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第二章 桜の下で誓った
第48話
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保健室に入ると入り口の正面の席に座っている白雪先生が出迎えてくれた。
「お疲れ様。ずいぶんと長いトイレだったね。お腹の調子は大丈夫?」
「え? あ、いやそういうわけじゃ……」
「はは、ごめんごめん、冗談だよ。藤田先生から連絡貰って、簡単にだけど何があったかは知ってるよ。伊織や真人を出し抜いて一番乗りだなんてすごいじゃない」
「でも、私だけじゃ何もできなかったです。皆が来てくれなかったらどうなっていたか……」
「いやいや、詩織がいなかったら逃げられていたかもしれないんだから立派なもんだよ。ほら、美月のところに行ってあげな」
「はい」
美月は先ほどまでと同じくパーテーションで区切られた保健室の奥のスペースに置かれた椅子に座っていた。私を見るなり勢いよく立ち上がって私に駆け寄り、その勢いのまま強く私を抱きしめた。
一昨日泊まったときに使わせてもらったシャンプーの香りが鼻をくすぐって美月と一緒に寝た夜のことを思い出す。不安ながらも前に進もうとしたあの日は一昨日のことなのにとても昔のことのように感じられた。
「ありがとう、詩織。本当に……」
涙ぐみながら言葉を紡ぐ美月を私も抱きしめ返した。暖かくて柔らかくて可愛らしい美月を守ることが出来たと思うと、その達成感や喜びで私も泣きそうになる。
「うん、美月のこと守れて良かった……でもごめん、エプロン汚されちゃった。一足遅くて」
「全然良いよ。中一から使ってるから二年生になったら新しいの買おうかなって思ってたの。買うのがちょっと早くなるだけだから。そうだ、今度一緒に買いに行ってくれる?」
「もちろん。あ、でも伊織もすごく気にしてたから伊織と行ったら? 絶対オッケーしてくれると思う」
「えー? そうかなー? 一緒に行ってくれるかなー?」
抱きしめ合ってるから美月の表情は見えないけれど、声が弾んでいるので嬉しそうにふにゃけた顔をしているに違いない。いつもの美月が戻ってきたように感じる。
「大会が終わったら休みもあるだろうし誘ってみなよ」
「うん、そうする」
「今日の伊織、美月にも見てもらいたかったな。勢い良く調理室に駆け込んできて、落ち着いていたけどすごく怒ってて、美月を傷つける奴は絶対許さないぞーって感じで、今まで見たことないくらい迫力があった」
「ほんとに? 美月を傷つける奴は……はさすがに盛ってない?詩織のことも言うでしょ、伊織君なら」
「うーん、まあそうだったかな。でも美月が傷つけられたことに怒ってたのは本当だよ」
「そっか、それなら嬉しいな」
「おーい、お嬢さんたち。仲が良いのは結構だけど男どもが困ってるよ」
私と美月の蜜月な時間は白雪先生の一声で終わりを迎える。伊織が来たことに気づいた美月は大急ぎで私から離れ、少し潤んでいた目をハンカチで拭いて髪を整え始めた。
あまりの変わり身の早さに少しだけ伊織に嫉妬してしまうが私の前だと自然体でいられるのだと思うとそれはそれでありだと思う。
「ほんとに仲良いよな、お前ら」
「羨ましいでしょ?」
「……別に」
「もっと素直になれば良いのに」
私と伊織がそんなやり取りをしている間に美月の身だしなみが整い、美月は伊織と真人君の正面に立った。
「伊織君、桜君。本当にありがとう。こんなに安心した気持ちになれたのはすごく久しぶり。二人のおかげ。大会もあるのに、私のせいでいっぱい迷惑かけちゃって、ごめんなさい」
そう言って頭を下げた美月に対し、伊織が手を伸ばした。
そうだ。抱きしめろ。せめて頭を撫でろ。無理でも肩に手を置くくらいして「頭を上げて」って言え。キスしろ。
そんな私の思いも虚しく、伊織は伸ばした手を引っ込めた。意気地のない兄で困る。
