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シフォンの初恋(1)
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「エクレお姉ちゃん、起きて。もう朝になるよ」
「……んーう」
シフォンは相変わらず朝に弱いエクレールの姿に頬を緩ませる。何事も卒なくこなす姉の数少ない弱点だ。チャームポイントでもあると思っている。
「朝食を用意してくるから二度寝はしないようにね」
「んっ」
少し待てば頭も回り出していつもどおりになるので、二度寝をさせないように注意すれば大丈夫だ。
エクレールは寝付きも悪い。それに深夜に目覚めてしまった時には何度かうなされているのを見たことがある。
真面目な姉は責任感が強過ぎて何もかも背負い込んでしまう。そしてそれができてしまうから困りものだ。弱みをほとんど見せてくれないので、こうして毎朝ちょっとでも助けになれるのが嬉しかった。
姉とは正反対でシフォンは寝付きが良く朝にも強い。我ながら単純な性格で切り替えが得意だからかもしれない。凡人を自覚して、少しずつ手の届く範囲で頑張る。目の前しか見る余裕がないので単純に生きられるのだ。まだ冒険者ギルドの仕事が不慣れな頃は、先輩から「先を考えて仕事をするように」とよく注意された。
「おはよう……いつも迷惑掛けてごめんね」
「おはよう! お姉ちゃんは座ってて、もう準備できるから」
寝癖頭のままキッチンにやってきたエクレールは危なっかしいので追い返した。
シフォンは二人分の朝食をトレイに乗せてテーブルに運ぶ。
「良い匂い。このコーヒーいつもと違う?」
「うん、お裾分けだって」
ブラックのまま飲む姉と違い、シフォンはどばどばとミルクを注ぐ。職場ではお子ちゃまとからかわれるが「砂糖は入れてません」といつも言い返している。微笑まれるので言い返せているかは微妙だ。
「美味しい。でも誰からのお裾分けかしら?」
「アルベルトさんだよ」
「そう。後で私からもお礼を伝えておくわ」
知り合いから質の良いコーヒー豆を貰ったとアルベルトから、冒険者ギルドで帰り際に手渡された。お世話になっているのでと言われたが、よっぽどこちらがお世話になっているので恐縮しながらも受け取った。
「うん、喜ぶと思うよ。きっとお姉ちゃんがコーヒー好きだって知ってたんじゃないかな」
「……そうね、仕事中はよく飲んでいるから、目には入るわね」
「そういうことじゃないんだけど」
「ん……?」
「ううん、なんでもない」
朝食を終えると身支度を整えて二人揃って家を出た。
どちらかが休暇だったり夜勤にならない限りは、朝は一緒に冒険者ギルドに出勤している。
まだ朝も早いので、冒険者通りを歩いているのは開店準備をする商人や冒険者ですっかり顔馴染みだ。近くを通れば皆が挨拶をしてくれる。
シフォンはこの時間が好きだった。村では誰もが知っている顔で皆が家族同然だったので、ロマエルカに出てからは同じ街に知らない人がたくさん居る感覚に戸惑ってしまった。横を擦れ違っても無愛想で顔も上げない人ばかりで別世界なのだと思っていたが、二年も住んでいればお互いを知らなかっただけだと分かって、こうして笑顔で挨拶を交わせるようになっていた。
通常業務が開始前なので、職員用の通用口ではなく正面玄関から冒険者ギルドに入ろうとしたところ内側から扉が開かれた。
「おはようございます、珍しいですね、この時間にお会いするなんて」
ギルドから出てきたのはアルベルトだった。
続いて見知らぬ女性が出てきた。小柄なシフォンと同じぐらいの身長で、黒のワンピースから覗く手足は華奢だ。年齢は判断しにくいがエクレールと同じか少し上ぐらいに見える。キャスケット帽や茶色のケープなどお洒落な服装というだけでなく、雰囲気から冒険者特有の力強さは感じ取れない。鮮やかな金髪を肩の辺りで切り揃えており、大きい緑色の瞳がこちらをさり気なく観察している。
ただ人は見掛けによらないので、もしかしたらアルベルトが遂にソロパーティを卒業する可能性もないわけではない。なんだかモヤっとしてしまい、身勝手さに自己嫌悪した。
