溺愛王子と髪結プリンセス

水城ひさぎ

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見せられないカラダと刻印

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***


 サンが王宮を留守にするのは真凛が来てから初めてのことだった。日が沈む前に戻るというが、退屈だ。

 窓からは王城の尖がった屋根が望める。王城は手が届きそうなほど近いのに、決して訪れることができない場所。

 それは真凛がアウイにもアルマンにも、そして母にも会うことができないということを意味していた。

「あれ……?」

 真凛は窓を開けて、王城の上空を見上げる。青空に赤茶色の鳥が旋回している。

「あれが、赤鷹……」

 そうつぶやいた時、下の方から声がする。

「真凛っ!」

 聞き覚えのある声に驚いて、真凛は中庭を見下ろす。そこには噴水の前でこちらを見上げる白銀の青年がいた。

「セオ王子? なぜいるのっ?」
「降りてこれる? ハサミを持って」
「ハサミ?」
「髪を切りたいんだ」

 唐突にそう言われ、真凛はわけがわからないまま仕事道具を腰につけ、部屋を飛び出した。

 すぐに中庭へ到着する。
 変わらずセオは噴水の前にいる。国王の即位式には行かなかったのだろうか。

 セオは真凛の姿を見つけるとすぐに嬉しげに微笑んで、足取り軽く近づいてくる。

「なぜいるの?」

 もう一度問うと、セオは不思議そうにする。

「今日は即位式でしょう? セオ王子も王城へ行ったと思っていたわ」
「ああ、行ってきたよ。退屈だし、疲れるから戻ってきたんだ」

 あきれる言い分だ。セドニー王国の新たな歴史の幕開けとなる儀式を退屈だなどと一蹴してしまえるなんて。

「アウイ王子はさぞ立派だったんでしょう? 王妃殿下にも会えたの?」
「アウイ国王陛下はセドニーの未来を表すように輝いていた。母上は幕の奥にいたから良くは見えなかったな。赤い髪だけは見えた。きっと妖艶な人だ」
「そう。話はできなかったのね」
「ああ、もう二度と会うことのない人たちだ。あまり興味はないよ」

 投げやりとも受け取れる言葉をため息とともに吐き出したセオは、真凛の腰に視線を落とす。

「真凛、髪を切ってくれないか。今日が新たなセドニーの始まりの日なら、俺も気持ちを入れ替えよう」
「どうして急にそんな気持ちになったの?」
「真凛が言ってくれたからだ。俺には誇れるものがあると。何ひとつ誇れるものなどないまま、王宮から出ることもかなわず生きていくと思っていた俺に一筋の光をもたらしてくれた」
「誇り……」

 真凛は輝くセオの笑顔を眩しく見上げる。
 誇れるものに出会った者は、これほどまでに自信に満ちることができるのかと。

「そうだ。俺は王子だ。真凛を幸せにできる力がある。王子でなければ得ることができないものを、俺は欲することができる」
「王子であることが、あなたの誇り……」
「それに気づかせてくれたのは真凛だから、真凛に髪を切ってほしい」
「でも、王子の髪に触れていいのは髪結だけでしょう?」

 セオにはルベという髪結がいる。真凛では役不足だろう。そう言えば、セオは真凛の両肩を包むようにそっと手を置く。

「ルベのことなら気にしなくていい。兄上以外の髪に触れたことを真凛が咎められるなら、俺の髪結になればいい。むしろそうしたいと思っている」
「あなたの髪結になっても、私の毎日は変わらないの」

 ベリルとサンのつながりを目にするたびに居心地の悪い思いをする。そこから逃げ出したとしても、今度はセオとルベの信頼関係に複雑な思いをするのは目に見えている。

 セオの髪に触れていいとルベが許したという事実が、そういうことではないのか。

「そんなことはない。前に言っただろう? 真凛の見たい景色を俺は聞かせることができる」
「私が見たい景色は何かしら……」

 日本か? と自問する。しかしすぐに違うと思う。日本での幸せは、母やアルマンがいたからだ。セドニーに母とアルマンがいてくれるなら、日本の景色は見たいものではない。

 では何を見たいのだろう。王宮を抜け出しても生きる術のない真凛が見るべき景色は、この王宮以外に何が。

「真凛、そんな悲しい顔をするな。俺の髪結になれば、悲しみを減らすことはできる。すぐに欲してしまう自信はあるが、後悔はさせない」
「すぐに、って……」

 それは求愛だろう。アウイやベリルがそれを望むように、セオもまた欲しがる。アウイは快楽を、ベリルは慰めを求めて。ではセオは?セオは何を求めて触れたいというのか。

「真凛をもっと知りたいと思ってはいけないだろうか。真凛の美しさはその心にある。内面の美しさもまた、美しい容貌を作る。真凛に触れるということは、心に触れるということだ」

