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2の巻《かくまい人、用心棒にされる》
①
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◇
大晦日を迎えた江戸の雪絨毯を《掛け取り》どもがさくさくと往来している。
当時、米や味噌など商品を、現代のように都度払いする店は少なかった。
多くの店は商品を買った金をツケにし、盆や大晦日になると、合計金額を一手に回収する。
これを《掛け取り》と言うのである。
「うわ、次は本所の外れじゃありませんか。嫌だねえ、武家に掛け取りにいくなんざ」
本所へ続く道へ足を踏み入れたのは、味噌問屋『郡上屋』の手代である。
「武士は武士でも、本所の御家人てのがまた厄介ですよ。奴ら、偉そうに武士を名乗っていながら、この時期になるとみんな居留守を使ってしまう。旦那さまも、奴らにゃ味噌なんぞ売らなきゃいいのにね」
「旦那さまがいいと言うんじゃ、仕方がないよ」
手代の先輩にあたる次座が、丁稚を卒業して間もない手代を諌めた。
年末の掛け取りは、取り立てる商人にとっても、取り立てられる客にとっても大戦である。
貯金のない客のなかには、便所へ身を隠したり、居留守をつかったりして、掛け取りが諦めるのを待つ者もいる。
だが、掛け取りのほうも然るに、大金の回収になるので必死である。
ツケを取り立てられなければ、首をくくる――と泣き脅し、金を回収する商人までいたほどだ。
掛け取りが帰る年明けまでの間、年末の江戸は、あちらこちらで両者譲れぬ舌戦が繰り広げられるのである。
とくに底辺の武家は、収入が少ないうえに、刀や屋敷の修繕費など出費の多いので、掛け取りの請求を踏み倒す家も多かったという。
「次ぁ、囲さまの家だ。ここなら安心だよ」
と、次座。
「囲さま。三十俵三人扶持の御家人ですね」
「ここぁ、毎年きっちり払ってくださる。心配はいらんよ。ただ、囲さまの前で失礼な態度をとっちゃならないよ。誇り高いお人だから」
「へえ」
今年から手代となったこの者には、囲重蔵なる男の人柄が分からぬ。
囲邸の門を叩くと、店の周りでは見かけたこともない絶世の美女が現れたので、手代は面食らった。
「待っていたぞ」
すました顔の美女は男の装いをしており、男の声で腕を組んだ。
「あとで額が違うと言われては困る。今ここで確認しなさい」
「へえ、ただいま」
次座が手代をともなって、囲邸の玄関先で料金を確認する。
男の用意した巾着には、びた銭一文と違わぬ金額が用意されていた。
「きっちりいただきましたよ。来年も郡上屋を、どうぞご贔屓にお願いします。囲さま」
「うむ。来年も世話になる」
「それと、別件で、折り入ってご相談がありまして。旦那さまからのお願いでございます」
次座の言葉に、囲重蔵はやや唇を引き結んだ。
「郡上屋の主が、何用かな」
「ここのところ、人形町界隈に『辰の党』という連中がのさばっていましてね、まあ、要するに若い衆が集まって悪さを働いているんでございます」
「ふむ」
「奴ら、ヤクザ者のように一家に属しておらぬので、掟もなくやりたい放題だそうです。この頃じゃ、商家にいちゃもんをつけて、金を取れないと分かれば店で暴れるのでございます。あまりに乱暴なんで、あの辺りを縄張りにしている侠客連中もお手上げで」
「それで、私に大旦那をかくまってくれと」
「いいえ、重蔵さまにしばしの間、郡上屋の警護を頼みたいのでございます」
「なに」
重蔵がいっそう声高になったので、手代は肩をはね上げた。
「分かっているとは思うが、我が囲家はかくまい稼業を生業のひとつにしている。この家に駆け込んだ者を守らねばならぬ。そなたらの申すことは、用心棒風情のすることだぞ」
重蔵には、用心棒に対するいささかな偏見がある。
用心棒になる者がすべてではないのだが、その中には少なからず、酒と女と暴力に身を委ねるような浪人者もいる。
重蔵は父から受け継いだ『かくまい稼業』を、そのような連中の仕事と同等に見られたくはなかった。
もっとも、ほぼ慈善事業に近い『かくまい稼業』は、儲けとしては用心棒に負けているのだが、
「失礼は承知のうえでございます。なにしろ、いままで雇っていた用心棒が風邪を拾ってしまいまして。それに、囲さまほどの腕前のお方はそうそう見つかりません。あなた様をお雇いできぬとあらば、私は大旦那さまにどんな叱責を受けるか……」
次座は重蔵の痛いところをつかず、あくまでも誘導的に、断りづらい雰囲気を醸し出した。
掛け取り商人が得意とする嘆き脅し『大旦那様からのお叱り』の術である。
この脅しに慣れた者であれば、いかに偽りの涙を流されようと、一歩たりとも譲らない。
ところが、この囲重蔵、いかんせん情に弱くできていて、
「し、しかし……私は囲家の人間……用心棒などというものは、だなあ……」
次座に押されつつある。
これを次座は見逃さない。
「もちろん、由緒正しき囲家のご嫡男を、そこいらの用心棒並のお給金で雇おうと言うのではございません。とくべつの計らいを約束いたします」
「だが……」
「それも、もともと雇っていた用心棒が全快するまでのほんの二、三日でよいのです。でなければ私だけでなく、新しく手代となったこの者の出世も立たれてしまうやも……」
重蔵の見えぬところで、次座が手代の尻をつねる。
『お前も眼を潤ませろ』
の、合図である。
手代はこの場面を持ってしみじみと、商人とは役者のごとく器用で、詐欺師のごとく悪賢くなくてはならぬことを学んだ。
「私からもお願いでございます」
