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レオンハルトの手の中で転がされる(1/2)
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昨夜は一睡もできなかった。
水族館から帰ってお風呂に入ってからベッドに潜り込んで、目を閉じると昨夜の行為を思い出してしまい悶絶した。そうこうしている間に夜が明けた。どんな顔で殿下と朝食を共にすればよいかわからないので、早めに準備をしてご飯は厨房のスタッフ専用席でいただき、護衛のアストリアさんが出勤したらそのまま一緒に大学院へ向かうことに決めた。
彼女は平日の日中に私の警護をしてくれているが、2人目を妊娠したそうで来月から配置変更になるらしい。
ベランダで毎朝の習慣であるヨガをしている最中に、ふと下を見ると殿下が朝のトレーニングを終えて戻ってくるのが見えたので反射的に隠れてしまう。
殿下は皇室の慣例で陸軍に2年間在籍していた。当時は訓練も多かっただろうけど今のデスクワークじゃ筋力が落ちてしまう。少しでも体を維持するのにトレーニングをしているみたい。
(細身に見えるけど、抱きしめられたときに結構たくましかったな。)
思い出して顔が真っ赤になって自分自身に言い聞かせる。
(ああ、もう邪念を捨てねば。ヨガで無我よ。)
気を取り直して鳩のポーズをする。夏の朝日は力強くて今日は暑くなりそうだなと思う。
****
午前中の授業後にアンニュイな雰囲気を漂わせているシオンと昼を一緒にとってから出勤する。殿下のスケジュールを確認してからマーガレット・レッドホック副室長から決裁書類を受け取って殿下の執務室に行き、休憩用のお茶と茶菓子を出すのが私のルーチンになりつつあるのだけれど・・・今日は気が重いな。
ずっと避けることはできないことは分かっていても気が重いことを後回しにしたい。ということで、補佐官の女性に決裁書類とお茶を持って殿下のところに行ってもらった。補佐官のリディアさんは少しふくよかで笑顔が癒し系なのよね。
殿下のところに行って帰ってきた彼女は気落ちしていた。
「今日は珍しく殿下の機嫌が悪くて・・・。お茶も要らないって断られました。」
機嫌悪いなら尚更、出くわすのが気まずい。
しばらくして、ルオンスが数枚の書類を持ってきた。書類には赤でダメ出しが書いてあって各担当のところにルオンスが配ってくれる。ルオンスはメンバーと担当をもう覚えたんだ!私にも1枚きてどんな不備があったのか確認しようとするとそれは書類じゃなくてメモだった。
”明日の会談で出す菓子をショコラティエ・ローズ・サリバンで買ってきて。ドライレモンチョコレートを必ず入れること”
「小間使いかっ!」
思わず声をあげてしまい皆が私を見る。ルオンスを見ると肩をすくめた。
(まぁいいか、今日は急ぎの仕事も無いし寝不足だし。)
「外出の申請と護衛の手配はしておきましたよ。」
ルオンスが準備もしておいてくれたらしい。
護衛が待っているロビーに向かうとそこには、宗教画から出てきたような少し癖のある淡い金髪のレオンハルト殿下が不機嫌そうに足を組んで座っていた。
「たまたまここに居たんじゃなくて君を待ってたんだ。」
礼をした私に向かって不機嫌そうに言った。
「明日、会談があるのですか?」
そういえば、外務省の官僚たちがバタバタしていたな。分室であるここが忙しいのだから宮内庁はもっと殺伐としていることだろう。
「そうなんだよ。急にパリシナから使者が来ることになってね。両陛下が外遊に出られたこのタイミングで迷惑なことだ。」
殿下も来週はロエリューイ山麓にあるサリモアの山火事からの復興祭に赴く。皇帝陛下はエリザベス皇女様を伴って来週後半までアルーノ・ユニオンで外遊している。今回のメインとなる予定はエリザベス皇女様が嫁ぐドゥリッヒでの婚約式だ。皇后陛下はライド大陸マジュア首領国の独立記念式典に参加するため本日出国した。マジュアに行った後、ライド大陸の複数の国々へ外遊されるため皇后さまは3週間後に帰国される。皇弟夫妻もシノ大陸のコルア王国という小国の結婚式に参列してからシノ大陸の南西部の国々を外遊中だ。
レオンハルト殿下の同母妹であるレイリア皇女様と皇弟殿下の御子様達は未成年で公務ができないので来週前半はレネー側妃しかいないというサルニア皇室は未だかつて無いほど手薄な状態になる。