真人君もそんな伊織のことを苦笑いをして見ている。仕方のない奴だという顔をして真人君が美月に声をかけた。
「萩原さん、頭上げてよ。目の前でつらい思いをしていたり、誰かに嫌がらせをされている人がいたら助けるのは当たり前のことだからさ、俺も伊織も迷惑だなんて思わないよ。むしろ俺の方こそごめん。そもそもの発端は俺が何も考えずに詩織さんを誘ったことだから。もっとよく考えて動いていればこんなことにはならなかったはず」
伊織がまごまごしているから真人君に全部言葉を持っていかれてしまった。真人君のこういうところはぜひとも伊織に見習ってもらいたい。
「そんなこと……桜君のせいじゃないよ。私や詩織に嫌がらせした人が悪いんだから」
「そっか、じゃあお互い謝るのはなしにしようか」
「そうだね。それが良い」
「いや、謝らないといけないことが一つある」
美月と真人君の間でまとまりかけていた話を伊織が遮った。汚名返上なるか。
美月は伊織の目を見て言葉を待っている。さっきまで真人君を見ていた目とは明らかに違って真剣で、情熱を秘めていて、期待している。
「調理室に置いてあった美月さんのエプロン、汚されちゃったんだ。俺がもう少し早く駆けつけていれば止められたのに……ごめん」
「それは良いよ。もともと買い替える予定だったから気にしないで」
「そっか、でも……」
俺と一緒に買いに行こうって言え……さすがに無理があるか。
「大丈夫だよ。伊織君が謝るようなことじゃない」
美月も誘ってみるって言っていたのに何を遠慮しているんだ。自転車の練習に誘ったときの勢いはどこに行ったんだ。なかなか進展しない他人の恋愛というのはこんなにもやきもきするものなのか。
「まあ伊織が転んだせいで調理室に着くのが少し遅くなっちゃったからね。責任取って伊織が弁償するべきだと思う」
こんなときでも真人君は察しが良い。いたずらっぽく笑って伊織に責任を押し付ける。
「は? 転んでないし、何言ってんだよ」
察しの悪い兄で困る。ここは私も助け船を出すしかない。
「エプロンがないと美月が部活できなくてかわいそう。伊織がもっと急いでいればなー」
「それは、申し訳ないけど俺なりに急いでたし……」
「運動のときの栄養補給にちょうどいいお菓子を作ってみることになってたらしくて、伊織を実験台に推してたんだけどそれもなしになっちゃうなー」
「残念だね。伊織の代わりに俺がその役目をもらっちゃおうかな。俺が買ってくるよ」
真人君が乗ってきた。伊織を追い詰めてエプロンを買いに行かせるという意図を完全に理解してくれているようだ。
「確かに伊織より真人君の方がセンス良さそうだし。その方が良いかも」
伊織が素早く私の方を見た。その目は鋭く、どうやら真人君の方がセンスが良さそうという言葉は納得がいかない様子。昔と比べて大人っぽくなったと思っていたけれど、こういうところで張り合う子供っぽさもまだ残っていたようだ。
「いや俺の方がセンス良いし。真人になんか任せたら着ていて恥ずかしいデザインのやつ選んで来るぞ」
「それはひどい言いようだな。伊織なら萩原さんに似合う良い感じのやつ選べるってこと?」
「当たり前だろ。真人と比べたら百倍ましなやつ選べる」
「じゃあ伊織が買いに行く?」
「ああ、行ってやるよ」
意外と単純な兄で助かる。あとはもう一押しだ。
「でも正直伊織のセンスも心配だから、美月も一緒に行ってその場で選んでもらいなよ。勝手に買ってきて変なのだったら美月がかわいそう。ね、美月もその方が良いでしょ?」
お膳立てはできた。あとは美月が頑張る番だ。私と真人君の後押しを得て美月は勇気を振り絞る。その姿は本当に一生懸命でまさしく青春と言ったところ。
「あ、あのね。お金は自分で出すから、一緒に選んでもらえたら嬉しい、です。その、助けてくれたお礼もしたいし、そのついでに……ど、どうかな? 日程は伊織君の都合に合わせるから」
