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星月夜
20
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***
「日が短くなったね」
お盆に乗せた二つのマグカップをカーペットの上に置いて、窓へと目を向ける。いつの間にか外は真っ暗だ。
窓辺に移動し、空を見上げる。今日は星が綺麗に見える。澄んだ空に秋の気配を覚える。
「今日はいつもより星がたくさん見えるみたい」
明日嘉くんは部屋の中へ巡らせていた視線を私に向け、ああ、とうなずく。私はカーテンをそのままに、彼の隣に腰を下ろす。
「ごめんね、掃除あんまりしてなくて。ホットコーヒーだけど飲む? 食事はあと1時間ぐらい後になるの。大丈夫?」
「いいよ、ありがとう。日菜詩ちゃんの部屋、意外と女の子女の子してないね」
明日嘉くんはマグカップを口元に運びながら、改めて部屋を眺める。
「そうかな? でもあんまり見ないで。恥ずかしい」
「俺は好きな部屋だよ。いきなり部屋に誘われたのは驚いたけど」
明日嘉くんは苦笑いするが、元凶は彼でもある。
「お父さんに付き合ってること話したの? ちょっとびっくりしちゃった。お父さんに呼び出されて言われたから」
「あ、ごめん。暁月先生には不思議と隠し事が出来ないっていうか。なんか知ってて欲しくて」
「反対されなかった? 私には何も言わなかったの、お父さん」
「反対っていうか、心配はしてるよ。それはそうだよね、俺の世話をするために日菜詩ちゃんを今まで育ててきたわけじゃないだろうからね」
「世話だなんて……。明日嘉くんは自立しようって頑張ってるし、私より何倍もしっかりしてるよ」
「それでも普通じゃないからさ」
私は眉をひそめる。どこか諦めたような表情の彼が、何かに傷ついているように見える。
「……普通じゃないって、どうして決めつけるの? 私には明日嘉くんを好きになったことも、こうして一緒にいることも、全部普通のことだよ。普通じゃないことがあるなら……、こんなにカッコいい明日嘉くんが私なんか好きになるなんておかしいって思うだけで……」
「それは今だから言えることだよ。このまま付き合ってたら、そんなこと言ってられない現実に直面する。それを先生もわかってるんだ。苦労するってわかってて許すなんて、なかなか出来ないよ」
明日嘉くんはうつむくと、前髪をくしゃりとつかみ、小さなため息をつく。
「……明日嘉くんはどうしたいの?」
「それは決まってる。日菜詩ちゃんを幸せにしたいよ。昔の俺なら出来たかもしれないことが今は出来ないけど、それでも……別れたくない」
ハッと顔を上げ、力強く言う彼をじっと見つめる。いつからだろう。彼がこんなにも真剣に私のことを考えてくれるようになったのは。
嬉しくて涙がこぼれそうになるのをこらえながら、彼の右手をそっと握る。
「私はそう思ってもらえるだけで十分だよ。そんなに悩まなくて大丈夫だよ」
「十分なんてことはないだろ? 俺には出来ないことが多すぎる」
「明日嘉くんが自分のことそう思ってる限り、ずっと悩むんだね」
「日菜詩ちゃん……」
「私だって明日嘉くんより出来ないことたくさんあるよ。だから私だけ負担になるとかはないよ。明日嘉くんも苦労するかもしれない」
「俺が心配してるのは……」
「それが怖いなら、どうして付き合おうって言ったの……?」
彼の言葉を遮り、問う。声が震える。付き合わない選択肢もあった。恋人にならなくても一緒にいることはできる。
「日菜詩ちゃん、俺の話を聞いて」
「私、大丈夫だよ……、明日嘉くんの側においてもらえるならそれだけで。明日嘉くんに責任を感じてもらいたいわけじゃないの」
彼の負担になりたいと望んだわけじゃない。ただ一緒にいたい。その思いだけが私の支えだったはずだ。
「違う、違うよ、日菜詩ちゃん。俺が感じてるのはそういう意味の責任じゃない」
「違わないよ……。明日嘉くんは私に負担をかけてるって思ってるかもしれないけど、私も同じ気持ちになることあるよ。一方的じゃないの」
「……俺は日菜詩ちゃんに負担を感じたことはないよ」
「私も同じだよ、明日嘉くん。明日嘉くんを負担に思ったりしない。だから悩まないで。今を大切にしよう、ね?」
「違うよ……日菜詩ちゃん。俺は……」