(年間の予定で決まっていたことだけどちょっと不安な状況よね。アマニールの件もあるし)
パリシナか・・・。何か忘れているような気がする。
「行くぞ。」と言われて腰を抱き寄せられる。
「ちょ、ちょっと待ってください。私、制服を着ているんですよ。こんな風に男の人とくっついていたら”仕事さぼって何やってるの!”って市井の人に思われるじゃないですか。」
「じゃあ、光の速さで着替えてきて。」
光の速さには及ばなかったけれど大急ぎで着替えて保護区へ南門から出る。車の中で隣りに座ったレオンハルト殿下は私の耳に顔を寄せて小さい声で囁いた。
「どうして避けるの?」
微かにかかる息がくすぐったくて、数秒固まってしまった。
「それは・・・その・・・・顔を合わせるのが恥ずかしくて。」
私も殿下の耳の近くに顔を寄せて周りに聞こえないように小さい声で言った。内緒話をしているところを人に見られるのはとても恥ずかしい。どのみち、夜の食事会で先に抜けた2人が次の日によそよそしかったら、昨日私達に何か進展があったことはみんな察している。
でも、普通に答えてしまったら距離的に話の内容が車内にいる人達に筒抜けで、それも恥ずかしい。
どっちも恥ずかしいが何か聞かれるよりも私は勝手に想像されるほうがましだと思った。
「そう・・・朝から避けられてていたし、昨日のことで嫌われたのかと思って不安で・・・」
うっ!ちょっと嘘くさいけどシュンとした顔をされて気まずくなる。
「俺はいつだって一緒にいたいのに。」
小さな声で言われた言葉を聞いて顔に熱が集まり、私は下を向いて赤くなった。耳元でささやいていた殿下もつられて口を抑えて横を向き赤くなった。
車内はいたたまれない空気になる。つらい。
向かい合わせで乗車しているルオンスとアストリアさんは気まずそうだ。私が逆の立場だったら早く到着してくれってずっと願っているだろう。
「・・・あの、私と話すために勤務中にこんなふうに抜け出したんですか?」
「あー、えーと、違う。今日は市場調査と銘を打った他国のお店で情報収集をするのが仕事なんだ。」
殿下は名刺入れから名刺を一枚取り出して「どうぞ」と言った。その名刺にはセレクトショップ A to A株式会社のバイヤーの肩書が書いてあった。
今日は市場調査の日だったのね。今日は気もそぞろでスケジュールをちゃんと確認していなかった。
ショコラティエ・ローズ・サリバンが入るリビドーショッピングモールは他国から誘致したお店が多く入っていて、店の店長は本国から駐在で来ていることが多いのだ。
(やだっ、自分のために殿下が仕事をサボったって自意識過剰に勘違いしてしまった)
到着すると「1時間半後に噴水前に集合」と言われて現地解散する。
とりあえず、ローズ・サリバンでドライフルーツチョコレート数種類とサルニアのシーリングウェイ地方発祥のブラウニーと職場のお土産用にシグニチャード・チョコレートを購入した。集合時間まで1時間以上残っていたのであてもなくぷらぷらと歩くことにした。
レオンハルト殿下を見つけたので仕事の様子を見学に行ってみる。彼はエトリスチューナ帝国の雑貨店に入っていった。寒さの厳しい帝国の生活に会った暖かさを保つ工芸品などを扱うお店だ。
「昨シーズンはラニーニャ現象のおかげで小麦が豊作で・・・」
エトリスチューナ帝国の内情を聞いて回っているらしい。エトリスチューナ帝国とサルニア帝国は世界の二大軍事大国で数百年に渡って冷戦状態だ。この二カ国が戦争を起こすと間違いなく世界大戦となる。エトリスチューナ帝国では国民に対して絶対的な情報統制を取っており、国政批判は死刑となる結束主義を取っている。
エトリスチューナとサルニアは互いに互いを徹底的に監視していている。こういう情報収集はあまり効率的ではないような気がするが、
(エトリスチューナか・・・)
底しれぬ恐ろしさを持つエトリスチューナ帝国。できればあまり関わりたくない国だ。
帰城して残っていた事務仕事を終わらせてレッドホック副室長に報告に行くと殿下のところに決済書類を持っていってから就業するように言われた。もう職員は私と副室長以外残っていなくて夏で21時頃まで明るいので気が付かなかったが既に20時を回っていた。
「失礼します。」
