溺愛王子と髪結プリンセス

水城ひさぎ

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愛するがゆえに

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「真凛、……行くな」

 セオが真凛をしっかりと抱きしめる。ベッドから抜け出そうとしていた真凛は、悲しげな彼のほおをなでる。

「何も苦しまなくていいのよ」
「どうしてそんなことが言える? どうしたらいいかわからないって言うのに……」
「セオ様はここを出るの。自由になれたら迎えに来て」
「出来そうにもないことを言うんだ……」

 セオは小さく笑って、真凛の髪をかきあげる。

「真凛を欲しがる貴人はたくさんいるだろう。いつか結婚しても、心だけは俺に……」
「結婚なんてしないわ。どこにいてもセオ様を想ってる」
「そんなこと言って、真凛は離れていくんだ」

 困った子どもをあやすように真凛はセオを抱きしめて、何度も優しく背中をなでる。

「俺は今でもあなたが姉だなんて信じてない」
「私もあなたが弟だなんて思ってないわ」
「そうじゃないと抱き合えないよ」
「今日のことを後悔しない日が必ず来るわ。だからセオ様は必ずここを出るのよ。あなたはセドニーに名を残す立派な紳士になれるから」

 真凛はセオを押し離す。

「真凛、行くのか……」
「もう戻らなきゃ。陛下が心配するわ」
「陛下は真凛に優しい?」
「もちろんよ。あんなに優しい人はいないわ。セドニーの民は幸せね。だから心配しないで」

 そうか、とセオはつぶやくと、真凛を解放する。

「陛下なら、また真凜と会わせてくれるかな」
「そうね。また会えるわ」

 真凛はベッドを降りるとドレスを拾い上げる。白い髪結ドレスを着る日はもう二度と来ないだろう。大切に抱きしめた後、ドレスをかぶり、袖を通す。

「セオ様、またね」

 ベッドに横になるセオにそっとキスをして真凛は後ずさる。セオが上体を起こし、手を伸ばそうとするから身をひるがえして寝室を飛び出す。

 裸足だと気づいたけど戻ることもできなくて、閉じた扉にもたれて両手に顔をうずめた。涙が指の隙間から流れ出て、嗚咽する。

「真凛様、泣くのなら真実を告げなさればよろしいでしょうに」

 顔を上げると、水の入ったグラスを持ったルベが目の前にいた。

「できないわ……。する必要もないもの」
「セオ様はお喜びになって、真凛様を大切になさるでしょう」
「そんなことない。結婚を望まれたらどうするの? インカ様の思う壺……」
「インカ様にお会いになられた?」

 真凛はルベから水を受け取る。揺れる水面に映る顔はひどく歪んでいる。

「陛下を殺せって言われたわ……」
「インカ様はそのようなことを言われませんでしょう」
「もちろんはっきりとは言わないわ。でもそういうことを望んでる」

 だからイヤリングを渡したのだ。

 真凛はドレスのポケットからイヤリングを取り出す。ガラス玉の中に入る透明な液体の正体は聞かなくともわかる。

「それは?」
「インカ様がくれたの。わかるでしょう? この中には毒が入ってるの。私に陛下へ飲ませるように仕向けたのよ。でもそんなこと私はしない」

 真凛はイヤリングのガラス玉についた小さな蓋を外す。それを傾けると、液体はさらさらとグラスの中へ流れ落ちていく。

「私が死んだら、インカ様の野望は消えるの。セオ様の秘密もずっと守られるわ。ルベはセオ様とここを出て、私の母が暮らしていた屋敷へ行くの。二人で幸せに……ううん、セオ様に優しい女性を紹介してあげて。それがセオ様の幸せになるから……」

 ルベは何も言わず、グラスを揺らす真凛を見つめている。

「私も……、セオ様のためにできることがあって嬉しいのよ」

 そう言ったらひとすじの涙がほおを伝った。無表情のルベから目をそらし、真凛は深呼吸すると、グラスを傾け、透明な液体をひと思いに飲み込んだ。

 ほおを流れる涙があごを伝い、のどを濡らす。ごくりと飲み干した水はほんのり甘くて、真凛の身体から気負っていた力を奪っていく。こんなに優しい味のする水を飲んだのは初めてだった。

「ルベ……… 」

 真凛はほおをぬぐい、おかしいわ、と髪をくしゃりとつかむ。

「真凛様はお優しい。やはりアイ様のお子ですね」

 ルベの唇がわずかに歪んだように見えたのは、微笑んだためだろう。

 ルベはグラスを取り上げ、真凛をベッドへといざなう。

「優しくなんてないわ」

 息をついて、両手で顔を覆う。

「今飲んだのは、赤鷹の棲む谷にある神秘の泉の水。インカ様の美貌の秘訣でしょう」
「え……?」
「なぜ毒だなどと思い込んだのか。インカ様がそのように自ら手を下すことなどされません」
「でもインカ様は陛下を煙たがって……」

 真凛ははっと息を飲む。

 セオを王にするためにはアウイが邪魔だ。インカはそう言って、何かわからない液体を真凛へ渡したにすぎない。それをどう受け取るかは真凛次第だった。

「からかわれたのかしら……」
「お遊びの好きな方ですから。時には人命すら双六のように扱われる。セオ様を王にと望む気持ちはあれど、執念とは違う。そのようになれば面白い。ただそれだけでしょう」

