溺愛王子と髪結プリンセス

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見せられないカラダと刻印

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「セオ様、このような夜更けにお出かけなさるのは感心いたしません」

 赤い瞳がセオを責めるように見つめる。心を見透かす瞳にどきりとしつつも、隠し事をする必要もないセオは素直に答えることを覚えて育った。

「ああ、ルベ。今宵は月が明るい。きっと星空を眺めるあの人の顔を見ることもできるだろう」

 銀製の横笛を胸元へ差し込み、無表情のルベを素通りして部屋を出る。ルベは無言で、静かにセオの後を追う。

 ルベの赤黒い髪の中には白髪が混じる。産まれた時からセオの髪結だったルベもずいぶんと老いた。それはセオの成長を示すものでもあった。

「ルベ、来なくとも良い。あの人を見るだけだ」

 ルベは低頭するが、譲らない様子で目を伏せたまま微動だにしない。

 もともと存在を感じさせないルベのことなどセオは慣れたもので、気にせず歩き出す。

 兄ベリルの暮らす王宮は長い回廊を渡った先にある。王宮の中庭には噴水があり、そこへ訪れては笛を吹く毎日をこのところ繰り返している。しかし夜に訪れるのは稀だ。

 三日前、噴水の側から王宮を見上げ、空を眺める真凛の姿を見つけることがなければ、今日こうして部屋を抜け出ることもなかっただろう。

「ああ、いた……」

 噴水のある中庭へ到着するとすぐ、黒髪の美女を見つけることができた。彼女は上階の窓からわずかに身を出して、楽しそうに夜空を見上げている。

 幸せそうな笑顔は兄のもとから逃げ出す必要がなくなったことを物語る。幸せなのだ。そう思うと、胸はチクリと痛む。

「セオ様、お風邪をひかれてはいけません。戻りましょう」
「このような夏の日に、風邪など……」

 ルベが厳しくも優しい声をかけるのは、風邪を心配するためではないと知りながらも、セオはすぐに立ち去れない。

「セオ様」

 名を呼んで諭すルベと向き合う。

「あの人ほどに美しい方を見たことはない。女を知らぬと言われればそれまでだが、また話をしたいと思うぐらいは許されてもいいだろう」
「あの方はいけません」
「ルベ……、兄上の髪結だということは百も承知だ」

 譲れない思いが湧き上がっているのもルベには伝わっているのだ。依然と厳しい赤い眼差しを無言で見つめ返した時、頭上から可憐な声が降ってくる。

「セオ……セオ王子っ?」
「真凛」

 真凛は窓からますます身を乗り出して、セオに向かって手を振る。

 美しい笑顔が見つめる先に自分がいるのだと思うだけで胸が熱くなる。もっと近くで会いたい。もっと近くで話がしたい。あの人に触れたい。

「セオ王子ー」

 真凛はセオの名を呼んで、何度も手を振る。

「まり……」

 一歩前に進み出た時、真凛の背後に赤い髪が見えた。それが兄ベリルの髪だと察するのは容易だった。

 ベリルは彼女を後ろから抱きしめると部屋の中へ引きずり込み、窓をピタリと閉めた。

 静寂が辺りを包む。

 真凛がいることでセオの世界は華やぐ。それを知らしめるほどの重い静寂の中、セオは無言で中庭を立ち去った。ルベも何も言わず、後に続いた。
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