厨房で作ってもらった夕食を持って執務室に入ると、殿下の護衛兼側近達は20時を過ぎたので勤務を終えていて誰も居なかった。執務室の奥にある彼専用のガラス張りの個室にノックして入るとレオンハルト殿下はキーボードを打つ指は止めずにこちらをちらっと見た。
「決済書類?」
「はい、食事はこちらに置きますね。」
お茶のカップに注いで今日買ってきたチョコレートと共に提供する。
「仕事は終わったの?」
「はい、終わりました。」
「じゃあもういいよね。」という言葉とともに部屋のガラスにかかっている電動ブラインドが降りて来る音が聞こえた。
「?」
動くブラインドを見ていると、後ろから抱きしめられる。最初は驚いたけれど状況を理解すると鼓動がどんどん早くなる。殿下は私の肩に顔を寄せたまましばらく強く抱きしめていた。
「きゃっ」
しばらく立ってから、お姫様抱っこで抱き上げられて彼の休憩用のソファに連れていかれ横向きのまま膝に乗って一緒に座らせられる。座ったとたんに手が頭に伸びてきて彼の秀麗な顔が近付いてきた。
昨日のような甘いキスではなくて、激しくて欲望を隠さない口づけだった。
荒い息遣いと唇の柔らかいところで貪られる感触がゾクゾクとする。
すごく強引だけど昨日より私も興奮してしまう。
私は強引な人の方が好きな性質があるみたい。私たちの舌を絡めあう音だけが部屋に響き、頭がボーっとしてくる。なけなしの理性を総動員して彼の肩を押しながら顔を背けた。
涙目になっている私を見てチュッと軽いキスをされる。
「エロい顔してるね。」
(エロい顔ってどんな顔?昨日も思ったけどこういうことしているときって何の脳内物質が出ているのかしら?)
レオンハルト殿下はギュッと抱き締めて、また肩に顔をうずめる。
「ずっと焦がれてきてもう今以上に好きになることは無いと思っていたのに、一昨日より昨日、昨日より今日とどんどん好きになっていく。こうやって少し会えないだけで、気が付くとリリーシアのことばかり考えている。会いたくて、誰と何しているか気になって不安でしかたないのに、会って話をすると幸せで満たされる。こんなに気持ちをコントロールできなくなるなんて・・・。」
恋をするって幸せで満たされて、いつも見ている何でもない景色でも鮮やかにキラキラと見える。だけど同時に苦しいと彼に恋して私も知った。
(私も気持ちを伝えたい。でも、今の私には何も答える資格は無い。)
吐き出したい気持ちと上手く立ち回れない自分への歯痒さで苦しくなる。何も答えない私に痺れを切らしたのかレオンハルト殿下は強く抱き締めてきた。
「今は想いを受け止めてくれるだけでいいよ。」
「・・・」
「ん?」
「・・・めちゃくちゃ強引なくせに随分と殊勝な事をおっしゃるな、と。」
「感情のつじつまが合わないなんて、すごく人間らしいだろ。」
確かにな、と思って笑った。
さっきまで理性を放棄しようとしていたとは思えないほど互いに落ち着いていく。
殿下が手を緩めてくれたので私は膝の上から殿下の隣に座りなおした。
「さっきキスを受け入れた私が言っても説得力が無いですが・・・私はワイマール公子のプロポーズを正式にではありませんが受けました。こんなことをするのは許されないと思います。」
「ワイマールのことは気にしなくていいと言ったよ。」
「そうは言っても。」
「うーん、じゃあ週末のワイマールのガーデンパーティに行って解決案を提案してみようか。」
「どんな解決案を提案するんですか?」
「内緒。」
微笑んだ綺麗な顔が少しだけ計謀が見えて、それにときめいてしまった。手で顎をクイッと持ち上げられたので慌てて殿下の唇に手をあてる。
「もう、ダメです」
「じゃあ、何ならしていいの?」
顎にあった手は頬を撫でてから髪に触れて、くるくると指に絡めてくる。
「な・・・何って。何もしちゃダメです。他の令嬢や省庁の職員の人と同じにしてください。」
「却下。他の令嬢より俺とリリーシアは親しい仲だろ。?」
「っ・・・じゃあ、勤務外限定で殿下の女友達にすることと同じ事ならいいと思います。」
そういうとしぶしぶだが了承してくれた。
トントンとドアをノックする音が聞こえる。私が履いているのが運動靴だったらベランダから飛び降りて退室してたかも。
殿下は残念そうに「どうぞ」と言う。ルオンスがドアを開けて申し訳なさそうに入ってきた。
(ルオンス、残業してたの?!)