「ボクはアリア、『踊る三毛猫亭』の看板娘だよ」
乗り乗りで猫の手招きポーズを決めていた。
異性に媚びる笑顔だというのは、受付嬢をやっているシフォンにはすぐ見抜けた。相手が別に隠す気はないのもあるだろう。
「別にもう隠す必要はないんじゃないか?」
「おっと、そうだった」
女性は不敵に笑った。先程とはがらりと雰囲気が変わる。冒険者とは違う底知れなさが感じられた。
「ボクこそが魔法探偵アリアだよ!」
「魔法探偵……?」
シフォンはエクレールと一緒に首を傾げる。
「あとコーヒー中毒者だ」
隣に立つアルベルトが一言付け足す。コーヒー豆を譲ってくれた知り合いというのは彼女のことなのかもしれない。
「否定はしないけど、脳味噌を働かせるために必要な栄養が詰まっているから飲んでいる。薬物中毒者のように非難されるいわれはないと思うよ」
「褒め言葉だから安心してくれ」
「そういうことなら受け取っておこう」
随分と親しそうだな、と二人の会話を見ていて思う。
エクレールの顔を盗み見てみたが表面上は凪のままだ。
「それで魔法探偵というのは?」
エクレールの声が刺々しく感じられたのは気のせいではないだろう。フードの内側に見えるアルベルトの口元が引き攣っていた。
「言葉そのままに、魔法を使う探偵さ。ロマエルカではまだまだ無名だけど、王都では少し知れた名だよ。失せ物や人探しを頼みたい時は是非ともボクに依頼をよろしくね」
「街中での失せ物探しは冒険者ギルドでも取り扱っているので……」
にべもないエクレールに、シフォンは苦笑いを浮かべる。
「そうだね、だからボクに頼る時は探していること自体を隠したい時や秘密の人探しだよ」
なるほどとシフォンは頷いた。
確かに特殊な事情があって極秘依頼や制限依頼として発行されることもあるが、それは国家機密の漏洩を防ぐ目的や特定組織の利益を損なう恐れがある場合の特別処置だ。一般人から依頼を持ち込まれた場合は公開が義務付けられている。
「まだ事務所は用意できてないから、緊急のご依頼の際はナクル通り『踊る三毛猫亭』までお越しください」
アリアは演技染みたお辞儀を残して、アルベルトを連れて去っていった。
***
腰回りを締め付けるコルセットの紐を緩めてから、肩紐を外すとロングスカートはすとんと床に落ちた。姿勢を整えるために普段着として買ったはいいが、未だにコルセットロングスカートには慣れない。
シフォンは白いブラウスのボタンを外していく。
「その下着は派手過ぎないかしら」
ブラウスを脱いで下着姿になったシフォンに、エクレールが眉根を寄せる。
上下セットの黒いブラジャーとショーツは、フラワーレースで際どい部分まで透けておりシフォンの大きい胸をより大胆に際立たせている。ショーツも股下やお尻周りの布面積が小さめで、両サイドは心許ない紐だけで結ばれていた。
「えへへ、やっぱりそうかな」
姉は心配で言ってくれているのだろう。
昔からシフォンが肉感的な体付きに悩んでいることを知っているので、心配されるのは嬉しかった。
「どうして急にそんな下着を?」
「シトロンちゃんと話してて、ちょっとね。でも似合ってるよね?」
「ええ、可愛らしいわ。だからこそ気を付けるように」
エクレールは余り自分を着飾らない。今日の普段着も腰下丈のチュニックと長ズボンで、白い綿生地のやぼったい下着を身に着けている。
姉妹は容姿もぱっと見では似ていない。
エクレールは明るいホワイトブロンドの髪を腰まで伸ばしており、毛先だけがくるりと丸まっている。細身で身長が高くスタイルも良い。
シフォンは赤茶けたようなブラウンの髪だ。肩下で切り揃えているが癖が強く波打っている。身長は低く肉付きが良くて油断するとすぐに太ってしまう。
二人共に変わらないのは燃えるような赤い瞳だけだ。
親しくなった友人からは、やっぱり姉妹だよねと言ってくれることが多いので、自分たちが思う以上に似たもの姉妹なのかもしれない。
「シフォン、そろそろ朝会が始まるわ」
「うん、分かった」
シフォンは制服のエプロンドレスに着替えると、姿見の前でゆっくりと一回転して問題ないことを確認する。
「ばっちりだね」