目が潤んで、口をキュッと結んで、そんな顔で見つめられたら断れるわけがないくらいの懇願の表情は抱きしめたくなるくらいに可愛らしい。
こんな顔をさせておいて断るようなら私は今後一切伊織と口を利かない。
「うん、分かった。近いうちに連絡するよ。大会の後は部活の休みも増えるから」
このときの嬉しそうな美月の表情はそれはもう世界一可愛くて、世界一幸せそうで、見ている私まで嬉しくなる。動画を撮っておけばよかったと後悔したがなんとか脳内に保存できた。
そして伊織の都合が良いときというのは部活が休みのときということで、真人君も休みなわけだ。それはつまり私と真人君も遊びに行くチャンス。真人君を見ると真人君も私を見ていて、微笑みながら無言で頷いてくれた。
この察しの良さは本当に伊織に見習ってほしい。
「じゃあそろそろ行くよ。あんまり遅くなるわけにはいかないし」
「あ、伊織ちょっと待って。お父さんから預かってるものがあるの」
鞄にしまっていた二万円入りの封筒を伊織に手渡すと伊織は訝しそうに中身を透かして見ようとした。
「何これ……万札じゃん」
「うん。新幹線代に使えって。真人君も使ってよ」
「え、いや、さすがにお金は悪いよ」
「大丈夫だよ。私を助けてくれたって言えばお父さんは許してくれるよ。バスか電車で行くつもりだったんでしょ? 疲れて試合で活躍できなくなったら嫌だから新幹線で楽して欲しい」
「……じゃあ今回はお言葉に甘えようかな。いつか何かの形で必ず返すよ」
「うん。楽しみにしてるね」
「それじゃ、行ってきます」
優しく微笑んでいた真人君の表情がキリっと真剣なものに変わった。これから戦いに行く人の顔、こっちの顔も私は大好きだ。
真人君が背負うバスケ部でお揃いの鞄には私があげた必勝祈願のお守りがぶら下がっている。
今回の大会は遠くて現地には行けないし、ネット配信もないらしく見ることはできないけれど、あのお守りで私の存在を感じてくれたら嬉しいことこの上ない。保健室を出る真人君の背中とお守りに真人君の活躍と桜高校の勝利を祈って、二人を見送った。
「お疲れ様。ずいぶんと長いトイレだったね。お腹の調子は大丈夫?」
「え? あ、いやそういうわけじゃ……」
「はは、ごめんごめん、冗談だよ。藤田先生から連絡貰って、簡単にだけど何があったかは知ってるよ。伊織や真人を出し抜いて一番乗りだなんてすごいじゃない」
「でも、私だけじゃ何もできなかったです。皆が来てくれなかったらどうなっていたか……」
「いやいや、詩織がいなかったら逃げられていたかもしれないんだから立派なもんだよ。ほら、美月のところに行ってあげな」
「はい」
美月は先ほどまでと同じくパーテーションで区切られた保健室の奥のスペースに置かれた椅子に座っていた。私を見るなり勢いよく立ち上がって私に駆け寄り、その勢いのまま強く私を抱きしめた。
一昨日泊まったときに使わせてもらったシャンプーの香りが鼻をくすぐって美月と一緒に寝た夜のことを思い出す。不安ながらも前に進もうとしたあの日は一昨日のことなのにとても昔のことのように感じられた。
「ありがとう、詩織。本当に……」
涙ぐみながら言葉を紡ぐ美月を私も抱きしめ返した。暖かくて柔らかくて可愛らしい美月を守ることが出来たと思うと、その達成感や喜びで私も泣きそうになる。
「うん、美月のこと守れて良かった……でもごめん、エプロン汚されちゃった。一足遅くて」
「全然良いよ。中一から使ってるから二年生になったら新しいの買おうかなって思ってたの。買うのがちょっと早くなるだけだから。そうだ、今度一緒に買いに行ってくれる?」
「もちろん。あ、でも伊織もすごく気にしてたから伊織と行ったら? 絶対オッケーしてくれると思う」
「えー? そうかなー? 一緒に行ってくれるかなー?」
抱きしめ合ってるから美月の表情は見えないけれど、声が弾んでいるので嬉しそうにふにゃけた顔をしているに違いない。いつもの美月が戻ってきたように感じる。