「お取込み中のところ申し訳ございません。・・・レネー側妃殿下が打ち合わせをしたいとのことです。」
「分かった。1時間後に会議ができるように調整・・・」
「もう来てるわ。あなたの執務室でいいわ。」
美しい黒髪に青緑の瞳の美女、レネー側妃殿下がルオンスの後ろから入ってきた。
「ごきげんよう。楽しそうな残業ねぇ、レオ君。」
「・・・それにいかがわしい行為はしていませんし。」
あれはいかがわしい行為に値するような気がする。レネー側妃殿下がイラっとしたのが空気で伝わってきた。
「わたくしは楽しそうねと言っただけよ。」
「お茶を淹れて参ります。」
「侍女の仕事を奪ってはいけないわ。あなたは上級公務員でしょう。レオ君はどこまでが公私混同なのか再考すべきね。」
「「はい」」
もう侍女も勤務時間外です、とは言えなかった。
皇太子執務室にいる侍女は宮内庁の管轄で雇っている。4,5階にいる生活のお世話をする侍女と使用人はブルマン家の管轄でお金の出所が違う。
確かに給仕の仕事を私がすると執務室の侍女の仕事を取ってしまう。
「ロワジール警部補、この甘ったるい空気の部屋じゃなくてあっちの応接スペースを用意してちょうだい。甘いものを渇望しているからそのチョコレートをわたくしにも出すように侍女に伝えて。お茶は3人分用意」
早口でルオンスに向って指示したレネー側妃殿下に気おされて「は、はい」と、ルオンスが答える。
「マクレガー秘書官、スイフィル局長を呼んできてちょうだい。局長と一緒にもう一度戻ってきて。」
私ももう就業時間が過ぎている、とは言えなかった。威圧感がすごいのよね。
「ちょ、長官の秘書の方も帯同しても構いませんか?」
「ルーノ秘書官なら構わないわ。それ以外だったら上手く理由をつけてまいてきてちょうだい。」
「承知しました。」
信用できる者だけにしか知られたくないのね。ということは局長がベガ宮に行ってもらうフリをして、私は自室に戻るということにすれば良いかな。
私は急いでアークトゥルス宮内の宮内庁分室に向った。長官が不在なら衛星電話で呼び出さなくてはいけないので面倒なのだが運良く、分室内の長官室で執務をされていた。ドアが開いているときは声をかけて話をしてもよいことになっている。開いているドアをノックして入室するとちょうどマーガレット・レッドホック副室長がいた。
(もう21時を過ぎているのに、二人共ワーカーホリックね。)
スイフィル局長は私を見てから「じゃあ、そういうことでよろしく頼むよ。」と副室長に伝える。私と副室長はすれ違いざまに会釈をしてお互いに逆方向に向かった。
「さきほど言付かったのですが、レネー側妃殿下が本日都合が良いときにときに相談したいことがあるとのことです。」
私は後ろから見えないように着替えの時に部屋で書いてきたメモをそっと渡した。
”レネー側妃殿下が皇太子執務室でお待ちです。ルーノ様以外は帯同させないでください”
「ありがとう。今すぐ向かおう。」
水族館から帰ってお風呂に入ってからベッドに潜り込んで、目を閉じると昨夜の行為を思い出してしまい悶絶した。そうこうしている間に夜が明けた。どんな顔で殿下と朝食を共にすればよいかわからないので、早めに準備をしてご飯は厨房のスタッフ専用席でいただき、護衛のアストリアさんが出勤したらそのまま一緒に大学院へ向かうことに決めた。
彼女は平日の日中に私の警護をしてくれているが、2人目を妊娠したそうで来月から配置変更になるらしい。
ベランダで毎朝の習慣であるヨガをしている最中に、ふと下を見ると殿下が朝のトレーニングを終えて戻ってくるのが見えたので反射的に隠れてしまう。
殿下は皇室の慣例で陸軍に2年間在籍していた。当時は訓練も多かっただろうけど今のデスクワークじゃ筋力が落ちてしまう。少しでも体を維持するのにトレーニングをしているみたい。
(細身に見えるけど、抱きしめられたときに結構たくましかったな。)
