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第5章 魔人国、後編
5-3 神の武器、予感
しおりを挟む「・・・すまぬが少し目をつぶっていても構わぬか?」
ハルを胸に埋めながら、薄紫ではなく顔が菫のようにやや濃く見えるエインにそう願い出た。
雇い主の目の前で今は仕事中だ。
職務怠慢と取られても仕方ない。
理由を述べるつもりはなかった。
だがエインは心配そうに顔を覗き込み「無理はしないで下さい」とそう言った。
(・・・我はそんなにわかりやすいのだろうか?)
と先だってのエインの言葉を思い出した。
視界か脳内の地図のどちらかに絞れば負担も減る気がした。
しかもハルの温もり付きだ。
甘露のような感情を与えてくれる。
芳醇な纏わりつく感情もおまけ付きだ。
・・・今はやや劣情も帯ているが。
もう一度胸に埋もれるハルを見て、慌てて首をブルブルと振っている。
(・・・我は夢の中で何を致したのだろうか)
思わず顔を引きつらせた。
そして目を瞑り気配探査魔法を発動させた。
車は休憩を挟みながらも走り続けた。
もうすぐ夕刻を迎える。
雨がシトシトと降り出していた。
「嫌な雨だ」
目を閉じたままのオリハはそう呟いた。
己でも何が嫌なのかわからなかった。
脳内の地図には反応はない。
だがその言葉にエインが反応した。
「マリア!」
その言葉に車が反応よく加速し始めた
後ろの二台を置き去り加速する。
「・・・反応は何もないのだぞ?」
「私も・・・そのような気がしました」
何かが起きる気がする。
気のせいならそれで良い。
二人は同じ事を考えていた。
「どうしますか?」
そのマリアの問いに「・・・真っ直ぐです」とエインが前を見据えてそう答えた。
嫌な予感が大きく高まるのをオリハは感じる。
同じ方向を見ていたからだ。
車の速度は身体強化時の全速に比類すると判断する。
だが街道は大きく右に曲がり、真っ直ぐ先には木々が立ち塞がっていた。
それなら・・・
「オリハ様!動かないで下さいませ!」
後ろを見ずにマリアが声をあげた。
「皆様、椅子に掴まっていて下さい・・・舌を噛みますよ」
と唇を舐めた。
そのままの速度で木々の隙間を疾り抜ける。
時に踊るように時に飛ぶように。
前方にも横にも木しか見えない。
枝が車体をキィッと擦る音がする。
だが速度を落とす事なく疾り抜ける。
「エインリッヒ様!魔力の供給をっ!」
頷く事もなく運転席の横までなんとか椅子に掴まりながら進み、そこにある魔石に魔力を灯した。
目の前の木々が消え、また街道に乗り上げた。
最短で森を大きく迂回する道を回避した。
後は子爵領の端の街までの直線を残すだけだ。
オリハはもう目を開けている。
そして前方のみに地図を広げていた。
頭の片隅にあの時のハルの母親の姿が思い浮かぶがそれを否定する。
一点に注がれる集中は目眩すらはね除けていた。
雨がガラスを強く叩く。
視界が水飛沫で隠される。
既に辺りは暗さを増した。
車の先に付けられた魔道具が光を灯す。
誰も口を開かない。
料理人は未だ椅子にしがみ付いている。
街道の先に街明かりが見えた頃、地図に反応が現れた。
「この先に反応が二つだ!・・・追っ手はない!」
その声に車が速度を落とす。
高速から中速へ、そして低速になる頃には車の前に一つの影が見えた。
その影は身体全体を外套で覆っていた。
いつの間にか起きていたハルを椅子に座らせ「良い子にしておれ」と頭の上に手を置いた。
車輪が止まるための音を鳴らす。
ドアを開けて飛び降りたエインが叫んだ。
「私はエインリッヒ・フォン・ドゥエムル公爵だ!貴方は?!」
「・・・こう、しゃく・・・さま?」
そう言うと濡れた街道に影がへたり込んだ。
その外套の中から二つの泣き声がした。
それに歩み寄ろうとするエインを手で制した。
その外套から感じるのは恐怖と安堵。
その感情を受けたオリハも安堵した。
間に合った、と。
オリハが歩み寄り優しく声をかけた。
「我は公爵殿に雇われているC級冒険者のオリハという・・・もう大丈夫だ」
そして外套を抱きしめた。
だが急に恐怖の感情が増した。
「し、C級・・・た、助け、助けてください!」
「・・・どうした?」
「仲間が!まだ仲間が!」
「落ち着け、何処だ」
「私達、街の宿屋で、そ、護衛でっ!・・・この子のお母さんと仲間がっ!」
振り返りエインに声をかけた。
「この子らと・・・ハルを頼む」
「私めの命に懸けて!」
その返事は聞かずに駆け出した。
聞く必要はない。
答えはわかっている。
