93℃の執着

UTAFUJI

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第二章

10話

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「あそこ!」

 ビルの角を曲がった先で、レイが指を差した場所に目を向ける。そこには控えめな明かりが灯る小さな居酒屋が見えてきていた。

 近くまでくると、木製の看板に、柔らかな字体で店の名前が書かれているのが見える。

「ね、隠れ家っぽくてめっちゃ良くない?雑誌に載ってる感じ、雰囲気よさそうでさ。気になってたんだよね」 

「へぇ……こんなとこあったの初めて知ったわ」

「でしょ?俺もこっち側は未開拓だし、楽しみ!」

 レイは嬉しそうに振り返り、ドアの取っ手に手をかけた。柔らかな灯りに照らされた暖簾をくぐると、ふわりと香ばしい出汁の香りが鼻をくすぐる。店内には、静かに流れる音楽が心地よく響いていた。

「いらっしゃいませ~何名様ですか?」

「二人です!予約してないんですけど、大丈夫ですか?」

「もちろんです!お席へご案内しますね」

 店員はにこやかに頷くと、奥の方の席へと案内してくれた。

 壁には手描きの黒板メニューがかかり、優しい間接照明が壁に柔らかな影を落としている。駅前にあるような騒がしい居酒屋とは違い、騒がしすぎず落ち着いたような賑わいが店内には溢れていた。確かにこれは、隠れ家っぽいかも。

 案内されたのは、店の奥にある半個室のようなボックス席。レイは腰を下ろすと、目を輝かせながらメニューを手に取った。ページをめくる指先が、どこか楽しげだ。

「何食べたい?このお店、魚系のメニューも多いっぽいんだよね~」

 そう言いながら、レイは俺の顔をちらりと覗き込んできた。不意に目が合って、俺はそっとメニューに視線を落とした。

「じゃあ刺し盛りとか頼むか……というか、先にドリンク決めようぜ」

「あ、そうだね!じゃあ、俺はとりあえずレモンサワーかな!シキくんは何にする?結構いっぱいあるよ、種類」

「うーん……」

 見やすいように、差し出されたメニューを受け取って、ざっと見てみる。
 お酒の種類も味もまぁまぁある。刺し盛りを食うなら、日本酒にするべきか?いや、まだ始まったばっかりし、と少し悩む。たまには、相手と同じものを飲むのも悪くないか。。

「俺もレモンサワーで」

 そう言って顔を上げると、レイは嬉しそうに笑っていた。

「なに?」

「んーん!なんでもない~」

 店員が水とおしぼりを持ってきたタイミングで、俺たちはようやく注文を決めて、飲み物と料理をいくつか頼んだ。

 店員がテーブルを離れると、俺たちはようやくひと息ついた。冷たいおしぼりで手を拭いていると、レイがこっちをじっと覗き込んできた。

「……さっきから、なんだよ」

「シキくんはさ~、今日のこと、楽しみにしてくれてた?」

「まあ、それなりに、な」

 ちゃんと言ってしまうと、また調子に乗られる可能性もあるので、楽しみにしていたとはあえて口には出さないでおこう。と思い、少し濁した。

「え~、“それなり”って何!俺はこんなに楽しみにしてたのに!」

 目の前で少し膨れているような表情を見せるレイは、なんだか子供っぽく見えた。
 思わずその膨れてる頬を突きたくなってしまい、人差し指でぷすっと攻撃してみると、柔らかな感触ともに、すぐにその頬はしぼんだ。
 ついでに、そのまま頬を摘んで引っ張ってみると、不貞腐れた顔のまま、レイは抵抗するでもなく、されるがままになっている。

「ははっ!お前、拗ねすぎだろ!」

「……いじわる」

 レイが口を尖らせたまま、目だけこちらを睨んでくる。その顔が余計に面白くて、もう一度くすりと笑ってしまった。

「ふふ、俺も楽しみだったよ今日の飲み。だから拗ねんなって」

 レイは「……なら最初からそう言ってよ」って、小さく呟いて視線を逸らした。
 その顔がどこかしゅんとした犬みたいに見えて、気づけば俺は、くしゃくしゃとレイの髪を撫でていた。

「わっ……!」

 レイが小さく跳ねる。

「ほら、機嫌直せって」

「うぅぅ、もう、調子狂うなぁ……」

 赤らんだ顔を隠すように両手で顔を覆うレイは、耳まで赤くなっていることには気づいていないようだった。その赤くなった耳を見ながら、俺は黙って水を口に運んだ。

「お待たせしました~。レモンサワーふたつと、お通しのきんぴらです」

 店員の声に、レイがびくりと小さく肩を震わせる。
 慌てて顔から手を離して、何事もなかったかのように姿勢を正すその様子に、ついまた笑いそうになるのを堪えた。

「失礼しまーす」

 レモンサワーがふたつ、目の前に置かれ、続いて小鉢のお通しがテーブルに並ぶ。

「それではごゆっくりどうぞー」

 店員が去っていくと、テーブルの上にはふたり分のグラスとお通しが残された。

「……ふふっ」

 堪えてた笑いが少し漏れてしまう。それが聞こえたのかレイは横目でこっちをちらりと見てくる。

「で?」

 レモンサワーのグラスに手を添えながら、俺はニヤニヤを隠そうともせず、レイの顔を少し覗き込んだ。

「どう?機嫌、直ったか?」

「っ……ちょ、ちょっと待って!?無理無理無理、回復中だから話しかけないで!」

 レイは顔を両手で覆い直しながら、テーブルに突っ伏す勢いで身を縮めた。

「えー、話しかけたらダメ?俺のこと嫌い?」

「は!?大好きですが!?」

 ガバッと顔を上げてそれだけ言って、レイはまたテーブルに沈んでいく。

「だってさぁ……推しのデレを……いきなり過剰摂取させられたらさぁ……っ!」

 レイの声は机の上からモゴモゴと漏れている。
ほんのり赤みの残る耳が、羞恥でじわじわ濃くなっていくのが見えて、また笑いそうになる。

「俺、推されてたの?」

「うるさい!知ってるくせにいじわる言わないで!!!」

 復活したのか起き上がって、グラスをぎゅっと掴んで、レイは吠えるように叫んだ。

「わかった!今日中に絶対!レイくんのこと大好きって言わせてやるんだからな!覚えとけよ!!」

「はいはい、とりあえず乾杯しような」

 俺はそう言いながら、レモンサワーのグラスを持ち上げる。
 レイはまだ頬を赤くしながらも、むくれた顔のままグラスに手を伸ばした。

「……言わせるからな、ほんとに」

「わかったわかった。ほら、かんぱーい」

「ん、かんぱい」

 俺は笑いを堪えながら、そっとレイのグラスに触れた。
 軽い音がカチンと響いて、ふたりの間に一拍の間が生まれる。レイは唇を噛むようにして、少し視線を落としていたけど、それでもグラスはしっかりと俺に向けられていた。
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