけど、そうやって話ができる関係になれたのは、俺からしたらやっぱりすごいことだと思うよ」
「吹雪さん……」
顔を上げたら、優しく微笑む吹雪さんと目が合う。
「明日嘉って、昔から何考えてるかわからないところあったし、またひょこっと現れるよ。あ、そのしおり、四つ葉のクローバーが入ってるんだね。暁月さんによく似合うよ」
私を元気付けようとしてか、吹雪さんは話をそらす。
「あ、ありがとうございます。クローバーが好きで……」
「ちょっと見せて。……これ、本物の四つ葉のクローバーが入ってるんだね。珍しいね。それとも最近は普通なのかな。こうやって生花を加工するのは」
「このしおりが売ってるお店には、他にもいろいろありましたよ。もしかしたらクローバー専門店だからかもしれないけど」
「専門店なんてあるんだ?」
「大学の近くですよ。大通りに新しいお店がたくさんオープンしてて……」
「あ、俺はあそこには行かないから、ごめん、よく知らないんだ」
吹雪さんはわずかに困り顔をする。
「私もです。最初は友達と行って……、まだ二回しか行ったことなくて」
「意外だなー。女の子ってああいう場所、毎日でも行きたいのかなって思ってた。二回目はデートで行ったの?」
「え、……どうして」
「あ、いや、深読み? 最初は友達と、なんて言うから、二回目は違ったのかなと思って」
「二回目は一人で……」
「ああ、そうなんだ。でも、そうだよね。明日嘉もあそこには行かないだろうから、彼とデートでってことはないか」
「……え?」
「ごめん。これも勝手な想像。明日嘉と暁月さんはお似合いだから」
「そうじゃなくて。明日嘉くん、あそこには行かないって……」
「ああ、たぶんだよ。全部想像だけどさ、明日嘉にはつらい場所だと思うから」
「………つらい場所って……」
もしかして……と、嫌な予感にかられる私の思いを悟ってか、吹雪さんはすんなりとうなずいた。
「まあ隠すことでもないし。うん、明日嘉が事故に遭った場所」
「だから……」
だから明日嘉くんは大通りを見つめて、つらそうにしたのだ。あの日のことを思い出すのはつらかっただろうに、私は何も知らないまま、彼を傷つけていた。
「明日嘉くん……、苦しそうで……」
あの場所で、事故の話なんかしたからだ。
胸が苦しい。でもそれ以上に明日嘉くんは苦しかったはずだ。私は取り返しのつかないことをした。
「え……?」
「明日嘉くん、来てたんです……あそこに。どんな思いで……」
手が震える。
明日嘉くんは苦しいことを苦しいと、素直に言う人ではなかったのに、それを言わせてしまったのは、私がひどく傷つけたからだ。
寂しいと言ってくれたのに。それなのに私が言った言葉は、彼から離れたい、そんな思いが言わせた言葉でしかなかった。
「暁月さん……、大丈夫だよ、暁月さん。明日嘉が来たなら、それは乗り越えたいって思ったからだろうから」
吹雪さんは私の肩にそっと手を置き、悲しみや苦しみが複雑に絡む眼差しで私を見つめる。吹雪さんもどうしてこんなつらい顔をするのだろう。
「俺なんてまだダメだ。どうしても受け入れられない」
「吹雪さん……」
「明日嘉は強いよな。いつも俺の一歩も二歩も先に行くんだ。あいつはずっと誰よりも先を歩くすごいやつだよ」
吹雪さんは晴れがましく清々しい表情を一瞬見せる。それは明日嘉くんを誇りに思う証。しかしすぐにその表情は影をひそめ、深い闇に落ちていく。
「……そんな明日嘉を傷つけたのは、俺の親父なんだ」
「え……」
何を言われたのかわからず混乱する私から目を逸らした彼は頼りなげな息をつく。
「親父を擁護するつもりはないけど、体調不良が続いててさ、無理して仕事して。あの日も取引先に向かう途中だったんだ。親父は事故を起こして意識不明のまま……去年死んだよ。結局親父は明日嘉に謝罪することも出来なかった」
「そんな……」
「だから明日嘉、俺の顔なんて見たくなくてゼミにも来なかったんだと思う。あの場所へ行く気になったって聞いて、ちょっとホッとしてる。俺がそんなこと言う資格なんてないのかもしれないけどさ」
吹雪さんは自嘲気味にちょっと笑うと、「大丈夫だよ」と私を優しく見つめる。
「明日嘉……わかってると思う。あいつ、誰よりも人を傷つけたくないやつだから。その性格は今でも変わってないって信じてるから、暁月さんのことも怒ったりしてないと思うよ」
そう言って、吹雪さんは私を励ましてくれた。
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