思い出して顔が真っ赤になって自分自身に言い聞かせる。
(ああ、もう邪念を捨てねば。ヨガで無我よ。)
気を取り直して鳩のポーズをする。夏の朝日は力強くて今日は暑くなりそうだなと思う。
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午前中の授業後にアンニュイな雰囲気を漂わせているシオンと昼を一緒にとってから出勤する。殿下のスケジュールを確認してからマーガレット・レッドホック副室長から決裁書類を受け取って殿下の執務室に行き、休憩用のお茶と茶菓子を出すのが私のルーチンになりつつあるのだけれど・・・今日は気が重いな。
ずっと避けることはできないことは分かっていても気が重いことを後回しにしたい。ということで、補佐官の女性に決裁書類とお茶を持って殿下のところに行ってもらった。補佐官のリディアさんは少しふくよかで笑顔が癒し系なのよね。
殿下のところに行って帰ってきた彼女は気落ちしていた。
「今日は珍しく殿下の機嫌が悪くて・・・。お茶も要らないって断られました。」
機嫌悪いなら尚更、出くわすのが気まずい。
しばらくして、ルオンスが数枚の書類を持ってきた。書類には赤でダメ出しが書いてあって各担当のところにルオンスが配ってくれる。ルオンスはメンバーと担当をもう覚えたんだ!私にも1枚きてどんな不備があったのか確認しようとするとそれは書類じゃなくてメモだった。
”明日の会談で出す菓子をショコラティエ・ローズ・サリバンで買ってきて。ドライレモンチョコレートを必ず入れること”
「小間使いかっ!」
思わず声をあげてしまい皆が私を見る。ルオンスを見ると肩をすくめた。
(まぁいいか、今日は急ぎの仕事も無いし寝不足だし。)
「外出の申請と護衛の手配はしておきましたよ。」
ルオンスが準備もしておいてくれたらしい。
護衛が待っているロビーに向かうとそこには、宗教画から出てきたような少し癖のある淡い金髪のレオンハルト殿下が不機嫌そうに足を組んで座っていた。
「たまたまここに居たんじゃなくて君を待ってたんだ。」
礼をした私に向かって不機嫌そうに言った。
「明日、会談があるのですか?」
そういえば、外務省の官僚たちがバタバタしていたな。分室であるここが忙しいのだから宮内庁はもっと殺伐としていることだろう。
「そうなんだよ。急にパリシナから使者が来ることになってね。両陛下が外遊に出られたこのタイミングで迷惑なことだ。」
殿下も来週はロエリューイ山麓にあるサリモアの山火事からの復興祭に赴く。皇帝陛下はエリザベス皇女様を伴って来週後半までアルーノ・ユニオンで外遊している。今回のメインとなる予定はエリザベス皇女様が嫁ぐドゥリッヒでの婚約式だ。皇后陛下はライド大陸マジュア首領国の独立記念式典に参加するため本日出国した。マジュアに行った後、ライド大陸の複数の国々へ外遊されるため皇后さまは3週間後に帰国される。皇弟夫妻もシノ大陸のコルア王国という小国の結婚式に参列してからシノ大陸の南西部の国々を外遊中だ。
レオンハルト殿下の同母妹であるレイリア皇女様と皇弟殿下の御子様達は未成年で公務ができないので来週前半はレネー側妃しかいないというサルニア皇室は未だかつて無いほど手薄な状態になる。
(年間の予定で決まっていたことだけどちょっと不安な状況よね。アマニールの件もあるし)
パリシナか・・・。何か忘れているような気がする。
「行くぞ。」と言われて腰を抱き寄せられる。
「ちょ、ちょっと待ってください。私、制服を着ているんですよ。こんな風に男の人とくっついていたら”仕事さぼって何やってるの!”って市井の人に思われるじゃないですか。」
「じゃあ、光の速さで着替えてきて。」
光の速さには及ばなかったけれど大急ぎで着替えて保護区へ南門から出る。車の中で隣りに座ったレオンハルト殿下は私の耳に顔を寄せて小さい声で囁いた。
「どうして避けるの?」
微かにかかる息がくすぐったくて、数秒固まってしまった。