「大会が終わったら休みもあるだろうし誘ってみなよ」
「うん、そうする」
「今日の伊織、美月にも見てもらいたかったな。勢い良く調理室に駆け込んできて、落ち着いていたけどすごく怒ってて、美月を傷つける奴は絶対許さないぞーって感じで、今まで見たことないくらい迫力があった」
「ほんとに? 美月を傷つける奴は……はさすがに盛ってない?詩織のことも言うでしょ、伊織君なら」
「うーん、まあそうだったかな。でも美月が傷つけられたことに怒ってたのは本当だよ」
「そっか、それなら嬉しいな」
「おーい、お嬢さんたち。仲が良いのは結構だけど男どもが困ってるよ」
私と美月の蜜月な時間は白雪先生の一声で終わりを迎える。伊織が来たことに気づいた美月は大急ぎで私から離れ、少し潤んでいた目をハンカチで拭いて髪を整え始めた。
あまりの変わり身の早さに少しだけ伊織に嫉妬してしまうが私の前だと自然体でいられるのだと思うとそれはそれでありだと思う。
「ほんとに仲良いよな、お前ら」
「羨ましいでしょ?」
「……別に」
「もっと素直になれば良いのに」
私と伊織がそんなやり取りをしている間に美月の身だしなみが整い、美月は伊織と真人君の正面に立った。
「伊織君、桜君。本当にありがとう。こんなに安心した気持ちになれたのはすごく久しぶり。二人のおかげ。大会もあるのに、私のせいでいっぱい迷惑かけちゃって、ごめんなさい」
そう言って頭を下げた美月に対し、伊織が手を伸ばした。
そうだ。抱きしめろ。せめて頭を撫でろ。無理でも肩に手を置くくらいして「頭を上げて」って言え。キスしろ。
そんな私の思いも虚しく、伊織は伸ばした手を引っ込めた。意気地のない兄で困る。
真人君もそんな伊織のことを苦笑いをして見ている。仕方のない奴だという顔をして真人君が美月に声をかけた。
「萩原さん、頭上げてよ。目の前でつらい思いをしていたり、誰かに嫌がらせをされている人がいたら助けるのは当たり前のことだからさ、俺も伊織も迷惑だなんて思わないよ。むしろ俺の方こそごめん。そもそもの発端は俺が何も考えずに詩織さんを誘ったことだから。もっとよく考えて動いていればこんなことにはならなかったはず」
伊織がまごまごしているから真人君に全部言葉を持っていかれてしまった。真人君のこういうところはぜひとも伊織に見習ってもらいたい。
「そんなこと……桜君のせいじゃないよ。私や詩織に嫌がらせした人が悪いんだから」
「そっか、じゃあお互い謝るのはなしにしようか」
「そうだね。それが良い」
「いや、謝らないといけないことが一つある」
美月と真人君の間でまとまりかけていた話を伊織が遮った。汚名返上なるか。
美月は伊織の目を見て言葉を待っている。さっきまで真人君を見ていた目とは明らかに違って真剣で、情熱を秘めていて、期待している。
「調理室に置いてあった美月さんのエプロン、汚されちゃったんだ。俺がもう少し早く駆けつけていれば止められたのに……ごめん」
「それは良いよ。もともと買い替える予定だったから気にしないで」
「そっか、でも……」
俺と一緒に買いに行こうって言え……さすがに無理があるか。
「大丈夫だよ。伊織君が謝るようなことじゃない」
美月も誘ってみるって言っていたのに何を遠慮しているんだ。自転車の練習に誘ったときの勢いはどこに行ったんだ。なかなか進展しない他人の恋愛というのはこんなにもやきもきするものなのか。
「まあ伊織が転んだせいで調理室に着くのが少し遅くなっちゃったからね。責任取って伊織が弁償するべきだと思う」
こんなときでも真人君は察しが良い。いたずらっぽく笑って伊織に責任を押し付ける。
「は? 転んでないし、何言ってんだよ」
察しの悪い兄で困る。ここは私も助け船を出すしかない。
「エプロンがないと美月が部活できなくてかわいそう。伊織がもっと急いでいればなー」
「それは、申し訳ないけど俺なりに急いでたし……」