 美しい容貌を愛でて、心を愛する。

 真凛はためらう。愛する人にならそれを許すこともできるが、セオは弟だ。その愛を受け入れることはできない。

「見せられないの」
「何を?」

 セオはあどけなく首をかしげる。心も身体も成熟しきっていない青年を傷つけることなど、真凛にはできなかった。だからそう言うしかなかった。

「私の身体は醜くて……、セオ王子に見せることはできないの」

 いぶかしげに眉をあげるセオは、真凛の全身をゆっくりと眺める。身体のラインを見せるドレスにその醜さを証明するものは何もない。

「真凛は美しいよ」
「髪は、切りたいわ。そのぐらいしか、あなたの愛に報いる方法が私にはないの」

 いつかこうなることを予見して、アルマンは真凛に美容師になる道を選ばせたのか。そうだとしたら、それはあまりに無慈悲で、あまりに深い愛。

「真凛の愛を分けてもらえるなら、あなたの全てを受け入れよう」

 醜い身体でもかまわないとセオは言う。真凛は戸惑いながらも、セオの長く美しい白銀の髪に手を伸ばした。

 サラサラとしたその髪には、若き王子の素直さそのものが満ちあふれていた。

 セオの髪は櫛で梳くたびにキラキラと輝いた。

 夏の日差しを受けるガゼボの作る日陰が、時折、噴水の中を吹き抜ける風を冷やして真凛とセオのもとへ運んでくる。

「どのぐらい切る?」

 風に揺れる白銀の髪をそっと持ち上げる。切ってしまうには惜しいほどの美しさ。それでもやはり、セオには快活な短髪が似合うと思う。

「真凛の好きなように」
「私がカッコいいと思う髪型でいいの?」

 ちょっと笑いながら言うと、セオは大真面目な顔をして振り返る。

「俺を好きになるなら」

 どきりとして宙へと目をそらす。

 はぐらかそうとした真凛を責めるようにセオは手を握るが、真凛と同様に青空へと目を向ける。

「珍しい。赤鷹が祝いの日に現れるなんて」

 大空を悠々と旋回する赤鷹は、いまだ王城から離れる気配はない。

「珍しいの? 吉兆を知らせる鳥なんでしょう?」
「それは昔の話。ここ数十年は凶兆を知らせるかのように現れている」
「何かよくないことが起きるのかしら」

 不安になる。それを肌から感じたのか、セオはますます強く真凛の手を握りしめる。

「俺が守るから、何も心配はいらない」
「ありがとう、セオ。さあ、切りましょう」

 そっとセオの手を離させる。さみしそうに眉を下げた彼は噴水へと向き直り、わずかにこうべを下げた。

 肩の上あたりで、白銀の髪にハサミを入れる。長い髪はハラハラと地面に落ちていく。

 セドニーの貴人は髪の色をひどく重要視する。そしてその髪をたやすく触らせない。だから髪結という制度も生まれた。それほどまでに大切な髪を切らせてくれるという彼の想いは真剣だ。

 踊るように動く真凛のハサミはセオの髪を次第に軽やかにしていく。

「さあ、できた」

 前髪長めのショートウルフは若いセオによく似合う。彼は長い指を髪に通し、少々驚くぐらいにはすぐに言葉を発しない。

「セオ王子、鏡を見る?」

 そう言って手鏡を差し出すと、ようやくセオは笑顔を見せて鏡を覗き込む。

「似合ってるのかはよくわからないが、真凛がいいというならいいのだろう」

 正直な感想のようだ。真凛はくすりと笑い、顔や首についた短い髪を払い落としていく。女性のように綺麗な白いうなじを眺めながら、ふと真凛は尋ねる。

「セオ王子はどこに刻印があるの?」

 アウイは権力を見せつけるにはじゅうぶんな上腕にあった。ベリルはわずかに見せることによって劣等感を植え付ける首筋に。ではセオは?

「背中にある。易々と見せるものではないが、真凛が見たいなら……」
「あ、別に見たいわけじゃ……っ」

 セオが急に立ち上がる。衣服についた髪がパラパラと地面に落ちる。まるでその髪を払い落とすかのようにセオはベストを脱ぐ。

 中に着る白いブラウスのボタンを外すさまは見ていられなくて、真凛はうつむいた。

「恥ずかしがることはない。すぐに慣れる」

 真凛を下から覗き込むセオは、程よく鍛えられた上半身をさらしている。

 華奢で横笛ばかり吹いているイメージを払拭するたくましさは、思っていたより男性的で、真凛のほおは無意識に赤らんでいく。

「真凛は刻印の意味を知っているか?」
「え、ええ、聞いたわ。王位継承権のある者はブルードラゴンの、反対にない者は赤鷹の」
「俺はそのどちらなのだろう。俺の背中を見たことがあるのはルベだけだ。ルベはものをあまり言わぬ髪結だ。以前から気になってはいたが、確かめようと思ったのは今日が初めてだ」

 それは王子として真凛を守りたいと思ったがゆえの欲だったのだろうか。

 赤鷹ならば国王にはなれず、ベリルのような苦しみを背負いながら生きなければならない。今までは確かめる必要もないほど、セオには王位というものが無縁だったように思えた。

 ならば、ガーネを殺害したのはセオではないだろう。内心安堵する真凛の前で、セオはゆっくりとターンをする。

 夏の日差しがセオを照らす。影のできる背に、真凛の目は釘付けになった。そこにあるのは___

「どうだ、真凛?」

 真凛は息を飲み、不思議そうに振り返ろうとするセオの背にしがみつく。

「真凛?」

 真凛は無言で首を横にふり、セオの背中を見つめる。

 胸がドキドキと高鳴っていく。セオの心を大切にしたい。浮かぶ思いはそれだけで、真凛はようやく息をつく。

「あるわ……、立派なブルードラゴンの刻印が……」

 セオの背中を手のひらでそっと撫でる。安堵で全身の力を抜くセオの言葉を思い出す。

___王子であることが、誇り……。

 その誇りが今、真凛の言葉によって守られた。

 真凛は泣きそうになるのをグッとこらえて、真っ白な彼の背にひたいを押し当てた。

 そこにあるのは、刻印ではなかった。セオの心を表すような、真凛に安らぎを与えるまっさらで綺麗な白い肌だけだった。
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