「それは・・・その・・・・顔を合わせるのが恥ずかしくて。」
私も殿下の耳の近くに顔を寄せて周りに聞こえないように小さい声で言った。内緒話をしているところを人に見られるのはとても恥ずかしい。どのみち、夜の食事会で先に抜けた2人が次の日によそよそしかったら、昨日私達に何か進展があったことはみんな察している。
でも、普通に答えてしまったら距離的に話の内容が車内にいる人達に筒抜けで、それも恥ずかしい。
どっちも恥ずかしいが何か聞かれるよりも私は勝手に想像されるほうがましだと思った。
「そう・・・朝から避けられてていたし、昨日のことで嫌われたのかと思って不安で・・・」
うっ!ちょっと嘘くさいけどシュンとした顔をされて気まずくなる。
「俺はいつだって一緒にいたいのに。」
小さな声で言われた言葉を聞いて顔に熱が集まり、私は下を向いて赤くなった。耳元でささやいていた殿下もつられて口を抑えて横を向き赤くなった。
車内はいたたまれない空気になる。つらい。
向かい合わせで乗車しているルオンスとアストリアさんは気まずそうだ。私が逆の立場だったら早く到着してくれってずっと願っているだろう。
「・・・あの、私と話すために勤務中にこんなふうに抜け出したんですか?」
「あー、えーと、違う。今日は市場調査と銘を打った他国のお店で情報収集をするのが仕事なんだ。」
殿下は名刺入れから名刺を一枚取り出して「どうぞ」と言った。その名刺にはセレクトショップ A to A株式会社のバイヤーの肩書が書いてあった。
今日は市場調査の日だったのね。今日は気もそぞろでスケジュールをちゃんと確認していなかった。
ショコラティエ・ローズ・サリバンが入るリビドーショッピングモールは他国から誘致したお店が多く入っていて、店の店長は本国から駐在で来ていることが多いのだ。
(やだっ、自分のために殿下が仕事をサボったって自意識過剰に勘違いしてしまった)
到着すると「1時間半後に噴水前に集合」と言われて現地解散する。
とりあえず、ローズ・サリバンでドライフルーツチョコレート数種類とサルニアのシーリングウェイ地方発祥のブラウニーと職場のお土産用にシグニチャード・チョコレートを購入した。集合時間まで1時間以上残っていたのであてもなくぷらぷらと歩くことにした。
レオンハルト殿下を見つけたので仕事の様子を見学に行ってみる。彼はエトリスチューナ帝国の雑貨店に入っていった。寒さの厳しい帝国の生活に会った暖かさを保つ工芸品などを扱うお店だ。
「昨シーズンはラニーニャ現象のおかげで小麦が豊作で・・・」
エトリスチューナ帝国の内情を聞いて回っているらしい。エトリスチューナ帝国とサルニア帝国は世界の二大軍事大国で数百年に渡って冷戦状態だ。この二カ国が戦争を起こすと間違いなく世界大戦となる。エトリスチューナ帝国では国民に対して絶対的な情報統制を取っており、国政批判は死刑となる結束主義を取っている。
エトリスチューナとサルニアは互いに互いを徹底的に監視していている。こういう情報収集はあまり効率的ではないような気がするが、
(エトリスチューナか・・・)
底しれぬ恐ろしさを持つエトリスチューナ帝国。できればあまり関わりたくない国だ。
帰城して残っていた事務仕事を終わらせてレッドホック副室長に報告に行くと殿下のところに決済書類を持っていってから就業するように言われた。もう職員は私と副室長以外残っていなくて夏で21時頃まで明るいので気が付かなかったが既に20時を回っていた。
「失礼します。」
厨房で作ってもらった夕食を持って執務室に入ると、殿下の護衛兼側近達は20時を過ぎたので勤務を終えていて誰も居なかった。執務室の奥にある彼専用のガラス張りの個室にノックして入るとレオンハルト殿下はキーボードを打つ指は止めずにこちらをちらっと見た。
「決済書類?」
「はい、食事はこちらに置きますね。」
お茶のカップに注いで今日買ってきたチョコレートと共に提供する。