何が違うというのだろう。
明日嘉くんはおもむろに私を後ろから抱き寄せ、肩に額を伏せる。
「今ももちろん大切だけど、もっと先のことも考えてるから」
「明日嘉くん?」
明日嘉くんの手を取り、振り返る。彼は苦しげに微笑んで、私の頬に頬を寄せる。
「大学卒業したら結婚しようよ、日菜詩ちゃん。そのための未来をこれから考えて生きていきたいんだ。日菜詩ちゃんを大切にするとか幸せにするとか、そんなのは当たり前なんだ。日菜詩ちゃんと生きていく責任を俺に負わせてほしい。悩ませて欲しい。大事なことだから……」
「明日嘉くん……でも……」
思わぬ告白に戸惑う。
「でも、なの?」
「あ、うん……。でもまだ付き合い始めたばっかりだから結婚なんて考えてもなくて、明日嘉くんは飽きるかもしれないって思って」
「飽きる?」
「だって……」
「飽きないよ。だからさ、結婚してくれる?」
「あ、……あの、考えさせて」
「簡単にうなずかない、そういうところ好きだよ。日菜詩ちゃんは、まれに見えるとワクワクして見飽きない満天の星空と同じでさ、俺に期待させて飽きさせないんだ。だからどんな返事が来ても手放す気はないよ」
「それじゃあ……」
「その気になったら結婚しよう。その気にならないうちは俺の彼女でいてよ」
その選択は私を安心させる。ずっと一緒にいよう。彼はそう言ってくれたのだ。
「うん」
「ああそうだ、日菜詩ちゃん」
「なに?」
ふと何かを思い出したように彼は私の顔を覗き込むと、目を細めて微笑む。こんな表情をする彼が好きだ。無条件にいつも胸が高鳴る。
「好きだよ、日菜詩ちゃん」
「え……えっと……」
どきどきする。こんなこと言われたのは初めてだ。
「……感じることも大切だけど、はっきり言うのも大事だよね」
「あの、私も……」
「私も?」
「……私も……好き」
明日嘉くんが目を細める。それは彼が私を慈しんでくれている証。
「やっと言ってくれたね。……明日も言ってくれる? その次も。明日の気持ちはわからないから毎日教えてよ」
「ずっとずっと、好きだよ」
そう言って、彼の頬にそっと触れて約束する。
「あしたも、あしたの私があなたに恋をするから、明日嘉くんも私を好きでいてね」
【完】
「日が短くなったね」
お盆に乗せた二つのマグカップをカーペットの上に置いて、窓へと目を向ける。いつの間にか外は真っ暗だ。
窓辺に移動し、空を見上げる。今日は星が綺麗に見える。澄んだ空に秋の気配を覚える。
「今日はいつもより星がたくさん見えるみたい」
明日嘉くんは部屋の中へ巡らせていた視線を私に向け、ああ、とうなずく。私はカーテンをそのままに、彼の隣に腰を下ろす。
「ごめんね、掃除あんまりしてなくて。ホットコーヒーだけど飲む? 食事はあと1時間ぐらい後になるの。大丈夫?」
「いいよ、ありがとう。日菜詩ちゃんの部屋、意外と女の子女の子してないね」
明日嘉くんはマグカップを口元に運びながら、改めて部屋を眺める。
「そうかな? でもあんまり見ないで。恥ずかしい」
「俺は好きな部屋だよ。いきなり部屋に誘われたのは驚いたけど」
明日嘉くんは苦笑いするが、元凶は彼でもある。
「お父さんに付き合ってること話したの? ちょっとびっくりしちゃった。お父さんに呼び出されて言われたから」
「あ、ごめん。暁月先生には不思議と隠し事が出来ないっていうか。なんか知ってて欲しくて」
「反対されなかった? 私には何も言わなかったの、お父さん」
「反対っていうか、心配はしてるよ。それはそうだよね、俺の世話をするために日菜詩ちゃんを今まで育ててきたわけじゃないだろうからね」
「世話だなんて……。明日嘉くんは自立しようって頑張ってるし、私より何倍もしっかりしてるよ」
「それでも普通じゃないからさ」
私は眉をひそめる。どこか諦めたような表情の彼が、何かに傷ついているように見える。
「……普通じゃないって、どうして決めつけるの? 私には明日嘉くんを好きになったことも、こうして一緒にいることも、全部普通のことだよ。普通じゃないことがあるなら……、こんなにカッコいい明日嘉くんが私なんか好きになるなんておかしいって思うだけで……」
「それは今だから言えることだよ。このまま付き合ってたら、そんなこと言ってられない現実に直面する。それを先生もわかってるんだ。苦労するってわかってて許すなんて、なかなか出来ないよ」
