佐藤くんは覗きたい

喜多朱里

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番外編:有村七江は覗かれたい(4)

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 ベランダで交わした会話で佐藤くんを少しだけ知ることができた。
 本来ならもうちょっと踏み込むつもりだったけど、スマホが着信に震えていたので先輩の催促だと気付いて話を慌てて切り上げた。

 でも知ってみたら佐藤くんは普通の人という印象だった。
 本来はもっと色々な場面で活躍できるだけの実力を持っていそうではあるけれど、事情も知らずに無闇に引っ張り出したいとは思えない。
 きっとこれからもクラスメイトの一員として、学校生活で関わりをほとんど持たずに過ごしていくのだろう。
 そう思っていたのだが、関係性を変化させる切っ掛けはすぐに訪れた。

 あの日は、クラスで勉強会を開いていた。
 でもわたしは勉強会が仲良しグループの駄弁り場に変わってしまい、理由を付けて先に帰ろうとしていた。この頃にはパパとあの人のことで精神的に追い詰められており、クラスの問題を解決する余裕はなくなっていたのだ。
 駐輪場に向かう途中、一人ぼっちで居ると、どんどん暗いことを考えてしまう。

 麻美ちゃんや荒谷くんが変わってしまったように、クラスメイトのみんなも変わってしまい、全員と仲良くなるなんて夢物語になってしまったのかもしれない。
 でもわたしも他人のことを責める資格はない。
 仲良くなるのを躊躇う心が、自分の中にも存在している事実から目を背け続けていただけだ。きっとわたしはそれを自覚するのが遅かっただけなのかもしれない。

 すごくも優しくもない。
 果たせない理想を掲げているだけの子ども。
 パパとママに褒められた友達作りも誇れなくなったら、わたしには何が残るのだろうか……?

「有村さんっ!」

 呼び掛ける声は余り聞き覚えがなかった。
 それもその筈だ。ついこの間、まともに会話したばかりの佐藤くんだったのだから。

「あっ……やっほー! 佐藤くんも今から帰るところー?」

 なんとか取り繕っていつもの笑顔で形作る。

「有村さんも?」
「うんっ、折角だから一緒に帰ろうよ。駅までだけど、佐藤くんは?」
「僕は駅の先に家があるから、同じ道で大丈夫」

 今は誰でも良いから気を紛らわせるために話をしていたかった。
 佐藤くんには悪いけれど、こんな時に声を掛けてくれてすごく助かった。
 自転車に跨って二人並んで校門を抜ける。

 軽い気持ちで佐藤くんを帰路に誘ったが、放任主義の家族について話を聞いて――初めてわたしは執着を覚えた。
 電車を一本見送ってまで佐藤くんから話を訊き出した。

 どうして放任する家族を許せるのか。
 どうして家にも学校にも居場所がなくても孤独に耐えられるのか。
 ううん、どうして孤独で居ようとするのか。

 わたしは普通だと思っていた佐藤くんに、ずっと抱えてきた問題を解決する糸口を見出した。
 それ以来、わたしは積極的に佐藤くんと交流を持つようになった。
 わたしが誰かをクラスの輪に引き込もうとするのはいつものことなので、それが佐藤くんであったことに首を傾げる人は居たけど、行動自体を止めようとする人は居なかった。

 その後の日々を改めて口にするのは恥ずかしい。
 だから結果だけを言えば、わたしは佐藤くんによって救われた。
 家族の苦しみも、クラスの呪縛も、誰かを好きになることも――全部を解決してくれた。


    *


「――だからね、わたしは今、すごく幸せだよ」

 わたしはこれまで秘密にしていた佐藤くんとの思い出をママに伝えた。
 一筋の涙が頬を伝い流れ落ちる。

 ようやく言えた。
 ママが居なくなった世界で、ママに対して、幸せになったと伝えられた。
 幸せになってはいけないという呪いをようやく振り払えた。

「うん、大丈夫。これは嬉しいから泣いてるの。ちょっとだけ寂しいけどね」

 ママの居ない世界では幸せにはなっていけないとずっと思い込んでいた。
 そんなこと言えばママが一番怒るに決まっているのに。
 わたしを縛り付けているのはいつだってわたしだった。

「ふふっ、やっぱり佐藤くんとのデートがなくなってすごくストレスだったみたい。たくさん吐き出しちゃった。ごめんね、ありがとう……ママのこと、ずっと、ずっと……大好きだよっ」

 涙を堪え切れなくなる。
 お弁当に零れ落ちそうになる涙を慌てて拭った。

「残りのお弁当、早く食べちゃわないと。すっかり冷めちゃったね!」

 わたしはママの居なくなった日から、ようやく一歩を踏み出せた。


    *


 期末テストを終えて、ママの死に向き合い、澱のように積み重なった重苦しい感情から解放されて、すっかり心が軽くなったわたしは佐藤くんとの楽しくて幸せな毎日を過ごせる……筈だった。

