かくまい重蔵《第2巻》

麦畑 錬

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2の巻《かくまい人、用心棒にされる》

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 大晦日を迎えた江戸の雪絨毯を《け取り》どもがさくさくと往来している。

 当時、米や味噌など商品を、現代のように都度払いする店は少なかった。

 多くの店は商品を買った金をツケにし、盆や大晦日になると、合計金額を一手に回収する。

 これを《掛け取り》と言うのである。

「うわ、次は本所の外れじゃありませんか。嫌だねえ、武家に掛け取りにいくなんざ」

 本所へ続く道へ足を踏み入れたのは、味噌問屋『郡上屋ぐじょうや』の手代てだいである。

「武士は武士でも、本所の御家人てのがまた厄介ですよ。奴ら、偉そうに武士を名乗っていながら、この時期になるとみんな居留守を使ってしまう。旦那さまも、奴らにゃ味噌なんぞ売らなきゃいいのにね」

「旦那さまがいいと言うんじゃ、仕方がないよ」

 手代の先輩にあたる次座じざが、丁稚でっちを卒業して間もない手代を諌めた。

 年末の掛け取りは、取り立てる商人にとっても、取り立てられる客にとっても大戦おおいくさである。

 貯金のない客のなかには、便所へ身を隠したり、居留守をつかったりして、掛け取りが諦めるのを待つ者もいる。

 だが、掛け取りのほうも然るに、大金の回収になるので必死である。

 ツケを取り立てられなければ、首をくくる――と泣き脅し、金を回収する商人までいたほどだ。

 掛け取りが帰る年明けまでの間、年末の江戸は、あちらこちらで両者譲れぬ舌戦ぜっせんが繰り広げられるのである。

 とくに底辺の武家は、収入が少ないうえに、刀や屋敷の修繕費など出費の多いので、掛け取りの請求を踏み倒す家も多かったという。

「次ぁ、囲さまの家だ。ここなら安心だよ」

 と、次座。

「囲さま。三十俵三人扶持の御家人ですね」

「ここぁ、毎年きっちり払ってくださる。心配はいらんよ。ただ、囲さまの前で失礼な態度をとっちゃならないよ。誇り高いお人だから」

「へえ」

 今年から手代となったこの者には、囲重蔵なる男の人柄が分からぬ。

 囲邸の門を叩くと、店の周りでは見かけたこともない絶世の美女が現れたので、手代は面食らった。

「待っていたぞ」

 すました顔の美女は男の装いをしており、男の声で腕を組んだ。

「あとで額が違うと言われては困る。今ここで確認しなさい」

「へえ、ただいま」

 次座が手代をともなって、囲邸の玄関先で料金を確認する。

 男の用意した巾着には、びた銭一文と違わぬ金額が用意されていた。 

「きっちりいただきましたよ。来年も郡上屋を、どうぞご贔屓にお願いします。囲さま」

「うむ。来年も世話になる」

「それと、別件で、折り入ってご相談がありまして。旦那さまからのお願いでございます」

 次座の言葉に、囲重蔵はやや唇を引き結んだ。

「郡上屋の主が、何用かな」

「ここのところ、人形町界隈に『たつとう』という連中がのさばっていましてね、まあ、要するに若い衆が集まって悪さを働いているんでございます」

「ふむ」

「奴ら、ヤクザ者のように一家に属しておらぬので、掟もなくやりたい放題だそうです。この頃じゃ、商家にいちゃもんをつけて、金を取れないと分かれば店で暴れるのでございます。あまりに乱暴なんで、あの辺りを縄張りにしている侠客きょうかく連中もお手上げで」

「それで、私に大旦那をかくまってくれと」

「いいえ、重蔵さまにしばしの間、郡上屋の警護を頼みたいのでございます」

「なに」

 重蔵がいっそう声高になったので、手代は肩をはね上げた。

「分かっているとは思うが、我が囲家はかくまい稼業を生業のひとつにしている。この家に駆け込んだ者を守らねばならぬ。そなたらの申すことは、用心棒風情のすることだぞ」

 重蔵には、用心棒に対するいささかな偏見がある。

 用心棒になる者がすべてではないのだが、その中には少なからず、酒と女と暴力に身を委ねるような浪人者もいる。

 重蔵は父から受け継いだ『かくまい稼業』を、そのような連中の仕事と同等に見られたくはなかった。

 もっとも、ほぼ慈善事業に近い『かくまい稼業』は、儲けとしては用心棒に負けているのだが、

「失礼は承知のうえでございます。なにしろ、いままで雇っていた用心棒が風邪を拾ってしまいまして。それに、囲さまほどの腕前のお方はそうそう見つかりません。あなた様をお雇いできぬとあらば、私は大旦那さまにどんな叱責を受けるか……」

 次座は重蔵の痛いところをつかず、あくまでも誘導的に、断りづらい雰囲気を醸し出した。

 掛け取り商人が得意とする嘆き脅し『大旦那様からのお叱り』の術である。

 この脅しに慣れた者であれば、いかに偽りの涙を流されようと、一歩たりとも譲らない。

 ところが、この囲重蔵、いかんせん情に弱くできていて、

「し、しかし……私は囲家の人間……用心棒などというものは、だなあ……」

 次座に押されつつある。

 これを次座は見逃さない。

「もちろん、由緒正しき囲家のご嫡男を、そこいらの用心棒並のお給金で雇おうと言うのではございません。とくべつの計らいを約束いたします」

「だが……」

「それも、もともと雇っていた用心棒が全快するまでのほんの二、三日でよいのです。でなければ私だけでなく、新しく手代となったこの者の出世も立たれてしまうやも……」

 重蔵の見えぬところで、次座が手代の尻をつねる。

『お前も眼を潤ませろ』

 の、合図である。

 手代はこの場面を持ってしみじみと、商人とは役者のごとく器用で、詐欺師のごとく悪賢くなくてはならぬことを学んだ。

「私からもお願いでございます」

 郡上屋に叩き込まれた泣き目で畳みかける。

 重蔵はついに折れた。


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