郡上屋に叩き込まれた泣き目で畳みかける。
重蔵はついに折れた。
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大晦日を迎えた江戸の雪絨毯を《掛け取り》どもがさくさくと往来している。
当時、米や味噌など商品を、現代のように都度払いする店は少なかった。
多くの店は商品を買った金をツケにし、盆や大晦日になると、合計金額を一手に回収する。
これを《掛け取り》と言うのである。
「うわ、次は本所の外れじゃありませんか。嫌だねえ、武家に掛け取りにいくなんざ」
本所へ続く道へ足を踏み入れたのは、味噌問屋『郡上屋』の手代である。
「武士は武士でも、本所の御家人てのがまた厄介ですよ。奴ら、偉そうに武士を名乗っていながら、この時期になるとみんな居留守を使ってしまう。旦那さまも、奴らにゃ味噌なんぞ売らなきゃいいのにね」
「旦那さまがいいと言うんじゃ、仕方がないよ」
手代の先輩にあたる次座が、丁稚を卒業して間もない手代を諌めた。
年末の掛け取りは、取り立てる商人にとっても、取り立てられる客にとっても大戦である。
貯金のない客のなかには、便所へ身を隠したり、居留守をつかったりして、掛け取りが諦めるのを待つ者もいる。
だが、掛け取りのほうも然るに、大金の回収になるので必死である。
ツケを取り立てられなければ、首をくくる――と泣き脅し、金を回収する商人までいたほどだ。
掛け取りが帰る年明けまでの間、年末の江戸は、あちらこちらで両者譲れぬ舌戦が繰り広げられるのである。
とくに底辺の武家は、収入が少ないうえに、刀や屋敷の修繕費など出費の多いので、掛け取りの請求を踏み倒す家も多かったという。
「次ぁ、囲さまの家だ。ここなら安心だよ」
と、次座。
「囲さま。三十俵三人扶持の御家人ですね」
「ここぁ、毎年きっちり払ってくださる。心配はいらんよ。ただ、囲さまの前で失礼な態度をとっちゃならないよ。誇り高いお人だから」
「へえ」
今年から手代となったこの者には、囲重蔵なる男の人柄が分からぬ。
囲邸の門を叩くと、店の周りでは見かけたこともない絶世の美女が現れたので、手代は面食らった。
「待っていたぞ」
すました顔の美女は男の装いをしており、男の声で腕を組んだ。
「あとで額が違うと言われては困る。今ここで確認しなさい」
「へえ、ただいま」
次座が手代をともなって、囲邸の玄関先で料金を確認する。
男の用意した巾着には、びた銭一文と違わぬ金額が用意されていた。
「きっちりいただきましたよ。来年も郡上屋を、どうぞご贔屓にお願いします。囲さま」
「うむ。来年も世話になる」
「それと、別件で、折り入ってご相談がありまして。旦那さまからのお願いでございます」
次座の言葉に、囲重蔵はやや唇を引き結んだ。
「郡上屋の主が、何用かな」
「ここのところ、人形町界隈に『辰の党』という連中がのさばっていましてね、まあ、要するに若い衆が集まって悪さを働いているんでございます」
「ふむ」
「奴ら、ヤクザ者のように一家に属しておらぬので、掟もなくやりたい放題だそうです。この頃じゃ、商家にいちゃもんをつけて、金を取れないと分かれば店で暴れるのでございます。あまりに乱暴なんで、あの辺りを縄張りにしている侠客連中もお手上げで」
「それで、私に大旦那をかくまってくれと」
「いいえ、重蔵さまにしばしの間、郡上屋の警護を頼みたいのでございます」
「なに」
重蔵がいっそう声高になったので、手代は肩をはね上げた。
「分かっているとは思うが、我が囲家はかくまい稼業を生業のひとつにしている。この家に駆け込んだ者を守らねばならぬ。そなたらの申すことは、用心棒風情のすることだぞ」
重蔵には、用心棒に対するいささかな偏見がある。
用心棒になる者がすべてではないのだが、その中には少なからず、酒と女と暴力に身を委ねるような浪人者もいる。
重蔵は父から受け継いだ『かくまい稼業』を、そのような連中の仕事と同等に見られたくはなかった。
もっとも、ほぼ慈善事業に近い『かくまい稼業』は、儲けとしては用心棒に負けているのだが、
「失礼は承知のうえでございます。なにしろ、いままで雇っていた用心棒が風邪を拾ってしまいまして。それに、囲さまほどの腕前のお方はそうそう見つかりません。あなた様をお雇いできぬとあらば、私は大旦那さまにどんな叱責を受けるか……」
次座は重蔵の痛いところをつかず、あくまでも誘導的に、断りづらい雰囲気を醸し出した。
掛け取り商人が得意とする嘆き脅し『大旦那様からのお叱り』の術である。
この脅しに慣れた者であれば、いかに偽りの涙を流されようと、一歩たりとも譲らない。
ところが、この囲重蔵、いかんせん情に弱くできていて、
「し、しかし……私は囲家の人間……用心棒などというものは、だなあ……」
次座に押されつつある。
これを次座は見逃さない。
「もちろん、由緒正しき囲家のご嫡男を、そこいらの用心棒並のお給金で雇おうと言うのではございません。とくべつの計らいを約束いたします」
「だが……」
「それも、もともと雇っていた用心棒が全快するまでのほんの二、三日でよいのです。でなければ私だけでなく、新しく手代となったこの者の出世も立たれてしまうやも……」
重蔵の見えぬところで、次座が手代の尻をつねる。
『お前も眼を潤ませろ』
の、合図である。
手代はこの場面を持ってしみじみと、商人とは役者のごとく器用で、詐欺師のごとく悪賢くなくてはならぬことを学んだ。
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