「仕事は終わったの?」
「はい、終わりました。」
「じゃあもういいよね。」という言葉とともに部屋のガラスにかかっている電動ブラインドが降りて来る音が聞こえた。
「?」
動くブラインドを見ていると、後ろから抱きしめられる。最初は驚いたけれど状況を理解すると鼓動がどんどん早くなる。殿下は私の肩に顔を寄せたまましばらく強く抱きしめていた。
「きゃっ」
しばらく立ってから、お姫様抱っこで抱き上げられて彼の休憩用のソファに連れていかれ横向きのまま膝に乗って一緒に座らせられる。座ったとたんに手が頭に伸びてきて彼の秀麗な顔が近付いてきた。
昨日のような甘いキスではなくて、激しくて欲望を隠さない口づけだった。
荒い息遣いと唇の柔らかいところで貪られる感触がゾクゾクとする。
すごく強引だけど昨日より私も興奮してしまう。
私は強引な人の方が好きな性質があるみたい。私たちの舌を絡めあう音だけが部屋に響き、頭がボーっとしてくる。なけなしの理性を総動員して彼の肩を押しながら顔を背けた。
涙目になっている私を見てチュッと軽いキスをされる。
「エロい顔してるね。」
(エロい顔ってどんな顔?昨日も思ったけどこういうことしているときって何の脳内物質が出ているのかしら?)
レオンハルト殿下はギュッと抱き締めて、また肩に顔をうずめる。
「ずっと焦がれてきてもう今以上に好きになることは無いと思っていたのに、一昨日より昨日、昨日より今日とどんどん好きになっていく。こうやって少し会えないだけで、気が付くとリリーシアのことばかり考えている。会いたくて、誰と何しているか気になって不安でしかたないのに、会って話をすると幸せで満たされる。こんなに気持ちをコントロールできなくなるなんて・・・。」
恋をするって幸せで満たされて、いつも見ている何でもない景色でも鮮やかにキラキラと見える。だけど同時に苦しいと彼に恋して私も知った。
(私も気持ちを伝えたい。でも、今の私には何も答える資格は無い。)
吐き出したい気持ちと上手く立ち回れない自分への歯痒さで苦しくなる。何も答えない私に痺れを切らしたのかレオンハルト殿下は強く抱き締めてきた。
「今は想いを受け止めてくれるだけでいいよ。」
「・・・」
「ん?」
「・・・めちゃくちゃ強引なくせに随分と殊勝な事をおっしゃるな、と。」
「感情のつじつまが合わないなんて、すごく人間らしいだろ。」
確かにな、と思って笑った。
さっきまで理性を放棄しようとしていたとは思えないほど互いに落ち着いていく。
殿下が手を緩めてくれたので私は膝の上から殿下の隣に座りなおした。
「さっきキスを受け入れた私が言っても説得力が無いですが・・・私はワイマール公子のプロポーズを正式にではありませんが受けました。こんなことをするのは許されないと思います。」
「ワイマールのことは気にしなくていいと言ったよ。」
「そうは言っても。」
「うーん、じゃあ週末のワイマールのガーデンパーティに行って解決案を提案してみようか。」
「どんな解決案を提案するんですか?」
「内緒。」
微笑んだ綺麗な顔が少しだけ計謀が見えて、それにときめいてしまった。手で顎をクイッと持ち上げられたので慌てて殿下の唇に手をあてる。
「もう、ダメです」
「じゃあ、何ならしていいの?」
顎にあった手は頬を撫でてから髪に触れて、くるくると指に絡めてくる。
「な・・・何って。何もしちゃダメです。他の令嬢や省庁の職員の人と同じにしてください。」
「却下。他の令嬢より俺とリリーシアは親しい仲だろ。?」
「っ・・・じゃあ、勤務外限定で殿下の女友達にすることと同じ事ならいいと思います。」
そういうとしぶしぶだが了承してくれた。
トントンとドアをノックする音が聞こえる。私が履いているのが運動靴だったらベランダから飛び降りて退室してたかも。
殿下は残念そうに「どうぞ」と言う。ルオンスがドアを開けて申し訳なさそうに入ってきた。
(ルオンス、残業してたの?!)