エプロンドレスを身に纏う頃には意識が仕事用に切り替わる。
今からは姉妹ではなく職場の同僚だ。
「……んーう」
シフォンは相変わらず朝に弱いエクレールの姿に頬を緩ませる。何事も卒なくこなす姉の数少ない弱点だ。チャームポイントでもあると思っている。
「朝食を用意してくるから二度寝はしないようにね」
「んっ」
少し待てば頭も回り出していつもどおりになるので、二度寝をさせないように注意すれば大丈夫だ。
エクレールは寝付きも悪い。それに深夜に目覚めてしまった時には何度かうなされているのを見たことがある。
真面目な姉は責任感が強過ぎて何もかも背負い込んでしまう。そしてそれができてしまうから困りものだ。弱みをほとんど見せてくれないので、こうして毎朝ちょっとでも助けになれるのが嬉しかった。
姉とは正反対でシフォンは寝付きが良く朝にも強い。我ながら単純な性格で切り替えが得意だからかもしれない。凡人を自覚して、少しずつ手の届く範囲で頑張る。目の前しか見る余裕がないので単純に生きられるのだ。まだ冒険者ギルドの仕事が不慣れな頃は、先輩から「先を考えて仕事をするように」とよく注意された。
「おはよう……いつも迷惑掛けてごめんね」
「おはよう! お姉ちゃんは座ってて、もう準備できるから」
寝癖頭のままキッチンにやってきたエクレールは危なっかしいので追い返した。
シフォンは二人分の朝食をトレイに乗せてテーブルに運ぶ。
「良い匂い。このコーヒーいつもと違う?」
「うん、お裾分けだって」
ブラックのまま飲む姉と違い、シフォンはどばどばとミルクを注ぐ。職場ではお子ちゃまとからかわれるが「砂糖は入れてません」といつも言い返している。微笑まれるので言い返せているかは微妙だ。
「美味しい。でも誰からのお裾分けかしら?」
「アルベルトさんだよ」
「そう。後で私からもお礼を伝えておくわ」
知り合いから質の良いコーヒー豆を貰ったとアルベルトから、冒険者ギルドで帰り際に手渡された。お世話になっているのでと言われたが、よっぽどこちらがお世話になっているので恐縮しながらも受け取った。
「うん、喜ぶと思うよ。きっとお姉ちゃんがコーヒー好きだって知ってたんじゃないかな」
「……そうね、仕事中はよく飲んでいるから、目には入るわね」
「そういうことじゃないんだけど」
「ん……?」
「ううん、なんでもない」
朝食を終えると身支度を整えて二人揃って家を出た。
どちらかが休暇だったり夜勤にならない限りは、朝は一緒に冒険者ギルドに出勤している。
まだ朝も早いので、冒険者通りを歩いているのは開店準備をする商人や冒険者ですっかり顔馴染みだ。近くを通れば皆が挨拶をしてくれる。
シフォンはこの時間が好きだった。村では誰もが知っている顔で皆が家族同然だったので、ロマエルカに出てからは同じ街に知らない人がたくさん居る感覚に戸惑ってしまった。横を擦れ違っても無愛想で顔も上げない人ばかりで別世界なのだと思っていたが、二年も住んでいればお互いを知らなかっただけだと分かって、こうして笑顔で挨拶を交わせるようになっていた。
通常業務が開始前なので、職員用の通用口ではなく正面玄関から冒険者ギルドに入ろうとしたところ内側から扉が開かれた。
「おはようございます、珍しいですね、この時間にお会いするなんて」
ギルドから出てきたのはアルベルトだった。
続いて見知らぬ女性が出てきた。小柄なシフォンと同じぐらいの身長で、黒のワンピースから覗く手足は華奢だ。年齢は判断しにくいがエクレールと同じか少し上ぐらいに見える。キャスケット帽や茶色のケープなどお洒落な服装というだけでなく、雰囲気から冒険者特有の力強さは感じ取れない。鮮やかな金髪を肩の辺りで切り揃えており、大きい緑色の瞳がこちらをさり気なく観察している。
ただ人は見掛けによらないので、もしかしたらアルベルトが遂にソロパーティを卒業する可能性もないわけではない。なんだかモヤっとしてしまい、身勝手さに自己嫌悪した。
「ボクはアリア、『踊る三毛猫亭』の看板娘だよ」
乗り乗りで猫の手招きポーズを決めていた。
異性に媚びる笑顔だというのは、受付嬢をやっているシフォンにはすぐ見抜けた。相手が別に隠す気はないのもあるだろう。