明日嘉くんはうつむくと、前髪をくしゃりとつかみ、小さなため息をつく。
「……明日嘉くんはどうしたいの?」
「それは決まってる。日菜詩ちゃんを幸せにしたいよ。昔の俺なら出来たかもしれないことが今は出来ないけど、それでも……別れたくない」
ハッと顔を上げ、力強く言う彼をじっと見つめる。いつからだろう。彼がこんなにも真剣に私のことを考えてくれるようになったのは。
嬉しくて涙がこぼれそうになるのをこらえながら、彼の右手をそっと握る。
「私はそう思ってもらえるだけで十分だよ。そんなに悩まなくて大丈夫だよ」
「十分なんてことはないだろ? 俺には出来ないことが多すぎる」
「明日嘉くんが自分のことそう思ってる限り、ずっと悩むんだね」
「日菜詩ちゃん……」
「私だって明日嘉くんより出来ないことたくさんあるよ。だから私だけ負担になるとかはないよ。明日嘉くんも苦労するかもしれない」
「俺が心配してるのは……」
「それが怖いなら、どうして付き合おうって言ったの……?」
彼の言葉を遮り、問う。声が震える。付き合わない選択肢もあった。恋人にならなくても一緒にいることはできる。
「日菜詩ちゃん、俺の話を聞いて」
「私、大丈夫だよ……、明日嘉くんの側においてもらえるならそれだけで。明日嘉くんに責任を感じてもらいたいわけじゃないの」
彼の負担になりたいと望んだわけじゃない。ただ一緒にいたい。その思いだけが私の支えだったはずだ。
「違う、違うよ、日菜詩ちゃん。俺が感じてるのはそういう意味の責任じゃない」
「違わないよ……。明日嘉くんは私に負担をかけてるって思ってるかもしれないけど、私も同じ気持ちになることあるよ。一方的じゃないの」
「……俺は日菜詩ちゃんに負担を感じたことはないよ」
「私も同じだよ、明日嘉くん。明日嘉くんを負担に思ったりしない。だから悩まないで。今を大切にしよう、ね?」
「違うよ……日菜詩ちゃん。俺は……」
何が違うというのだろう。
明日嘉くんはおもむろに私を後ろから抱き寄せ、肩に額を伏せる。
「今ももちろん大切だけど、もっと先のことも考えてるから」
「明日嘉くん?」
明日嘉くんの手を取り、振り返る。彼は苦しげに微笑んで、私の頬に頬を寄せる。
「大学卒業したら結婚しようよ、日菜詩ちゃん。そのための未来をこれから考えて生きていきたいんだ。日菜詩ちゃんを大切にするとか幸せにするとか、そんなのは当たり前なんだ。日菜詩ちゃんと生きていく責任を俺に負わせてほしい。悩ませて欲しい。大事なことだから……」
「明日嘉くん……でも……」
思わぬ告白に戸惑う。
「でも、なの?」
「あ、うん……。でもまだ付き合い始めたばっかりだから結婚なんて考えてもなくて、明日嘉くんは飽きるかもしれないって思って」
「飽きる?」
「だって……」
「飽きないよ。だからさ、結婚してくれる?」
「あ、……あの、考えさせて」
「簡単にうなずかない、そういうところ好きだよ。日菜詩ちゃんは、まれに見えるとワクワクして見飽きない満天の星空と同じでさ、俺に期待させて飽きさせないんだ。だからどんな返事が来ても手放す気はないよ」
「それじゃあ……」
「その気になったら結婚しよう。その気にならないうちは俺の彼女でいてよ」
その選択は私を安心させる。ずっと一緒にいよう。彼はそう言ってくれたのだ。
「うん」
「ああそうだ、日菜詩ちゃん」
「なに?」
ふと何かを思い出したように彼は私の顔を覗き込むと、目を細めて微笑む。こんな表情をする彼が好きだ。無条件にいつも胸が高鳴る。
「好きだよ、日菜詩ちゃん」
「え……えっと……」
どきどきする。こんなこと言われたのは初めてだ。
「……感じることも大切だけど、はっきり言うのも大事だよね」
「あの、私も……」
「私も?」
「……私も……好き」
明日嘉くんが目を細める。それは彼が私を慈しんでくれている証。
「やっと言ってくれたね。……明日も言ってくれる? その次も。明日の気持ちはわからないから毎日教えてよ」
「ずっとずっと、好きだよ」
そう言って、彼の頬にそっと触れて約束する。
「あしたも、あしたの私があなたに恋をするから、明日嘉くんも私を好きでいてね」
【完】
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