「お取込み中のところ申し訳ございません。・・・レネー側妃殿下が打ち合わせをしたいとのことです。」
「分かった。1時間後に会議ができるように調整・・・」
「もう来てるわ。あなたの執務室でいいわ。」
美しい黒髪に青緑の瞳の美女、レネー側妃殿下がルオンスの後ろから入ってきた。
「ごきげんよう。楽しそうな残業ねぇ、レオ君。」
「・・・それにいかがわしい行為はしていませんし。」
あれはいかがわしい行為に値するような気がする。レネー側妃殿下がイラっとしたのが空気で伝わってきた。
「わたくしは楽しそうねと言っただけよ。」
「お茶を淹れて参ります。」
「侍女の仕事を奪ってはいけないわ。あなたは上級公務員でしょう。レオ君はどこまでが公私混同なのか再考すべきね。」
「「はい」」
もう侍女も勤務時間外です、とは言えなかった。
皇太子執務室にいる侍女は宮内庁の管轄で雇っている。4,5階にいる生活のお世話をする侍女と使用人はブルマン家の管轄でお金の出所が違う。
確かに給仕の仕事を私がすると執務室の侍女の仕事を取ってしまう。
「ロワジール警部補、この甘ったるい空気の部屋じゃなくてあっちの応接スペースを用意してちょうだい。甘いものを渇望しているからそのチョコレートをわたくしにも出すように侍女に伝えて。お茶は3人分用意」
早口でルオンスに向って指示したレネー側妃殿下に気おされて「は、はい」と、ルオンスが答える。
「マクレガー秘書官、スイフィル局長を呼んできてちょうだい。局長と一緒にもう一度戻ってきて。」
私ももう就業時間が過ぎている、とは言えなかった。威圧感がすごいのよね。
「ちょ、長官の秘書の方も帯同しても構いませんか?」
「ルーノ秘書官なら構わないわ。それ以外だったら上手く理由をつけてまいてきてちょうだい。」
「承知しました。」
信用できる者だけにしか知られたくないのね。ということは局長がベガ宮に行ってもらうフリをして、私は自室に戻るということにすれば良いかな。
私は急いでアークトゥルス宮内の宮内庁分室に向った。長官が不在なら衛星電話で呼び出さなくてはいけないので面倒なのだが運良く、分室内の長官室で執務をされていた。ドアが開いているときは声をかけて話をしてもよいことになっている。開いているドアをノックして入室するとちょうどマーガレット・レッドホック副室長がいた。
(もう21時を過ぎているのに、二人共ワーカーホリックね。)
スイフィル局長は私を見てから「じゃあ、そういうことでよろしく頼むよ。」と副室長に伝える。私と副室長はすれ違いざまに会釈をしてお互いに逆方向に向かった。
「さきほど言付かったのですが、レネー側妃殿下が本日都合が良いときにときに相談したいことがあるとのことです。」
私は後ろから見えないように着替えの時に部屋で書いてきたメモをそっと渡した。
”レネー側妃殿下が皇太子執務室でお待ちです。ルーノ様以外は帯同させないでください”
「ありがとう。今すぐ向かおう。」
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