「別にもう隠す必要はないんじゃないか?」
「おっと、そうだった」
女性は不敵に笑った。先程とはがらりと雰囲気が変わる。冒険者とは違う底知れなさが感じられた。
「ボクこそが魔法探偵アリアだよ!」
「魔法探偵……?」
シフォンはエクレールと一緒に首を傾げる。
「あとコーヒー中毒者だ」
隣に立つアルベルトが一言付け足す。コーヒー豆を譲ってくれた知り合いというのは彼女のことなのかもしれない。
「否定はしないけど、脳味噌を働かせるために必要な栄養が詰まっているから飲んでいる。薬物中毒者のように非難されるいわれはないと思うよ」
「褒め言葉だから安心してくれ」
「そういうことなら受け取っておこう」
随分と親しそうだな、と二人の会話を見ていて思う。
エクレールの顔を盗み見てみたが表面上は凪のままだ。
「それで魔法探偵というのは?」
エクレールの声が刺々しく感じられたのは気のせいではないだろう。フードの内側に見えるアルベルトの口元が引き攣っていた。
「言葉そのままに、魔法を使う探偵さ。ロマエルカではまだまだ無名だけど、王都では少し知れた名だよ。失せ物や人探しを頼みたい時は是非ともボクに依頼をよろしくね」
「街中での失せ物探しは冒険者ギルドでも取り扱っているので……」
にべもないエクレールに、シフォンは苦笑いを浮かべる。
「そうだね、だからボクに頼る時は探していること自体を隠したい時や秘密の人探しだよ」
なるほどとシフォンは頷いた。
確かに特殊な事情があって極秘依頼や制限依頼として発行されることもあるが、それは国家機密の漏洩を防ぐ目的や特定組織の利益を損なう恐れがある場合の特別処置だ。一般人から依頼を持ち込まれた場合は公開が義務付けられている。
「まだ事務所は用意できてないから、緊急のご依頼の際はナクル通り『踊る三毛猫亭』までお越しください」
アリアは演技染みたお辞儀を残して、アルベルトを連れて去っていった。
***
腰回りを締め付けるコルセットの紐を緩めてから、肩紐を外すとロングスカートはすとんと床に落ちた。姿勢を整えるために普段着として買ったはいいが、未だにコルセットロングスカートには慣れない。
シフォンは白いブラウスのボタンを外していく。
「その下着は派手過ぎないかしら」
ブラウスを脱いで下着姿になったシフォンに、エクレールが眉根を寄せる。
上下セットの黒いブラジャーとショーツは、フラワーレースで際どい部分まで透けておりシフォンの大きい胸をより大胆に際立たせている。ショーツも股下やお尻周りの布面積が小さめで、両サイドは心許ない紐だけで結ばれていた。
「えへへ、やっぱりそうかな」
姉は心配で言ってくれているのだろう。
昔からシフォンが肉感的な体付きに悩んでいることを知っているので、心配されるのは嬉しかった。
「どうして急にそんな下着を?」
「シトロンちゃんと話してて、ちょっとね。でも似合ってるよね?」
「ええ、可愛らしいわ。だからこそ気を付けるように」
エクレールは余り自分を着飾らない。今日の普段着も腰下丈のチュニックと長ズボンで、白い綿生地のやぼったい下着を身に着けている。
姉妹は容姿もぱっと見では似ていない。
エクレールは明るいホワイトブロンドの髪を腰まで伸ばしており、毛先だけがくるりと丸まっている。細身で身長が高くスタイルも良い。
シフォンは赤茶けたようなブラウンの髪だ。肩下で切り揃えているが癖が強く波打っている。身長は低く肉付きが良くて油断するとすぐに太ってしまう。
二人共に変わらないのは燃えるような赤い瞳だけだ。
親しくなった友人からは、やっぱり姉妹だよねと言ってくれることが多いので、自分たちが思う以上に似たもの姉妹なのかもしれない。
「シフォン、そろそろ朝会が始まるわ」
「うん、分かった」
シフォンは制服のエプロンドレスに着替えると、姿見の前でゆっくりと一回転して問題ないことを確認する。
「ばっちりだね」
エプロンドレスを身に纏う頃には意識が仕事用に切り替わる。
今からは姉妹ではなく職場の同僚だ。
応援ありがとうございます!
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