「運動のときの栄養補給にちょうどいいお菓子を作ってみることになってたらしくて、伊織を実験台に推してたんだけどそれもなしになっちゃうなー」
「残念だね。伊織の代わりに俺がその役目をもらっちゃおうかな。俺が買ってくるよ」
真人君が乗ってきた。伊織を追い詰めてエプロンを買いに行かせるという意図を完全に理解してくれているようだ。
「確かに伊織より真人君の方がセンス良さそうだし。その方が良いかも」
伊織が素早く私の方を見た。その目は鋭く、どうやら真人君の方がセンスが良さそうという言葉は納得がいかない様子。昔と比べて大人っぽくなったと思っていたけれど、こういうところで張り合う子供っぽさもまだ残っていたようだ。
「いや俺の方がセンス良いし。真人になんか任せたら着ていて恥ずかしいデザインのやつ選んで来るぞ」
「それはひどい言いようだな。伊織なら萩原さんに似合う良い感じのやつ選べるってこと?」
「当たり前だろ。真人と比べたら百倍ましなやつ選べる」
「じゃあ伊織が買いに行く?」
「ああ、行ってやるよ」
意外と単純な兄で助かる。あとはもう一押しだ。
「でも正直伊織のセンスも心配だから、美月も一緒に行ってその場で選んでもらいなよ。勝手に買ってきて変なのだったら美月がかわいそう。ね、美月もその方が良いでしょ?」
お膳立てはできた。あとは美月が頑張る番だ。私と真人君の後押しを得て美月は勇気を振り絞る。その姿は本当に一生懸命でまさしく青春と言ったところ。
「あ、あのね。お金は自分で出すから、一緒に選んでもらえたら嬉しい、です。その、助けてくれたお礼もしたいし、そのついでに……ど、どうかな? 日程は伊織君の都合に合わせるから」
目が潤んで、口をキュッと結んで、そんな顔で見つめられたら断れるわけがないくらいの懇願の表情は抱きしめたくなるくらいに可愛らしい。
こんな顔をさせておいて断るようなら私は今後一切伊織と口を利かない。
「うん、分かった。近いうちに連絡するよ。大会の後は部活の休みも増えるから」
このときの嬉しそうな美月の表情はそれはもう世界一可愛くて、世界一幸せそうで、見ている私まで嬉しくなる。動画を撮っておけばよかったと後悔したがなんとか脳内に保存できた。
そして伊織の都合が良いときというのは部活が休みのときということで、真人君も休みなわけだ。それはつまり私と真人君も遊びに行くチャンス。真人君を見ると真人君も私を見ていて、微笑みながら無言で頷いてくれた。
この察しの良さは本当に伊織に見習ってほしい。
「じゃあそろそろ行くよ。あんまり遅くなるわけにはいかないし」
「あ、伊織ちょっと待って。お父さんから預かってるものがあるの」
鞄にしまっていた二万円入りの封筒を伊織に手渡すと伊織は訝しそうに中身を透かして見ようとした。
「何これ……万札じゃん」
「うん。新幹線代に使えって。真人君も使ってよ」
「え、いや、さすがにお金は悪いよ」
「大丈夫だよ。私を助けてくれたって言えばお父さんは許してくれるよ。バスか電車で行くつもりだったんでしょ? 疲れて試合で活躍できなくなったら嫌だから新幹線で楽して欲しい」
「……じゃあ今回はお言葉に甘えようかな。いつか何かの形で必ず返すよ」
「うん。楽しみにしてるね」
「それじゃ、行ってきます」
優しく微笑んでいた真人君の表情がキリっと真剣なものに変わった。これから戦いに行く人の顔、こっちの顔も私は大好きだ。
真人君が背負うバスケ部でお揃いの鞄には私があげた必勝祈願のお守りがぶら下がっている。
今回の大会は遠くて現地には行けないし、ネット配信もないらしく見ることはできないけれど、あのお守りで私の存在を感じてくれたら嬉しいことこの上ない。保健室を出る真人君の背中とお守りに真人君の活躍と桜高校の勝利を祈って、二人を見送った。
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