身体強化を済ませた脚力は瞬時にハルとの距離を離した。
剣は携えていない。
車に取りに戻る時間すら惜しかった。
ハルの気配が消えた空虚な心に悲しみが溢れる。
頬を伝う涙は雨と混ざり地へと流れる。
その地を踏みしめ少しでも早くと大地を蹴った。
街に近づくにつれ嫌な臭いが色濃くなる。
嗅ぎたくもない感情が鼻につく。
入り口らしき詰所に門兵共がいる。
オリハの速度に驚きつつも制止を求めて声を上げていた。
舌打ちして目の前で地面を強く蹴り、水飛沫をかけた。
そして大きく飛び越えた。
街の中の異変にすら気がつかない門兵に腹が立った。
この段階で気配探査魔法は解除した。
一箇所に十二の反応がある
そして臭いが酷い。
街のヒトの気配の多さと目眩と吐き気のせいもある。
他にもいくつかゴミが街に散らばっているのを感じる。
赤子を連れ出した者を探しているのだろう。
街を飛び出したあの女冒険者の判断に賛辞を贈る。
跳ねた事により幾分かは速度を落とす事になった。
あの速度で街中を走る事が出来ないのもあった。
そして宿と思しき建物のある筋に出た。
この雨のせいか人通りがないのは助かった。
教えてくれた嫌な雨に感謝する。
そのまま宿に向かうが、勢いがありすぎる事に思い至る。
獅子の如く両手足で地面に爪をかける。
それは大地を文字通り削った。
余った勢いは建物の中に飛び込み壁に体当たりした事で消滅した。
そのオリハの目の前にはお揃いのローブを羽織ったゴミが七つあった。
調理場の奥から恐怖を携える感情が二つあった。
後は魔人の男が血に転がり、エルフの女が服を全て破かれ、魔人の女が血に塗れ、更に刃を向けられていた。
目眩と怒りに我を忘れそうになる。
だが事前の反応の数から三人はまだ生きている事がわかる。
大丈夫だ、殺すのはいつでも出来る。
優先順位を間違えるな、そう己に言い聞かせた。
十本の魔力の糸を飛ばして七本をゴミに付けた。
糸を通じ殺すつもりで魔力による威圧を放つ。
精神に傷を負うかもしれないが問題はない。
殺すつもりなのだから。
だがエルフの女に跨っていたゴミだけは、我慢出来ずに爪先で蹴り上げ天井に埋めておいた。
それと同時に三本の糸を二人の魔人とエルフにつけ、同時に回復魔法をかけていた。
そして着ていたローブを脱いで絞り魔法で乾燥させる。
怯え震えるエルフに「もう大丈夫だ」と声をかけて、その修道服を頭から被せた。
乾燥させる際に温かくなるよう温度を帯びさせた。
次に血のりを浄化魔法で消した。
だが刃を向けられていた女がまだ息も絶えだえなのに気がついた。
抱きかかえ手を取り、直接回復魔法をかけ魂の解析をした。
「あ、な、・・・あの、こは?」
外套の中の赤子の母なのだろう。
何も心配する事がない様に言葉を選んだ。
「ああ大丈夫だ、我はエインリッヒ公爵殿に雇われている「腐竜殺し」の異名のある冒険者だ、安心しろあの子は保護した」
そして優しく微笑んだ。
安心して旅立てる様に。
既に魂と肉体が分離していた。
手遅れだった。
空虚な心に栓をした。
涙を見せないよう心からの微笑みを。
そして女は何かを呟く途中に息絶えた。
最後の言葉を聞き取ってやれなかった事に苛立ちを覚えた。
男の方も診た。
気を失っているが大丈夫だ。
調理場の方を見に行った。
中年の魔人の男が女を抱き、泣き震えていた。
「・・・もう終わった、怪我は?」
返事はなかったが男の顔が綻び大きく頷いた。
オリハの言葉に女は大きな声で泣き出した。
安堵の感情があふれた。
「な、なんだこれは!」
衛兵共が雁首揃えて現れる。
「我はエインリッヒ・フォン・ドゥエムル公爵に雇われた冒険者!オリハだ!そこに転がる不埒者に襲われていた者を助けに参った!」
いきなり肌着姿のエルフがそう叫び現れた事にどよめきが起こる。
だがオリハは指示するのも説明するのも嫌だった。
間に合わなかったのだから。
不甲斐なさを感じていたのだ。
一刻も早くハルの元に帰りたかった。
「不埒者の仲間らしき者が未だ街中を彷徨っておる!」
だから端的に述べる。
「我はこれよりエインリッヒ公爵様を迎えに上がる!これ以上!街に被害が出る事!不埒者を取り逃がす事!一切許さぬ!」
そして衛兵隊の間をヅカヅカと押し退け外へと歩いた。
呆然とする衛兵に雨に打たれながら振り返る。
「何かあれば・・・物理的に首が飛ぶと思え」
むしろ首を跳ねさせろと言わんばかりの表情を浮かべ、それを衛兵達に向けた。
そして走り去った。
雨の中、ハルの元へ。
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