 ルベは小さなため息をつく。ルベもまた、インカに振り回され、罪のない命が失われるのを見てきた者。そして___

「セオ様も、お遊びで生まれたの……?」

 ルベは否定しなかった。体の内側に生まれる悲しみを持った憐れみがあふれ出るように、真凛の瞳から涙がこぼれ出す。

「セオ様にいくつの嘘をついたのかしら。死んだら全部終わると思ってたのに……」

 そんな労すら、インカには戯言。出会った時から姉だと言えず、姉ではないと知った今も、嘘をつき続けている。それすら。

 セオに真実を告げること、告げないこと、そのどちらの道を選んだとしても、それによって起きる騒動は、インカにとって長い人生の暇つぶしでしかないのだ。

「アイ様はどんな時でも生きることを望んでおられた。何不自由ない身でありながら、死を選ぶ必要はないでしょうに」
「母を、よく知っているの?」
「混血はインカ様のお屋敷で暮らすのは苦労します。かといってフィンの血を持つものはセドニーでまともに暮らせません。大概のフィンの混血児は貴族に拾われ育つのです」

 ルベの赤い瞳は無感情だが、彼女をそうさせたのはつらい経験によるものか。

「ルベは誰かに拾われたの?」
「はい」
「どんな人に?」
「白銀の髪が美しい少年です」

 セオ? と思ったけれど、違う。ルベは母親ほどの年齢の女性だ。

「今でもその方に仕えているの?」

 なぜだかそう思えて問うと、ルベは肯定するようにうなずいた。

「あの方の勧めでインカ様のお屋敷で長く勤めました。しかし、インカ様は混血児の私にお優しくはなかった。いっそ死んでしまおうかと屋敷を抜け出した時、真凛様を身ごもるアイ様に出会ったのです。身の上話を親身に聞いてくださったのはアイ様が初めてでした」
「お母さんはなんて?」
「死ぬ気があるならば、秘密の子を育てないかとアイ様はおっしゃった」
「そんなことを?」

 母の言動には驚かされる。大人しくて物静かな母の内面がひどく情熱的で。

「アイ様のお身体は決して良い状況ではありませんでした。しかし私が決意する間もなく、アイ様はタンザ様の庇護のもと、無事に真凛様をお産みになった。私は仕方なくインカ様のお屋敷に戻ったのです」

 ルベは珍しく疲れたような息をつく。

「屋敷を抜け出した私をインカ様は叱咤なさった。あの方はひたすら辛抱するようにと言って、私を救ってはくださらなかった」
「それでも慕っているの?」
「あの方がいなければ、すでにない命。あの方がインカ様と通じ、セオ様が誕生した時、私は生涯セオ様をお守りしようと誓った」
「……ルベの主が、セオ様の父親?」

 白銀の少年は大人になり、誇り高いフィンの女との間に、白銀の王子を誕生させた。

「あの方は野望に満ちた方。アイ様と真凛様、そしてアルマンがセドニーを去った後、近衛隊長の地位にのぼりつめ、タンザ様の厚い信頼も勝ち得た」
「近衛隊長って……クレーズ様?」

 白銀の髪が美しい男。セオに似ているなんて思いもしなかったが、真凛の知る近衛隊長はクレーズただひとり。

「だからセオ様はあの日、王宮へ来たの?」

 セオの分身に出会えたあの日がなければ、真凛がこうしてここにいることはなかった。それもまた、インカとクレーズの仕組んだ遊興か。

「はい。クレーズ様から連絡がありました。真凛様が現れると。それをお知りになれば、必ずセオ様は行く。クレーズ様は真凛様とセオ様のご結婚を強く望んでおられるのです」
「クレーズ様はセオ様が王になれると本気で?」
「インカ様が焚き付けておられるのでしょう」
「我が子をもてあそぶなんて、ひどい……」

 セオの身になったことがあるのかと、怒りすら覚える。それでも真実を告げずに、別れることさえできず、セオにまた会えると希望だけ与えて死のうとした真凛は、ふたりを責める権利などない。

「アウイ陛下の身に何かあれば、セオ様が次期国王にと望まれるのは真実。そうなった時、証のない王子を、家臣たちはどうなさるでしょうか」
「タンザ様を、家臣を、国民をたばかった罪は大きいわね」
「真凛様がセオ様の妻となれば、セオ様の命は守られる。そのような立場にある真凛様をインカ様が殺すはずはありません。殺すならば……」

 ルベは無言でそれを伝えてくる。

 殺すならば、セオが王になった時。

「それはまた、その時の楽しみに思っておられるでしょう」

 飽くことのない人生のために、インカはいくつものサイコロを用意している。そのさいを投げるのは気分次第。

「セオ様に幸せになってもらいたいだけなのに……」
「セオ様は幸せでしょう。真凛様に愛されて」

 真凛はハッと辺りを見回す。美しくも哀しい笛の音が遠くから聞こえてくる。セオの苦しみが、悲しみが、つらく切ない音となって届いてくる。

「クレーズ様は高雅な笛の名手でございます。せめて孤独な王宮での暮らしが豊かになるようにと、クレーズ様がセオ様に笛を贈られた。その、子を思う気持ちだけは疑いませんよう」
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