「七江ちゃん、悩み事があるなら助けになれないかな」
「……い、いえ、誰かに相談するようなことではないんです!」

 わたしがつい漏らしてしまった溜め息に先輩が優しく声を掛けてくれたが、反射的に断ってしまう。
 すっかり習慣化した化学準備室での昼食時、先輩はわたしが抱える問題の原因を察して、佐藤くんが出ていった扉の方を睨み付けた。
 佐藤くんが離席したタイミングで溜息をついたのですぐに気付いたのだろう。

「先輩に聞かせられるような話ではないので……!」

 慌てふためいてしまったせいで、先輩はますます親身になってくれる。

「遠慮はいらないよ」
「でもっ……」
「なんでも頼ってよ」
「本当に恥ずかしいことで、先輩にはくだらないことだと思うんです」
「七江ちゃんにとって真剣な悩みなんだ。茶化したりしないよ」
「そこまで言ってくれるなら……打ち明けます」

 わたしは頼もしい先輩の姿に思わず涙ぐんでしまった。

「――佐藤くんが、えっちなことをしてくれません!」

 化学準備室は沈黙に包まれた。
 離れた教室棟のざわめきが聞こえてくるぐらい静かだった。

「…………………………それで、悩み事は?」
「聞かなかったことに!?」
「あははははは、冗談だよ、冗談」

 先輩の笑い声は乾いていた。
 自棄っぱちな気がするのは気のせいではない。やっぱりこれまでの佐藤くんとの話題になると露骨に態度が変わるので相談は控えるべきだった。
 先輩は咳払いをすると真面目な表情で取り繕った。

「ふーむ、彼は性欲がないのかな」
「あ、いえ、そんなことないです」
「断言……!?」

 むしろ持て余していると思う。
 うん、だって、その……たくさん覗かれてきたから。
 でも流石にそれを伊藤先輩に伝えるわけにはいかなかった。

「それならいっそ、七江ちゃんから誘ってみるのはどうかな」
「……引かれたりしませんか?」
「修行僧でもなければ喜ぶと思うよ」

 伊藤先輩の両手がわたしの両胸を掴んでいた。
 恐るべき早業に反応が遅れてしまう。

「ひゃあぁっ!?!?」
「だってこんな立派なものが、あるんだからね!」
「だからってどうして先輩が揉むんですかー!?」

 勢い良く手を振り払って、自分の胸を両腕で覆い隠した。

「冗談はともかく、七江ちゃんが誘えば佐藤くんなんてイチコロだよ」

 わたしは自分から佐藤くんを誘惑する姿を想像しようとして、これまでの行動を振り返ってみた。

(佐藤くんに覗いてもらえるように隙を作ったり、ファミレスや化学準備室で服をはだけたり、路地裏に連れ込んだり――あれ? ほとんどわたしから!? そういえば初めてエッチをした日も……わたしがベッドに押し倒したような……あれ? あれぇっ!?)

 顔が熱い。絶対に赤くなってる。
 自分でも分かるぐらい体温が上がってる。

「ええっ、急に頭を抱え込んでどうしたの!?」
「うっ、うっ……わたしはえっちな女の子です……ごめんなさい」
「本当にどうしたの!?!?」

 先輩が淹れてくれたお茶を飲んで沸騰する頭を落ち着ける。
 ようやく話ができる状態に戻ると、先輩は先程までの醜態に触れずに話を進めてくれた。

「誘うと言っても恥ずかしいなら直接的にやるんじゃなくて、誘い受けを狙えばいいんじゃないかな」
「誘い受け、ですか?」
「セクシーな服を着てみるとか、腕を組んだりしみるとかして、佐藤くんの方からそういうことをしたいと思わせる方法だよ」
「なるほど、それならできそうです!」

 クローゼットにしまわれた服から露出の多いものを思い出す。
 それから手を繋いだりはするけど、余り腕を組むことはなかった……どうしても胸が当たってしまうので。

「まどろっこしいことなんてしなくても、七江ちゃんのお願いなら聞いてくれると思うけど」
「うぅぅ……そうかもしれませんけどぉ……」
「それじゃあ化学部らしく実験と検証なんてどうだろう?」

 伊藤先輩が立ち上がり、ぶつぶつと呟きながらホワイトボードに書き出した。

「心理学とか生理学の分野かもしれないけど、生化学の視点でホルモンの動きとかでっちあげればまあ化学の領域だよね。ということで、佐藤くんが何に興奮するか実験してみよう! という建前はどうかな」
「建前とはいえ佐藤くんを急に実験体にするのは悪いような」
「まあ七江ちゃんが対象でもいいんだけどね」
「あっ……それなら、わたしが変態さんではないと証明する実験なら!」
「……佐藤くんとの間に何があったのか気になって仕方ないよ……いや、ちょっと待てよ?」

 先輩は何かに閃いた様子で目を輝かせた。

「肉食系七江ちゃんか、ありだな」
「ありじゃないです!」

 その後も暴走地味な先輩と、羞恥心に悶えるわたしの話し合いは佐藤くんが戻ってくるまで続くのであった。
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